スティーヴ・マックイーン監督、キウェテル・イジョフォーミヒャエル・ファスベンダールピタ・ニョンゴサラ・ポールソンアデペロ・オデュイエ出演の『それでも夜は明ける』。2013年作品。PG12

第86回アカデミー賞作品賞、助演女優賞(ルピタ・ニョンゴ)、脚色賞、ゴールデングローブ賞作品賞ほか受賞。





1841年。ヴァイオリン奏者の「自由黒人」ソロモン・ノーサップは家族とともに北部のニューヨーク州サラトガに住んでいたが、サーカスでの演奏を持ちかけられてワシントンD.C.へ赴くと突然奴隷商人に拉致されて南部のルイジアナ州ニューオーリンズに売られてしまう。そこでは人間を家畜以下に扱う農園主がいた。ソロモンは自由も名前も奪われ、奴隷として12年間過ごすことになる。


つい先日のアカデミー賞授賞式での受賞も記憶に新しい作品。気になるので観に行ってきました。

主演のキウェテル・イジョフォーには見覚えがあるなーと思ってたんだけど、あとでフィルモグラフィを確認したら、『インサイド・マン』や『トゥモロー・ワールド』『アメリカン・ギャングスター』『2012』『ソルト』など出演作をけっこう観ていた。でも主演作品は初めて。

で、一言。…しんどかったです!

なんとも胸糞悪い映画だった。

もちろん映画そのものじゃなくて内容のことですが。

僕は基本的に映画を「娯楽」だと考えているので、そんな要素は微塵もないこの映画がキツかったのです。

人種差別や奴隷制を扱ったシリアス作品に「娯楽性」など求めるのがそもそも間違っているのは百も承知ですが。


この映画は19世紀の実在の人物ソロモン・ノーサップの体験記を映画化したものである。

つまり実話が基になっている。

ソロモンが拉致された1841年といえばいまだに南北戦争も起こっておらず、リンカーン奴隷解放宣言も発せられていない時代だが、映画を観ているうちに観客はこれは「170年以上前の昔話」などではないことに気づく。

人種差別という忌まわしい考え、行為が現在も世の中から一掃されていない以上、これは僕たちに無関係なことではないし、何よりもここで描かれているものは女性への虐待、性的暴行、基本的人権の侵害など多くの問題である。

人間が同じ人間に対して行なうもっとも卑劣で凶悪な犯罪について描いているのだ。

これがツラくないわけがない。

この映画は、観る者に安易な“希望”など与えない。

現実に起こった事件をそのまま余計な粉飾を施さずに提示する。

かつてアメリカでは、アフリカで野生動物のように“狩られ”、奴隷として強制的に連行されてきた多くの人々が牛馬のごとく、時にそれ以下の扱いで酷使、虐待され、無残に殺されていった歴史がある。

これは人類の汚点として記憶されるべきものだ。

この映画を観る者は、主人公ソロモンの視点で、ある日いきなり鎖に繋がれて“奴隷”として売り飛ばされ、“ご主人様”のために無償でこき使われるという悪夢を見ることになる。

と同時に、白人の立場で「人が人を家畜やペット以下に扱う」という正気を疑う鬼畜の所業が、自分と同じ人間にできてしまう恐怖を味わうことになる。

食うか食われるかの食物連鎖の中で本能に従って生きる野生の動物は、同じ種類の動物を使役しない。こき使わない。戯れに痛めつけたり殺したりしない。

そういうことをやるのは人間だけだ。

猿から進化して知恵を持った人類は、自分の利益のためには同胞である人間を差別し搾取し使い捨てることを覚えてしまった。

あいつらは自分とは異質の存在で格下だから、と身勝手な理由付けをして、どのように接しようと扱おうと俺らの自由、という狂った論理を振りかざす。

そういう考えを持つ人間は現在も存在する。

それが何よりも恐ろしい。

肌の色、国籍、思想、信条、宗教、経済格差等々によって人は人を差別し見下し殺す。

この映画はその事実を僕たちに突きつける。

この映画はそれなりに心して観る必要がある。

なぜなら、人が認めたくない人間の恥部を露にするから。

たとえば、白人は有色人種を差別する。

これは紛れもない事実だ。

もちろん、すべての白人がそうだというわけではないが。

だが、すべての民は“神”のもとに平等である、と説いたキリストを崇める彼らはアメリカ先住民を征服してその土地を奪い、アフリカに住んでいた人々を奴隷として強制連行してきた。

この映画を観ていて、僕は白人に対して不信感を抱きそうになってしまった。

仮に彼らが愛想よく接してきても、気を許してはいけないんじゃないか。

なぜなら、それはたまたまこちらが社会的地位があったりお金を持っていたり、なにがしかの後ろ盾があったりするからだけなのかもしれないのだ。

1980年代、日本がバブルで浮かれていた頃、アメリカ人が日本人をやたらとヨイショしたり、正反対に公然と“ジャップ”と罵り軽蔑したりしていた。

根本的に奴らは俺たちを見下してるんじゃないか、あいつらとは心からの友人にはなれないんじゃないかという疑念が拭えない。

世の中には国籍だの肌の色なんかよりも、たとえば趣味の一致でわかりあえる人だっているんだから、そりゃ白人の中にも差別意識の皆無なほんとの善人もいるでしょうが。


僕は白人からあからさまに差別的な扱いを受けたことはないけど、10代の頃、似たような年頃の白人の少年とすれ違いざまに互いにぶつかりそうになって、僕が「Sorry.」と謝るとそいつが「Shit!」と吐き捨てるのを聴いて、激しい怒りを覚えたことがある。

彼としては「ちぇっ!」と舌打ちした程度だったのかもしれないが、僕は非常に不愉快で白人がしばらく嫌いになったほど。

だってさ、日本人が白人とぶつかりそうになって「クソッ!」とか呟くかい?

なめんなよ白ブタが!と思った。

そんなたわいない記憶さえ蘇ってくるほど、この映画に登場する白人たちはクソどもばかりなのだ。

一見、黒人に対して同情的な者でさえも、自分たちが黒人よりも上の存在であることになんの疑いも持っていなかったりする。

そうでなければ、わが子とむりやり引き離されて売り飛ばされた女性に向かって「早く子どものことは忘れなさい」などと言えるわけがない。

互いに対等な人間だ、という考え自体がないのだ。


この映画で描かれる差別、虐待、虐殺に対して「可哀想、気の毒」と他人事のような感想を述べられる者は、自分が彼らよりも上の存在だと信じて疑わないことに気づいてすらいない。

これはいつ何時、僕たちが黒人、白人どちらの立場にならないとも限らないという恐怖ではないか。

相手よりも自分は上だと思い込んだ瞬間に、差別は始まる。

この映画は、奴隷として12年間を過ごし、生還した男性の物語である。

それ以上でも以下でもないので、ネタバレも何もない。

映画館で金払ってしんどい思いをする覚悟で臨みましょう。

歴史的事実を知ったり、いろいろ疑問を抱いたり議論すること自体には大いに意義があると思うので。


この映画には、ハリウッドを代表するスターや、その演技力を高く評価されている白人俳優たちが何人も名を連ねている。

プロデューサーも兼ねるブラッド・ピットを始め、ミヒャエル・ファスベンダー、ベネディクト・カンバーバッチポール・ジアマッティポール・ダノなど、この面子だけで「観てみよう」という映画ファンもいるだろう。

彼らが演じるのはその多くが損な役回りなのでそれなりの覚悟を決めての出演だったのだろうし、その際にはかつての祖先の恥ずべき行為に対する懺悔の気持ちもあったのかもしれない。

もっとも監督と主演のキウェテル・イジョフォーはイギリス人だが。

あらためて断わるまでもないけれど、監督のスティーヴ・マックイーンは同姓同名の往年の白人アクションスターとは別人。

前作『SHAME -シェイム-』は未見です。

ちなみに『SHAME -シェイム-』の主演を務めたファスベンダーもアメリカ人ではなく、ドイツ系アイルランド人。

だから『それでも夜は明ける』では、自身もその祖先にも直接は関わりがないアメリカ南部の差別的な農園主を演じている。

さすがに実際の南部出身者がこういう役を演じるわけにはいかなかったのだろうし(ブラピはじめ脇役の中には南部出身者もいるが)、純粋にその演技力を見込まれての起用なんでしょうね。

事実ファスベンダーの演技は素晴らしく、さまざまな賞を獲得、アカデミー賞助演男優賞にもノミネートされた。

 
奴隷たちをいちいち細かいところまで監視しているのが凄く嫌。だってこういう奴いるんだもん。


彼が演じるエドウィン・エップスは完全な憎まれ役にもかかわらず、それは単なる「悪役」ではなくて、人間の持つ弱さ、醜悪な面の象徴のようなキャラクターとして描かれている。

彼は性格が破綻した異常者だが、残念ながら「一部の特殊な人間」ではなかった。

彼のような人間はアメリカ中に無数にいたのだ。

奴隷にされた女性たちはレイプされて子どもを生まされ、その子どもはまた奴隷として売り払われた。

エップスは女性を性の玩具にして痛めつけ、人間の尊厳を剥奪して「気晴らしに奴隷を痛めつけるのは楽しみなんだ」と語る。

彼を見ていると、クエンティン・タランティーノ監督の『ジャンゴ 繋がれざる者』でレオナルド・ディカプリオが演じた人種差別主義者の地主がけっして大げさに描かれていたのではなかったことがわかる。

その奴隷主の家族である白人女性たちの、本人たちはまったく罪の意識などないが明らかに黒人を見下している態度など、この『それでも~』とまったく変わらない。

人が人をムチで打ち、悦に入る。

そして女性をむりやり性の奴隷にする。

この映画に僕が怒りを禁じえないのは、主人公のソロモンが最後に家族のもとに無事還りおおせても、それは何一つこの映画で描かれた重大な問題の解決になっていないことだ。

奴隷になってしまった「自由黒人」の男性が命からがら故郷に逃げ帰りました。

おしまい。


なんだぁそりゃあっ!!!って話なのだ。

僕は未読ですが、この映画は原作に忠実なんでしょう。

だから「悪」は退治されないまま放置されてる。

ソロモンを拉致した者たちも、彼や黒人たちを奴隷としてこき使ったエドウィン・エップスも刑に服することはなかった。


ソロモンは、最後に白人に救われる。

地位と金を持っている知人がいたからこそ、彼は奴隷状態から開放された。

しかし、ソロモンを助けに来たのは彼を奴隷に追いやった者たちを紹介した男だ。

映画を観ていても、ソロモンが誰にどのような経緯で売り飛ばされたのかよくわからなかった。

 


彼のまわりにいた白人たちはみんなグルだったんじゃないか、とすら思えてくる。

素直に人を信じたソロモンは奴隷商人に捕まった。

もとは監視役だったが凋落して自分と同じ立場となった白人に故郷への手紙の投函を頼めば、速攻で密告される。

誰もがわが身可愛さに人を売る。

わかりやすい差別者として奴隷商人のフリーマン(ポール・ジアマッティ)や農園で奴隷たちを見張るティビーツ(ポール・ダノ)が出てきて、黒人たちを裸にひん剥いて顧客たちの前に立たせて売ったり、腹いせにソロモンを痛めつけてロープで吊るしたりする。

 


彼らが映画の中で罰せられることはない。

ソロモンが吊るされたまま白人も奴隷たちも誰一人助けようとせずに放置されている長廻しのシーンは、その非情で絶望的な状況に怒りを通り越して「…長っ!」とツッコミ入れそうになってしまったほど。

バプテスト派の聖職者を演じるベネディクト・カンバーバッチは一見寛容な「イイ白人」みたいに出てくるけど、そんな彼は借金のかたにソロモンをエップスに売り飛ばす。

ブラッド・ピットはおいしい役どころでカナダ人の大工を演じているが、彼ですら「正直言うと怖いんだ」とソロモンへの協力に躊躇する。

 


この映画では、被差別者である黒人も迫害者である白人もやたらと“神”を持ち出すが、同じ神を信奉していながら、彼らの神に対する想いや立場はまったく異なる。

虐げられている黒人奴隷たちが黒人霊歌とともに崇める神は、いつかこの苦しみから自分たちを解放してくれる希望の象徴。


黒人霊歌の歴史

一方で白人たちが自分たちに都合よく解釈している神は、彼らに地上の全権を与えてくれたありがたい存在。彼らが世界の支配者として采配を振るうことのお墨付きをくれるものである。

両者には果てしない隔たりがある。

マイケル・ムーア監督が『ボウリング・フォー・コロンバイン』で語ったように、アメリカの白人には、自分たちが土地を奪い迫害してきた有色人種たちにいつか復讐されるのではないか、という恐怖心が根底にある。

この『それでも夜は明ける』にも、それを感じさせる台詞があった。

怖いから自分たちを守るためによりいっそう相手を差別し弾圧し迫害するのだ。

みずからの罪を心から反省することも、相手と手を取り合ってともに生きていこうとする気もない。


この映画を観ていて、家族とともに綺麗な衣服に身を包み馬車に乗り店屋では店主からも丁重にもてなされ、白人たちから賞賛されるソロモンの姿を見て、妙な違和感を持った。

 


なんだろう、この借り物みたいな姿は。

ようするに、ソロモンやその家族は“白人様”たちの世界で彼らの真似事をしているお猿さんと一緒なのだ。

かつて日本人が欧米人にそう呼ばれたように。

『ジャンゴ』にサミュエル・L・ジャクソンが演じる、同じ黒人を「ニガー」と呼んで見下すジジイが出てきたけど、今回の映画にもソロモンにまるで白人気取りで偉そうに「階段を上がるな」と言ってくる黒人が出てくる。

そもそも「自由黒人」などという身分自体が反吐が出るではないか。

誰が誰に“自由”を与えたのか。

白人様が黒人奴隷に与えたのだ。

神の名のもとに。

これはちょうど、かつて南アフリカの白人たちが僕たち日本人に「名誉白人」なるありがたい身分を下さったことを思い起こさせる。

お前たちは俺たちよりも劣る人種だけど、特別に俺たちと対等の身分にしてやるよ。ありがたく思いな、という舐め腐った考え方である。

こいつらは「黄色い奴ら」に気を遣ってやったつもりなのだ。

そこには、人間というのは皆平等であって誰が上で誰が下などというものはない、という現代では常識(そう思っていない野蛮人もいるが)である基本的人権の尊重などない。

同じ“人間”だと思っていないのだから。

僕にはそういうことがほんとに信じられないんです。

映画デビュー作にしてアカデミー賞助演女優賞を獲ったルピタ・ニョンゴ演じるパッツィーは、エップスの性の慰み者になるか痛めつけられるかの二者選択を迫られる。

結局、どちらにしろ彼女はエップス夫妻から手ヒドい暴行を受けるのだが。

 


女性が頭にビンを投げつけられたり顔をナイフで切りつけられて、ムチで背中を激しく打たれて肉が裂け悲鳴と泣き声を上げる描写が延々と続くこの映画を観ながら、ほんとに野蛮なのは誰なんだよ、と思った。

この夫婦の非人道的な行ないには、観ていてほんとにキレそうになった。

エップスはもちろんのこと、パッツィーに執拗に暴力やいじめ行為を繰り返すエップスの妻メアリー(サラ・ポールソン)の残忍さには背筋に薄ら寒いものが走る(彼女がしばしば見せる、薄笑いを浮かべたような怒りの“表情”は非常に怖い)。

そしてそんな彼らはやはり罰せられることもなく、のうのうと生き続ける。

本気で自分たちを「優生」だと考え、これだけのことをやらかしといて自分たちは神に選ばれた者でいずれ天国に行けると信じて疑わない。

劇中に黒人女性の「必要ならば復讐は神が代わりにしてくださる」という台詞があるが、どうやら神は居眠りでもしてるようで沈黙したままだ。

この理不尽さ。納得のいかなさ。


この映画のあとに『ジャンゴ』で白人たちがぶち殺されまくるのを観ると爽快だろうな。

でも哀しいことに、あれは最後の部分がファンタジーなのだ。

黒人のガンマンがアホでマヌケなアメリカ白人どもを撃ち殺しまくって仲間たちを救うことなんて現実にはできなかった。

ソロモン・ノーサップの奪われた12年間は、まさしくその屈辱の事実を現代に伝えている。


といって、これは「白人は許せん!」と腹を立てていればいい映画ではない。

それこそが、僕がこの映画に心底マイった理由でもある。

移送される船の中では、奴隷としておとなしく言うなりになるぐらいなら戦おう、と言い合っていた同じ黒人奴隷の一人は、自分の元主人に助けだされると「ご主人様!」とすがりついてソロモンを置いて去っていく。

アルフレ・ウッダードが演じる、白人と同等の権利を与えられた黒人女性は、「昔は私も綿花摘みをやらされたけど、もう忘れた」とか言って召使たちに働かせて優雅にお紅茶お飲みあそばしている。




つまり彼女は、以前「自由黒人」だった時のソロモンと同じ立場ということだ。

だがそれは、白人様から与えられた、かりそめの「自由」に過ぎない。

白人だろうと黒人だろうと、自分のためならば他人のことなど知ったこっちゃないことを残酷にえぐりだす。

人の善意など信じられなくなりそうだ。

ソロモンだって、子どもと離ればなれになって泣き続けるイライザ(アデペロ・オデュイエ)に向かって「いいかげんにしろ!」と怒鳴る。




自分のことで精一杯で、人のことを思いやる余裕などない。

ソロモンが助かったのは、たまたま彼が北部の町でそれなりの地位にある人間だったからだ。

ここでも、力がある者が生き残るのだ。

この映画はソロモンを「英雄」としては描かない。

命からがら、他の奴隷たちを見捨てるようにして逃げ帰った人間として映しだす。

彼は学があり器用だったために、奴隷としての生活にある程度適応もした。

白人のエップスやティビーツが彼に嫉妬するほどに。

なんだかうまくできすぎだな、と思わなくもないけれど、彼の手記は歴史的にきわめて正確だそうだから、事実なんでしょう。

拉致されて奴隷として売られた多くの人々は、ソロモンと違って帰ってくることができなかった。

助かったソロモンがその後、奴隷の逃亡を手助けする活動を支援したことが唯一の救いといえる。

しかし、彼がどのように亡くなったのかは不明だという(殺されたという説も)。


この物語のどこに「それでも夜は明ける」などという希望を見いだせるんだろう。

なんとも皮肉な邦題だ。

法律的にアフリカ系アメリカ人が完全に人権を取り戻すには、それから100年以上待たなければならない。

この映画が描いているのは、大昔のどこかの哀しい出来事などではない。

いまだに消えていない人類の恥を冷徹に見据えた映画なのだ。

この映画を僕が観る必要があったとすれば、それは「こんな酷いことができる人間には死んでもなるまい」と自分に言い聞かせるためだ。

ソロモンのような目に遭うのはもちろん恐ろしいが、自分がこの映画に登場した白人たちのように平然と人を痛めつけたり、痛めつけられている人を見て見ぬフリをする人間になる方がいっそう恐ろしいではないか。

それはアメリカに限らず、僕たちの身近にいくらでも起こり得ることだから。




真ん中の男性が監督のスティーヴ・マックイーン。こうやって誰もが笑いあえたらいいね。


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