司馬先生「花神」8…村田蔵六が出現したわけ②…まだまだ不明
慎重に慎重に花神を読んでいる。多分人生で読むのは最後だろうから
見落としのない様に読んでいる。なぜ一介の村医だった蔵六が長州の司令官に
なったか…それは蘭学(語学だけではなく、軍事知識も)の達者だったから。
では軍事の才能(将才)があったか、桂小五郎は何を見染めたか。
司馬先生の書かれた中で発見したい…と思っているが、見いだせない。
ではどっかに片鱗でもないかと粗探しのように「大事」だと思えるところを
拾い書きしていく。
中巻p210あたりから
冒頭から主旨とずれるが、難しい漢字があるので書いておきたくなった。
「教育の基本は自尊心の涵養にある」って。涵養(かんよう)と読む。
なんと難しい漢字!ネットで調べると自然に水が染みこむように徐々に教え
養う事とある。いや司馬先生は碩学だな。どうやってこんな難しい字に接するん
かな。忘れるけど覚えておきたい。
さて次にいずれ関係するかもしれないため書いておく。
長州藩の状況を羅列する。
①全国の攘夷派浪人が集まって来て、気勢を上げていた。
②彼らは京都を火の海にして倒幕しようと計画していた。
③それはとても実現できる計画ではなく、ただ喚いているだけ。
④長州藩は見て見ぬふりしていた。浪人が決起しても長州藩は無関係という
立場をとっていた。
⑤長州藩は四か国艦隊とも戦争し、敗戦した。
⑥京都にも乱入して敗走した。
もう狂気な状態。馬鹿の巣窟。幕府側は要はおとなだから長州が馬鹿に見える。
司馬先生はp212で蔵六にこう言わせている。
「攘夷は土着の怨念。これを民族結集のモトダネにするのはいいが
政治論にしてしまうと空論になる」
私が感じるのはやはり無知で無教養のバカな子供という印象。
でもなこれがいずれ勝者になるんだよな。
蔵六もこの状況を苦虫をかみつぶした感じで傍観している。
蔵は長州のこの熱気の外にいた。理由は長州藩から見て蔵六は医者でしかなく、
また学者でしかないため。そして桂小五郎からしか見いだされていないから。
ここで長州の人材について紹介しておく。
巨人 吉田松陰を頭に高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎と著名人は多くいた。
が、小五郎の序列が私にはわからない。要は松陰、玄瑞と倒れていき、結果として
小五郎が長州の代表という位置についたのか、元々松陰派とは別系統で存在して
いたのか、私は知らない。言いたいことは小五郎が長州代表のような地位に
つかない限り蔵六を推挙できないはずだから、そうなったんだろうが経緯を
知らない。これは蔵六出現の考察に影響するのは間違いないが。
さらに余談ながら中巻p225 すごい人、立派な人とも言える人に触れておきたい。
それは出石の人 甚助と直蔵という兄弟。流浪の小五郎を助け続けた兄弟。
損得もなく、名誉もないのに命がけで助けた。司馬先生は「明治以前の
日本人にときどき見られる驚嘆すべき義侠心」と書いている。
どんな教育を受ければ、このような人格になれるのか。あぁ誰か教えて。
この二人は商人だから朱子学も陽明学も学んでいないはず。
どんな道徳なのか…でも日本人の誇りとして書いておきたかった。
さて長い前振りを終えてp231 小五郎が「蔵六を四境戦争の大将にすればどうか」
と書いてある。初めて蔵六が医者、蘭学者から離れて戦争司令官になるきっかけの
言葉が出てきた。しかしなぜ蔵六なのかは書いていないのでわからない。
その後…p240 司馬先生も「この時期の彼の行動については詳細な文献がない」と
書かれており、明治後の話として「上海に行っていた」とある。
目的は新式のミニエー銃を買うためとある。
この事は軍事関係の仕事において蔵六は長州藩内で頭角を現してきたことを
表している。
その役を担った理由は出石に隠れている小五郎が、蔵六だけに居場所を
教えておいた。それを蔵六は伊藤俊輔には他言なしを
条件に教えた。それが高杉に伝わった。そこから蘭学に詳しいということから
武器の調達で外人に騙されることはないと判断し、上海行きにつながったと想像。
そしてp249 密かに長州に帰国した小五郎が蔵六を呼び、自分の代わりに藩庁
に行ってくれと頼む。これが蔵六が長州の政界に出現した最初だった。
さてこの後司馬先生はどう書かれているのか、私ごときに解明できるのか。