司馬先生「花神」18…蔵六が江戸に行くまでの風景
とても大事なことだから蔵六とは直接関係ないが書いておきたいこと。
この時期の薩長や幕府の様子。
まず私個人はこの風雲の中で好きなのは会津と桑名だ。
理由は狡猾ではなく、純粋な印象。逆に薩摩が嫌い。薩摩隼人と一般に
言われ男の中の男の感じがするが薩摩はなぁ。
下巻p140あたりからこの時の風景を素描する。
薩長連合という密約があったのは周知に通り。
①長州は堂々と反幕を掲げていたが薩摩は幕府に同情的な態度を示しながら
最後は裏切ったと書いてある。まぁしょうがないわな。
②一方で薩摩がやった二枚腹外交こそが「戦略外交」とのこと。要は世の中は
「いい人」ではやっていけない事実。
③対して長州は単純で書生外交と先生は言われている。純粋で単純な若さのような
思想から過激に活動した。具体例がはまぐり御門の変や四カ国戦争だった。
この敗戦以降長州は小五郎の考えで進んでいく。小五郎は慎重派だったため
薩摩の共同戦線要望にすぐには乗らなかった。
④蔵六は京への軍事行動には反対だった。理由は薩摩のことではなく、現在の
長州の力ではまだ無理と思っていた。以前書いた5年計画。
⑤小五郎は京の情勢を探るべく幾人かの人を送り、情勢を探らせた。
その中に山県狂介もいた。この時山県は奇兵隊の実質的指揮官ではあったが
長州の中では身分の低い、書生扱いだった。
⑥それを薩摩が懐柔した。なんと藩主島津久光に謁見させた。他藩の足軽程度に
謁見させるという術に山県ははまり、薩摩に好意的になった。
⑦小五郎は悩む。軍事力では幕府に勝てないと蔵六が言うのだからそうなのだろうが
時勢の勢いというものもあるのはある。長崎に行き坂本龍馬にあったり
海外情勢を聞いたりしていた。
⑧西郷と大久保は勝てると信じていた。軍事力計算でも願望でもない時勢が
あるから勝てると思っていたそう。これ私のような凡夫にはわからない話だが
修羅場をくぐってきた人たちの感覚か?
⑨この時期の武士にインタビューしたら9割が倒幕反対だと先生は書かれている。
まぁそうだろうと思う。理由は幕府への忠誠心ではなく、生活環境が激変する
かもしれない事への恐怖だろう。これは現代も同じ。
⑩そんな時長州の説得に大久保が長州入りする。大久保も長州藩主と謁見する。
長州軍を京に上らせるため説得する。毛利藩主が快諾する。
詳しくはp164
⑪薩長が覚悟を決めて兵を京都に送ろうとしてた時にそれを遮る動きがあった。
坂本龍馬立案の大政奉還だった。薩長にすれば余計な事を…だった。
そして龍馬は暗殺される。慶応3年11月15日
⑫長州軍は薩摩の船によって京に向かうが小五郎の指示で蔵六は長州に残った。
ここの理由を先生は書いている。
⑬幕府海軍はこの時兵庫港にいた。薩摩の動きを警戒していたらしいが薩摩海軍
をそのまま通過させ、長州軍は西宮に上陸した。それを幕府側だった伊予大洲藩
が西郷の手配りで賓客あつかいしたとのこと。薩摩側の綿密な計画と実行力に
驚くと同時に幕府の覚悟のなさがわかる。なぜ幕軍は覚悟を決めて薩摩海軍に
戦いを挑まなかったか。これではなという感じ。
⑬長州軍が上陸した知らせは京政界を混乱させた。公家の多くは反対だったが
ここで西郷と大久保の暗躍が始まる。公家を説得・恫喝・懐柔・贈賄した。
先生によるとこの二人が生涯で最大の政治力を発揮した時期とのこと。
長州の朝敵解除が目的なんだが、この辺は現代感覚ではわかりにくい。
⑭西郷の心配は戦いの司令官の適任者がいない事だった。勇者はいっぱいいる
らしいが指揮者がいないとのこと。よくこれで戦おうと思ったな。
西郷は長州の品川弥二郎に長州の大将はだれかと聞く。品川は山田市之允
その師匠は蔵六と答えた。西郷は噂に蔵六のことは聞いていたが会ったこと
がなかった。
⑮そして慶応4年正月3日鳥羽伏見の戦いが始まる。まだ蔵六は長州にいる。
⑯蔵六が入京したのは2月初めとのこと。戦いは薩長の勝利で終わっている。
蔵六の立場は新政府の国防省という位置づけの中の判事加勢という役目との
こと。重視されていない事務官らしい。主導はあくまで薩摩側だった。
東征軍の事実上の大将は西郷だった。
⑰この混乱期に蔵六は新政府軍の創設という別のことを考えていた。
私なんか凡夫は薩長中心の政府軍が当然と思っているが、薩長へ諸藩の不満は
すでに起こっていたし、蔵六はいずれ薩摩が反乱を起こすことを予知してたから
薩長中心ではない政府軍の創設を考えていたのは当然ということになる。
このあたりは凄いな。
⑱この時幕府側に危険思想の人がいた。小栗上野介という人で薩長と戦うにも
カネがない、その調達のためフランスに北海道を貸して武器と資金を得る
方法だった。この文章だけでは私には何が悪いかわからないがフランスの
植民地にされてしまうことらしい。勝海舟は猛反対でさらにフランス内の
事情もあってとん挫したとのこと。まずはよかった。
蔵六が恐れたのも幕府がどっか外国と手を組んで武器と資金を調達すること
だったらしい。
⑲勝海舟は江戸城無血開城したと知っていたが、この時期の幕府の軍事力を列記
すると
(1)幕臣はまったく頼りにならない
(2)榎本武明率いる幕府海軍は強大で有効に使える立場にいた。例えば東海道
を東上途中の薩長軍を艦砲射撃できるし、大阪湾に行って幕兵を下し京を
狙うこともできるし、薩摩湾に行って兵を下すこともできる脅威だった
(3)新選組や前記した町人上がりの新式銃を持った幕兵の存在
(2)(3)から戦いは幕府に有利な環境だった…にも関わらず幕府は負けた。
慶喜から全権委任された勝海舟は上記軍事力を使わなかった。これは
内乱が長引くと外国の付け入る事を予想したからだと思う。英断なのか私ごとき
ではわからないが幕軍の軍事力を散らしていったとのこと。ここ多分大事。
⑳新政府軍はそのまま東上して幕府を打つべしとしていたのは西郷だけらしい。
他は躊躇していたらしい。軍資金がないから。しかし先生は書かれている。
p302歴史の機微を知っていたのは西郷だけらしい…と。やはり時勢にのって
行くべきなんだな。
㉑江戸は混乱状況。勝海舟と西郷による江戸城開城後、各地に幕府側(浪人・百姓
町人)らが群発している(天野八郎や渋沢栄一郎他の名がある)江戸の治安に
官軍は関わらない。実質千人程度の軍勢であるため無理でもあったらしい。
4月27日蔵六の階級があがり軍防事務局判事という軍政上の最高職になったとの
こと。また佐賀の江藤新平が江戸へ潜入し、その報告を新政府にした。
この報告によって官軍は江戸鎮圧に決定したとのこと。
これで蔵六は歴史の表舞台に出たことになる。
長くなったので今回はこれまで。