本日、「尼崎歴史博物館」へ行く用事があり、車で出かけました。
いつもは、バス、電車に乗り継ぎ、阪急「武庫之荘駅」で元会社の同僚に車で拾ってもらっていましたが、マップで経路と時間を確認すると、池田市からは約25分で着くことが分かりました。
以前その「博物館」で「富松(とまつ)城」のパンフをゲットしていたので、途中立寄ってみることにしました。
「富松(とまつ)城」のパンフ ↓

「富松(とまつ)城」のパンフ ↓

「首下がり病」発症以来、1年1ケ月ぶりのお城巡りです。お城巡りといっても、「富松城」は道路沿いにある平城ですし規模も小さいのでグルっと廻るだけのお城登城でした。
しかし、「富松城」は希少な「中世城館」跡で、歴史的には室町幕府三管領の一家で、畿内数ケ国を治めていた守護大名「細川氏」の分裂抗争が尼崎エリアに及ぶと、西摂津地域の重要拠点であった「有岡城(伊丹)」「尼崎城」「越水城(西宮)」のほぼ中間点に位置していたので戦略上の重要拠点となったお城だったようです。
1530年には「細川晴元」方の「薬師寺国盛」が「富松城」を守備をしていましたが、「細川高国」方の攻撃を受けて落城、その後は「高国」は当城に陣を構えて「晴元」方の勢力を一掃しました。更にその後、摂津を統治した「三好長慶」は「越水城」の支城として「有岡城(伊丹)」を攻める為に当城に入城しています。
しかしながら、「織田信長」の摂津進攻の時に「越水城」と共に放棄されたようです。
お城は、「土塁」と二重の「堀」を備えて、東西150m以上、南北200m以上の規模の城館であったと発掘調査より推定されています。
現在は、お城の西側の守りとして築かれた「土塁」の一部が、自動車道路に沿って幅11m、高さ4mにわたり残っています。また自動車道路と「土塁」の窪みは「堀」跡でしょうか。
北西方向から ↓

南側から北方向 ↓

「堀」跡の様 ↓

「土塁」(西側から) ↓

「土塁」(北側から) ↓

「土塁」南東裏側から ↓

南東から少し引いて見た「土塁」 ↓

「土塁」の東側 ↓

この北側にも自動車道路が通り、それを越えた所に「盛土」がありますが、そこは「櫓台」だったようでその上には「祠」が置かれています。
前述の場所と共に柵で囲われていて中には入れないようになっていました。
「櫓台」跡の「盛土」 ↓

「櫓台」跡の「盛土」上には「祠」 ↓

この後、「尼崎歴史博物館」へ向かって走行しましたが、「博物館」への集合時間にまだ時間が有ったので、脇道に車を置いて、久々の「尼崎城天守」や「城壁」の写真を撮影しました。
「尼崎歴史博物館」は、「尼崎城」の正に「本丸」跡内に建てられた「小学校」跡を使用した建物ですが、「天守」は「小学校」が建っていたことから「西三の丸」跡に建っています。
しかしいつ見ても美しい、四重層塔型で「付櫓」が両脇に付随した「複合型天守」です。今日は、青空に映えて一層雅な姿を楽しむことが出来ました。
「尼崎城天守」(南面) ↓

「尼崎城天守」(南西隅) ↓

「尼崎城天守」(北西隅) ↓

「尼崎城天守」(北東隅) ↓

「城壁」 ↓

久々のお城巡り(とはいうものの、車で立ち寄っただけでしたが)で、これからそろそろと「平城」巡りだけは始めようかなと言う気分になりました。
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