司馬先生「花神」15…この世にいるのは一時の方便

花神の中で大事そうなことを拾い書き。そもそも攘夷という発想の原点について。

私はペリー来航ショックだと漠然と思っていたが、下巻p44 きっかけは

アヘン戦争と先生は書かれている。なんか着眼点がさすがだと思う。

アヘン戦争はペリー来航の11年前に終わってるとのこと。

この戦争の脅威はあっという間に日本中の有志に広がり、危機感が募っていった

らしい。この時西郷隆盛は15歳で吉田松陰は12歳とのこと。なにか感じるな。

当時の30歳以上の憂国の士に次代を任された上記2人だけではないが、この人たち

を育てたんだろう。

ところでこの戦争による未来への影響を当事者の中国と隣国の朝鮮は反応してない

とのこと。先生はこれを無力体質と書いている。

さらに大事なことが書かれているが私では消化できない。だから書くだけ…

日本は鎌倉期以来「武」による体制だった。徳川幕府の政策を具体的に上げると

諸大名へ人事権と裁判権を持つ。対して諸大名は領内の自治権を持っていた。

対して中国・朝鮮は官僚的中央集権国家と書かれている。

これと日本の「武」の体制との違いを具体的に知りたいが先を急ぐ。

下巻p52 「武」は軍事国家と翻訳すべきではなく、機能主義と技術主義が

原理とのこと。あぁ大事なとこなんだが、わかるけども100%の理解ができない。

①英国の起こしたアヘン戦争は当時の最新技術である武器で勝った。

②対して中央集権国家はあまり反応してない…ここなぜかを知りたい。

③これは危機感の欠如のほか、最新のものに興味を示さない精神の躍動感の

 なかった証左…

④日本は好奇心旺盛な元々の民族性があり、さらに幕藩体制が各藩の自治を

 認めていたため好奇心に基づいた活動が自由だった。ここが先生の言われる

 機能主義と技術主義だろう…

⑤従って蒸気船を作ったり、西洋銃の改良をしたり新技術を取り入れられた。

以上整理したつもりだがまだまだ浅い。

 

次にこの時期におこったことを列記する。話を理解するうえで本来時系列で

書くべきだが今さらしょうがない。

長州が幕軍に勝った後のみ書く。

下巻p60以降

①蔵六は武器の充実をさらに促進することを目指した

②蔵六の考えではその準備期間は最低5年としていた(ここ幕末の結果を知っている

 後世の私としてはずいぶん悠長なと感じるが…

③慶応2年12月 徳川慶喜が15代将軍となる。慶喜は周囲からすごい人と位置

 づけられていた。小五郎もビビっていた

④慶喜が将軍になって20日後に孝明帝が崩御された

 孝明帝は佐幕派だったから討幕派にとって利となる事だった。

⑤長州では宝物のような高杉晋作が亡くなった

 これで長州は薩摩の西郷に匹敵する人物を失った事になるらしい。

 小五郎では西郷の相手にならないらしい。

 だから薩摩主導の活動になっていったと考えると、やはり神様の意思を

 思わざるを得ない。

ここでやっと表題の話。下巻p75 長州の中には

蔵六を斬ると息巻いてた連中もいたそう。で藩の重役が気をつけるようにと

蔵六に言った時の言葉が冒頭の「この世にいるのは一時の方便」という言葉。

まず方便とはと司馬先生が解説してくれている。

仮の姿ということらしい。殺すなら殺せということ。

高杉晋作はまた別の考えでこの世に生まれてきたのは仕事をするためであり

その仕事が終わらないうちに殺されてたまるかと思っていたとのこと。

うーん。凡夫の私にはどっちがいいのか分かりかねるが一時の方便になびいている。

今の世の中、命が大事と昔に比して各界で声を大にして言っている。

地球より国家より個人の命が大事と言っている。でも私が感じてるのは

言ってるだけで満足している感じ。命は無論大事だがそれより大事なことが

ある気がする。例えば外国の奴隷にされるくらいなら死を選ぶだろうし、

人間の尊厳を否定されたら死を選ぶ方がいいと思う。

災害に会って他人の食い物を奪うくらいなら死んだ方がいい気がする。

要は見苦しく生きているくらいなら死んだ方がいいと思う。

上記に対し命が一番大事と言ってる人たちの見解を聞きたい。

他人の食い物を奪ってまで自分の命を守ることが大事なのですか?

自分の子供より自分の命の方は大事なのですか?

教えてほしい。言葉が軽すぎませんか?浅すぎませんか?