「小谷城」(滋賀県長浜市小谷郡)の続きで(中編)です。

前編 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12577308984.html

 

「桜馬場」跡の後方一段上る所には、古びた石段と両脇に石積みが見られますが、これが「黒金門」跡で、「大広間」跡の入口となります。この両脇にも大きな石や岩が斜面に張り付いています。

「黒金門」跡

 

「黒金門」跡脇の岩

 

そして「黒金門」の石段を上った所からは、広い敷地の「大広間」跡が縦長に延びて遠くに壇が見通せます。ここは、「千畳敷」とも呼ばれていて、建物、井戸、蔵等も置かれた当城最大の郭になっています。そして、奥に「本丸(鐘ケ丸)」が壇上に築かれています。

「本丸」「大広間」の絵図

「大広間」跡(奥の檀上は「本丸(鐘ケ丸)」跡

「大広間」跡内の「井戸」跡

「本丸(鐘ケ丸)」跡から「大広間」跡を見る

 

「本丸(鐘ケ丸)」跡の南面は、立派な石垣が積まれ防御がされていて、壇上はニ段になっています。そして、後ろの少し高い所には、重層の「櫓」が建っていてようです。

 「本丸(鐘ケ丸)」跡の南面に見える石垣

 「本丸(鐘ケ丸)」跡の南面隅の石垣

 「本丸(鐘ケ丸)」跡(奥が一段高くなっている)

 

「本丸(鐘ケ丸)」跡」の北側は、断崖となっていて、その向こう側には再び壇となった「中丸」跡があります。丁度のこの間が「大堀切」となっています。「本丸(鐘ケ丸)」から下りて南面の石垣隅の脇を抜けた所が「御局屋敷」跡になりますが、そこから見た「大堀切」の大きさは実感ができます。

  「本丸(鐘ケ丸)」跡北側の断崖下が「大堀切」

「御局屋敷」跡

「御局屋敷」跡付近から見る「大堀切」

 

この辺りから、2~3日前に降った雪が積もっているのが所々見られ、少々歩きづらい所もあります。

 

「大堀切」の北側にあるのが三段の郭が段々に上る「中丸」跡で、ニ段と三段の間には小規模な石垣と虎口を設けていて、防御態勢を一層高めた郭になっているのが解りました。そして最上段には水が干上がった小さな「刀洗池」跡がありますが、これも水分確保の池だったのでしょうか。「中丸」跡の三段の郭は見応えがありました。

「中丸」の絵図

三段の「中丸」跡

「中丸」跡の枡形付近

「中丸」跡

「中丸」跡の最上段にある「刀洗池」跡

 

その後ろには「大広間」跡に次いで広い「京極丸」跡が南北四段あり、南西には枡形もある郭で、「京極氏」の屋敷があった場所だったそうです。

「小丸」「京極丸」の絵図

 

「京極丸」跡の入口

「京極丸」跡

「京極丸」跡(段差がわかる)

「京極丸」跡(段差がわかる)

 

その上が「小丸」跡になります。こちらは、左右ニ段の郭で、「浅井久政」が自刃した場所ということです。

 

「小丸」跡

 

いよいよ最後の砦である「山王丸」跡です。入口である南側は「虎口」の痕跡があり破城の際に出た石が散乱していました。また、その前には「馬出」に相当する敷地が設けられています。「山王丸」跡は標高400mの最高所にある詰めの丸に当たり、4段からなって中央の郭には「山王社」が祀られていたようです。当郭北側には「土塁」が残りその裏側には石が積まれていました。

 

「山王丸絵図

「山王丸」跡南面の石垣

「山王丸」跡南側「虎口」の痕跡があり破城後に散乱した石

「山王丸」跡

「山王丸」跡の「馬出」跡

「山王丸」跡後方の石垣と土塁

「山王丸」跡後方の土塁

 

詰めの丸であるので、北側は断崖絶壁になっていて、次の郭である「六坊」跡に下りる急坂には難儀しました。雪でぬかるんで滑りやすくなっていて、運動靴の私は、借りた杖で支えながらゆっくりと下りざるをえませんでした。

 

下りきった所にある「六坊」跡は、搦手に当たり、六つのお寺を集めた場所だったそうです。この郭が四辻になっていて、一方は「月所丸」跡へ向かう道、一つは「大嶽(おおづく)城」跡から「福寿丸」跡、「山崎丸」跡を通り下山するコースの道、もう一つは「清水谷武家屋敷」跡があるコースの道です。

 

「六坊」の絵図

「六坊」跡

「六坊」跡

 

私は、「月所丸」跡を見てから「大嶽(おおずく)城」跡へ行き、再びここへ戻り「清水谷」コースを下りる予定を組んでいましたが、今まで汗ダクになる程の好天気が徐々に曇ってきていて、とうとう時雨れだしてきたことから、「清水谷」コースを下りることに決めました。

 

次回ブログ(後編)では、「清水谷武家屋敷」跡から下山します。

 

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