11月11日(木)と12日(金)の2日間、JR西日本の企画切符「関西どこでも きっぷ」を使用して5城巡りをしてきました。

 

今回は11月12日(金)に訪城した3番目のお城「有子山城兵庫県豊岡市をお届けします。

 

「有子山城」は「出石城」で記載したように、「お城坂」の延長上にありますが、一応「稲荷曲輪」跡の脇から「有子山登山口」となり登山に関する注意事項の表示と杖の用意がされています。

 

「有子山登山口」に立つ「史跡 有子山城跡」碑


 

日本城郭協会では、「有子山城」と「出石城」セットで1城の「続日本100名城」として扱っています。

 

「続日本100名城」の幟

 

登城前に、「有子山城」の城主と歴史について触れておきます。

 

「山名家」の本拠「此隅山(このすみやま)城」が、「豊臣秀吉」によって落城しますが、但馬守護の「山名祐豊(すけとよ)」が1574年に新城として築城したのが「有子山城」でした。

 

その後、「毛利方」となった「祐豊」に対して「織田方」に味方をするよう誘うもそれに応じなかったので、「豊臣秀長」軍に攻められて落城します。

 

「秀長」は1580年に、特に山頂部分を石垣を持つ曲輪群に改修し、麓には内堀・外堀を有する総構えの城下町にして城代を置きました。

 

その後、「秀長」の国替え等に伴い1595年に「小出吉政」が移封してきて、「吉政」が「岸和田城」に移ると嫡男「吉英(よしふさ)」が有子山の麓に「出石城」を築城します。そして「有子山城」は、一国一城の令以降に廃城となりました。

 

それでは、「登山口」から杖を借りて登城していきます。案内表示には、約1kmの距離で所要時間約1時間とあります。後で調べたのですが、比高差登山口からは約280mで、「三の丸」跡からは約305mでした。

 

「登山道の見所」案内と杖

パンフレット内の「有子山城」の曲輪図
 

お城友達からの情報では、かなりキツイ登り道だし、下山時も急斜面なのでゆっくりと下りないと危険なので同時間はかかるとのことでしたので、非常に不安を抱えながらの登城です。

 

案の定、登り始めて直ぐに急な段が続き、所々岩が出張っていて足を架ける場所にも気を使いながらの登山でした。

 

木の踏み台はあるが・・・

振り返るとこの急斜面(左にはロープも用意しています)

 

暫くすると、心臓の動悸の方も「ドクドク」と鼓動が耳に聞こえてくる位に高まり、汗は止めどもなく落ちてくる、これは「偉いこっちゃ」と思いながら少しずつ登りました。途中「土橋」跡と「堀切」跡が見られました。

 

延々と続く登り道

登り道にがゴツゴツした岩場があちらこちらに

「土橋と堀切」跡

「堀切」(「土橋」跡から)

 

延々と続く登り段、前を見たらもう心が折れるので下を向きながらの進行で、十数段登ったら息を整え、それを繰り返しましたが、一旦腰を落として休憩するともう立ち上がれないのではないかと思い、何とか我慢して約30分ひたすら登り続けた所にある「北第六曲輪(侍屋敷)」跡に辿り着き、そこでやっと小休止して水分補給をしました。

 

心臓が破裂するのではないかと思うぐらいの動悸で、ここで心臓発作を起こしたらどうなるんだろうとの不安がよぎります。

 

「北第六曲輪」跡

 

次に「北第五曲輪(侍屋敷)」跡まで登るとその後は平坦な山道が続くようで一先ずホッとしました。この「北第六・北第五曲輪」は、「主郭=本丸」を中心に3方向に延びる尾根の一つを曲輪化した「山名家」時代のモノのようです。

 

「北第五曲輪」跡

 

平坦ですがクヌギ等の枯れ葉に覆われた道を進むと「井戸曲輪」跡があります。岩が剥きだした状態になっていてそこから水が湧き出るのでしょうか。七壇の石垣から構成されているとのことですが、全壇の確認はできませんでした。

 

「井戸曲輪」跡

 

「第六曲輪」跡の壇の石垣が見えてきた所から、その延長線上に「第七・第八・第九・第十曲輪」跡が北西方向へ段々に下っていきます。

 

「第六曲輪」跡の壇の石垣

「第六曲輪」跡の壇の石垣

「第七曲輪」跡でその先「第八・第九・第十曲輪」跡が北西方向へ段々に下っていく

 

一方、上に向かってはジグザグの登山道を上がっていき、途中に「第五曲輪(侍屋敷)」跡の壇に着き、更に登ると「第四曲輪(侍屋敷)」に出ます。ここで、右手に進むと「千畳敷」跡、左手に進むと「主郭=本丸」跡に辿り着きますので、まずは左手=「主郭」方向へ足を進めます。

 

「第五曲輪」跡

「第四曲輪」跡

 

「第三曲輪」跡は、北側から南側にかけて立派な石垣が築かれていて壇上も結構な広さになっています。隅石が直角でなく鈍角になっている古い積み方で「シノギ積み」と説明されていますが、大概の古い石垣は鈍角になっていると思います。

 

「第三曲輪」跡(「第四曲輪」脇から見上げる)

「第三曲輪」跡(隅部が鈍角な「シノギ積み」)

「第三曲輪(蔵屋敷)」跡

 

その一段上が「第二曲輪」跡で、そんなには広くはないですが、「主郭=本丸」への登り口の石段は、当時のモノかどうか判りませんが、かなり幅広の石段になっています。

 

「第三曲輪」跡から「第二曲輪」跡への上り口

「第二曲輪」跡(奥に見える幅広石段で「主郭」へ上がる)

「主郭=本丸」跡へ上がる幅広石段

 

「主郭=本丸」跡の一段下には「犬走り」を設けている他に、北面の4mの高さの石垣には「横矢掛かり」も見られます。

 

「縄張図」(「主郭」にて掲出)

「主郭=本丸」跡 西面の石垣

「主郭=本丸」跡一段下の「犬走り」

「主郭=本丸」跡(シノギ積み、奥に「横矢掛かり」が見られる)

 

「主郭=本丸」跡は方形型で南側には「土塁」が見られ、この中には三重櫓が建っていたとの記載がありましたが盛土なり石垣の残骸が見られず、僅かに石が散らばっている所がありましたのでそこが跡地かと想像だけしました。

 

「主郭=本丸」跡(西側から)

「主郭=本丸」跡 南側の「土塁」跡

 

また、南側からは、「大堀切」越しに見える「千畳敷」跡を眺めることができます。

 

「大堀切」越しの「千畳敷」跡

 

麓から遥か上に見えていた「主郭=本丸」跡の北面石垣とその上で風に靡いていた吹き流しが、まさに今その真横に立っていることに感慨の深さを感じます。

 

麓から遥か上に見えていた「主郭=本丸」跡

麓から遥か上に見えていた「主郭=本丸」跡(望遠で)

 

よくぞ、比高差280mのほぼ直線的坂道を約45分で登ってきたことか! 体力的及び精神的な自信ができたとともに、今後も「山城」挑戦をしたいという気持ちに昂ってきました。

 

ベンチで暫し水分補給をしながら、遥か下に見える「出石城下」を舐めるように堪能しつつ写真を撮りました。

 

「主郭=本丸」跡から見下ろす「出石城下」

 

5分位の休憩後、「第四曲輪」跡まで下り、今度は「千畳敷」に向かいました。「第三曲輪」跡の石垣が続き、その上には「第二曲輪」跡の石垣も見えます。

 

「第三曲輪」跡 南面石垣

「第三曲輪」跡の石垣の上は「第二曲輪」跡の石垣

 

幅28mもある「大堀切」の底まで辿り着くと、両脇の「主郭=本丸」跡と「千畳敷」跡の12mもある深さを見上げて、良くもこれだけの尾根を分断したものだと驚かされます。

 

「大堀切」(西側から)

「大堀切」(東側から)

「大堀切」底から見上げた「千畳敷」跡側の尾根

 

「千畳敷」跡脇の坂道を上りきると前面に「千畳敷」跡が拡がり、その広さ(東西約130m×南北約50m)は「主郭=本丸」の5倍位はありそうです。

 

「千畳敷」跡

 

そして、周囲は「土塁」で囲われその遺構も残り、その広場の中には、石列によって3区分されていて、現在でも築地跡が一部残っています。

 

「千畳敷」跡周囲の「土塁」

石列による区分段差部分

石列による区分段差部分

 

この広い場所は、庭園を伴う「城主居館」が置かれていた他、「重臣屋敷」や並んでいたようです。

 

庭園跡の石なのか?

 

「千畳敷」の先端には、「堀切」「竪堀」を二重に設け、両端は「切岸」を施して断崖絶壁になっています。

 

「千畳敷」跡先端部分の「竪堀」

「千畳敷」跡北東方向の「切岸」による断崖絶壁

「大堀切」越しの「主郭=本丸}跡

 

これだけの難攻不落と思われるお城でも落城したのは、どのような攻めが有ったのか興味が湧きます。

 

「有子山城」の山頂部を全て廻った所で時間が16時、「出石」の日没時間が16時56分ですので、少し急いで下りないといけません。

 

下りは非常に滑りやすく慎重に下りないといけないので、登りとあまり時間が変わらないと聞いていましたが、日没を意識して少し早めに進みました。途中、角度のキツイ場所はロープを伝って少しずつ進まないといけません。

 

怖かった下山(ロープを伝って)

岩もいっぱい

 

このように気を付けながら進んでいましたが、やはり警告通りに滑ってしまいズボンは泥だけとなりました。そして気を取り直してゆっくりと下りていくうちに、首から下げていたカメラのキャップが無いことに気が付きました。滑った拍子にキャップが外れてしまったのだと思います。

 

探しに戻る気力も無くそのまま下山を決行し、ようやく「出石城」の「稲荷曲輪」跡に着いたときは16時40分、日没前に下山出来てホッとしました。

 

「三の丸」跡から「大手門跡」の「辰鼓楼」まで再び向かい、今下りてきた「有子山城」とのコラボ写真を何枚も写しました。

 

「辰鼓楼」と「有子山城」とのコラボ写真

 

既に17時、観光客も殆どいなくなり観光センターも閉店し始めていたので、お土産を慌てて少し買い、17時25分発の「豊岡行」バスに乗るためにバスセンターまで行きました。

 

JR「豊岡駅」では、19時3分発の「特急こうのとり28号」まで時間が1時間余りも有りましたので、近くのスーパーで夕食の買い出しに行きました。閉店も近いので何と「にぎりセット」が3割引き、食後のデザート「おはぎ」を2割引でゲット。

 

「特急こうのとり」(「豊岡駅」にて)

 

もうこの時間帯の車中は空いていて、ゆっくりと夕食を取ることが出来ました。「宝塚駅」には21時13分着で乗換えて「川西池田駅」へ到着しました。

 

車中食とデザート

 

外は凄く寒くなり、「有子山城」登城時には、薄手のジャンパーは脱ぎ、その中のセーターやシャツは汗まみれだったのが噓のようです。

 

2日間の「関西どこでも きっぷ」の城巡りは、無事に有意義に楽しく5城も尋ねることができ、何と10、000円で24,700円分(指定券代は含まず)も乗車することができました。この切符はお城仲間にも発信しましたが、「これはいい!」とのことで、関東からでも活用する人もいます。

 

このすぐれモノ切符の企画を、是非また「JR西日本」さんに実施して欲しいものだと願っています。できれば、他のJRグループにも広げていただければ嬉しいな~

 

 

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