高校受験【私の内観#13】
こんにちは、斎藤宏幸です。
【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。
中三の夏期講習【私の内観#32】からの続き
中学3年の時、高校進学のための進路指導が担任の先生と父親の3人でありました。
担任の先生は、自分の今までの偏差値に基づいて、この学校なら合格の可能性あるのでこの学校を受験するように、と指導ありました。
自分が行きたい学校があったので、「嫌です」、と断ったのですが、担任は「お前にはその学校は無理だ」、とはっきり言いました。
埼玉の中学に通っていたのですが、そこでは北辰テストと言うものが定期的にあり、そのテストに基づいて偏差値が決められました。
しかし、その北辰テストは、何回か行われるのですが、最終テストは確か9月ごろだったと思います。
そして、その9月までの偏差値によって進路指導が行われていたのです。
高校受験は翌年の1月、2月ごろでした。
したがって、9月から1月までの成績は考慮される事なく、進路指導が行われていたと言うことになります。
担任からは「お前にはその学校は無理だ」と決めつけられたので、結局、妥協案で担任の勧める学校と、自分が行きたい学校の中間くらいの偏差値の学校を受験することになりました。
年が明けて、滑り止めで私立の学校をいくつか受験しましたが、全て合格。
担任からは、「お前には脱帽した」と言われました。自分の偏差値からして、合格は無理だろうと思っていたようです。
そして、いよいよ、公立の受験です。
試験当日のペーパーテストでは、自己採点をすると合格圏内でした。
しかし、結果は不合格。
当時の合否の判断として、ペーパーテストの成績と内申書で判断されていました。その割合は半々。
内申書とは、中学の担任の先生が書いた成績表です。
自分は、担任からあまり良い評価をもらっていなかったので、内申書の成績はよくなかったと思います。
この時不合格だったのは、中学の担任が書いた内申書のせいだと思い込んでいました。
自分はよく頑張った、自分は悪くない、担任が悪いのだ、と決めつけていたのです。
その後、社会人となり、ある時「内観」をしていたら、ふと、この時のことが思い出されました。
そして、自分はよく遅刻をしていて担任からいつも怒られていたな、と思い出しました。
「もう遅刻をするなよ、3回遅刻したら欠席扱いになるからな、わかったか」と。
自分は「わかりました」といつも答えてましたが、翌日また遅刻。
そんなことを、なんども繰り返してました。
そんなことをしていたら、先生からの信頼もなくなります。評価も悪くなるのは当たり前。
今まで、高校受験に失敗したのは、中3の担任が悪いと決めつけていたけど、実は、自分の責任だったと気づいたのです。
自分の身の回りに起きる結果は、全て自分に原因がある。
改めて、この事を実感しました。
次回、補助教材を買いに行ってくれた母【私の内観#35】に続きます。
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