8/18(金)に「青春18きっぷ」を使い、岐阜・愛知3城巡りに出かけました。

 

「清洲城」の次はJR「清洲駅」から「岐阜駅」に向かい「岐阜バス」に乗り換え「墨俣(すのまた)城」(岐阜県大垣市墨俣町)に向かいます。乗り換え時間が4分しかなく、「墨俣行バス」の乗り場は⑥番としかわからないので、改札から走りました。

 

ギリギリセーフで時間には間に合いましたが、バスの到着が5分以上も遅れたので本当は余裕だったのですが・・・

 

途中も渋滞に遭遇して「墨俣」バス停に着いたのは15分位遅れました。バス停からは北に向かって約15分弱でしたので速足で向かいました。

 

途中の道には、江戸時代に「東海道の宮宿」と「中山道の垂井宿」を結ぶ脇街道「美濃路」の「墨俣宿」跡があり、そこには「脇本陣」の建物が残っていました。東側には「本陣」があったようですが、現在は「本陣跡」碑のみ立っていました。

 

「墨俣宿」碑↓

「脇本陣」の建物↓

「本陣」跡碑↓

 

そこから、土手になっていて桜並木の「犀川堤」を北上すると、目の前に「大垣城」を模した歴史資料館である模擬「墨俣城天守」が見えます。

 

「犀川堤」から見える模擬「墨俣城天守」↓

 

手前には、「清洲城」のように「太閤出世橋」が架かり、渡り切ると出世した「太閤秀吉」像が迎えてくれます。この橋には「誰もが出世できますように」との願いが込められているそうです。

 

ここは、実際には砦だったにも拘らず余りにも立派な「天守」が建っているので、今まで訪城するのに気が引けていたお城でしたが、もう少し早く現役時代に、ここに訪れるべきだったなあ・・・と反省しながら渡りました。

 

「太閤出世橋」↓

「太閤出世橋」と歴史資料館になっている模擬「天守」↓

歴史資料館になっている模擬「天守」(「大垣城」を模している)↓

「太閤秀吉」が迎えてくれる↓

「墨俣一夜城」碑↓

歴史資料館になっている模擬「天守」↓

 

渡り切ると、すぐに模擬「天守」には入らないで、「清洲城」の時と同様、裏側から攻めました。

 

裏側から見た「墨俣一夜城」↓

 

やはり裏側には、見るべきポイントがあり、まずは「豊臣秀吉」を祀る「豊国神社」が小さいですがありました。「大坂城」二の丸跡内に建つ「豊国神社」とは比べ物にならないですが、さすが、「秀吉」の出世スタート地である「墨俣」にもありました。

 

「豊国神社」↓

 

次に、周囲には「藤吉郎の馬柵」が復元されていて、説明書きが立っています。1566年9月に「稲葉山城」の「斎藤勢」の騎馬隊を防ぐために高さ1間、地中3尺の松桧木を打込み藤つるで巻いて組立てたそうで、この馬柵に守られた中で砦を築けたという、これがまさに「墨俣砦(城)」であったと思いました。

 

復元「藤吉郎の馬柵」↓

復元「藤吉郎の馬柵」↓

昭和初期の「墨俣城」跡(川側から、館内に掲出)↓

 

これらを見てから四重五階、白漆喰総塗籠め、層塔型、複合式、そして「天守」の屋根には大阪造幣局で製造された24金の「金鯱」が輝く、模擬「天守」内に入館しました。

 

大阪造幣局で製造された24金の「金鯱」↓

 

中は歴史資料館ですので、郷土展示から始まり、「墨俣城」がどのようにして築城されたかの解説、「木下藤吉郎」から「羽柴秀吉」「豊臣秀吉」が辿った出世街道の道のりを歴史背景と共に解説がされていたので、今まで周知の事実などを復習しながら見ていきました。

 

この中で最も興味を引いたのは、「前野家古文書(旧前野家の吉田龍雲家所蔵の前野家古文書)」に記載された「墨俣城」の詳細図で、実際の土木状態や建造物状態の簡単な絵が描かれていて、それに基づいて制作されたCGによる復元「絵図」が見られたことです。

 

「前野家古文書(旧前野家の吉田龍雲家所蔵の前野家古文書)」に記載された「墨俣城」について↓

「前野家古文書(旧前野家の吉田龍雲家所蔵の前野家古文書)」に記載された「墨俣城」の詳細図↓

CGによる復元「絵図」↓

 

最上階から、お城の周囲を「長良川」「犀川」等が流れる様子や、この場所から見える当時の敵方のお城「稲葉山城」の姿が望めるのが非常に臨場感がありました。

 

「最上階」↓

「最上階」から見る「長良川」「犀川」↓

「最上階」から見る「天王川」↓

「長良川」の先には「稲葉山城(現 岐阜城)」が見える↓

 

この場所に砦を築いた理由を、何本もの川が交わる立地場所の確認や、本来の砦の様子を絵図やCGによって理解が深まり、「墨俣城」の本質を知る上で、この訪城は非常に良かったと思いました。

 

帰りは「墨俣」バス停から、「名阪近鉄バス」に乗ってJR「大垣駅」へ向かいました。これもバスの到着が遅れ、20分弱あった余裕時間が殆どなく16時37分発の「米原行」電車に飛び乗りました。

 

この時期は、「青春18きっぷ」を使用する旅行客や移動客が多いので、立っている人もいるほど車両は満員でした。

 

「米原駅」からは新快速に乗換え、いつものように疲れ果てて爆睡し、「大阪駅」には18時43分着でしたが、途中先行列車の車両点検の為19時着でした。

 

 

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