ジェイク・パルトロウ監督、ノアム・オヴァディア(ダヴィッド)、ツァヒ・グラッド(ゼブコ社長)、ヨアブ・レビ(刑務官ハイム)、トム・ハジ(アイヒマンの取調官ミハ)、アミ・スモラチク(板金工ヤネク)、ジョイ・リーガー(ミハと語らう女性)、ロテム・ケイナン(教師)ほか出演の『6月0日 アイヒマンが処刑された日』。2022年作品。

 

ナチス親衛隊中佐としてユダヤ人大量虐殺に関与したアドルフ・アイヒマンは、終戦後ブエノスアイレスに潜伏していたところをイスラエル諜報特務庁(モサド)に捕らえられ、1961年12月に有罪判決を受ける。処刑はイスラエルの「死刑を行使する唯一の時間」の定めに基づき、62年5月31日から6月1日の真夜中に執行されることとなった。宗教的・文化的に火葬の風習がないイスラエルでは、アイヒマンの遺体を焼却するため秘密裏に焼却炉の建設が進められた。その焼却炉を作る工場の人々や、そこで働く13歳の少年、アイヒマンを担当した刑務官、ホロコーストの生存者である警察官らの姿を通し、アイヒマン最期の舞台裏を描き出す。(映画.comより転載)

 

某映画レヴューサイトでこの映画のことを知って、チェックしていました。

 

監督は俳優のグウィネス・パルトロウの弟、ジェイク・パルトロウ。

 

グウィネス・パルトロウの弟さんが映画監督だったことも、彼女にきょうだいがいたことさえ知りませんでしたが、何よりもちょくちょくその言動が批判されもするハリウッドセレブの彼女の身内がこういうタイプの映画を撮るのだということが意外だった。

 

父親のブルース・パルトロウも母親のブライス・ダナーも俳優だし、芸能一家なわけだけど、お父さんのブルース・パルトロウさんはユダヤ系だったんですね。

 

だから、ジェイク・パルトロウ監督にとっては、この映画は自身のルーツとかかわりのある題材ということ。

 

ご本人は、自分にユダヤ人の血が流れているからといってこのような映画を作る義務はないし、作る権利があるとも思っていないが、と前置きしつつも、宗教上の理由から法律で火葬が禁じられている国でそれが行なわれたということに興味を持った、と語っている。

 

なぜならば、アイヒマンの遺体を遺族に引き渡さないためと、ナチ信者たちの聖堂とさせないようにアイヒマンの墓も作らせないためだった。そこで例外的に遺体は焼かれて、遺灰はイスラエル海域外に撒かれた。

 

共同脚本にイスラエル出身の映画監督トム・ショヴァルを迎え、映画の中での言葉はヘブライ語が用いられている。撮影はイスラエルと、一部はウクライナのキーウで行なわれた。

 

映画が始まるとスクリーンのサイズが狭まって、昔の映画のような画質でところどころ画面の下方には小さな糸くずやゴミが映り込んでいて、どうやらフィルム撮影らしいことがわかるんだけど、監督のこだわりでスーパー16ミリフィルムで撮ったんだそうで。

 

おかげで、まるで舞台となった1960年代に撮られた映画のように見える。

 

そういえば、この映画かそれともエドワード・ヤン監督の91年の映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』のリヴァイヴァル上映かどちらを観るかかなり悩んだ末に、今4時間ある映画に耐えられる自信がなかったので2時間ないこちらを選んだんですが、『牯嶺街~』も61年が舞台なんですよね。

 

それぞれ全然別々の国を舞台にした2本の映画の時代設定がほぼ同じ年というのも、そしてどちらも民族や戦争が物語の根底にあるのも偶然ながら面白い。『牯嶺街~』はもう今週の半ばには上映が終わっちゃうので残念ながら今回は観られませんが、またいつか機会があれば体力と相談して挑戦してみたいです。

 

『牯嶺街~』が実話をもとにしていたように、この『6月0日 アイヒマンが処刑された日』もまた監督が取材して得た証言をもとに歴史の裏側の知られざる史実に触れている。

 

ここで何度も問われているのは、「ユダヤ人とは?」「イスラエル人とは?」ということ。

 

ユダヤ人は人種?それとも宗教で判断されているのか?と。

 

 

イスラエル人とは何かを掘り下げる、『6月0日 アイヒマンが処刑された日』

http://www.newsweekjapan.jp/ooba/2023/09/post-117_1.php

 

 

父や弟とともに1年前にリビアからイスラエルに移り住んだ少年・ダヴィッドは、自分はユダヤ人でイスラエル人だ、と言う。彼の父親は戦時中はナチスのユダヤ人収容所に入れられていた。父はヘブライ語をうまく喋れない。

 

 

 

 

ユダヤ人といってもいろんな人々がいて、肌や目、髪の色、言葉もまちまちだし、ナチスはそのような多様性のある人々をまとめて十把一絡げに「ユダヤ人」として迫害した。

 

ユダヤ人の中にもダヴィッドのようなアラブ系の人たちもいて、ヨーロッパ系の人々とは経済的に格差がある。

 

ナチスによるアウシュヴィッツ強制収容所へのユダヤ人移送を指揮したアドルフ・アイヒマンの処刑を当然のこととして受け止めている学校の教師に対して、ダヴィッドがどこか他人事のような態度をとっていたのは、彼は同じユダヤ人でもアラブ系ということで差別を受けてきたからで、それは「ユダヤ人」といえば東欧やドイツなどのヨーロッパ系の人々ばかりが中心になって語られがちなことへの、パルトロウ監督の抱いた疑問からだろうか。ダヴィッドは実在の人物がモデルだということですが。

 

この映画がユニークなのは、ナチス戦犯のアドルフ・アイヒマンの処刑と彼の遺体の火葬をめぐってさまざまな立場にいる「ユダヤ人」たちの視点が描かれること。

 

主人公はダヴィッドだと思って観ていたら、今度は彼の雇い主のゼブコに焼却炉を作ることを頼みにくる刑務官のハイムの視点に替わり、刑務所に収監されているアイヒマンと一気に距離が近くなる(劇中では、アイヒマンは獄中でショパンの“別れの曲”のレコードを聴いている)。

 

 

 

ホロコーストの生還者や犠牲者の遺族からの復讐を防いでアイヒマンの処刑を滞りなく遂行するために気を張り続けなければならない、ある意味非常に奇妙な立場のハイムは、アイヒマン裁判で取調官を務めたミハを称える。

 

やがて今度はそのミハの視点で話が続く。

 

ポーランドの強制収容所で肉親を殺されたミハはなんとか生き延びてイスラエルに入国しようとしたが、彼の壮絶な経験は入管の審査官から「作り話」と本気にされず、そのために彼は長らくホロコーストについて口をつぐんできた。

 

やがて、かつてのユダヤ人ゲットーがアメリカ人のツアー旅行の観光地にされることになり、彼はそこで観光客相手に自分のホロコーストの体験を語ることを求められる。

 

あなたを見世物にしようとしている、と企画に反対する女性に、ミハはむしろ自分の言葉を歴史に記録するためにあえてそのような立場を選択したことを告げる。

 

 

 

かつて収容所でドイツ兵に、将校が足を滑らせないように砂を撒くよう命じられたミハだったが、それは砂ではなく、殺されたユダヤ人たちの遺体を燃やした灰だった。たった1人の人の灰はわずかでも、おびただしい数の犠牲者たちを燃やした灰の量は膨大だった。

 

ナチスの蛮行は、この映画の中ではすべてミハの台詞、長廻しの場面でのみ語られる。

 

それはスティーヴン・スピルバーグが『シンドラーのリスト』(1993) で行なったのとは正反対のアプローチで、だからこの映画は『SHOAH ショア』(1985年作品。日本公開97年)のクロード・ランズマン監督に捧げられている。

 

腕に収容所の囚人番号の刺青が入った板金工のヤネクがアイヒマンの遺体を焼き、焼け残った頭蓋骨を焼却炉用の灰かき棒で砕く。そしてかつてナチによって同胞たちの遺灰を撒かされたミハが、今度はアイヒマンの遺灰を海に撒く。

 

 

 

苦労して作り上げた焼却炉がうまく機能したことをヤネクに確認したダヴィッドは歓喜の声をあげる。そのあまりに無邪気な歓声からは、一人の人間が処刑されて、その死体が自分たちが作った装置(その小型焼却炉の設計図は、ナチスの収容所の焼却炉を作ったドイツの会社のものだった)で焼かれたことも、その背後にある大量殺戮にまつわる言葉にならない恐怖や悲しみもうかがえず、ただ仲間たちと仕事をやり遂げた満足感があるだけ。

 

そんなダヴィッドを社長のゼブコはあっさり解雇する。

 

その理由が彼が語ったように「ちゃんと学校を出て就職しろ」ということだったのか、ただダヴィッドが用済みになっただけなのかはわからないが、まるでこの事実そのものを歴史から葬り去ろうとでもするかのように、ダヴィッドのやり遂げたことは忘れられて、その証拠も失われる。

 

ラストの現代の場面で、老いたダヴィッドはかつて自分が母国の歴史の一部にかかわったことを訴えるが、「証拠がない」として却下され、焼却炉にまつわるエピソードや彼の名をWikipediaに載せることも許可されなかった。

 

これは同胞が虐殺された記憶についての話であると同時に、人のアイデンティティについての映画でもあるんだろう。歴史の中で、私は何者であったのだろうか、という問い。

 

ダヴィッドは映画の冒頭で弟と一緒に金の懐中時計を盗むが、それは真鍮製だった。その後、彼は鉄工所の社長室に飾ってあったゼブコの金時計を盗む。

 

 

 

ゼブコはダヴィッドを引き倒して彼の盗み聞きや泥棒を責めるが、ゼブコの金時計もまた英国軍兵士の遺体から掠め盗ったものだった。この金時計が意味するものはなんだろうか。

 

ダヴィッドが通う学校の同じ教室の少年が読んでいたタブロイド紙ではアイヒマンの処刑が報じられて、発行日は「6月0日」とされていた。アイヒマンの処刑日が注目すべき記念日になることを避けるためだったが、それがかえって印象に残ることになった、とパルトロウ監督は語る。

 

 

 

先日観た『福田村事件』でも強く感じたことだけど、虐殺の記憶を風化させてはならないし(ましてや「なかったこと」になどしていいわけがない)、さらにはナチス戦犯の処刑やその後の処理にかかわった一人ひとりにもそれぞれの人生があったことを知り、想像し、殺された人々にだってそれまでの人生や未来の可能性があったことを忘れない、そういうことに繋げていかなければならない。

 

この映画自体がミハの体験談と同じ役割を果たすのだ、とパルトロウ監督は考えているのだろう。

 

イスラエルという国に対しては正直反感もあるし、国や民族としてのその主張がすべて正しいとも思いませんが、この映画でのアラブ系の少年・ダヴィッドの存在は、映画の作り手たちにもどこかそういう意識があるのだろうことをうかがわせました。ダヴィッドにはいろんな象徴が込められている。差別はナチス以外やユダヤ人の内にもあるということ。

 

私たちは被害者や犠牲者となる可能性とともに、“加害者”「アドルフ・アイヒマン」になる危険を常に孕んでいる。

 

仕事を得たくて頑張っていたダヴィッドが、事の重大さをちゃんと理解しないまま「焼却炉」の製造に夢中になっている姿は、どこか空恐ろしいものがあった。

 

互いに異なるものを持っていても、「人の死」や「人の痛み」を他人事だと思わないこと。それは私たちがけっして失くしてはならない、人と機械とを分かつ「心」なのだと思う。

 

 

 

関連記事

『ハンナ・アーレント』

『関心領域』

『顔のないヒトラーたち』

『否定と肯定』

『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』

『判決、ふたつの希望』

 

↑もう一つのブログでも映画の感想等を書いています♪

 

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ