#ちょっと小耳に(17)
前回は、「学問に王道なし?」ということと速記の学びのとらえ方についてちょっと書きました。
私見というほどのものではありませんが、見方によってとらえ方は変わります。どのようにとらえるかは個人によりますが、日々の努力が必要だということには変わりはないということです。
今回は、鉛筆についてです。
速記には筆記具が必要です。とりあえずは鉛筆でしょうか。
ただ、以前ご紹介しましたが、日本の速記は明治15年(1882)に始まります。武士の世が終わってわずか15年後です。明治に入って間もないころに鉛筆が庶民の間に普及していたのでしょうか。まさか筆書きはなかったと思います。となると、やはり鉛筆を使ったのではないかと。
では、そもそも鉛筆は、いつ頃日本に入ってきて、どのように普及して行ったのでしょうか。こんな疑問から鉛筆と速記の関りについてたどってみたくなりました。
今回はその前編です。
ということで、まずは鉛筆の歴史をざっくりと。
鉛筆の起源は、古代ギリシャ・ローマ時代あたりまでさかのぼるようですが、そのころは鉛の塊を使って線を引いたりしていたらしく、芯はなく形体において現在の鉛筆と比べるとまだまだ程遠いものだったようです。
筆記具として見た場合は、1565年にイギリスで製造が始まったころ。ただし、これは鉱山から採掘された黒鉛を糸で巻いたり板に挟んだりしたもので、芯を製法するというところまではいかなかったようです。
芯の製法が現在の製法の基礎となったというところで見た場合は、1795年にフランス人が発明した製法になるようです。
そして鉛筆は、イギリス、フランス、ドイツを中心に製造されていき、アメリカへ渡り、より大量生産が行われるようになります。
日本に伝わったのは徳川時代の初期で、家康の遺品として保存されているものがあり、それが現存する最古の鉛筆とのこと。
それとは別に戦国大名の伊達政宗が鉛筆を使っていたそうですが、こちらは発見されたものから復元したもので、筆状で先端にキャップがあり家康のものとは形状が異なります。ただ鉛筆の型式から見ると、政宗のものの方が古い型だそうです。
(後編へつづく)
#これまでの「ちょっと小耳に」
(1)速記の始まりと今
(2)日本の速記はいつから?
(4)日本の速記方式(前編)
(5)日本の速記方式(後編)
(6)弟子たち
(8)原文帳(げんぶんちょう)
(9)速記用語
(10)速記教練会
(11)速記競技会
(12)なぜ速記に惹かれたのか
(13)なぜ速記が生まれたのか
(14)憲政記念館
(15)速記学校の思い出
(16)学問に王道なし?