#ちょっと小耳に(2)

日本の速記はいつから?                           前回は、速記の始まりと日本と世界における速記界の現状をざっくりとご紹介しました。現状は、日本も世界も、手書き速記よりも速記タイプなどを使用する機械速記が主流になっているということでした。 

                                       今回は、日本の速記の始まりについてです。                   日本の速記は、明治15年(1882)に誕生しました。岩手県盛岡市出身の田鎖綱紀 (たくさり こうき)さんが発表した「日本傍聴記録法」というものです。

同年10月28日には東京で第1回講習会が開かれました。              以後世間の注目を集め、弟子たちの育成も行われ、裾野が広がっていきます。

そして、帝国議会の答弁記録などにも採用されるなどの功績を残した田鎖綱紀さんには、のちに「電筆将軍」の称号(伊藤博文より)が贈られています。

 

ちなみに前回ご紹介しましたが、近代速記法の起源は1588年にイギリス人のティモシー・ブライトが考案した速記法といわれています。日本よりも300年ほど遡ります。日本では室町幕府が滅亡し、豊臣秀吉の刀狩が行われたころです。        また、ピットマン速記法が発明された1837年は、日本は鎖国中で、大塩平八郎の乱やモリソン号事件などがあり、幕末へと向かって行こうとしていたころです。     そして日本の速記が誕生したのは、侍の世が終わってからわずか15年後です。自由民権運動が激化していたころです。この前後、明治3年に横浜毎日新聞、明治5年には東京日日新聞が発刊され、特に自由民権運動が世間を賑わせていたころはその高揚に相まって政論新聞が次々と発刊されていきます。自分たちの主張を要約ではなくきちんと伝えるために、そういう時代の要請と相まって速記が認知され重宝されます。

速記の黎明期には明治維新後のこうした世情が大いに影響していたと言えそうです。

 

なお、日本速記協会では、田鎖綱紀さんが発表した「日本傍聴記録法」の第1回講習会が開かれた10月28日を「速記の日」と定め、毎年関連行事を開催しています。   ということは、今年(令和5年)は速記誕生から141年目に当たります。      日本の速記も長い歴史と伝統があるんですね!                 

 

ちょっと強引ですが、平仮名やカタカナも漢字よりも速く書けるという点では速記の一種とみられるかもしれません。これらは平安時代にできたものですので、そうすると、日本速記の源流はさらに遡りそうですね。                 

(つづく)

 

 

これまでの「ちょっと小耳に」

(1)速記の始まりと今