ハッシュタグ「フェミニスト」には、

漫画「九条の大罪」を紹介するブログも

毎回上位に2つは入っている。

「しずく」というヒロインの話は、

フェミニズムだね。

「九条の大罪」は問題・話題作だけど、

この「あらすじ」の最終回は

私も泣けたよ。

 

きのう・今日では、私もイチオシの、

毎回上位だった「男らしさ 女らしさ」を

押しのけて

本日のブログタイトルと同じタイトルのブログが

ベスト10に入っている。

きのうは遅い時間のアップだったし、

金曜日は書けないので

油断も隙もない。

 

前置きはここまでにして。

よほど「キズナアイ」「献血ルーム」ポスター批判が

悔しかったのだろうなあ。

またあのタイトルの記事が上位に来た。

何度でも上位に来るのがもうひとつある。

ある大学教授がタワマンに住んで

高級車に乗っていることを

なぜか批判するアンチフェミブログ。

わたしだって、JRと名鉄バスを乗り回しているゾ!!

タワマンと高級車のどこがいいのか?

でかいだけじゃん。

 

そんなの乗って住んでいる男も

たくさんいるぞ。

大学教授だっているぞ。

わたしの元師範だって

高級車と3階建て持ち家道場付きだぞ。

 

男がやると「普通」なことが、

女がやると批判される。

これを「ジェンダー指数低い国・日本」

と呼ぶのだぞ。

 

話を戻しますね。

 

今一度「おばさんは二次元キャラに嫉妬する」という

決めつけに対して、反論しますね。

 

わたしが連続して書いてきたのは

社会には イビツな性欲文化が蔓延し

それが「表現の自由」であるかのように

ごり押しされ、

反対意見を述べると

「ナチズム」「婆あ」ひどい時には「貧乳」

という罵倒が浴びせられる。

どっちがナチズムか!

 

「イビツな性表現」への批判は、

女性のおっぱい自体を

否定する目的ではない。

おっぱいの大小は個性だし、

女性たちは自分のおっぱいを

大事にしてください。

母乳の多い少ないや

おっぱい自体の大きさには

関係ないよ。

「小さいとダメ」「母乳が出ないとダメ」

ということこそ、男社会の「ナチズム」

というヤツだ。

どっちがナチズムか!!

 

日本伝統の言葉で

女性の胸を表現した、すばらしい言葉がある。

「豊かな胸」

この言葉を聞くと

心や人生まで豊になる。

 

しかし、男の性欲文化が爆発した、

昭和時代の「ナンデモアリ」なテレビ・雑誌表現

子ども向けの漫画雑誌にまで、

「ボイン」「巨乳」という言葉に置き換えられていった。

本来あった「女性蔑視」にも乗って、

女性が「性欲のためでしかない存在」

「性欲の対象でない婆あとブスは死ね」

というメッセージが肥大し、エスカレートした。

それで 一般市民・国民からの批判も上がり

「メディアリテラシー」や視聴者運動も盛り上がり

ルールがやっと整えられた。

しかし、ネットやポスターには

そんなルールがなかったらしい。

ネットは新しい媒体だったしね。

 

「昭和・平成での論議」と「ルールができた」こと。

一部始終を知らなかった広告制作者は、

「肥大した性欲表現」をうっかり使った。

ということだね。

制作者が若い、ということもあったし。

逆に「平成初期生まれ」が制作者だと、

「昭和感覚の名残」があるのだろうね。

うっかりにも程があるよ。

 

「男性むけ」で頭にあったのは

「エロ」ということだけだったのかなあ?

男性に対しても 偏見ありまくりだね。

 

話を戻そう。

「ボイン」「巨乳」という言葉からは

女性が「乳」でしかないかのような

印象を持つ。

女性は人間ではなくて「乳」なのだという

メッセージだ。

「巨乳」の対語で「貧乳」という言葉が

生まれた。

こんな言葉を聞くと

自分が貧しいかのように感じてしまう。

まるで、

胸が小さい女は心まで貧しいかのように

感じてしまう。

 

けれど、実際に貧しいのは

それを発信した男の方だ。

常日頃から「あれは貧」「貧」「これも貧」とか

値踏みしている男性がいたら、

自分自身に気をつけてください。

ワタナベさんがおっしゃったような、

「因果応報」は信じてはいない。が、

「言霊の力」は あると信じている。

いつも発している言葉は、

ご自分に対して言っているのだと思う。

 

人工栄養がない時代では、

赤ちゃんは母乳で育てられた。

母乳が出ない女性も、

代替品を工夫して育てた。

たくさん出る女性は、

他の赤ちゃんにも分け与えた。

だから「乳兄弟・姉妹」という言葉がある。

 

女優のアンジェリーナさんは、

乳がん・子宮がん・卵巣がんの危険性を

避けるために、

そして生き延びるためにそれらの女性器官を

摘出した。

その勇気に世界の女性が拍手した。

 

すべての女性の胸は豊かである。

 

「貧乳」なんていう言葉を見つけたら

通報します!!

アメブロ事務局にも掛け合います!!

そういう言葉を吐くやつは

チン0ン落っことせ!

おまえだよ!!

 

。。。。。。

「大きいおっぱい、大きなお尻」は

「誉れ」でありますが、同時に

 

女性にとってはハンディなのですよね。

「母性」がハンディなのです。

それはすごく皮肉ですね。

 

野生生物は

ここまで大きなおっぱいはない。

生き残るのに不利だからです。

浅田真央も、女性らしい身体になるにつれて

良い成績が残せなかったりしました。

アスリートにとっても、

不必要に大きな身体の一部分が

不利になるケースもあるのです。

 

不必要に大きな身体の一部は

男性のためだけであって、

女性にとっては不利でしかありません。

目立つ性的な部分は

性被害を呼び込んだりもするのです。

母乳は乳房の大小にまったく関係はありません。

 

理解してくださいね。

理解できなければ

男性も、

大きなおっぱいと

大きなお尻を着けて生活してみてください。

「受け身」「妊娠する性」の複雑さと

受け取ってくださってもいいです。

純粋に性欲を肯定できる男性とは、

異なる「性別」なのだとご理解ください。

 

女性は「女性であるゆえに」傷ついていたり、

女性性を肯定できないこともあるのです。

フェミニスト以外の女性でも

「萌え画・二次元画に嫌悪感がある」

という女性には、こんな理由もあるかもと

ご理解ください。

 

恋愛の勝者になるための

女性らしい美しさは同時に、

性的な暴力を呼び込んだりもするのです。

女性たちは

そのジレンマといつも戦っているのです。

ご理解ください。

 

特にフェミニストに嫌悪感が大きいのは

常日頃から、

女性への性暴力や人身売買を

目や耳にしているゆえと

ご理解ください。

理解してください。

 

おっぱいは、実は母性愛の象徴で

人間が最初に命をつなぐものなんですよね。

 

けど、女性にとって嫌悪にもなる理由は、

女性自身が「母親」であるからだと思います。

(出産したか否か関係なく)

「母親」がおっぱいにむしゃぶりついている図は

キモチワルイですよね。

 

女性は大人になるけれども

男性はいつまでも「コドモ」なんですよね。

反論があるかもしれませんが、

男性自身も、「男はコドモである」と、

そうおっしゃいますからね。

 

早い話が二次元キャラ・萌えキャラとは

母性信仰の「土偶」でもあり、

赤ちゃん人形でもあるということですね。

大きいおっぱいがついた赤ちゃん人形。

いつまでも人形遊びをしたい、

おっぱいにもへばりついていたいなあ、

人形を取り上げられそう、

その恐怖心は理解できます。

赤ちゃんや犬から

おもちゃを取り上げたら

オオゴトですからね。

とはいえ、

女である私たちも昔は

赤ちゃんでしたからね。

理解しておりますよ。

だから大丈夫ですよ。

 

我々は、

「コード」「マナー」「ルール」を作ってはどうか?

ということです。

すべての性的表現を

なくそうというのではありません。

全部取り上げるというわけではありませんよ。

ただ、「見る場」と「表現の場」の

ルールを作ってほしいということにすぎないのです。

赤ちゃんが遊ぶ場所にもルールがありますよね。

破ったら責任者にペナルティが加えられます。

大人はご自分が責任者です。

そしてルールとは、

時代によって変化します。

新しい「おもちゃ」ができれば

それ相応のルールができます。

協議されますよね。

当然ですよね。

ご理解ください。

 

おまけ

 

どんな愚者でも批判し

非難し文句を言うことはできる

そして多くの愚者がそうする

 

非難は愚者でもできるが

理解は賢者しかできない

 

デール・カーネギー

 

 

 

「どうしてわたしが我慢してきたことを

現代の子は我慢しなくていいのだろう?」

という嫉妬は確かにあるのだろう。

けど、それは「不満」に属するのだろうね。

ほとんどは「女性への抑圧」に

由来するのだ。

よくない例だけど、

「嫁姑問題」もそこにあるでしょ。

 

萩尾望都の漫画に

「イグアナの娘」というのがある。

母親が長女の容姿や性格までも

とことん忌み嫌うのだけど、

どうしてそんなことが起きるのだろう?

今さらだが、

「イグアナ」の「娘」であり、

「イグアナ娘」ではないことに気がついた。

「イグアナ」とは、母親もそうだったのだ。

おそらく、幼児期レベルで容姿や人格に対する中傷を

おそらく、親やごく身近な大人から受けて

それがトラウマになっていたのだろう。

(詳細は原作には出てこない)

山岸涼子(「テレプシコーラ」、「日出処の天子」著者)も

母親の、娘の容姿に対する

嫉妬とも憎しみともつかぬ言動に苦しんだと言う。

AC・毒親問題でこれまでも

書いてきたことだ。

おそらく母親は、

かっての自分を見て

さらに傷ついて嫌うのだろう。

 

けれども一般の男女大人には、こんな

「若さ」そのものへの「嫌悪」「嫉妬」というのは

少ないだろう。

ないでしょう。

 

逆に伺います。

ミソジニストの男性の皆さん、

あなたは若さに嫉妬しているのですか?

 

嫉妬しているなら、そもそも子どもなんて生まれない。

子どもは若さそのものだから。

そして、「時間」「老い」は

誰にも平等だ。

自分も、若い時代を享受したから。

今さら嫉妬してどうなる?

若さを生かせなかった自業自得だよ。

言うでしょ

「若者笑うな来た道だ」

 

そして、今の若者だって

老いてゆく。

こちらも

「年寄り笑うな行く道だ」。

歌もあるでしょ「枯れ葉のように死んでゆく」

それは人間の四苦八苦であり、

平等なのだ。

 

若さというのは

次々なくなってゆく。

それでも

自己肯定感や

成功体験を積んでいければ、

「若さ」を一番の価値にする必要性も

なくなってゆく。

 

「若さ」は

子どもや弟子に任せればよい。

 

あんまり婆を罵倒中傷すると、

ご自分が老いた時苦しいよ。

男でも。