山田洋次監督、松たか子黒木華倍賞千恵子片岡孝太郎吉岡秀隆妻夫木聡ラサール石井出演の『小さいおうち』。

原作は中島京子の同名小説(未読です!)。

音楽は、昨年の『東京家族』に続いて久石譲

ベルリン国際映画祭で黒木華が銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞。





亡くなった大伯母タキ(倍賞千恵子)の遺品である自叙伝の原稿ノートを託された健史(妻夫木聡)は、そこにしたためられた戦前から戦中にかけてある山の手の一家で女中として働いていたタキの想い出に触れる。1932年、10代のタキ(黒木華)は山形から東京の平井家に奉公に出る。若奥様の時子(松たか子)には妹のように可愛がられ、彼女の息子の恭一にも懐かれる。やがて戦争の影が色濃くなるが、タキは時子に関してある秘密を抱えていた。


山田洋次の監督82本目(!)の最新作。

『東京家族』については感想にあれこれと批判めいたことも書きましたが、それでも次回作があれば普通に観るつもりだったので劇場へ行ってまいりました。

前作の時もそうだったので予想してたけど客席は年配のかたがたで一杯で、しかも上映開始時間ギリギリに入ったために座席は最前列の端っこ、スクリーンの中の俳優の顔の判別がつかないほどに歪んだパースでの鑑賞。

でもまぁ、集中して観てたんで映画には十分入り込めました。

というか、ここ最近観た山田洋次監督作の中では、個人的には一番好きかも。

なんていうんでしょうか、こんなに山田洋次の映画を「頼もしい」と感じたのは初めてかもしれない。

この映画は関東大震災から間もない頃から終戦直前までの時代と、現代にそれを回想しながら自分史を書く元女中の女性の姿を交互に描いている。

原作とはそのあたりがだいぶ違うようだけど、スミマセン、読んでないのでわかりません。

映画についてだけ書きます。

たしかに山田洋次の映画というのは好みが分かれるし、特に若い時にはけっこう違和感や嫌悪感に近いものすらもよおす可能性がある(僕も80~90年代にはほとんど観ていませんでした)。

だから誰にでもお薦めできるわけではありません。

でも、とりあえずまだご覧になっていなくて、ちょっとでも気になるかたは観に行っていただきたいです。

僕は「哀しみ」という感情の描き方として、この映画で使われているようなテクニックほど今「日本映画」に必要な要素はないと思うので。

この映画は戦争の時代が舞台だけど、戦争で死んでいく人々は直接的には一切描かれていない。

にもかかわらず、「戦争」という理不尽極まりない惨禍によって、大切な存在を奪われていく人々の叫びが刻み込まれている。

それと「密やかなエロス」というものについても興味深い一品なのではないかと。

というのも、これはある一家における「不倫」を描いた物語なのだが、直接的な性愛場面はほとんどなくて、外で雷がドガシャーン!!と鳴る夜に松たか子演じる若奥様と吉岡秀隆演じる夫の部下がするキスシーンのみ。

それだけで観る者にいろいろと妄想させてくれるという意味でも、これはなかなか秀逸な“よろめきドラマ”なんじゃなかろうか。

それでは、以降はストーリーについて触れますので未見のかたはご注意ください。



まず、この映画では倍賞千恵子が2007年の『母べえ』以来7年ぶり、松たか子が2005年の『隠し剣 鬼の爪』以来9年ぶりに山田洋次監督作品へ出演。

また物語の聞き手である健史(たけし)役の妻夫木聡を始めとして、引き続き夫婦役の橋爪功吉行和子、そして夏川結衣やワンシーンずつの出演の中嶋朋子林家正蔵など、前作『東京家族』からの続投組がけっこうな人数に上る。

その他にも小林稔侍松金よね子笹野高史など山田組縁の面々も。

橋爪功は前作の寡黙な老人から打って変わって、どこかユーモラスで好色そうな(従来の橋爪さんのイメージに近い)老作家・小中を演じている。

松たか子は彼の姪という設定。

オレたちひょうきん族」で「師ぃ匠~!」と石井社長のモノマネをしていたラサール石井が玩具会社の社長を演じている。

時子の夫でこの玩具会社の常務・平井を演じる片岡孝太郎がちょっと戦前の小津映画の斎藤達雄っぽかったりして、そのいかにも当時の日本映画に出てくる口ひげ生やしたサラリーマンのお父さんのような風情が、あぁ、あの時代の山の手の家父長ってこんな感じだったんだろうな、と思わせる。




いわゆる厳格な夫・父親、というのではなくて、インテリで見た目もちょっと貧弱な「お父ちゃま」。

あくまでも「映画」の中のイメージですが。

この人は実に「お人好し」というかなんというか、会社の部下である板倉(吉岡秀隆)を家に頻繁に出入りさせて、結果的に妻の「不貞」を招くきっかけを作る。

南京陥落」に無邪気に喜び、東京オリンピックで日本の景気はますます好くなるぞ、とノーテンキに構えて、近衛さんに任せておけば大丈夫、まさか日本はアメリカと戦争はしないだろう、とタカをくくる、あの時代の平均的な日本の成人男子たちの代表のような人物。

ちなみに、元総理大臣で先だって東京都知事選に立候補して敗れた細川護煕は、映画の中で何度も名前が挙がるこの近衛文麿の孫。

映画の中で平井たちに「近衛さんなら大丈夫」と言われていた近衛文麿は軍部を抑えることができず、結局日本はアメリカとの戦争に突入していく。

この平井氏の発する言葉、態度の一つ一つがあまりに善良で屈託がなく、そして愚かなのが哀しい。

積極的に“お国”のために命を捨てるべし、と考えているわけではないが(召集令状を受け取った板倉に向けた言葉からもわかる)、それでも国家のために身を尽くすのは日本男児、大人の男として当たり前と考える、明治以来の教えに忠実な多くの国民の一人である。

この平井氏の実の息子である恭一(老年期を演じるのは米倉斉加年)は、のちに「気づかずに戦争に加担していた者」について健史の前で語る。

その中には恭一の父も入っている。

平井だけでなく、彼の会社の社長や他の社員たちも同じように自分たちの国や政治家たちを疑うこともなく、素直に命じられたことに従っていた。

彼らは“悪人”ではなく、平凡な小市民だった。

劇中に「頭がいい人が想像力があるとは限らない」という台詞があるように、いい学校を出ていい会社に勤めている高給取りが、必ずしも“想像力”が働く人間とは限らない。

“頭がいい”はずの政府の人間たちは、日本を戦争へと導いていった。

当初『東京家族』の滋子役(中嶋朋子が演じた)に予定されていたが出演が叶わなかった室井滋が、時子の姉役を務めている。

時折平井家にやってきては妹の時子に小言めいたことを言い残していくこの姉は、あの当時の“国防婦人”を象徴するような女性であり、やはりみずからの言動に何一つ疑問を持っていない。

子どもは幼いうちからいい学校に入れなければならない。

非常時に男女がカフェで同席しているなどもってのほか。

ぜいたくは敵だ。

『母べえ』でも描かれたこのような「自分たちはお国のために正しいことをしているのだ、と信じきっている市井の人々」の姿はとてもリアルで、そして現代を生きる僕たちにさまざまなことを教えてくれる。

あの人々の姿は、僕たちの写し絵として描かれている。

彼らと比べた時、松たか子演じる時子の奥様ぶりがいっそう際立つのだが、現代の感覚からすれば彼女の欲求はなんらおかしなことではない。

といっても時子は板倉と浮気していたわけだから、なんの問題もないとは言えないが。

この二人が意気投合するきっかけとなるのが、1937年公開のディアナ・ダービン主演の映画『オーケストラの少女』。

時子と板倉は蓄音機でレコードを聴きながら、『オーケストラの少女』の劇中に登場する名指揮者ストコフスキーのノンタクトによる指揮の話題で盛り上がる。

平井は板倉に見合いを承諾するよう時子に説得させるが、板倉は「まだ早い」と言って突っぱねる。

夏の暑い時分に、時子が板倉にカルピスを入れる場面がある。

ジブリの『火垂るの墓』の回想シーンで、主人公の清太を母親が海の家から「カルピスも冷えてるよ~」と呼んでいたのを思いだす。

あの時代からカルピスってあったのね。

おかげでなんとなく、あの当時いいとこの家ではカルピス飲んでたんだな、というイメージがある。

タキは時子が板倉の下宿で越えてはならない一線を越えたことを、帰宅時に時子の着物の帯締めが逆になっていたことで感づく。

その後、時子は板倉の部屋に出向く際には洋装になった。

未婚の男女ならばともかく、姦通罪(女性側だけに適用)なんて言葉も出てくるぐらいだから、時子の姉が妹と板倉の“デート”を見咎めるのも時代的には致し方ないのかもしれない。

時子の浮気を知ったタキのうろたえ方が尋常ではないので観ていてちょっと引いてしまうのだが、彼女としては自分もその一員である「幸せな家庭」が崩壊していく恐怖を感じたのだろう。

不貞、というものが今よりもっと問題視された時代だけに、純朴なタキには時子の行為が倫理的に許せなかったとも考えられる。

それにしても、あんな物音が筒抜けの下宿でよくヤるよなぁ、満男…じゃなくて吉岡秀隆も^_^;お相手が松たか子なんて羨ましすぎるが。

 


最初、僕は時子と板倉はあくまでもプラトニックな関係で、そこにタキも交えた三角関係が形成されるんだとばかり思っていたので、この二人が互いの立場を踏み越えて思いっきり肉体関係を持ってしまったことにちょっと驚いたんですが。

吉岡秀隆は相変わらずフニャフニャした喋り方で、映画を観ながら最初は「この人、ほんとは40代も半ばなのにいまだに20代の役とか、どうよ」と思っていたんだけど、でもいかにもひ弱で頼りない彼が演じる板倉のような男こそ、山田洋次は思い入れをこめるのだろう。

なんだかんだいって内田有紀と結婚してたぐらいだから、意外とモテるのかもしれないし。

「最近イライラする」と、ひと頃のいとうあさこみたいなことを言っていた時子の抱えていた欲求不満とはなんだったのか。

僕は、それこそがこの映画で山田洋次が何度もクドいぐらいに繰り返し言及した「易しい言葉で勇ましく唱える奴らがのさばる嫌な時代」への反発なのではないか、と思う。

不倫を激賞しているのではないことは確かだろうw

板倉は社長以下社員たちが勇ましい話で盛り上がっている中、時子の幼い息子・恭一の部屋に避難してきて「戦争の話は苦手で…」と呟くような、かつては建築家を目指していた芸術家肌の男であった。

時子もまた「男って嫌ねぇ。正月早々仕事か戦争の話ばかり。他に話題がないのかしら」と一見世事に疎いセレブの奥様めいたことを言ったりするのだが、それこそが山田洋次の本音なのだろう。

国家が一家族の色恋沙汰にいちいち介入してくるような世相こそが、戦争の時代を知っている山田洋次がもっとも憎むものに違いない。

タキはなぜ生涯独身を貫いたのか。

僕は途中までは、彼女が板倉に恋していたからなんだろうと思っていたのだけれど、どうも確信が持てなくなってきた。

タキは姉のような時子を肉親同様に誰よりも愛していたのだし、だからこそ、時子が出征前の板倉に会いたがった時に止めて、時子がタキに託した手紙を板倉に渡さなかったことをずっと悔いていた。

人妻である時子が板倉と結ばれることはありえないし許されないが、それでも戦地で命を落とすかもしれない板倉と最後の逢瀬を果たしたかった時子の気持ちをタキは我が事のように察していたのだ。

あるいは、タキは奔放にも見える時子に自分を投影していたのかもしれない。

※追記:その後、TV放映で何度か観たが、タキは板倉のことをどうこうではなく純粋に時子のことを愛していたのだろうと思う。

 


年老いたタキは、板倉が戦後に描いたあの「赤い屋根の家」の絵を持っていた。

それはなぜなのか。

僕は、この映画は古典的な悲恋の物語であると同時に、登場人物の関係性に萌えられる人たちにはけっこうクる作品だと思うんですけど。

吉岡秀隆にどれだけの人がピンとくるのかはわかりませんが。

心なしか、吉岡秀隆の髪型が山田洋次と似てるのは偶然でしょうかw




ところで、映画を観る前はもしかしたら若い頃のタキ役は前作、前々作に出演していた蒼井優が髪の毛を切っちゃったので代わりに黒木華にしたのではないか、などと失礼なことを考えていたんだけれど、黒木さんも舞台で注目された人だし、この抜擢は彼女自身の実力によるものだということは映画を観てみてよくわかりました。

 


彼女の素朴で実直な女性、という役柄が松たか子のモダンな若奥様演技と対比されていて、とても効果を上げていた。

勝手なこと言って申し訳ないですが、おそらく今現在、蒼井優がタキを演じてたらこれほど自然には見えなかっただろうと思う。

この映画の中で時子がエロスを発散しているのはもちろんだけど、与えられた部屋で団扇をあおぎながら寝そべっているタキちゃんに、ちょっとムラッとキました(^ε^)

でも「クラシックな顔立ち」が起用の決め手、というのは微妙な言い回しだな。褒めてんのかそれはσ(^_^;)

映画の宣伝としては松たか子の名前が全面に出てるけど、主人公は黒木さんと倍賞さんが演じるタキさんです。

細かいことですが、老齢のタキさんが亡くなったのがいつなのかはわからないけれど、最近なんだったら彼女は90歳も半ばを過ぎてたはずで(彼女が奉公に出たのが1930年代だから)、『ハウルの動く城』に続いてまたしても倍賞千恵子は90歳の老婆を演じることになったわけだ。

そういえば『ハウル』は今からちょうど10年前の作品。倍賞さんは当時まだ62歳でした。

この映画のテーマ曲の旋律がちょっと『ハウル』のそれを思わせたのは偶然でしょうかね(作曲は同じ久石譲。しかし昨年のジブリ映画2本といい、フル稼働だなぁ久石さん)。

現在72歳の倍賞千恵子(吉行和子の方が数歳年上)に100歳近いおばあちゃんを演じさせるのはなかなか残酷だと思うんだけど、見た目はだいぶ違和感がなくなってきてるのがさらに寂しかったりもして。

劇中では「私は美人じゃなかった」とか言ってるけど(『ハウル』でも同じことを言っていた)、若い頃の倍賞さんは黒木メイサばりにシュッとした美人だったんですけどね。

 


今でも初期の『男はつらいよ』観るたびに僕は萌えまくってますが。ミニスカとか穿いちゃってさ!w

そもそも美人じゃなければSKDには入ってないだろうし。

それに見た目は加齢やメイクの力も借りてそれっぽくても、やっぱり“声”が歌手や女優さんのそれなんですよね。タキは田舎出(山形の皆さんゴメンナサイ)で学校教育も十分に受けていないという設定だけど、そういうふうには見えないし。

彼女の若い頃を演じる黒木華は、なんとなく小劇団とかにいそうな女の子でリアルでしたがw


妻夫木君は、前作『東京家族』でも高齢の両親に優しく接する息子役だったけど、かつての吉岡秀隆や永瀬正敏に代わって2010年代の山田洋次作品の“満男”的若者として監督に気に入られたんだろうか。




若者っつっても、かつてはプールで男子シンクロナイズドスイミングやってた妻夫木聡ももう30代なんですが。

80代のおじいちゃんにとっては、30代も40代もまだまだただの若造なんだろうけど。

前作での母親役の吉行和子との会話は無理があったけど(祖母と孫にしか見えなかった)、今回の健史役は、やっぱり「今の若者はこんなこと言わねーよ」というところもなくはないものの、だいぶ違和感も少なくなっていた。

世の中のおばあちゃんたちにしてみれば、あんな孫がいたらいいな、っていう感じで。

終盤にいきなり出てくる健史のカノジョ・ユキ(木村文乃)は、タキと健史の会話の中で出てきたものの、せっかくなら生きているうちにタキばあちゃんと会わせてあげてもよかったんじゃないかな(※すみません、1度だけアパートで二人が顔を合わせる場面がありました)。

健史とタキのアパートを訪ねて、一緒にトンカツ作るとか。

健史とユキが板倉の絵画展に行ったり老齢の平井恭一に会いに行く終盤は、あの「赤い屋根の可愛らしい家」に住んでいた人々の時代と現代がリンクする大切な場面なのだから。




号泣するような類いの映画ではないんだけど、僕はちょっとこの映画じわじわときたんですよね。

鼻すすってる年配のかたもいらっしゃいました。

年老いたタキのあの慟哭。ちょっと『ハウル』で倍賞千恵子が「うえぇ~ん…」と声を上げて泣いていたのを思いだした。

お世話になったし、大好きだった時子奥様と旦那様。

彼女が10年以上働き続けたあの赤い家は焼夷弾で焼け、優しかった夫妻は防空壕の中で焼け死んだ。

戦争はタキの大切な存在を、殺される必要などない人たちの命を無残に奪っていった。

タキさんはどうして生涯独身のまま死んでいったのだろう。

幼い時に彼女に世話になった平井恭一がのちに語ったように、誰も彼女のことを責めてなどいない。もういいんだ。

なのに彼女は孤独な生活を選んだ。

それはもしかしたら、二度と大切な存在を失いたくない、と思ったからなのかもしれない。

原作小説を読んでないくせに勝手な憶測で書いているので心許ないんですが、どうやら原作ではタキさんは亡くなっていなくて、それどころかその文才を認められていくつもの著書がある、ということらしい。

それを映画では独りアパートでうずくまったまま亡くなり、妻夫木聡演じる健史から「なぜ彼女はもっと幸せな人生を送れなかったのか」と涙を流されるまでの存在に改変されているのは、どういうことなのだろう。

僕にはこの“タキ”という名もなき女性は、歴史の中で摘み取られていった多くの尊い命たちの、まさしく象徴のように思えたのです。

勇ましくお国のために散っていった兵士たちを称揚することよりも、そのような人たちを今後は1人として出さないために本当に守るべきことは何なのか、それを考える方がよっぽど意義がある。

両親に愛され赤い家で幸せに暮らしていたはずの恭一は、やがてその愛する家族を失い多くの痛みを抱えながら戦後を生きていくことになる。

タキもまた、その悲しみを生涯忘れることはなかった。

これは、ある一家のたわいない“よろめきドラマ”である。

しかしその根底に流れているのは、人々の“かけがえのない人生”を奪ったものへの静かな怒りと現代への警鐘でした。


※米倉斉加年さんのご冥福をお祈りいたします。 14.8.26



関連記事
『四月物語』
『夢売るふたり』
『ラストレター』
『ハンナ・アーレント』
『この世界の片隅に』
『ビブリア古書堂の事件手帖』
『日日是好日』
『リップヴァンウィンクルの花嫁』
『幕が上がる』



小さいおうち [DVD]/松たか子,黒木華,片岡孝太郎

¥4,104
Amazon.co.jp

小さいおうち (文春文庫)/中島 京子

¥570
Amazon.co.jp

ちいさいおうち (岩波の子どもの本)/バージニア・リー・バートン

¥672
Amazon.co.jp

タンク・タンクロー/阪本 牙城

¥3,780
Amazon.co.jp

オーケストラの少女 [DVD]/ディアナ・ダービン,アドルフ・マンジュー,レオポルド・ストコフスキー

¥1,000
Amazon.co.jp



にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ