GWの中日、いい天気も今日限りとのことで、「山崎の合戦」で「明智光秀」を迎え撃つべく「羽柴秀吉」の拠点となった「山崎城」(京都府乙訓郡大山崎町)に行ってきました。
「天正山崎の合戦陣系図」(下記のマップ裏に掲載)
「山崎城」の歴史と城主について、先にお話をしておきますと、実は私は「山崎城」があるとは全く知らず、「山崎の合戦」が繰り広げられた場所だったと認識していました。
しかし当城は、1470年に山城守護の「山名是豊」が西軍に対抗する為に築いたお城で、1538年には「細川晴元」が城の修築を行っています。
そして「本能寺の変」後に「中国大返し」によって戻ってきた「羽柴秀吉」が1582年に「天王山」を占拠して、「山崎の合戦」で「明智光秀」を破って「山崎城」を修築して「大坂城」が出来るまでは、交通や物流の要所でもある山崎を本拠としていて、ここで茶会等も催しています。
しかし1583年には「大坂城」が完成してそちらへ移り、1584年には廃城にしています。
今回私は、阪急京都線の「大山崎駅」からすぐ近くにある「大山崎町歴史資料館」で「散策マップ」をいただいてスタートしました。
「おおやまざき散策マップ」
「天王山」
「天王山 登り口」
途中「宝積寺」から登山道に入りますが、ここは、「山崎の合戦」時に「羽柴秀吉」が本陣を置いた所で、境内には三重塔が建っているのは、当時「秀吉」が一夜で建立させたと伝わるモノです。また、「本堂」の少し西側には「秀吉出世石」が枠の中に置かれていましたが、ここに座って采配でもしたのでしょうか。でも小さすぎます。
「宝積寺山門」
重文「三重塔」(秀吉の「一夜之塔」)
秀吉の「出世石」
山道は、家族連れのハイカーが多数行き来していて、下山してくる人たちに「こんにちは-」と頻繁に声掛けしながらの登城は初めてです。やはり、普通の山城とは違い、目的地が「天王山山頂」ですので、こんなに人が多いんでしょうね。
「ハイカー」が居ない隙を縫って撮った「登城路=登山道」
「ハイカー」が居ない隙を縫って撮った「登城路=登山道」
標高270m(阪急大山崎駅からの比高差約250m)の割には、汗はかきましたが比較的楽でした。もっとも、小さな子供たちもハイキングしてるぐらいですから。
途中、展望台があって、そこからの眺めは淀川などの川沿いを行軍してくる者たちが良く解るポジションであることから、この山崎が重要地点であることが良く解ります。
「三川合流展望台(青木葉谷公園)」からの遠望
二つ目の「展望台」脇には、「旗立松」と言って、「秀吉」が「天王山」の松に自らの旗を掲げて山麓で戦っている味方を鼓舞したそうです。ただ、伝承で顕彰されていて、松が枯れると新たに松を植えて残されています。
「旗立松」
「山崎合戦之地」碑も立ちます
「山崎城」城域の東端である郭内に建つ「酒解(さけとき)神社」に到着しますと、立派な「本堂」と重要文化財の「神輿庫」が建ちます。その場所がお城内とは全く判りません。
「山崎城」城域の東端である郭内に建つ「酒解神社」境内
「山崎城」城域の東端である郭内に建つ「酒解神社」
ここで「山崎城」の「縄張り」を説明しておきます。
「縄張り図」(現地に掲出)
「酒解神社」から西にかけて城域となっています。「主郭」部は西側に置かれ、「酒解神社」が置かれている郭との間にも多くの郭が配置されています。
「主郭」はそんな大きくはないですが「秀吉」によって「御殿」が築かれ、その北側の「天守台」には低層の「天守」も築かれたようです。「主郭」周囲には一段低い「副郭」が築かれ、「櫓台」もあったようです。また西側の「副郭」には「井戸」が掘られていました。
あと防御施設として、「副郭」下から東北方向と東方向に向けて2本の「竪土塁」が築かれたり「横堀」を掘ったりしています。
「酒解神社」から少し上がった削平地に辿り着きますと、右手に進むとハイキングコース、左手に上がって行くと「天王山山頂」と道標がありましたので、山頂にある「山崎城主郭」跡を目指しました。
「天王山山頂」への道標
この前の削平地に「転用石」が
「天王山山頂」方向
両脇に石積みが少し残る「虎口」跡から「主郭」跡に入ります。
「主郭」跡への「虎口a」
「虎口a」には「石積み」
「主郭」に着くと、お弁当を開いて食事中の人で一杯でしたが、まずは人が極力入らないよう写真を撮りました。「主郭」跡には、五輪塔の基部のような「転用石」が二箇所土に埋もれていました。また、ポツンと置かれたほぼ立方体の石には刻印が見えるので、顔を近づけて見ると梵字の様にみえますのでこれも「転用石」ではないかと思います。
「主郭」跡
五輪塔の基部のような「転用石」が転がる
こちらにも五輪塔の基部のような「転用石」が転がる
梵字の様にみえる「転用石」も転がる
「主郭」跡北側の盛り上がりがある土壇(天守台)の南面には「石列」が見られましたが、そこにはハイカーが休憩席として座っていて写真が撮れないので、まずは「天守台」上と「天王山山頂」碑の撮影をしてから、私も、持参の菓子パンをぱくつき休憩を取りました。
「天守台」上
「天守台」上の「天王山 山頂」碑
食後は「縄張り図」を見ながらの遺構探しです。まずは、先程の「石列」の写真を収めないと気が済まないので、座って休憩をしている方にお願いして少しだけ立っていただいて写真を撮らせてもらいました。
「天守台」南面の「石列」
「天守台」南面の「石列」
「天守台」から「主郭」跡を見下ろす
「天守台」を北側下から見上げる
その後は「天守台」から北側の「副郭」に下りて、「天守台」「主郭」跡をグルっと廻ると「井戸」跡を目にしました。かなり大きな枠を被せていますが、その中は円形だそうです。「井戸」跡の南側の段郭を確認してから、「本丸」跡周囲を下から見ると所々「石積み」が見られました。
「天守台」から「副郭」を見下ろす
「天守台」下の「副郭」跡
「主郭」跡下の「副郭」跡
「主郭」跡下の「副郭」跡
「井戸」跡
「副郭」北側の「櫓台」跡に戻り、そこから断崖絶壁を下りて振り返ると確かに「櫓台」だということが分かります。
少し出張った所が「櫓台」跡
「副郭」跡の下から見上げる「櫓台」
2本の「竪土塁」を是非ともこの目で確認したく、「切岸」状の断崖絶壁を「ハイキングコース」の山道まで下りてから、山肌の木々を透かし見ながら進みますと、見つかりました!
北東方向に延びる「竪土塁」は縄張り図通りに、更に竹林方向に「土塁」として延びています。その「土塁」の上を北に進むと「段郭」となっているので、それに間違いありません。
北東方向に延びる「竪土塁」のハイキングコースを越えた延長部分 (西から東方向)
北東方向に延びる「竪土塁」のハイキングコースを越えた延長部分 (西から東方向)
北東方向に延びる「竪土塁」のハイキングコースを越えた延長部分の先端は「段郭」
北東方向に延びる「竪土塁」のハイキングコースを越えた延長部分 (横から見た)
山裾の方は、木々の中に入り込んで見ると「土塁」が上へ向かって延びています。「竪土塁」が上に向けて上っている状態を見て、身震いするほど嬉しいでした。
山裾側の北東方向に下る「竪土塁」
山裾側の北東方向に下る「竪土塁」
山裾側の北東方向に下る「竪土塁」
山裾側の北東方向に下る「竪土塁」
「ハイキングコース」を歩くハイカー達は、林内でウロウロ歩き回る私は何してるのか?というような目でみていましたが、「そんなの関係ない!」で写真を撮りまくりました。
まわりの木々が伐採されていたら、もっとハッキリと目に飛び込んできたでしょう。
そしてもう一本の東方向に走る「竪土塁」も見つけて大満足でした。あまり、遺構が残ってない中で、これを見られたのは大きなお土産になりました。
東方向に走る「竪土塁」
東方向に走る「竪土塁」
東方向に走る「竪土塁」
下りは、そんな危ない箇所もないので割と早く下山できました。
登ってくるハイカーへの挨拶が軽やかになって、大山崎駅に戻ったのは13時10分でした。
関ヶ原の戦いの前の「天下分け目の戦い」である「山崎の合戦」の現場と、「秀吉」が「大坂城」が出来るまでの暫しの間に居住したお城に登城できたことに非常に満足感を覚える半日になりました。
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