司馬先生「花神」13…社会の秩序について
どうにも、よくわからないが多分大事なことが書かれていると思う所について…
中巻の終わり近辺。幕軍と長州との戦いは四つの戦場があったが、その一つ
石見の国での戦いの様子が書かれている。
長州が勝つのだがここで書きたいことは武家社会の終わり…というでもあり
もっと深い所の日本人の意識というか…理解不能のまま書いていき
なにかの結論が得られればいいと思いつつ…
この戦場には紀州家、浜田、松江、福山の兵がいたそうだが、p491
幕軍と言っても諸藩の兵がひとつ意志で動いているわけではない、
たとえば他藩が長州に負けそうで苦しんでいるのに友軍であるほかの藩は
助けに行かない…と書いてある。これ信じられない気がしている。
統率力がないというわけだが…それほど幕府は思考力と人材不足だったのか
と驚いている私。まぁそれもここで書きたいこととは別の話。
で、だいぶ端折るが紀州藩の大将 安藤飛騨守という人物が単身逃げてしまった
とのことで、紀州兵も壊乱状態で逃亡したが他藩の拒否によって石見銀山へ逃げた
んだが、p495幕軍は敗軍の責任を一藩に押し付けることによってその屈辱から
逃れようとした…と書いてある。ここ大事な気がする。何が大事か後述できれば
いいのだが。
で、長州の目下の敵は浜田藩なんだが、浜田藩は大藩の藩主を大将にしてくれと
幕府の広島駐在の松平伯耆守に懇願したがうまくいかず、結局浜田藩は城に火を放ち
終わるんだが…浜田藩は降伏の使者を送ったと同時に「百姓兵に降伏できるか」と
考えていた。ここでp503 司馬先生は書く…300年の武家社会は現象を形式で
仕立て上げるということで社会の秩序を維持しようとした歴史であり、幕末は
その完成期あった。いかに恥を少なくして敗北の形式をとるか…であったと。
うーん、なんか分かりたい。読んで素通りしてはいけない事が書かれている気が
する。江戸時代の300年で武家は社会での位置・立場を考えるようになった。
そして学んだ。戦国期のように単に生き抜くという単純な思想から違う次元に
行った。
武士の立場は搾取する立場であるのが一面。
その立場の正当性の根拠付けを考えたのもあったと思う。
そのため学問をし、美しさ・潔さなんかの美的存在であることを打ち立てた。
士農工商の中であらゆる能力で一番でなければ成立しないという思想か?
それが百姓という階級下のものに負けては秩序の崩壊になる。
これ我々も継承している気がする。なぜならテレビの時代劇、
たとえば忠臣蔵や水戸黄門を見て、美しい武士の姿を認識したり、再確認したり
して日本人の原型的な美しさを感じる。
でもそれは古来からの日本人の性質ではなく
江戸期に造られたひとつの形に過ぎないってことか…我々の大きな勘違いか…
ここを私は言いたかった気がするんだがうまく説明できてない気もする。
では現在日本人の秩序はどうなのか…我々は何を根拠に秩序を維持しているのか?
戦後の左翼思想が大きい気がするが、その影響は強大な気がするが、
違う何かがあると思うが、私ごときにはわからない。
あぁ司馬先生の数多の書籍のどっかに書いてあるはずなんだが…嗚呼…