アニーシュ・チャガンティ監督、サラ・ポールソン、キーラ・アレン、パット・ヒーリー、サラ・ソーンほか出演の『RUN/ラン』。2020年作品。

 

ワシントン州パスコ。複数の病気を抱え車椅子の生活をしながらワシントン大学の受験結果を待つクロエ(キーラ・アレン)は、母ダイアン(サラ・ポールソン)の買い物袋の中から母の名で処方されたカプセル状の薬をみつける。それを自分の飲む薬として差し出されたクロエは不審に思い、薬の名前やその効果を調べようとするが、なぜか家のパソコンはインターネットに繋がらない。

 

ネタバレがありますので、これから映画をご覧になるかたはご注意ください。

 

search/サーチ』のアニーシュ・チャガンティ監督の最新作。

 

 

『search/サーチ』は観た人の間では評判がよくて僕も面白かったですが、世間では意外と話題になってなくて、ちょっともったいないなぁと思っていました。

 

この『RUN/ラン』も先月公開されてそろそろ上映が終了になろうとしてるけど、手堅くまとまったスリラー映画でこちらも僕は楽しんで観られました。

 

思っていたほどグロを全面に出したり親子間の共依存の気持ち悪さをえぐってくるわけではなかったので(観る人によっては充分気持ち悪いでしょうが)、観終わって重~い気分になることもなくて、そこんところもちょうどいい塩梅だった。

 

物語の内容や題材からいろいろと考えをめぐらせることはできるけど、前作同様、あくまでもエンターテインメントとして作られている。

 

要するに「毒母」の話で、映画評論家の町山智浩さんが作品紹介の中で解説されているように、自らの承認欲求を満たすために子どもや高齢者、障碍者などの身近な弱者をわざと病気に罹らせたり怪我を負わせたりして、それを献身的に介護する精神疾患「代理ミュンヒハウゼン症候群」を描いたもの。

 

 

 

 

美人なんだけど顔がとても怖いサラ・ポールソン(笑)というこれ以上ない逸材を迎えて、また主人公のクロエを演じるキーラ・アレンは実際に足にハンディキャップを持つ新人俳優さんとのことで、舞台となる場所や出演者の数はごく限られている。

 

ちょっと『ドント・ブリーズ』を思い出したりも。あちらは障碍者が加害者、こちらは被害者という大きな違いはありますが。

 

 

 

 

 

僕は車椅子を使っている人って足の筋力が衰えていて細くなっていると勝手に思い込んでいたので、それに対して劇中でのキーラ・アレンさんはわりと立派な太ももをしていたから健常者の俳優が演じているとばかり思っていたんですが(ベッドから車椅子への移動がとてもスムーズだったし、最後には杖をついて自力で歩いてたし)、車椅子の使用者でも障碍の度合いがさまざまということなのかな。

 

いずれにせよ、そんな彼女に家の2階の屋根を這わせたりさせてたわけか^_^;

 

もちろん、ショットによってスタントダブルが演じているのだろうけれど、本当に身体を張った演技だったんですね。

 

アレンさんが演じるクロエは糖尿病や不整脈など、複数の病気を患っていて身体のかなりの自由を制限されており、そんな彼女は本来は健常者だったのが母親の手で長年に渡って「障碍者」にされていた、という恐ろしい話なのだけれど、面白かったのが、このクロエがただ気の毒な犠牲者として怯えながら母親にやられっぱなしでいるのではなくて、かなり行動的な女性として描かれていること。

 

彼女は自分の手であり合わせのものを使ってなんでも作ってしまうし、2階の部屋に閉じ込められても知恵をめぐらせて自力で抜け出す。コンセントのコードを繋げて窓から外に出て、当然、足が不自由だから歩くのもままならない状態で別の窓へ。口に含んでいた水を何に使うのだろうと思ってたら、ハンダゴテを突き刺して熱した窓ガラスに吹きかけて割る。全部事前に計算してやっている。

 

この映画は実際にあった事件にインスパイアされて作られたのだそうで、それが町山さんが先ほどの作品紹介の中でも語られていた、不必要な薬や手術のせいで障碍者にされた娘が母親を殺して恋人と逃亡していた2015年の事件。殺人を犯したとはいえ、母からの虐待が事実なら娘には同情せずにはいられないし、このような現実の事件の模様を知ると映画のあのラストもあながち無理やりなオチとも言えなくなってくる。

 

 

 

映画の方はフィクションだけど、最後に母の呪縛から逃れて健康も取り戻しつつあるクロエが母が収容されている病室にやってきて、すべてを許した、と思ったら…というところは確かになんとなく似てますね。

 

最後の怯えた母の表情がいい

 

ダイアンは“娘”のクロエにいつも「あなたのためにやってるのよ」と言うけれど、それは嘘だ。加害者本人は子どものためなんだと本気で信じているか、無理やり信じようとしているんだろうけど、それは事実ではないし「愛情」なんかではない。

 

そもそもクロエはダイアンの本当の娘ではなかった。ダイアンは自分の娘が未熟児として産まれ生後間もなく息を引き取ると、病院から他人の生まれたばかりの赤ちゃんであるクロエを誘拐して、その後、自分の娘として育てていた。クロエにはもともと障碍はなく、幼い頃は普通に歩いていたのだった。

 

子どもを自分の意のままに操り利用しようとする、ということでは『塔の上のラプンツェル』や『ブリグズビー・ベア』での偽の親と同じことをやっている。

 

子どもに嘘を教え込み、子どもが疑いだすと脅す。

 

それは「子どものため」ではない。自分のためだ。

 

現実に起こったいくつもの事件を確かめると、映画などよりももっと凄惨なことが行なわれている。

 

ここでは極端に凶悪な事件が採り上げられているけれど、僕たちの日常の中でも「あなたのためにやっている」という言葉はしばしば使われる。親が子に、教師が生徒に、上司が部下に、夫が妻に、妻が夫に、その呪いの言葉を投げかける。

 

「あなたのためにやっているんだから」などという言葉を安易に使うべきではないし、そのような言い方をしょっちゅうされるようなら、その人を疑っていいと思う。

 

自分はそのつもりでも、相手も本当にそう感じているとは限らないし、客観的にも相手のためになっているかどうかは自分だけでは判断できない。

 

ダイアンは外で働いているようでちょくちょく家を空けるが、彼女が働いている姿は一切映し出されないので本当に働いているのかどうかも疑わしい。

 

彼女はクロエからおかしなところを指摘されると即座に嘘で答えるが、そういう人は現実にいる。嘘を誤魔化すためにまたさらに新しい嘘をつく。いるでしょう、政治家とかにも。

 

本当はこの偽りの“母”こそが病んでいて、“娘”の方は精神的にも、そして身体の方ももともと健康だったのに、逆だと思い込まされていた。

 

まるで現在僕らが生きているこの日本の社会のことみたい。

 

この映画はけっしてシングルマザーや母子家庭を否定しているわけではないが、傍からは仲がよくてうまくいっているように見える家庭だったり親子が実はそうではない場合があることを描いていて、ここまで極端ではないけれど、チャガンティ監督の前作『search/サーチ』もまた、一見仲睦まじい父親と娘の間にも知らないことが無数にあって、親子といえども果たしてどこまで理解しあっているのかわからなくなるという映画でした(『search/サーチ』で行方不明になる娘の亡き母を演じていたサラ・ソーンが、今回は入院したクロエを担当する看護師役だったり、前作でチャットのアイコンに使われていた女性が今回もパソコンに映し出されていたりするお遊びも)。

 

 

 

ディーディー・ブランチャード殺害事件やこの映画で描かれたような事例は、明らかに加害者はなんらかの精神的な病いなので誰にでも当てはまるようなことではないですが、いつしか親が子どもを、力が強い者がそうではない者を自分の所有物のように扱い虐待している、ということはいくらでもありうる。

 

映画では主人公で被害者だったクロエがタフに描かれていたので、そこが救いになっていた反面、サラ・ポールソン演じる毒母ダイアンの怖さがその分薄れていた気もしたんですが。

 

いえ、充分過ぎるほどサラ・ポールソンは怖いんだけれども^_^;

 

それでも夜は明ける』の時の彼女が僕はものすごく怖かったんですが、それはやはりまさかそんなことをするような人には見えない女性が凄まじい暴力を振るって、しかも笑顔で、という演出が完全にホラーを超えてたから。『それでも~』は史実が基になった話だったんですが。

 

サラ・ポールソンは、もっともっと怖い演技ができる恐ろしい人だと思うのですよw

 

それでも、この映画はなかなか見応えがあったし、アニーシュ・チャガンティ監督の次回作もぜひ観たいと思います。

 

 

 

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