#ちょっと小耳に(19)

速記文字はロゼッタ・ストーン?(前編)

前回及び前々回は、速記と鉛筆についてご紹介しました。

侍の世から明治に入り、文明開化をきっかけに学校などで鉛筆が普及し始めると、 国産鉛筆の製造が急務となった。先人たちは鉛筆の製法を学び、鉛筆職人が生まれ、より良い製品造りを追求していき、後に世界的な鉛筆メーカーも生まれたことなどでした。

最初は模倣から始まり、試行錯誤を繰り返し、より評価の高い日本独自のものに仕上げていく。まさに日本人が得意とする技の一つに鉛筆があったと言えると思います。

 

今回は、ロゼッタ・ストーンと速記文字についてです。これも2回に分けて書いてみます。

なぜ、いきなりロゼッタ・ストーン? 

あることでふと頭の中をよぎりました。ロゼッタ・ストーンの名称は覚えていました。中学校の社会か何かの授業で聞いた記憶がありました。それがどんなものだったのかは覚えておらず、今回改めてインターネットで検索をかけて調べてみました。

 

要約すると、ロゼッタ・ストーンは1799年にナポレオン率いるフランス軍がエジプトに遠征した際にロゼッタ地方で発見されました。石碑の一部だったようです。サイズ的には畳1畳を一回り小さくしたくらいでしょうか。厚みがありますので、重量は760kgほどあります。

そしてこの石の発見は大発見となります。もちろんこれは後に分かるのですが、この石には、紀元前に実在したエジプトの王様の功績と法令が、上段に当時の知識層が使っていた神聖文字で、中段に民衆用の簡易な民衆文字で、そして下段にギリシャ文字と3つの言語に分けて書かれていました。つまり同一の内容が古代の3つの言語で表記されていたのですが、大発見というのは、ギリシャ文字以外は失われた言語だったからです。ギリシャ文字が使われていたのは、エジプトが当時はギリシャの一部だったからです。

これは文字通り古代のエジプト語を解読する手掛かりとなりました。それまで古代エジプト語を解する者はいなかったのですが、ギリシャ語は解読できたからです。

そこで解読できたギリシャ語を介して古代エジプト語の解読が進められ、20年余りかかって1822年に解読は終了しました。

なお、ロゼッタ・ストーンは現在大英博物館にあります。日本のいくつかの博物館にもレプリカがあるそうです。

(後編へつづく)

 

 

これまでの「ちょっと小耳に」

(1)速記の始まりと今

(2)日本の速記はいつから?

(3)第1回議会からの会議録があるのは日本だけ! 

(4)日本の速記方式(前編)

(5)日本の速記方式(後編)

(6)弟子たち

(7)他の速記方式は読めない、書けない

(8)原文帳(げんぶんちょう)

(9)速記用語

(10)速記教練会

(11)速記競技会 

(12)なぜ速記に惹かれたのか

(13)なぜ速記が生まれたのか

(14)憲政記念館

(15)速記学校の思い出

(16)学問に王道なし?

(17)速記と鉛筆(前編)

(18)速記と鉛筆(後編)