#ちょっと小耳に(12)

なぜ速記に惹かれたのか

前回は、速記競技会について触れました。高校生や大学生の速記競技会が現在でも毎年開催されているということをご紹介しました。便利な速記が継承されていることがうれしいです。

 

今回は、なぜ速記に惹かれたのかについての独り語りです。

私は熊本市で生まれ、中学3年生の1学期まで過ごし、父の転勤で札幌市へ転居しました。「火の国」から「北の大地」への引っ越しです。まさか自分が転校するとは夢にも思っていなかったので、父の転勤は青天の霹靂でした。

 

さて、札幌に転居してしばらく経ったある日、テレビから、♪わせ~だ速記をおぼ~えたら♪ とノリのいいコマーシャルが流れてきました(この音楽は今でも覚えています)。熊本では流れていなかったCMです(多分)。その時は「速記というものがあるんだ」程度のことでした。

 

時は経ち、大学3年生です。私は東京の私立大学に通っていました。

ある日、なぜか突然、早稲田速記のCMソングが頭の中を流れました。そのとき、速記は天職ではないか!と思ってしまったのです。人が話す言葉を書き取れる。それも機器などを介さずに自分自身の手書きで。とても魅力的でした。

そして、就活もせず、卒業後はそのまま早稲田速記学校夜間部速記科へ進みました。 将来的には衆議院の速記者になりたいと思っていました。当時、衆議院では若干名を衆議院速記者養成所以外からも採用していたからです。国の行く末を議論する国会で速記者として身を置きたかったのです。

 

しかし残念ながら、事情により、その道は断念しました。

その後は、これも事情により国家公務員となったため速記の実務には就きませんでしたが、メモ取りには速記を使っていました。そのお陰か、書く速さは落ちましたが、速記は忘れてはいません。

この度、‟楽らくメモ速記”を制作できたのも公務員時代の経験が生かされたからだと思っています。

 

時代は機械速記、音声認識、さらにAIへと急速に進化しています。極々近い将来にそういったものが当たり前になります。

しかし、それでも、手書き速記に惹かれるのです。

(つづく)

 

 

これまでの「ちょっと小耳に」

(1)速記の始まりと今

(2)日本の速記はいつから?

(3)第1回議会からの会議録があるのは日本だけ! 

(4)日本の速記方式(前編)

(5)日本の速記方式(後編)

(6)弟子たち

(7)他の速記方式は読めない、書けない

(8)原文帳(げんぶんちょう)

(9)速記用語

(10)速記教練会

(11)速記競技会