本日も「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」シリーズをお休みにして「お城紀行」を投稿します。

 

先日(12/5)「筒井城」に訪城した後、「筒井駅」から近鉄「橿原線」の一つ北の駅「近鉄郡山駅」で下車して続日本100名城の大和郡山城」(奈良県大和郡山市)に向かいました。

 

「大和郡山城」の跡地(二の丸跡)に「県立郡山高校」があるので、丁度期末テストの終了時間と鉢合わせになったのか、生徒が駅に向かって下校してきて「大和郡山城」に向かう道が一杯でした。

 

暫く続くだろうと思い、駅近にあった「モスバーガー」でランチをして時間を費やし12時40分に出陣を始めました。

 

「モスバ」のチキン照焼ランチセット(これだけで900円とはいい値段です)↓

 

踏切を渡り三の丸緑地に入ると真っ赤な紅葉が私を迎え入れてくれました。

 

「江戸時代後半の縄張り図」↓

「郡山城跡案内絵図」↓

「三の丸緑地」内の真っ赤な紅葉↓

 

その緑地からは早速、交差点の隅に「頬当(ほほあて)門」跡と「柳御門」跡の石垣が見えました。この西側には「大手掘」が一部残っていますが、以前行ったので今回は割愛して、近鉄「橿原線」の踏切を渡って城内へ向かいました。

 

「頬当(ほほあて)門」跡↓

「柳御門」跡↓

 

踏切を渡った両側には「蓮池」「五軒屋敷堀」がありますが、前者は殆ど水も枯れた状態で、後者は水をしっかり湛えていました。

 

「蓮池」跡↓

「五軒屋敷堀」

 

踏切から坂道となり直ぐ右手には「鉄御門」跡の櫓台が立っていて、車も走る道は右折れ、そして左折れの枡形になっています。

 

「鉄御門」跡の櫓台↓

「鉄御門」跡の枡形↓

 

上りきった右手は「中堀」に沿った細長い「陣甫(じんぽ)曲輪」跡となり一部住宅が建ち、その向こうには復興「東隅櫓」と「城址会館」が見えます。両者は後ほど案内します。

 

「中堀」と「陣甫曲輪」跡越しに見える復興「東隅櫓」と「城址会館」↓

 

上りきった道は真直ぐに西方向へ延びて左手には長い白壁の土塀が続きます。白壁の内側は現在「郡山高校」となっていますが、元々は「二の丸」跡で東側には「藩庁」の「表向」が、西側が藩主私邸の「奥向」となっていたそうで、現在「表門」跡と表示されている所は高校の門になっていました。

 

白壁の内側は現在「郡山高校」(元は「二の丸」跡)↓

現在「郡山高校裏門」(「二の丸表門」跡)↓

 

丁度「高校」の裏門前には鳥居が立ち、そこから「本丸」跡へ入る「竹林橋」跡の「土橋」があります。「土橋」の両脇は「内堀」になっていて橋を渡った場所には「竹林橋櫓」跡の櫓台が「堀」から立ち上がっていました。

 

「竹林橋」跡の「土橋」↓

「竹林橋」跡右手の「堀」↓

「竹林橋門」跡↓

 

「鳥居」は「柳澤神社」のモノで、入って左手に進むと神社の社務所があり「拝殿」「本殿」と続きます。当神社は、1880年(明治13年)に、藩主家で始祖でもある「柳澤吉保」を祀る神社として創建されました。

 

続日本100名城「郡山城跡」碑↓

「柳澤神社」の拝殿(「本丸」跡内)↓

 

「本丸」跡は、南側が現在「柳澤神社」になっていて、北側が全体に西側に折れて「天守台」があります。この城の石垣は「野面積み・乱積み」ですが、特に「天守台」はゴツゴツした感じを受けます。

 

「天守台」南面と「付櫓台」南面(「柳澤神社」裏側)↓

「天守台」手前の「付櫓台」↓

「天守台」と「付櫓台」(南西から)↓

「天守台」と「付櫓台」(東側から)↓

 

「天守台」へ上がるスロープは元々無かったものですが明治時代になってから付けられたらしく、上がった所が「付櫓台」で大きな礎石らしき石がコンクリートに埋まっていました。この「付櫓台」から立ち上がる「天守台」の南面ですが、普通は石垣面は平面にしているお城が大半ですが、ここでは、石が平面から大きく飛び出したままに積まれているのが特徴です。

 

「天守台」へ上がるスロープ↓

「付櫓」台上↓

「天守台」の石垣の石が飛び出ている↓

「天守台」の石垣の石が飛び出ている↓

 

「付櫓台」から少し階段を上がると「天守台上」でこちらもコンクリートで成形されていて、上段と下段があります。中央辺りには、「梵字」が刻まれた石が置かれていました。

 

コンクリートで成形された「天守台上」(北方向)↓

コンクリートで成形された「天守台上」(南方向)↓

「天守台上」にある「梵字」が刻まれた石↓

 

「天守台」上からの眺めは良く、南東方向には「毘沙門曲輪」跡の曲線を描く堀沿いの石垣が見え、東方向には「常盤曲輪」跡が拡がり復興の城郭建造物や明治41年築の「城址会館」が建ち、北側は「玄武曲輪」跡の土塁が連なり、西方向には「厩」跡から「総曲輪」跡、その奥には「麒麟曲輪」跡が望めるなど、当城の広大さを実感できるポジションです。

 

「毘沙門曲輪」跡の曲線を描く堀沿いの石垣↓

「毘沙門曲輪」跡の紅葉↓

「毘沙門曲輪」跡内の復興城郭建造物↓

「常盤曲輪」跡に建つ「城址会館」と復興「追手門」等↓

西方向の「厩」跡から「総曲輪」跡↓

 

「天守台」を下りて裏側に廻ると、「石垣」の穴の中に転用石の「逆さ地蔵」が見られます。これが最大の見せ場でしょうか。「天守台」の石垣の上の方にも転用石らしき墓標か五輪塔の「基壇」が見られました。

 

転用石の「逆さ地蔵」↓

文字が刻まれた何かの「基壇」か? ↓

 

「本丸」跡から東側の「毘沙門曲輪」跡へ行くためには、2021年に完成した「極楽橋」を渡らなければなりませんが、その前に「月見櫓」台や「埋門」跡を通り越し「白沢門」跡の櫓台に進みます。

 

「本丸」跡の東側にある「埋門」跡↓

「本丸月見櫓台」↓

「白沢門」跡の櫓台↓

 

「白沢門」跡を良く見ると、元の橋が架かっていたと思われる穴が両石垣に残っていますし、ここでも転用石が見られました。前回訪城した時には丁度工事中でしたので、今回初めて渡りました。

 

「白沢門」跡の何かを架ける穴↓

「白沢門」跡の石垣にも転用石を使用↓

2021年に完成した「極楽橋」(「毘沙門曲輪」へ渡る橋)↓

 

長くなりましたので、「前編」はここまでとして、次回は「毘沙門曲輪」跡からお届けします。

 

 

 

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