前回のブログでは、「竹生島」内にある「秀吉」時代の「大坂城」唯一の遺構である「極楽橋」に付随していた「唐門」を紹介しました。

 

今回は、秀吉時代の「大坂城」ってどのようなお城であったのかを、私が現在の「大阪城」内で撮った写真の中から、紹介したいと思います。

 

「大坂城」二の丸跡に建つ「豊国神社」と「秀吉像」

 

現在の「大阪城(大坂城)」は、ご存じのように、「豊臣秀吉」が築いたお城の上に盛土をして「徳川家」が築いたお城が覆い被さっています。

 

しかし、所々で「秀吉」の「お城」が発掘されてそれが展示されたり、古い「絵図」の中に描かれてきたものを目にすることが出来たり、或いは敢えて「秀吉」時代のデザインを「徳川家」時代のものと融合させたりしているのが、現在の「大阪城(大坂城)」です。

 

その最大の「秀吉」時代のお城の見せ場が、昭和6年に建てられて今年で満89歳にもなる「復興天守」です。

 

現在の復興「大坂城天守」(南面)

現在の復興「大坂城天守」(南西面)

 

この「復興天守」は、「徳川時代」の天守台の上に、一番壮大で華やかな大坂夏の陣図屏風』(黒田屏風)を基に、『大坂冬の陣図屏風』、『大坂屏風図』なども参考にされて「秀吉時代」の「天守」に再現されています。

 

大坂夏の陣図屏風』に描かれる天守

 

大坂夏の陣図屏風に描かれている天守と同じ入母屋造りで、破風の位置や数も同じです。そして「天守」最上階の、漆塗の黒壁上に黄金の「虎」や「鷺」が描かれています。

 

 大坂夏の陣図屏風』に描かれる天守

現在の復興「大坂城」天守(西の丸より、壁の色以外は、上図とほぼ同じ)

復興「大坂城」天守の最上階

 

しかし、違いもあります。大坂夏の陣図屏風では各階ともに黒漆塗の壁面になっていますが、現在の「復興天守」の壁面は、最上階は黒漆塗ですが、以下の階の壁は、『大坂屏風図』を基に白壁造りで再現されているようです。

 

「大坂屏風図」(ミライザ内の中に写真掲出)

「大坂屏風図」(ミライザ内の中に写真掲出)の「大坂城」部分を拡大

 

 

この『大坂屏風図』というのが、前回のブログで紹介したウイーンの「エッゲンベルク城」で所有の「大坂屏風図」です。

 

これらの「屏風」は、現在「本丸」内に建つ「大阪城」の復興「天守」内や、ショップ・カフェ・レストランやギャラリーがある「ミライザ大阪城」(旧陸軍第四師団司令部庁舎の建物で元は大阪市立博物館)内で、レプリカや写真等で見ることができる他に、数多くの「大坂城」に関わる資料や写真が掲出されています。

 

ウイーンの「エッゲンベルク城」が所有している『大坂屏風図』も写真が掲出されていて写真撮影もOKでしたのでここに掲載しておきます。

 

『屏風図』を拡大していますので、「竹生島」の「宝厳寺唐門」として移築されている形と良く見比べてください。当時の「極楽橋」は「廊下橋」でしたが、現在はそれは再現されず、橋脚だけの橋になっています。

 

 「大坂屏風図」(ミライザ内の中に写真掲出)の天守右下に「極楽橋の唐門」が見える

竹生島の「宝厳寺」に移築された国宝「唐門」

徳川時代の「大坂城極楽橋、奥に山里門と多聞櫓、鉄砲方預櫓」の古写真

「極楽橋」と復興「天守」

「極楽橋」と内堀

 

この「極楽橋」の本丸側の曲輪が「山里丸」となっています。

 

この曲輪は、「秀吉時代」には、名前の通り優雅を楽しむエリアで茶室等が設けられていたようですが、「大坂夏の陣」では、「徳川方」からの砲弾を避けるべく「豊臣秀頼」と「淀君」はここへ逃げ込み、最期に自刃した場所であります。現在は、「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」碑が上げられています。

 

大坂夏の陣 大坂城落城絵(ミライザ内に掲出)

秀頼・淀殿ら自刃の地

「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」碑

 

「本丸」跡内の「復興天守」南前には、井戸が有り常時は蓋で覆われていますが、その中数メートル下には、埋められた「秀吉」時代の石垣が保存されています。

 

「秀吉」時代の石垣が保存されている井戸(この下に石垣がある)

 

本丸跡の東側から北側、西側にかけて「水堀」がありますが、「極楽橋」を渡った脇には、「水堀」を遊覧できる船の乗船場があります。この船は全体が純金箔貼りで表現し、前述の「大坂図屏風」の中に見られる秀吉の「鳳凰丸」をモデルにして造られた黄金の御座船です。

 

秀吉の「鳳凰丸」をモデルにして造られた黄金の観光用御座船

黄金の観光用御座船

 

最期に、大阪府立女性総合センターの建築にあたり、「大阪城(大坂城)」の東側一帯の行政施設が集まる場所から、豊臣時代の「三の丸石垣」が発掘されました。

 

また、「障子堀」の遺構も見つかっていて、「小田原城攻め」の時に「後北条家」のお城「山中城」で見てきた「障子堀」を、「大坂城」でも採り入れたのではないかと言われています。

 

「三の丸石垣」については、場所を替えて復元されているのを見ることができます。

 

秀吉時代の復元「三の丸石垣」

秀吉時代の復元「三の丸石垣」

 

現在のお城は殆どが「徳川の大坂城」ですが、所々に「豊臣時代の大坂城」の遺構が残っていたり、或いは敢えて「豊臣の大坂城」に拘ったお城造りがされているのが、現在の「大阪城(大坂城)」であります。

 

 

 

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