ミック・ジャクソン監督、レイチェル・ワイズ、トム・ウィルキンソン、ティモシー・スポール、アンドリュー・スコット、ジャック・ロウデン、カレン・ピストリウス、ニキ・アムカ=バード、ハリエット・ウォルター出演の『否定と肯定』。

 

原作はデボラ・E・リップシュタットの著書「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」。

 

1996年、エモリー大学の教授でホロコースト研究家のデボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)は、ナチスのユダヤ人大量虐殺=ホロコーストを否定する自称・歴史学者デヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)を著書の中で批判したためにイギリスで彼に名誉毀損訴訟を起こされる。イギリスの法律では被告側に立証責任があるため、デボラたちはアーヴィングのホロコースト否定論を覆す必要に迫られる。

 

ストーリーの内容について述べています。これからご覧になるかたはご注意ください。

 

 

実話(アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件)を基にした映画。

 

映画サイトでこの映画の存在を知って題材に興味を持ったのと、お馴染み映画評論家の町山智浩さんの解説を聴いて公開を心待ちにしていました。

 

実際に観たらわかるけど、現在の日本にも深くかかわりのあることを扱っているので。

 

主人公デボラと裁判で争うことになるデヴィッド・アーヴィングがホロコーストの生存者の女性の腕に彫られた認識番号の刺青を「これでいくら稼いだんでしょうか」と嘲笑する場面があるが、同じようなことを旧日本軍の元従軍慰安婦の女性たちに向かって言っている人間たちがいることを僕たちは知っている。

 

 

 

 

彼らとアーヴィングの主張や証言者たちへの侮辱、中傷のしかたのなんとよく似ていることだろう。

 

つまり、彼らは同類なのだ。だから僕たち日本人はこの映画を観る必要が大いにある。

 

ちなみに日本の宣伝では「ホロコーストは真実か虚構か」というキャッチコピーが書かれていたりするけれど、これはほんとは「ホロコーストが本当にあったのかどうか」を決める裁判ではなくて、「ホロコーストはなかった、と主張する者を批判したら罪になるのか?」ということが争われていたはずなんですよね。

 

デボラの「プレスリーは死んでいます」というジョークは、「アポロ11号は月面着陸に成功した」のと同様に、もはや議論の余地などない“事実”までも「嘘」「捏造」と言い張る者たちをまともに相手にしてはならないことを指している。

 

そもそもデボラはそういう愚論を弄ぶ者に訴えられた側なのだ。

 

 

 

 

邦題は「否定と肯定」という、まるでアーヴィングのホロコースト否定論が「両論併記」の片方、議論する意義と価値のある「見解」であるかのように同列に並べられているが、この映画はまさしくそういう“まやかし”を暴く(原題は“DENIAL(否定、否認)”)。

 

『否定と肯定』 歴史を否定する人と同じ土俵に乗ってはいけない

 

 

ホロコーストがあったことは歴史的事実(これまでにも散々議論され証拠も証言も数多くある)なのに、それを否定する者たちの意図的な歪曲と虚偽、その根底にある反ユダヤ主義や人種差別を訴えられた側が証明しなければならないという不条理。

 

問題なのは、あったことを「なかった」と言う者たちにある、ということ。その狙いを知ることが重要。

 

映画の冒頭でデボラは生徒たちの前で「否定論者になる理由はなんであれ、隠された意図があります」と言うが、ここでの“隠された意図”とはもちろん彼らの中に巣食っている差別意識に他ならない。

 

アーヴィングは自分の幼い娘に向かって人種差別的な歌を唄い、日記にも同様の記述を残していた。

 

普段の生活の中やインターネットで差別的な発言や文章を垂れ流している連中は、果たして人間として信用に足るだろうか。

 

「思想信条の自由」「言論の自由」を利用して人を貶めたり差別する権利が許されるのか。

 

この映画で描かれていることは他人事どころか、今現在僕たちを取り巻いている切実な問題だ。

 

劇場パンフレットによれば、劇中の法廷でのやりとりは実際に行なわれたものを忠実に再現しているそうです。デボラの講演会にアーヴィングが現われて彼女にカラみ、札束を出して「ヒトラーがユダヤ人殺害を命じたと証明できる者には、この1000ドルをやる」と発言したのも事実とのこと。

 

派手なパフォーマンスで人目を引いて、無理筋な主張を“ノリ”と強気な態度でゴリ押しする。「ポスト・トゥルース」「フェイク・ニュース」…ティモシー・スポール演じるアーヴィングの言動はどうしたってドナルド・トランプのそれとダブるし、おそらく作り手も意識していただろうと思う。

 

映画の製作に入った頃にちょうど大統領選があり、プロデューサーと主人公のモデルであるリップシュタット教授たちは、現実とあまりに呼応している作品になっていることに驚いたという。

 

ほんと、標的に対する挑発的な態度や細かいことをつついて相手が返答に窮する様子に「論破した」といった感じで“したり顔”になるところとか、自分の非は一切認めず「ちょっとした間違い」で済まそうとする卑劣さなど、インターネットなどでお馴染みな差別主義者たちの特徴が満載の男。

 

彼のような人間にさらに金と権力を持たせたら、きっとトランプみたいな狂ったピエロが出来上がるんだろう。

 

だからこそ、終盤でトム・ウィルキンソン演じるデボラ側の法廷弁護士リチャード・ランプトンがアーヴィングの穴だらけの“ホロコースト否定論”を「論破」していくくだりは大いに溜飲が下がる。

 

 

 

 

しかし、アーヴィングのような差別主義者は、駆除するのに人間を殺す分量の20倍の濃度のシアン化ツィクロンBが必要なシラミよりもしぶといので、消毒したってけっして根絶することはできない。次から次へと同じような輩が湧いてくる。

 

結局、裁判ではデボラは勝訴したが、アーヴィングは判決自体を“否認”して自説も撤回せず、デボラに謝罪もしなかった。

 

「本人が信念を持って主張したのなら嘘とはいえないのではないか」という、ちょっと耳を疑うようなことを裁判長が口にしたりもする。

 

そんな理由がまかり通るなら、なんだって言いたい放題だと思うんだが。

 

まさに「ポスト・トゥルース」という名の“言ったもん勝ち”状態。確実な事実よりも目立つ嘘の方が持て囃される。

 

信じきっている者や、自分の願望を真実だと思い込もうとしている者の考えを変えさせることは容易ではない。彼らは端から事実など受け入れるつもりがないのだから。

 

それでも、戦わなくてはならない時がある。デボラ・リップシュタットはその必要性を感じたからこそ、あの裁判に臨んだのだった。

 

それは彼女一人のためだけではない、ホロコーストの犠牲になった多くの人々やその遺族たちへの責任も背負っていたということ。

 

この裁判の結果如何では、「ホロコーストはなかった」というアーヴィングの主張がまっとうなものとして後世に記憶されてしまう。

 

この映画を観ていて痛感するのは、「事実を正直に述べれば勝てるわけではない」ということ。

 

“邪悪”な者たちは、事実を捻じ曲げ、正当な主張をする者を貶めにかかる。

 

だからランプトンも事務弁護士のアンソニー・ジュリアス(アンドリュー・スコット)も、ホロコーストの生存者を法廷に立たせない。

 

彼らをアーヴィングと直接対峙させれば証言台やそれ以外でどのような目に遭わされるか、火を見るより明らかだから。

 

感情に流されず、現地調査や文献からの証拠を積み上げてアーヴィングを追い詰めていくランプトンだが、しかしその心の奥には静かな怒りがうかがえる。

 

アーヴィングに対して、またすべてを自分の都合のいいように変形させ嘘を撒き散らす者たちに向かっての「門外漢なら黙っていなさい」というランプトンの言葉をぶつけてやりたい奴らがこの国にも何人もいる。

 

 

 

映画館は年配のお客さんでいっぱいでしたが、この映画はぜひ学生さんや若い人たちにも観てもらいたいです。本当に身につまされることを描いているから。

 

何を信じてどんな考えを持つのかは人の自由。でもそれには責任が伴う。その考えを主張し広めることは誰かを不当に差別したり傷つけることにならないか、よくよく考えてみる必要がある。

 

今こそ、僕たち一人ひとりの判断力が問われているのだ。

 

リップシュタットは語る。「私たちはカメラやスマホや車を買うとき、消費者としての“健康的な疑念”をもって十分に吟味します。情報に対してもそれと同じように向き合わなければならないし、これは特に若い人にとってとても重要だと思います。」

 

まぁ、それは我々中年も、お年寄りだって例外ではないですが。

 

僕が住むこの国でも、公けの場であからさまに差別的な発言をする人々が増えてきた。被害を訴える人々に逆に嘲りや蔑みの言葉を投げつけたりする者たちも目立ってきている。

 

加害者を擁護し、弱い立場にいたり苦しんでいる者を叩いて排斥しようとする。何かが明らかにおかしい。

 

アーヴィングがそうだったように、自分の子どもや孫を可愛がり愛想のいい人物が一方で特定の国々やコミュニティの人々を口汚く罵ったりする。

 

本当に残念だし、それはとても“邪悪”な行為だと思う。

 

その邪悪な行為を支持し自らもそれに加わることは、かつて虐殺を行なった者たちと同じ道を歩むことだということを、僕たちは深く心に刻んでおくべきだろう。

 

 

※トム・ウィルキンソンさんのご冥福をお祈りいたします。23.12.30

 

 

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