リブログ主への回答として書いたブログが「わかりにくい」というご指摘でしたので、

改めてこちらを書きました。「資料」込みの回答は、このURLの下からの文をお読みください。

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これわかるわーー、な私です。怖がられたけど、意見を求められましたので

答える義理はありますよね。

北原さんの講演も聞いたことがあります。

女性向けのセルフトレジャーを

追及するコンセプトの営業もしています。

セルフプレジャーとは自慰のこと。

日本語でそう呼ばれた時代は、女性のそれ(男性も)は

何か陰湿な響きがありますね。

 

けど、男性の性的な楽しみは許され、

女性のそれは隠蔽され、制限されていた。

女性が性を楽しむための ツールは無し。

男性はたくさんあるのに。

北原さんは「性を楽しむ」というのが

女性の自由につながり、人間としての解放なのだと

思っていたのだね。わたしの感想ですが。

それはわたしも同感で、

男性に人気のアーティスト・「ろくでなしこ」さんとも北原さんは共闘していた。

 

昔のフェミニストとは、「女性は能力が低くない」

「同一労働同一賃金」ということに焦点が当たり、

なかなか、性ということまで考えがいかなかった。

性暴力というものにも 取り組む人は少なかった。

「性」という言葉でさえも 嫌う人がいた。

 

そういう状況で、

自分ひとりで、同じ仲間もいなくて、

試行錯誤するということを考えてみてください。

 

わたしも、周りの男は「女性を買う」「愛人を持つ」

ということに抵抗がなくて、

そういう状況で「女性主体の性」を開拓するのは 難しい。

昔は、女性のヌードがゴールデンタイムに堂々と出て、

痴漢はおもしろいことと描かれ、

広告でも女性は、「より裸に近く」と

描かれることは当然だった。

 

そういう環境で男性の「性表現」「性売買」にも

反対することはできなかった。

 

「男性と同じことをすれば平等だ?」

という考えを持つケースもある。

仁藤さんや北原さんも、そういう迷路に入ってしまったのだろう。

 

北原さんと仁藤さんは

過去をほじくりだされるのだけれど、

彼女らの「やらかし」は、

彼女たちの努力と模索と苦闘の記録だと わたしは捉えている。

 

「問題部分」だけが取りざたされるけど、

北原さんは、自身を全裸にして性表現を追求している。

過去をさらけ出して、自分のみっともない部分や醜い部分を

キチンと出していることは、爽やかにも感じる。

 

「ウリセン」「カイセン」とは良い言葉ではないし、

当然違法で、差別だと思う。

処罰されるべき行為でもあるはずだが、

そうならないのは「時効」という 法的な理由だろう。

この法律で 性犯罪(子どもレイプ)を免れた男も多い。

「慰安婦問題」の裁判判決もそうだ。

 

北原さんと仁藤さんが、

どういう理由で自らそれに近寄り、やめたのか

という理由と経緯こそが大事だと思う。

けれど、ミソたちが

心の深層部分をわざと削除して、

ミソに都合の良い部分だけを

カットして、

バッシングの道具にしているのは卑劣だと思う。

「争点隠し」「人格攻撃」でしかない。

AV論争とは無関係だ。

 

「ツイッター」とはそもそも「さえずる」「痰吐き」とも言われる。

カラスやすずめのさえずりを「意見」とみなすのか?

ツイッターばかりが「意見」ではない。

社会全体が、ツイッターに振り回されすぎだ。

ミソジニストの揚げ足取りに巻き込まれたら、

議論はできない。

仁藤さんと北原さんの過去をほじくる連中は、

さぞかし何ひとつのミスも 青春の迷いもない、

優等生な半生を送っておられるのでしょうね?

優等生が ツイッターで「痰吐き」を必死に観覧とは。

ちゃんちゃらおかしい。

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女性側の「イケメン」論と

ルッキズムは叩かれるけど、

そもそもひどいことをしてきたのは男だよ。

「ばばあ」は普通、「デブス」などという言葉まで作り出した。

男性も「ハゲ」と言われることもあるけど、

「ハゲ」を笑っているのは男性だ。

男側の「差別」の歴史は長く、

女側のルッキズムは 今始まったばかり。

 

 

 

 

 

少女が商品とされた時代は長い

 

 

 

下、これぞ男女平等なセクシー表現かもなあ。。さすがNHK.

 

下、ルッキズムを使ってきたお笑い業界。

いじりに甘んじ、依存してきた女性の芸人たち。

それを否定することで、生まれる新たな笑いを期待する。

 

下、「フェミニストはみんな萌えと性表現が嫌い」というのは偏見である。

誤りである。社会や人間を描くためにはエログロは必要である。

 

社会や人間を描くためには、エログロは必要である。

問題がおきるのは、「ゾーニングの不適切」が理由だ。

(例、映画は12PG、15R,、18指定がある。

その範囲ならエログロも自由だ。

予告編上映や

映画のテレビ広告なども、問題を指摘されれば停止している。

それは「フェミニズム」だからではない。普通の「ルール」であり、

お客様への「サービス」だからだ。「グロテスク・恐怖表現」の規制こそ

厳しい。「子どもに配慮」というものもある。「ジェンダー」が加えられただけで

ヒステリックになるのか?)

 

下、「温泉むすめ」のルーツ論モドキ。ルーツを知れば「叩かれ」の訳もわかるかも。

・・なので温泉むすめや戸定梨花への反対の理由と

男性に支持される理由を考察してみます。

 

 

 

 

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木を見て森を見ずなミソジニスト。

下、むしろこちらこそが男性差別だよ。

 

 

 

下、同じく「男性差別」資料。「慰安婦問題」も載ってますが、

炭鉱や橋の工事など、危険な労働で命を落とした朝鮮人、台湾人、中国人、

日本人の貧困層。こちらには載ってませんが、原発労働者は男性が多い。

まさに「男性問題」。ミソとアンチ・フェミニストは何もしません。

 

こちらの方が見やすかった。