司馬先生「花神」9…村田蔵六が出現したわけ③時勢が押し上げた

中巻p250 小五郎が長州藩のトップになったわけ…他に人物がいなかったから。

そして蔵六が小五郎が認める人として藩重役に認められ始めたわけは

「小五郎推挙の者だから」という簡単な理由…と読み取れる。

世の中はだいたいそんなもの。

冒頭の小五郎が長州のトップになったわけを先生は説明されているので

ここに記す。

その当時の長州藩は金持ち藩だった。その理由は村田清風という宰相がいて

この人が士風を確立し、財政家として優れており殖産、干拓、国内貿易、

重要産業を藩営にして金持ち藩にしたとのこと。

で、この人の遺志を受け継ぐ藩官僚が勤王派になっていく。

代表例が周布正之助、長井雅楽というそうだが、蔵六のこの当時2人とも

既にこの世にいない。

この系列に属さないのが吉田松陰率いる連中だそうだが、高杉晋作は奇矯すぎるし

久坂玄瑞は既になく、残りは山県狂介、伊藤俊輔だがまだ書生レベルとのこと。

以上のことから宰相の器となると小五郎しかいなかったと先生は書いている。

小五郎の才能を先生は「天秤」と書いている。藩官僚からの信頼もあり

松下村塾からも客分格であったからその両方の言い分を「聞く」役を担っていた

そう。この才能が人間界においてどれほどの重要性があるか私にはわからない。

そういう人は普通に社会にいるだろう気がするが、もしかしたらそういう人たちと

小五郎の天秤感覚は一線を画するレベルにあったかもしれないが凡夫の私には

腹落ちしない。で、その天秤が村田蔵六を推挙した。藩重役に反対者はいなかった。

運とタイミングが導いたんだろうな。

役職は「用所役 軍政専務」といい国防局の局長とのこと。これが慶応元年5月27日

で、長州征伐軍は迫って来ていた。

p261 長州藩は奔走家や壮士はいたが軍備を整え兵を率い、自ら先陣の望む

軍事専門家がいなかったとある。それを担ったのが蔵六なんだが、まぁ筋として

わかる。流れとしては。でも奇兵隊等が長州藩佐幕派を破った事実がある以上

軍事専門家がいなかったというのは納得できかねる…が新式兵器に精通していたのは

蔵六だけだったというのは「確かに」と思う。

p263 諸隊の連中は案の定この人事に不快で、指揮官候補は幾人かいる。

しかし司馬先生は小五郎は黙殺したと言われる。小五郎が欲しかったのは指揮官

ではなく、軍政家であり、総合司令官とのこと。また難しい事を…指揮官と軍政家

は何が違うのか…ネットで見ると指揮官はまぁわかる。戦場で実際の指揮・命令を

する人。軍政家とは軍の編成、維持、管理、予算、人事等々を行う役…

軍政家というのは要は軍のすべてを掌握・管理・命令ができる総大将か?

司馬先生が書かれた総合司令官と言う言葉の意味がこれでわかった。

しかし元村医で蘭学者あがりの蔵六の指示に諸隊が従うとは思えないとここまで

読んで思う。もっと大事なことは私が知りたい事、なぜ無名の蔵六が司令官に

任命されたかの回答にはなってはいるが私が求めているのは「どこで蔵六の才能

を見抜いたか」であるので、それについてはまだ不明のまま。

ただp264 時勢が蔵六を押し上げたと書かれている。