#ちょっと小耳に(15)
速記学校の思い出
前回は、憲政記念館についてご紹介しました。
憲政記念館は、国会の仕組みや憲政の歴史などを映像や資料を使ってわかりやすく展示しているところで、国会の速記についても詳しく紹介されていることなどを書きました。
今回は、個人的な速記学校時代の思い出です。
昭和54年(1979)、私は東京は高田馬場にあった早稲田速記学校夜間部速記科に入学しました。ここで2年間速記を学ぶことになります。速記科は昼間部も夜間部も2年制です。
夜間部なのは、4年間親元を離れ私立大学に通わせてもらったのに就職もせず、両親からすればさらに速記という得体のしれないものを2年間専門学校で学ぶことに対する個人的な心苦しさのようなものもあり、昼間はアルバイトをして学費の足しにしようと思ったからです。
夜間部は1学年に1クラスで、40人ほどが学んでいたと思います。
最初の授業では、自分もそうなのに、速記を学ぼうとする人たちがこんなにいるんだと不思議な感慨がありました。
授業は、午後6時から8時?(9時だったかも)、前半で基礎を学び、後半は先生が直接問題文を読み上げたり、あるいは朗読テープを聞きながら速記し、それを反訳するものでした。
テープレコーダーはカセットテープ式のものもありましたが、年代物のごっついオープンリール式のものも何台かありました。どっちにしても昭和な時代風景ですが、アナログ的なちょっと不便さがあるものが逆に懐かしく印象に残っています。
授業が進んでくると、各人の速度に合わせグループに分かれて練習していきました。テープレコーダーを使うときは各人がイヤホンをつないで使いましたが、テープレコーダーの台数は多くはなかったので、コンセントの電源タップのように3人のイヤホンがつなげる特注の小型タップをテープレコーダーにつないで使っていました。これ結構便利です。
速記学校ではこのような練習を2年間続けました。気分があまり乗らないときもありましたが、授業には出続けました。継続は生活のリズム作りにもなります。
結果、2年間皆勤でした。
残念ながら速記者になるという当初の希望は叶いませんでしたが、速記学校を2年間皆勤だったこと(大学の授業はよく休みましたが)、そして速記という稀な特技を持っているということについては今後も大事にしたいと思っています。
(つづく)
#これまでの「ちょっと小耳に」
(1)速記の始まりと今
(2)日本の速記はいつから?
(4)日本の速記方式(前編)
(5)日本の速記方式(後編)
(6)弟子たち
(8)原文帳(げんぶんちょう)
(9)速記用語
(10)速記教練会
(11)速記競技会
(12)なぜ速記に惹かれたのか
(13)なぜ速記が生まれたのか
(14)憲政記念館
(15)速記学校の思い出
(16)学問に王道なし?
(17)速記と鉛筆(前編)
(18)速記と鉛筆(後編)
(22)札幌生活と単身赴任
(23)座右の銘?
(14)憲政記念館