石川慶監督、芳根京子、寺島しのぶ、岡田将生、鈴木咲、清水くるみ、井之脇海、中川翼、中村ゆり、風吹ジュン、小林薫、倍賞千恵子ほか出演の『Arc アーク』。

 

原作はケン・リュウの短篇小説「円弧(アーク)」。

 

19歳のリナ(芳根京子)は大手化粧品会社エターニティ社の主任の永真(えま)(寺島しのぶ)に誘われて、依頼者たちの大切な人の死に対する苦しみを和らげるため、その遺体を生きていた時の姿のまま保存できるように施術〈プラスティネーション〉して展示したり自在に操ってパフォーマンスする「ボディワークス」という仕事に就く。一方、永真の弟の天音(あまね)(岡田将生)は、姉の反対を押し切り「不老不死」を目指す方法を求めて、ついに人類を死から解放するために、自分と、愛し合うリナに若さを保つ手術を施す。

 

この映画についてはつい最近までまったく知らなかったんですが、Twitterで芳根京子さんの事務所のスタッフさんが宣伝されていて、彼女の主演映画の1本であることや「不老不死」にまつわる物語らしい、ということで興味を持ちました。

 

もっとも、その後も予告篇は観なかったし、あらすじなども確かめないまま映画レヴューサイトを覗いてみたところ、総合評価もものすごく高いわけでもとんでもなく低いわけでもなかったので(まだ公開開始から時間が経ってないから、というのもあるけど)、しばらくどうしようか迷っていたんですよね。

 

実のところ、もともとは日本人キャストもいるハリウッドの某アクション映画を観ようと思っていたんだけど、そちらは思ってたよりもちまたでの評判がいまひとつで、急に観たいという気持ちが萎んでしまって^_^; 結局その代わりにこちらを選んだのでした。

 

…まぁ、なんか消極的な理由で申し訳ないんですが。

 

ただ、原作のケン・リュウさんの小説を僕は読んだことがないけれど、2019年に公開された是枝裕和監督の『真実』の劇中でリュウさんの小説を原作にした映画の撮影風景が描かれていたのを思い出して、同じ原作者の作品ということでちょっと面白そうだな、と。

 

また、芳根京子さんが主演されてる映画やTVドラマを僕はやはりほとんど観たことがないんですが、彼女が土屋太鳳さんとダブル主演した『累 -かさね-』を以前劇場で観ていて、久しぶりにまた芳根さんの主演映画を観てみたい、と純粋に思ったのでした。

 

 

そんなわけで、原作小説も読んでないし、前情報もほぼない状態での鑑賞だったんですが…。

 

うーんと、ごめんなさい。前もってお断わりしておきますと、この映画が面白かった、好き、というかたはこれ以降は不快な気持ちになるか納得いかないだろうと思いますので、「そっ閉じ」してもらうか「こういう意見もあるんだな」と冷静に読み流していただけるとありがたいです。

 

ネタバレがありますので、これからご覧になるかたはご注意ください。それから、この作品以外の何本かの映画の内容やオチにも触れますので、未鑑賞の映画のネタバレが嫌なかたは、読むのを見合わせられた方がいいでしょう。

 

なぜ、あえて映画のネタバレをするのか、どうして「面白いと思えなかった映画」の感想をだらだらと書き連ねるのか、ということについては、これまでにも何度も述べていますが、僕は自分が映画館で観た作品について、その映画を観た、という事実や、それで自分がどう感じてどんなことを考えたのか記録しておきたくてこのブログを始めたものですから、面白かった映画のことはもちろんのこと、そうでなかった作品、不満が残ったものについても同様に書き残しておきたいんですよね。

 

なぜなら、ここで何も述べずに不満も批判も書いておかなかったら、そのまま「忘れてしまう」から。映画の何に対して腹が立ったのかも、映画の細かな内容についても、それどころかその映画を観たことすら「なかったこと」になってしまう。それは僕は嫌なので、このブログの記事をわざわざ読んでくださるかたがたを不愉快な気持ちにさせてまで自分の率直な感想を書いています。自分勝手でごめんなさい。

 

読んでくださっているかたを意識したような書き方をしてはいますが、基本的には日記のようなもの、「独り言」ですから。

 

さて、映画を観ながら過去に観たいくつかの作品を連想していました。

 

イーサン・ホーク主演の『ガタカ』やターセム・シン監督の『ザ・セル』、ロビン・ウィリアムズ主演の『アンドリューNDR114』、他にも『ベンジャミン・バトン』『わたしを離さないで』『ミスター・ノーバディ』(2009)、2019年版の『サスペリア』『崖の上のポニョ』etc...。

 

 

 

 

中にはこじつけのようなものもあるかもしれませんが(『ポニョ』とかw)、後述するように映画を鑑賞中にいろいろと考える余地があったものですから。1本の映画の中からこれまでのさまざまな映画の要素を自分で“発見”するのも、映画を観る時の楽しみの一つでもある。

 

原作やその映画化作品『Arc アーク』がこれらの映画を真似たとか直接影響を受けたということでは必ずしもなくて、原作者も監督も意識すらしていないかもしれないけれど、それでも作品を観る側が過去の作品と似たところを見つけることで映画をより深く味わえることもある。

 

劇中で描かれる「プラスティネーション」というのは、“人間や動物の遺体または遺体の一部(内臓など)に含まれる水分と脂肪分をプラスチックなどの合成樹脂に置き換える実在する技術”(Wikipediaより引用)なんだそうですが、次に「ボディワークス」というワードで検索したら今度はアメリカの香水・ローション・バスグッズのメーカーがヒットしましたw

 

「ボディワークス」という名称は、1990年代後半に日本でも各地で開催された「人体の不思議展 (BODY WORLDS)」と銘打ったイヴェント(TVで宣伝してたのをなんとなく覚えているんだけど、僕は観てない)からヒントを得たのでしょう。

 

原作小説の方は読んでいませんが、ストーリーのあらすじを確認したところ、映画版は結構原作の細かい部分も忠実に描いているようで。「ボディワークス」という言葉も原作にある。

 

プラスティネーションされた遺体を無数のロープで繋げてダンスのような仕草でマリオネットみたいに操るパフォーマンス・アートというのは、どうやら石川監督が「人体の不思議展」と日本の「舞」を組み合わせてこの映画のために創作したもののようだけど、劇中でエターニティ社に社会見学に来た小学生たちがそれを観て「おぉ~」とか言って拍手してて、「いやいや、ちょっと待て」と。そんなもん現実にやってたら大問題じゃろ(;^_^A

 

そもそもモデルになった「人体の不思議展」自体、倫理的な問題を問われて90年代末に中止されてもいるので(その後開催された同じ名称のイヴェントは別の主催者によるもの)、それをあえてモデルとして選んだ原作者の中にどんな思惑があったのか気になるところではある。

 

映画の中では当たり前のように遺体が展示されてるんで、そういう世界のお話なんだ、と受け入れられるまでわりと時間がかかってしまった。いや、この映画が「不老不死」について描いたSF映画だということは知ってて観たんですが。

 

いろんなかたのブログを訪問しても、この映画に対して肯定的な感想ばかりだし、中には大絶賛のものもあるので僕の評価はきっとほんとに少数意見なのでしょうが、僕はダメでしたねぇ。

 

127分の映画だけどとても長く感じて、途中で何度も「あとまだどれだけ続くんだろ」と思ってしまった。スマホで時間を確認したくてしょうがなかった(もちろん、他のお客さんに迷惑だからそんなことしませんが)。しまった、『モータルコンバット』観ればよかった、と。

 

内容についてはまったくと言っていいほどなんの情報もないままで観たので、映画の序盤で芳根京子演じるリナがコンテンポラリー・ダンスのような乱暴な踊りで暴れたり、彼女を見出した永真が見せる「ボディワークス」などから、僕は遺体とダンス、という特殊な組み合わせのパフォーマンスを描く映画だと思ったんだけど、遺体とロープを使ったあの面白いダンスが観られるのは前半のわずかな場面だけで、後半は「不老不死」の手術を受けたリナと、受けない人たちとのまったく違う話になってしまう。

 

 

 

 

 

 

ダンス関係なくなっちゃう。

 

こちらとしてはダンスをもっと観たかったんですけど。

 

まぁ、「ダンス」の要素は映画化の際に付け加えられたものらしいので本題とは関係ないから出てこないんでしょうが、前半でのあのパフォーマンスのインパクトが強かったものだから、後半での俳優たちの身体の動きがほとんどない静かな展開(いやまぁ、小林薫さんが風吹ジュンさんを車椅子に乗せて走り回ってたけど^_^;)が観ていてほんとにしんどかった。主人公のキャラもいつの間にか変わっちゃってるし。

 

 

 

この映画、一応「SF」ではあるんだけれど、ほとんど登場人物たちの会話だけでお話が進んでいって、VFX(視覚効果)やアクションの要素はないから見た目は恐ろしく地味だし、正直ストーリーも別に面白くはないので、すーーーーーっごく退屈だった。

 

「不老不死」をテーマにしてるわけだけど、それが切実なものとして胸に迫ってくることもなければ、何かの思考実験としての面白味も感じられず、なんでこんなに評判がいいのか不思議でならない。

 

無論、ここでの「不老不死」が「喩え」であろうことはわかるんですが、人を不老不死にすることはできるのに末期癌は治せないとか、ここで描かれてる世界のルールがよくわかんないし、僕には「存在しない問題に延々悩む映画」にしか思えなくて。

 

「船に乗れる者」と「乗れない者」との対比も、世の中の格差をそのまま反映しているんだけど、両者を隔てる「不老不死」という喩えにいまひとつピンとこない。てゆーか、ずいぶんと使い古された題材じゃないか?と。今さらなんでこのテーマ?

 

「不老不死」というか、たとえば「永遠の命」と言って僕がまず思い浮かべるのが「銀河鉄道999」なんですが、元ネタである宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」もまた登場人物の「死」から人の「生」を見つめる作品でした。そういう作品はこれまでにも無数にあるし、だからこの『アーク』で描かれていることに僕は斬新さも感動も覚えなかった。

 

「死」と「生」について考えたいなら、芳根京子さんが全篇に渡って死体をぶん回しながら踊りまくる映画の方がよっぽどぶっ飛んでて面白かったんじゃなかろうか。

 

劇中では「不老不死」を連呼してるけど、観てるとそれはどうやら寿命を延ばす手術のことらしくて、でもそのための手術のシーンは一切映し出されないから現実感がなくて、ただ主人公の年齢が上がっていってるのが字幕で説明されるだけ。

 

SF的な設定についても台詞で説明するだけなので、ちっとも頭に入ってこない。

 

遺体を生きたままの姿で残す、という行為が、終盤でリナの息子・利仁(りひと)(小林薫)が修理したカメラで撮られた写真と重なるところはちょっと面白かったですが。

 

 

 

17歳の時に産んだ赤ちゃんを病院に置き去りにしたリナは、やがて手術で若さを保ったままの自分よりも年を取った息子の利仁と再会する。利仁は漁師になっていた。

 

末期癌だった妻・芙美(風吹ジュン)の死後、利仁はリナが勧める不老不死の手術を拒む。

 

リナの夫・天音の言っていた「船に乗れる者」と「乗れない者」という人々の選別方法に抗うように、利仁は自分の船に乗って旅立った。

 

 

 

「プラスティネーション」がちゃんと伏線になっていたり、リナの幼い娘のハルを演じる子役の鈴木咲ちゃんはとても可愛かったし、これって、「世にも奇妙な物語」で20~30分程度の長さでやったら(最近、“ファスト映画”がどーこう言われてるんで、こういうこと口走ると顰蹙買うかもしれませんが)不思議な雰囲気のSFモノで最後にはちょっとホロリとさせられるような佳作にもなったでしょうが、僕には2時間を越える長篇映画に堪えられる題材には思えなかった。

 

 

 

2時間以上もかけてるのに、主人公のリナに感情移入がほとんどできず、ただ彼女が年取ってく(だが見た目は変わらない)のを眺めてるだけでは、面白がりようがない。

 

彼女は息子である利仁から、愛した人のあとを追って自分も老いてこの世から去っていくという選択肢があることを教えられる。不老不死は誰もが望むものではない。

 

…わかりきった結論をありきたりなストーリーでもったいぶって導かれても、観てるこちらとしては「そんなの知ってたし!」としか答えられないんだよなぁ。

 

永遠に死なないロボットが人間になって“寿命”を終える『アンドリューNDR114』の方が僕はグッときたし、誰も死ななくなった未来で「最後に死んだ人間」を描いた『ミスター・ノーバディ』(つい最近やってた、おっさんが暴れる映画とは別物)の方がよっぽど感動的だった。

 

愛する人とは逆の順序でどんどん“若返っていく”主人公を描いた『ベンジャミン・バトン』、いずれは臓器を摘出されてしまう若者たちの青春を描いた『わたしを離さないで』…。

 

これらの映画にあった切実さ、人間の哀しみ、といったものを、残念ながら僕はこの『アーク』から感じ取ることができなかった。

 

やっぱり、17歳で出産したあと、子どもを捨てて逃げた少女が化粧品会社の女性主任に拾われてから、その企業のリーダー的な存在に昇り詰める(そして師である永真の弟と愛し合う)までがあまりに端折られ過ぎているために、リナが永真と出会う以前と以降で別人のようになっていて、物語をさらっと追えないんだよな。2時間もかけてるのにダイジェストみたいでブツ切れ感がハンパない。

 

百何十年にも及ぶ主人公の人生を描いているのに、本当に描くべきところが描かれず、老夫婦の描写はやたらと長々映す。このバランスの悪さ。

 

リナと天音はいつの間にか愛し合ってて永遠にずっと一緒、みたいになってるけど、リナの気持ちも彼女自身が望む今後の人生もまったく見えてこないので、リナがまるでマリオネットのように感じられてしまう。彼女から自発的に出てきたものがなんなのか映画を観ていてもわからない。永真や天音や利仁に影響を受けて自分の生き方を決めてるだけなんじゃないか。

 

映画の冒頭でリナが見せたあの暴力的なダンスのように、彼女のもがきや叫びを感じたかった。

 

あと、これは蛇足かもしれないですが、自分の上司である永真を当たり前のように「エマ」と呼び捨てにするリナや彼女の先輩の加南子(清水くるみ)、そしてやはり自分の母親を「リナ」と名前で呼ぶ娘のハル(彼女は祖父と孫娘ほど年の離れた“兄”の利仁も名前で呼ぶ)など、『崖の上のポニョ』ちっくなフレンドリー描写がとても違和感があって、なんでわざわざこんな描写を入れたのかわかんなかった。原作はアメリカを舞台にしてるから不自然さはないのだろうけれど、日本が舞台なのに登場人物をやたらとファーストネームで呼ばせたがる作品、最近多いですよね。すっごく苦手なんだけど。

 

永真(えま)や天音(あまね)、利仁(りひと)などの、アニメ、もしくは2000年代以降につけられたような若干キラキラネームっぽい登場人物たちの名前など(“エマ”は原作通りだし、これは未来が舞台なので、あえてなのでしょうが)、いちいち引っかかってしょうがなかった。

 

僕が好きではないタイプの最近の日本製アニメを実写で撮ったみたいな映画だったなぁ。

 

加南子は結婚して離職するけど、いつの間にか彼女の娘(清水くるみの2役)がリナの部下になってるし。なんか世界が狭過ぎませんかね。

 

このあたりも『アンドリューNDR114』っぽいんだよなぁ。

 

そして、137歳になったリナを演じる倍賞千恵子さん。

 

彼女の存在感と演技力を買っての起用なのはもちろんわかるんですが、う~んと…もうさぁ、倍賞さんをただ「おばあちゃん」役でキャスティングするのはやめて差し上げて(;^_^A

 

ハウルの動く城』でも『小さいおうち』でも90代のおばあちゃん役で、今回は140歳近い役。

 

ここは、『ベンジャミン・バトン』のケイト・ブランシェットみたいに老けメイクで芳根さんが演じるべきではなかったか。それこそ演技の見せどころではないか。芳根さんは朝ドラ「べっぴんさん」でもまったくおばあちゃんには見えない若々しいおばあちゃんを演じてましたが。娘のハルが成長した役が中村ゆりさんで孫娘役がまた芳根さんとか、徹底してないからなんかすごくモヤモヤッとする。倍賞さんや中村ゆりさんを出すならもっと出番があってほしかったし。

 

なんか延々イチャモンつけてますが、強引にこの映画の展開と絡めると、永真が愛するパートナーの死の苦しみから逃れるためにボディワークスにのめり込んだように、僕は映画を観て「面白くなかった」と思ったら、「なかったこと」にするのではなくて“自分のため”にそれをブログ記事という形で刻み込んでおきたいんですよ。

 

利仁が遺した写真のように。

 

 

 

いつか終わりが来る。別れの時が来る。それがこの世界の理(ことわり)だし、だからこそ、出会いや大切な人とともに生きた時間は愛おしい。

 

ハルは老いゆくリナに「死が生に意味を与える、なんて昔の人がでっち上げた神話」と言うけれど、永遠に続くものなどないし、それで構わない。誰もがやがては消えていくからこそ、今ここにあることが嬉しい。

 

永真はボディワークスを「死への抵抗」と表現していたけれど、あれはパートナーとふたりで遺影を撮るような行為ではなかったか。「死」を迎えるための“終活”みたいなものだったんじゃないかと思う。

 

「船に乗る人」は選ばれて不老不死になれる人のことじゃなくて、自らの意思で海へ漕ぎ出せる人のことなのだろう。

 

 

 

 

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