母への暴力【私の内観#36】 | 子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい

母への暴力【私の内観#36】

 

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

前回、ある宗教団体にハマりかけた日【私の内観#37】からの続きです。

 

 

 

大学一年生の夏、家族で富士登山に行くことになりました。

 

出発の日、母親が、スナック菓子をザックにたくさん入れて持って行こうとしたので、「そんなものいらない。荷物になるだけだ」と言って母親と口論になりました。

 

それだけならよかったのですが、その時に母親の足を蹴ってしまいました。

 

 

家庭内暴力です。

 

 

そのとき、自分は母親に謝りもしないまま、家族4人は、電車とバスを乗り継いで富士登山口に到着。

 

8合目の山小屋で一泊して、山頂でご来光(日の出)を見るために、夜中に起きて、また歩き出しました。

 

山頂までは大渋滞。前も後ろも右も左も人、人、人。

 

朝の満員電車状態です。

 

しかも真っ暗なので景色は見れません。

 

夜中に起こされて歩き出したので、寝不足だし、標高も高いので酸欠で頭も痛いし、というあまり楽しくない登山でした。

 

そんな状態で数時間歩いて、やっと山頂に到着。

 

そして、ご来光を見ることができました。

 

この時は雲ひとつない快晴。

 

山小屋の人も、なかなかこんな天気でご来光を見ることはない、と言ってました。

 

富士山頂でみたご来光の感動で、それまでの山登りの辛さが吹き飛びました。

 

 

そして、砂利道を下山。

 

自分と弟は先に5合目に到着し、後から父母がおりてきました。

 

帰りの新幹線では父母とはぐれてしまうというハプニングもありましたが、車掌に頼んで後続の新幹線に車内放送をしてもらい、東京駅で合流することができました。

 

当時はまだ携帯がない時代。

 

はぐれてしまったら大変でした。

 

無事、家族4人は家につきましたが、後で大変なことがわかりました。

 

 

母親の足が紫色に変色していたのです。

 

 

その場所は、出発前に自分が蹴ってしまったところ。

 

母親は、息子に蹴られた足が痛いのを我慢して、夜中、山登りしていたのです。

 

 

なんてことをしてしまったんだろう。

 

 

母親の紫色に変色した足をみて、思いました。

 

しかし、この時の自分は、母親に素直に謝ることをしませんでした。

 

また、母親は、そのことで、自分に怒ることも責めることもしませんでした。

 

 

ただ、「夜中歩いている時、足が痛かった」とポロっと言っただけ。

 

 

親に暴力をしてもなんとも思わない、勝手わがままな息子でした。

 

 

お母さん、ごめんなさい。

 

 

 

次回、診療内科【私の内観#40】に続きます。

 

 

 

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