診療内科【私の内観#40】 | 子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい

診療内科【私の内観#40】

 

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

 

前回の、母への暴力【私の内観#36】からの続きです。

 

 

 

高校浪人中から、診療内科に通うことになりました。

 
 
なぜ診療内科に通う事になったかというと、高校生の頃から偏頭痛に悩まされていたからです。
 
 
偏頭痛と診療内科とどういう関係があるの?
、と思われた人いるかもしれません。
 
 
当時は、自分の症状が偏頭痛だということは知らなかったので、脳神経外科に行ったり、眼科に行ったりしました。
 
 
なぜ眼科かというと、偏頭痛の症状として、目の周りがチカチカしてみえなくなるからです。
 
 
しかし、脳神経外科で検査してもらっても、眼科で検査してもらっても、どこも異常ないといわれました。
 
 
偏頭痛になったことある人ならわかると思いますが、ひどいときは、吐き気や頭痛、眼精疲労で活字が読めなくなったり、何も食べる事も出来ずに、寝込んでしまう事もあります。
 
 
色々な病院に行きましたが、どの病院で検査してもらっても異常なし。
 
 
そのような時、ある病院の脳神経外科に行ったら、その医師から診療内科の受診を勧められました。
 
 
白衣を着た国家資格を持つ医師の言うことです。
 
 
何の疑問も持たずに、勧められるまま、都内の大学病院の診療内科を受診しました。
 
 
まだ、未成年なので親と同伴できてくれといわれて、父親についてきてもらいました。
 
 
その診療内科では、脳波を測定してもらいましたが、検査結果はやはり異常なし。
 
 
しかし、その診療内科の先生は、「薬を出しておくので、二週間後にまた来るように」、と言われました。
 
 
相手は白衣を着た国家資格を持つ医師です。
 
 
自分は何の疑問も持たずに、言われるまま、素直に処方された薬を毎日、朝晩服用し始めました。
 
 
そして、二週間後にまた受診して、2、3分ほど先生と話して薬を処方してもらいました。
 
 
そして、また二週間後に受診。
 
 
このような生活を、4年間ほど続けたのです。
 
そして、ある時、その診療内科の先生は言いました。
 
 
「わざわざ都内まで通うのは大変でしょう。埼玉の自宅近くの診療内科の先生に、紹介状を書いておくので、これからはそちらに通いなさい。」と。
 
 
相手は白衣を着た国家資格を持つ医師です。
 
 
自分は、素直に言われるまま、自宅近くの診療内科の先生に、紹介状を持って行きました。
 
 
そこで、自宅近くの先生は驚きながら言いました。
 
「こんな紹介状を受け取ったのは初めてだ。」と。
 
「病名が書いてない紹介状なんて初めて見た」と。
 
 
今まで素直に先生の言われるまま、4年もの長い間通い、処方された薬を素直に毎日、朝晩飲み続けました。
 
 
そして、地元の近くの医師を紹介されました。
 
 
しかもその紹介状には、病名が何も書いてなかったのです。
 
 
結局、どこも悪くないのに、薬だけ処方されていたということになります。
 
 
しかも、診療内科で処方される薬は、睡眠薬や抗うつ剤などです。
 
 
全く薬を飲む必要がないのに、薬漬けになってしまいました。
 
 
そして、ここから先が大変でした。
 
 
なぜなら、もうこれ以上、薬を飲む必要ない事が分かったので、薬をやめようと思ったのですが、簡単にやめられなかったからです。
 
 
当時は、不安で不安で仕方がありませんでした。
 
 
薬をやめようと思い何回か飲まないでいると、不安感が襲ってくるのです。
 
 
そして、その不安感に耐えられなくなりまた薬に手を出してしまう。
 
 
これを繰り返してました。
 
 
完全に薬物依存になっていたのです。
 
 
全く薬を飲む必要などなかったのに。
 
 
高校浪人中から大学時代を通して、薬を飲み続けていましたが、母親からはいつも「あんたは寝てばっかりいる」と叱られてました。
 
 
それもそのはず。
 
 
何しろ、毎日朝晩、欠かさずに睡眠薬を飲んでいたので、眠たくなるのも仕方がありませんでした。
 
 
そんな状況で就職して関西に赴任。
 
 
同期入社の人と一緒にアパート暮らししてましたが、相変わらず薬をやめたり、飲んだりを繰り返してました。
 
そして、ある時、薬を思い切って大量に服用しました。
 
なぜ、そんなことをしたかというと、いつまでも、こんな事繰り返してもやめられないだろう。
 
だったら思い切ってたくさん服用して、ショックを与えることで、薬漬けから抜け出せるのではないか、と思ったからです。
 
 
でも、これはとても危険な行為です。
 
 
一歩間違えれば、あの世行き。
 
 
または、精神病院に入院するかも。
 
 
当時は、そんな事は考えてませんでした。
 
 
とにかく、薬漬けの生活から抜け出したい。
 
 
この不安感をなんとかしたい。
 
 
それだけでした。
 
 
幸いにも、命に別状はなく意識もはっきりしてたのですが、強烈な不安感が襲ってきました。
 
 
恐らく、このような精神状態では、自殺してしまうかもしれない。
 
 
会社の同僚と共同生活していたとはいえ、みな他人です。
 
 
人の事など御構い無し。
 
 
自分は自分で何をするかわからなかったので、実家に帰って、親元でしばらく養生しようと思いました。
 
 
精神的に不安定でノイローゼ気味なので、辞めさせて下さい、と会社の人事担当の人に相談しました。
 
すると、君がそういう状況なのは分かっていた、と人事担当の人は言いました。
 
 
この時の自分の状態を、採用してくれた人事担当の人は、研修時期から分かっていたようです。
 
 
結局、その会社を辞めて、実家に帰る事に。
 
 
 
次回、人工中絶【私の内観#39】に続きます。
 
 
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