司馬先生「花神」その4国家を変えるパワー①
司馬先生「花神」その4国家を変えるパワー①政治を変えるって昔から聞くが、それについて考えたい。「花神」中巻p14近辺 日本史の中で革命のひとつである明治維新の原動力は攘夷思想であることは確かであるが、そもそも攘夷とは…「攘夷」の定義…国際知識や感覚の欠如状態から生まれる排外思想…と先生は書いている。なんだか難しいが、外国の軍事力・思想・科学技術の高さに無知でとにかく外国を排除したい、頭の悪い考え方と私は捉えている。要は馬鹿ども。ただエネルギーとしては強大だそうだ。私はその時代にいないから実感として捉えられないが。かの西郷隆盛も「攘夷」で国家を変える手段と考えていたそう。これは革命の手段としてバカな攘夷論者を使おうと思ったのか。他藩の意識はどうか、例えば仙台はp35「幕府は世界に向かって港を開いたが(横浜のこと)これは当然のこと」要は攘夷思想はなく、開明派だった。賢く、当然の考え方だった。これ大事。我々もなんとなく、正論で理屈も正しい選択をしているはず。でも時代を見抜いてない、と後年の私は気づける。なぜなら攘夷側が勝ったことを知っているから。これとても大事。一方長州藩は恐るべき攘夷だった。攘夷論者のエネルギーは気ちがいと同じ。やたらめったら人を殺す。p46 (日本人は)外交問題となると全島のすべてがいっせいに発狂したかの観でさわぐ…と書かれている。しかし今の日本はそうでもないな。北朝鮮問題にしても中国問題にしても静かだな。長年マスコミに騙されてきたからな。しかし「おかしい」ってのがSNSで広がっているのは実感するな。さて開明派は欧米の力(軍事・科学)に驚嘆し、その技術を受け入れようとした。がそれは幕府のみで、仙台藩他が欧米の兵器を導入したのは遅すぎた。河合継之助の長岡藩は別の話。では一方攘夷派は外国を否定してるんだから技術も拒否だな…と言うとそうではなく、受け入れている。薩摩や佐賀は工場も造っている。ここ攘夷派の矛盾だな。しかし薩摩も佐賀も君主が開明派だった。村田蔵六も攘夷派なのに蘭学の大家である。攘夷派のこの矛盾を花神のどこかで先生が私でも理解できる解説をしてくださっているといいんだが…参考①として中巻p60 長州の攘夷派は思想よりエネルギー…と書いてある。あっそう、と流してしまう文章だが、ここ大事な気がする。また長州は藩の上の方は下の者の攘夷活動を認める一方、攘夷の限界を理解しておりその後あるであろう外国との交渉・接し方まで考えていて、藩士の英国留学を計画していた。攘夷という野蛮な行動の後に来るであろう未来を考えていた訳だ。ありふれた説明のような気がするが、今の日本はどうだろう。猛烈なエネルギーを持つ思想はない様な気がするし、中国問題のいくすえそれがどういう形になるか、その形の末はどうなるか考えている人はいるのだろうか…ここらへん大事な気がする。参考②中巻p82村田蔵六の言葉「戦うにはまず敵を知らねばならぬ」その後先生の文章で開明的攘夷思想とある。だから攘夷=外国軽視=技術すら受け入れない…ではなく、技術は受け入れるが、攘夷派の一部がもつ考え方だったんだな。余談だが、長州藩が英国留学に選んだのは藩士2人だったが桂小五郎の推挙で後年有名になる伊藤博文と井上聞多が追加された。この2人は筋金入りの攘夷派だったため、藩重役の周布政之助も渋ったそう。※最終的に留学者は5人この5人が留学中に長州が外国船に砲撃と言うニュースが入り、伊藤と井上はすぐの帰国を他の3人に宣言した。帰国理由は長州に戦争をやめさせること。平和主義で言ってるのではなく、海外を見てしまった2人は「とても勝てるわけがない」と確信したから。で、結句伊藤と井上の2人だけ帰国したわけだが、面白いのは明治後この2人は政治家になり、残りの3人は官僚になったとのこと。先生はこのあたりが官僚と政治家の違いと書いている。なんとなくわかる気がする。やはり政治家は国家のことを考え、官僚は指示されたことに縛られるのかもしれない。国家を変えるパワー①はここまで。余談 中巻p19 司馬先生の文章「無力な国の議論は正論が多い。しかしその正論は強国の前では通らない」これ分かる人いるかな? 今の日本です。