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マルガレーテ・フォン・トロッタ監督、バルバラ・スコヴァ主演の『ハンナ・アーレント』。ドイツ・ルクセンブルク・フランス映画。2012年作品。



第二次大戦中にナチスの抑留キャンプから脱出して、夫ハインリヒ(アクセル・ミルベルク)とニューヨークに住み大学で教鞭をとるドイツ系ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントは、1961年、イスラエルに赴きナチス戦犯のアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴する。そのときのレポートを63年に“ザ・ニューヨーカー”誌に発表するが、そこに書かれた内容が大きな波紋を呼び、彼女は非難を浴びることになる。


Twitterで他のかたのこの映画についてのつぶやきを読んで、早速観てみた予告篇にあった「悪の凡庸さ」という言葉に興味を引かれました。

といっても毎度言い訳するように哲学にはとんと疎いのでアーレントのことは知らなかったし、正直“哲学者”という存在には、わけわからん用語を駆使して延々どーでもいいような抽象的な議論をしている人々、という勝手な偏見を持っていました。

とか言って、僕だって知らずに普段から得意げに哲学用語を使ってるのかもしれませんが。


まず、この映画はどこぞの禁煙協会の人間が観たら全員憤死するんではないかというぐらいに、全篇に渡って主人公ハンナ・アーレントはタバコを吸いまくる。

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彼女だけでなく、夫のハインリヒもそれ以外の人たちも。

アーレントにとって「思考の嵐」を呼ぶためにはタバコは不可欠のようだ。

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ハンナ・アーレントと夫のハインリヒ・ブリュッヒャー

思索してないときでもバカバカ吸ってますが。


この映画で描かれるのは、第二次世界大戦時に多くのユダヤ人を強制収容所に送り込んで、結果的に600万人もの人々を死に至らしめたナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンを裁く「アイヒマン裁判」についてハンナ・アーレントが書いた裁判の傍聴レポートが巻き起こした騒動である。

イスラエルからアメリカに帰ったアーレントは、大学の講義でヒトラーのような「根源悪」について述べる。

「根源悪」とは、人間を無用の存在にしてしまうこと。

強制収容所とは、そこで行なわれることに何一つ意味を持たせない「無意味が生まれる所」である。

ヒトラー率いるナチスとは人間を「無意味」にしてしまう根源悪であった。

その講義で「先生も強制収容所に?」という学生の質問に、彼女は自分がフランスの抑留キャンプにいたことを話す。

「フランスは味方ではなかったのですか?」というさらなる問いに、アーレントはナチスドイツによって1940年に占領されたフランスで、フランス政府によってユダヤ人の強制収容所への移送が行なわれたことを教える。

これらは後半への重要な伏線になっている。

アーレントは最初の見た目の印象はつねにタバコを片手に持った理屈っぽくてちょっとめんどくさそうなおばちゃん、といった感じだが、実際にはいつも夫とイチャイチャしてたり友人たちと軽口を叩き合ったりしている明るくてユーモアもある女性で、ギスギスした冷たい人物ではない。

アーレントの人間らしさをあえて強調しているように見えるのは、後半で彼女が家族同然の人物から「冷酷」と呼ばれるからだ。

観客には彼女はそんなふうには見えない。

しかし、自分の意見を理路整然と述べ、無意味な中傷は無視してけっして迎合しない女性というのは、1960年代当時、あるいは現在だってある種の色眼鏡で見られがちである。

映画の後半でアーレントに送られてきた抗議の手紙が、彼女が著したレポートの内容にはまったくふれず、ただひたすら彼女への誹謗中傷に終始するのを観ていると、バカというのは時代や国境を越えて存在するんだなぁ、とつくづく思い知らされる。

なぜ彼女は非難されたのか。

それは、ナチスの戦犯を「平凡な人」と表現したから。

そしてさらには、ホロコーストの被害者であるユダヤ人の指導者たちの中にはナチスの協力者がいたことを暴露したから。

彼らが違う選択をしていたら、多くの同胞は殺されずに済んだかもしれない。

アーレントはその事実を述べただけだが、「アイヒマンの擁護者」というレッテルを貼られて、彼女にとっても大切な地であるイスラエルの友人クルト・ブルーメンフェルトからは絶縁されてしまう。

「ナチ=絶対悪」として糾弾するのが当然。また同胞をナチスの手先よばわりすることは民族を裏切る行為、と考える人々にとっては許しがたいことなのだった。

まだ記事のすべてを掲載していないにもかかわらず、彼女への誹謗中傷の電話や手紙が相次ぎ、教授を務める大学はアーレントに辞職を勧告する。

今でいえば「大炎上」だ。

しかも身内であるはずの大学の同僚やザ・ニューヨーカーの執筆者たちまでもが彼女に食ってかかり、失望の表情を見せ、ある者は去っていく。

その中にはろくに彼女の記事を読んでもいないくせに批判している者もいる。

「ナチのクソ女」「覚悟しとけ」などと書かれた脅迫状も送られてくる。

僕たちの国でも似たようことやってるおバカさんたちいますよね。

アーレントは言う。「みんな“過ちを認めろ”と迫るけど、何が過ちなのか言えないのよ」。

「ユダヤ人への非難だ」という言葉には「非難など一度もしていません」と答える。

ユダヤ人指導者がアイヒマンの仕事に関与していたことは裁判で発覚した事実だ。

フランス人の中にもナチの協力者たちはいた。

アーレントは味方であるはずのフランス人たちによって収容所へ送られそうになったのだ。


そしてアーレントは、「私はアイヒマンを擁護などしていない」ときっぱり言う。

「理解しようとすることと、許しは別です」。

事実、彼女はアイヒマンの処刑には賛成している。

またアーレントは、家族同然だったがアイヒマン裁判のレポートの件で彼女を責めて「イスラエルへの愛は?同胞に愛はないのか?」と尋ねるクルトに「一つの民族を愛したことはない。私が愛すのは友人。それが唯一の愛情」と言う。

それは彼女がイスラエルを愛していないということにはならない。

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僕はアーレントのこの言葉にある強い意志を感じたし、一方で「国」や「民族」という括りですべての人間が動くことの危うさを感じました。

国や民族は家族と同様、人のアイデンティティに深くかかわる重要な要素だが、冷静な判断や分析、考察といったものが欠けてしまうとたやすく暴走してしまう。


ところで、「悪の凡庸さ、陳腐さ」というのは、もしかしたら西洋的な「絶対悪=悪魔」というものに馴染みが薄い日本人の方がヨーロッパやアメリカの人々よりも理解しやすいのではないだろうか。

もっとも、逆に日本人は「どんな悪行三昧だった人間も死んだら仏さんになる」という考えがあるから、おかげで海外の人々と齟齬をきたしたりするわけですが。

「死んだら全部水に流す」という日本式の考えは、実はけっこう特殊なようだ。

たしかに歴史上にはヒトラーのような根源的な悪が存在するが、多くはつまらなくて底の浅い凡人である。

しかしその凡人が600万人もの人々を絶滅収容所送りにした。

メフィストのような悪魔的な人物ではなく、どこにでもいる人間、つまり私たちのような者が考えることをやめて「思考停止」の状態になったとき、悪は為される。

そこにはそもそも相手に対する憎悪すらなく、自分の行為がどのような結果をもたらすのかという想像力が決定的に欠けた人間がいるだけだ。

アイヒマンはヒトラーのような怪物ではなく、ただの役人だった。

ユダヤ人にはなんの恨みも憎しみもない。

彼がみずからの手で直接ユダヤ人を殺したのではない。

ただ上司から命令されたから、それに従って事務的に処理しただけだ。

法律に従っただけ。

その選択がどういうことを意味するのか、その結果どうなるか、彼には関心がなかった。

その「ただの役人」は考えることをやめたと同時に、自分で「人間であること」をやめたのだ。

自分の頭で考えるのをやめて歯車の一つになったとき、人はときに居心地のよさを感じる。

楽だから。

ナチスに加担した人々は、その後どのように自分に折り合いをつけたのだろうか。

法律に従っただけ。命令されたから。

そう自分に言い聞かせたのだろうか。

アーレントが主張するのは、自分の頭で考えろ、ということだ。

熟考せず、実際に自分の目で確かめもせず、思い込みや伝聞によってヒステリックに相手を責め立てる。

まさしく今現在、僕たちの国でも頻発していることではないか。

そのヒステリーの矢面に立ったアーレントは、ときに友人の前で泣き崩れることはあってもけっして自分の主張を撤回しない。

なぜなら、考え続けた末に導き出した結論だから。

間違っていないことを撤回する必要などない。


ハッキリ言ってこの映画は地味です。

ナチスのユダヤ人虐殺についての映画でもあるが、残酷な映像は一切ない。

ナチ・マニアやグロ好きはお呼びじゃない。

ほとんどはヘビースモーカーのおばちゃんがタバコ吸って文章書いたり、人と喋ってるだけ。

それでもこの映画の中でされる会話の数々はとても重要である。

人間は機械的、事務的にどんなに残虐なことでもしうるのだということ。


この映画では、裁判の様子は実際の映像が使われている。

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アイヒマン本人の表情や言葉を観客が見聞きすることが重要だからだ。

そして、そこに映っているのは「悪魔」とはあまりに程遠い普通のおっさんだった。

しかし、彼が発する言葉を聴いているだけで背筋に薄ら寒いものが走る。

少しでも想像力がある人間ならそうだろう。

考えることをやめると、誰もが彼のように怪物以上の残虐な行為をやってのけられる。

「法律がそうなんだから従うのは当たり前」などと言ってる人々は、今後その発言に責任を負う覚悟があるんだろうな?

そういう奴らには、法律を「疑う」という発想がないのだ。バカだから。

アーレントの夫ハインリヒの台詞。「法律なんて、すぐ逆手に取られるものさ。“汝、殺すなかれ”が“汝、殺せ”になった。義務の遂行が良心より優先されたんだ」。

ヒトラーがどんなにチョビ髭を震わせて命令しても、誰もそれに従わなければユダヤ人虐殺は行なわれなかった。

この映画は、「自分でものを考えることを放棄した人間はもはや人間ではない」と言っている。

人間でない者には国のまつりごとにはかかわらないでもらいたい。

さも当然のように「空気読めよ!」という言葉を発する人間が大勢いるこの国で、自分の頭で考えてそれを発言することの大切さを今ほど痛感するときはない。


ちなみに、ナチスに入党したかつての師ハイデガーを軽蔑し、アーレントのレポート記事に憤慨する友人のハンス・ヨナスを演じるウルリッヒ・ノエテンは、『ヒトラー~最期の12日間~』ではナチス親衛隊全国指導者のハインリヒ・ヒムラーを演じていた。

笑ったら悪いけど、あまりに役柄が正反対すぎてちょっと可笑しい。

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ドイツにいた頃アーレントの師で愛人でもあった哲学者マルティン・ハイデガーは、講義で「思考したところで、行動する力が与えられるわけではない」と言っていた。

彼はやがてナチス党員になる。

1951年、ハイデガーと再会したアーレントは彼を問いただす。

ハイデガーは、あの頃の自分は政治に疎かったと弁解する。

アーレントは「なら、なぜ自分の考えを世間に言わないの?」とかつての師に尋ねる。

アーレントは思考し、みずからの考えを言葉に出して人々の前で語った。

それは多くの非難と反発を招いたが、その行動こそが彼女が人間として師を超えた瞬間でもあったのではないか。


僕はこの映画を観て、ハンナ・アーレントという人の勇気、強さ、その峻厳な生き様に打たれました。ヘビースモーカーだけど。

彼女の本の出版を阻止しようとイスラエルからやってきたかつての仲間とのやりとりは実に小気味良い。


ジークフリート「イスラエルでは出版不可能だ。あなたに良識があれば本は出さないはず」

アーレント「出版の弾圧?それで良識を語るの?」

ジークフリート「警告しとく」

アーレント「警告?“脅迫”でしょ?」

うーむ、どっかの誰かさんたちに聞かせてやりたい。


クライマックスの彼女の8分間のスピーチ。

実は彼女が言っていることはすべて当たり前のことだ。

何一つ斬新さを感じることはなかった。

しかし、その当たり前のことに抵抗を感じる人間もいる。

僕はハンナ・アーレントを不当に誹謗中傷した者たちのようにはなりたくない。

そしてもちろんアイヒマンのようにも。

今後一生死ぬまで後悔するような過ちをけっして犯したくない。

「日本に住んでて日本の悪口を言う奴は国賊」などとホザいてる輩は、「批判」と「誹謗中傷」の区別がついていないのだ。バカだから。

バカだったらバカであることを自覚してもっと謙虚にして、この国に住む他の人々にこれ以上迷惑かけないように学んでください。そして自分の頭でじっくり考えるように。君たちが得意げにしているどっかの誰かの受け売りは果たして正しいのかどうかと(ドキッ)。

ハンナ・アーレントが語った“思考の嵐”がもたらすのは知識ではなく、善悪を区別する能力、そして美醜を見分ける力であった。


アーレントの講義より。

「世界最大の悪は、平凡な人間が行なう悪なのです。

そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。

人間であることを拒絶した者なのです。

そしてこの現象を、私は“悪の凡庸さ”と名づけました」

平凡な人間である僕たちこそ、この言葉に耳を傾けなければならない。


映画館は年配のかたたちでいっぱいでした。

まぁ、普通は平日の午前中に映画館に来られるのは仕事をリタイヤした人たちだろうけど。

でもここに来ている人たちはみなさんヒマを持て余してたまたま入ったんじゃなくて、ハンナ・アーレントや「アイヒマン裁判」に深い関心があるんだよね。

だからわざわざ小さな単館系の映画館に朝から大勢観にきている。

この作品は、若い人たちにもぜひ観てほしいです。

あなたたちにおおいに関係があることを語っている映画だから。



※劇場パンフレットを参考にさせていただきました。

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