まずは、MYホームページhttps://sirosukii.jimdo.com/お城ごとの建物アルバム/お城ごとの建物アルバム②/ の更新をご報告します。

 

現在、御殿が現存しているお城・陣屋にある建築物の写真を掲出しています。本日追加分は川越城、柏原(かいばら)陣屋、名張(なばり)陣屋です。是非、一度ご覧くださいね。

 

さて、御三家居城シリーズの「和歌山城」(和歌山県和歌山市)「後編」ですが、いよいよ天守曲輪へ向かいます。まず、天守についてのお話ですが、三層三階の連立式で虎伏山の山頂に構える平山城であります。

 

お城の北側から見上げると、「多門櫓」で「天守」「小天守」「乾櫓」が繋がり、南側から見ると「二の門櫓」「二の門」「天守閣」が「多門櫓」で繋がっているのが良くわかります。

 

天守曲輪群(左から大天守、小天守、多門、乾櫓)

天守曲輪(二の門、二の門櫓)からの眺めは海も見え素晴らしい

復元二の門(楠門)

復元二の門櫓

 

連立式の天守は、数は少ないですが他には「姫路城」があり、小天守と大天守を渡り櫓で繋がっていますし、「松山城」が大天守と小天守の他に南隅櫓・北隅櫓・筋金門・中門などが十六間長屋や多門櫓で繋がっています。この形式の天守は凄く豪華に見えますねー

 

そして和歌山城の天守群は当初、下見板張の古風な感じのお城だったようですが、1846年の落雷で焼失して、総塗り込めに変更して立て直しがされたようです。

 

しかしこのお城も、太平洋戦争によって焼失してしまい、現在のお城は昭和33年に鉄筋コンクリートで外観復元で再建されました。

 

復元大天守(西側より)

 

因みに、現存している天守閣は12城ですが、太平洋戦争前には20城も存在していました。爆弾で「水戸城」「名古屋城」「大垣城」「和歌山城」「岡山城」「福山城」「広島城」の7城が焼失、戦後には「松前城」が失火で焼失しました。

 

現在は、消火設備や防火体制が整備されているものの、最近でも貴重なお寺等の建造物がちょっとした火の不始末で焼失した例もあることから怖いですね。

 

話がそれてしまいましたが、連立天守の入口は唐破風を付けた小天守閣からで、格式が感じられます。多門櫓の中をグルっと1周歩きますが、鉄筋コンクリートなのであまり城内の風情を感じることができませんが、かなりの距離を感じることができました。

 

小天守と多聞櫓

小天守入口の葵紋の屋根

二の門から大天守方向の多門櫓内

 

御殿は、天守曲輪内には造られなかってたようで、この曲輪の東側の小山の上に「本丸御殿」が置かれたようです。現在は、市の給水場として使用されていますので、立入禁止エリアになっています。

 

御殿といえば、昨日紹介しました「二の丸御殿」の他に、城下には藩主の隠居用御殿であった「湊御殿」(和歌山市湊)や、藩主の避暑用や参勤交代時に使用した「岩出御殿」(和歌山県岩出市清水)などがありました。

 

岩出御殿(重文、横浜三渓園の臨春閣へ移築

臨春閣の内部

 

「岩出御殿」は、現在横浜の「三渓園」内に移築されています。また、「湊御殿」も、紀州藩の汐入回遊式庭園「養翠園」内に移築されて一般開放されています。

 

湊御殿(紀州藩主の別邸、藩主の隠居した後の住まい)養翠園内

養翠園 (中国の西湖を模した石橋、章魚頭姿山-タコズシヤマ-や天神山の借景と四季折々の花や茶室が来客を楽しめる)

養翠園 (池に架かる三ツ橋)

 

 

今度は天守曲輪から北側に登城道があり、そこを下っていくと「台所門」跡や「黒門」跡の石垣を見ることができ、その山の斜面には緑泥岩の野面積み石垣の拡がりを観察することができます。

 

「松の丸」跡の北面(「本丸」跡下の石垣、緑泥片岩)

 

そして、「切手門」跡の石垣越しに、昨日紹介しました「西の丸紅葉渓庭園」の池と石群が再度眺めることができる最良のスポットに戻ってくることになります。

 

切手門跡石垣

 

天守曲輪は、全て鉄筋コンクリート造りではありますが、その山腹から山裾にかけては、江戸時代の姿をあちらこちらで目にすることができる素晴らしいお城ではないかと思いました。

 

では明日は、御三家のお城三城目の「水戸城」にまいりたいと思います。

 

 

 

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