岩井俊二監督、福山雅治、松たか子、神木隆之介、広瀬すず、森七菜、庵野秀明、豊川悦司、中山美穂、水越けいこほか出演の『ラストレター』。

 

 

宮城に住む裕里(松たか子)は亡くなった姉の未咲の高校の同窓会へ事情を話すために出向いたところ、姉と間違われて見知らぬ人々の前で挨拶をする羽目に。そこで未咲と同学年だった鏡史郎(福山雅治)と再会する。鏡史郎は高校時代からずっと未咲に好意を抱いていた。鏡史郎とアドレスを交換した裕里は、未咲になりすましたまま彼と手紙のやりとりを始める。裕里の娘・颯香(森七菜)は未咲の法要後、歳が近く仲が良い未咲の娘の鮎美(広瀬すず)のために彼女が住む未咲と裕里の実家にとどまっていた。そこへ未咲の死を知らないまま彼女に宛てた鏡史郎からの手紙が届く。

 

すでに鑑賞済みの映画が何本かありますが、そちらはまだ感想が書けていないのでひとまずこの作品から先に投稿します。

 

 

2016年の『リップヴァンウィンクルの花嫁』から4年ぶりに観る岩井俊二監督の最新作。

 

『リップヴァンウィンクル』は180分という長尺だったので今回もさぞや長いのだろうと思っていたら、上映時間は120分。

 

広瀬すずさんや松たか子さんが出てるらしいということだけ知ってて、それ以外は予備知識もなく予告篇も観ずに劇場へ。

 

『リップヴァンウィンクル』の黒木華もそうだったけど、岩井俊二監督作品に広瀬すずが初出演、というのにちょっと興味をそそられたんですよね。なんかいかにもな組み合わせに思えたから。

 

 

 

 

福山雅治と神木隆之介も初めての出演。

 

松たか子は1998年の『四月物語』以来、22年ぶりの出演。『四月物語』は僕は劇場公開時には観ていないけれど、その後VHSかDVDで視聴しました。あの当時の松さんはちょうど現在の広瀬さんとほぼ同じぐらいの年齢だったんですよね。

 

 

 

以前にも別の記事で書きましたが、僕は岩井俊二監督の作品の熱烈なファンというわけではないけれど、90年代に『Love Letter』や『スワロウテイル』を映画館でリアルタイムで観てTVの短篇ドラマなどもチェックしたり、その後も『花とアリス』とか先ほどの『リップヴァンウィンクルの花嫁』なども好きだし、これまで岩井監督の映画で特別抵抗を覚えるような作品はなかった。だから今回も楽しみにしていたんです。

 

そのことをお断わりしたうえで早速ですが、これから書く感想は岩井俊二監督と彼の作品のファンのかたにはおそらく不快極まりない内容ですので、お読みにならない方がいいと思います。ファンでないかたでさえ良い気分にはならないでしょう。個人への誹謗中傷やネガキャン、と受け取られるかもしれません。

 

これまで僕が好きな作品を撮ってこられた監督さんだし、できれば侮辱するようなことは書きたくないんですが、この映画を観ていて、また観終わって沸々と湧いてきた不快感を文章に残しておきたいので、ここはあえて厳しいことを書かせていただきます。

 

内容についてのネタバレがありますから、まだご覧になっていないかたはご注意ください。

 

 

…端的にいうと、どうかしている映画でした。かなりヤバいのではないかと。

 

ここでいう「ヤバい」とは「超ウマい」というポジティヴな意味ではなくて、「ガチでキモいんですけどマジ無理」という意味です。良い意味はない。ヤバい。

 

 

この映画の“気持ち悪さ”は「キモ~い」などと冗談めかして笑うような類いのものじゃなくて、ほんとに虫唾が走るレヴェルだと思う。

 

ショックだったんですよ。これまでの作品がわりと好きだっただけに。

 

去年、どちらもそれまで好きだった映画監督の新作(『ダンスウィズミー』『カツベン!』)を観て落ち込んだのに続いて、岩井監督よ、あんたもか!と。日本のヴェテラン映画監督さんたちは大丈夫なのか。

 

あの2本に対する不満は単に「面白くなかった」ということなんだけど、この岩井俊二監督の最新作はもっと深刻な問題を抱えている。

 

だってこれ、主人公の男が「美しき乙女たちよ、みんなで俺のことを愛してくれ」って言ってる映画だもの。おっさんの妄想垂れ流しっぱなし。

 

高校時代に好きだった女の子が、その後不幸な結婚をして精神を病み、自殺。その女性の妹や娘が男に「あなたが結婚してくれていれば」と言う。彼女を幸せにできたのは俺だったのに、と。

 

そして、実は妹も彼のことが好きだった。だから彼女は亡くなった姉になり代わって再会した男と手紙のやりとりをする。また、その亡くなった姉そっくりの娘も母の名でその男と手紙を交換をしていて、会ったばかりの彼のことを好ましく思っている。

 

…なんですかね、これは。都合が良過ぎるとか気持ち悪いとかを通り越して、だいぶキてるでしょ。

 

ハーレム願望か。エロゲーですか。

 

広瀬すずの顔をした母娘が揃って主人公を愛してくれる、という妄想。

 

しかも、かつて『四月物語』でヒロインを務めた松たか子が40代になった今も福山雅治の顔をした主人公のことを想い続けている、ってことになっている。

 

これ、女優さんたちはどう感じながら演じていたんだろう。気持ち悪くなかったんだろうか。

 

松たか子演じる裕里は、福山雅治演じる鏡史郎が自分に言い寄ってくるのを「おばさんをからかったりして」とか「ただの主婦」などと、やたらと自分を卑下するようなことを言う。これも地味に不快だった。岩井監督が松さんのことをそう思ってる、ということでもあるのだから。

 

松たか子さんは実際にご結婚されて子どもさんもいらっしゃるけれど、この映画の中では高校生の娘がいる母親というよりもまるで姉のように見えるし、そんな彼女を無理やり「おばさん」扱いするのが腹立たしかった。

 

裕里の夫の漫画家を庵野秀明が演じてるけど、某ロボットアニメの気持ち悪さと通底するものがあるこの映画に庵野さんをキャスティングしたのはあえてだろうし、もう開き直ってるんですよね。

 

 

 

 

この夫が、裕里が鏡史郎と浮気してるんじゃないかと疑って声を荒らげる場面も、庵野さんの棒台詞のおかげでコミカルに見えててまるで現実味がない。だいたい、家庭がある女性が高校時代の憧れの先輩と今さら文通とかしようとしますかね?裕里の行動がいちいち意味がわかんない。ってゆーか、この人は暇なのか?

 

中盤に豊川悦司演じる未咲の元DV夫が鏡史郎に「お前は未咲になんの影響も与えていない」と言って嘲笑する場面があるけど、このDV夫もまた岩井俊二の分身なんだろう。

 

自分の分身である主人公をもう一人の自分に嘲笑わせて客観視したつもりなのだ。

 

中山美穂がこのDV男の現在の妻役で登場するけど、ここで『Love Letter』の主要キャストのふたりをこのような役柄に起用したことで夢のあとの現実を見せたつもりなのかもしれない。

 

だけど、それもまたナルシシズム=自己愛でしかない。

 

未咲が夫からDVを受けて心のバランスが崩れて自殺した、という顛末は台詞でだらだらと説明されるだけで映像での描写は一切ないので観ていて本当に退屈だったし、無抵抗のまま死んでしまったことになっている未咲にはなんのリアリティも感じられない。どっかから持ってきたようなテンプレの「気の毒な女性像」でしかないので。

 

この映画は岩井監督の原体験が基になっている、みたいなことを言われていて、その「原体験」がどの程度映画に反映されているのか知りませんが、ここでは徹頭徹尾、鏡史郎=岩井俊二のナルシシズムで貫かれていて、要するに「自慰映画」なんだな。主人公のそのナルシシズムが最後に崩壊して彼が“現実”を突きつけられたり、生き方が変化することはない。

 

僕はこの映画観て感動してるおっさんたちは相当病んでると思いますよ。ここでの「病んでる」という表現にも良い意味はまったくないですからね。とにかくキモいだけで。

 

この映画に比べたらトッド・フィリップス監督の『ジョーカー』はよっぽど「正常」な映画だと思う。観客に主人公が「妄想を見ている」ことをちゃんと明示しているから。

 

妄想癖のあるヒロインを描いた『勝手にふるえてろ』でも、松岡茉優演じる主人公は最後には現実と向き合うことになる。

 

でも、この『ラストレター』では主人公は最後まで妄想の中から出ようとはしない。この物語を書いた監督自身がそれを望んでいないから。そしてこの映画に涙している観客も。

 

映画というのはしばしば作り手のナルシシズムやエゴイズムを投影させるものでもあって、ギレルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』だって、庵野さんが主人公の声を担当していた宮崎駿監督の『風立ちぬ』からだって、それはうかがえるわけですが、でも、あれらの作品は「監督のナルシシズム」だけ、ではなかったですからね。『ラストレター』はほぼそれだけで作られている。あとはCMみたいな美しい映像と音楽が付いて。

 

『シェイプ・オブ・ウォーター』はデル・トロのモンスター愛が高じて監督自身が主演のサリー・ホーキンスの姿を借りて疑似的に半魚人とのラヴシーンを演じてみせたヘンタイ映画で、デル・トロは半魚人の方にも自分を投影させていたから、あれは自分で自分に恋をしてエッチまでしちゃうまさしく「自慰映画」でした。だけど、あの映画に「感動した」と言ってる人たちは大勢いる。

 

それは、あの映画が「多様性の重要さ」や「マイノリティ」についても触れていて、ただの自己満足や閉じた世界にこもるだけの作りにはなっていないから。

 

『風立ちぬ』も、宮崎駿の「こんなヒロインに無条件に愛されたい」という願望が込められていたけれど、アニメーションならではのダイナミックな映像や一心不乱に飛行機を作る主人公の静かなる狂気を通して“クリエイター”と呼ばれる人々の「業」を描き出していた。

 

やはりそこに多くの観客が圧倒されて惹かれたんだろうと思う。

 

『ラストレター』でも広瀬すずさんや森七菜さんは可愛くて素敵でしたけどね。

 

でも、そこに彼女たちを愛でている作り手(監督)の視線を常に感じるから気持ち悪い。彼女たちの映画ではなくて、彼女たちを愛でている「おっさん」の映画。そんなもん観たくないわ。

 

この映画でも岩井映画お馴染みのユラユラと微妙に揺らめくキャメラワークが使われているけど、あれはきっと「死者(監督)の視点」なんだろう。誰でもない「透明な存在」としてのキャメラの視線。

 

よく女性アイドルグループが一人称が「ボク」の歌を唄ってるけど、あれって彼女たち自身が主体の歌ではなくて、彼女たちの男性ファンの視点で唄ったものなんですよね。男性ファンはアイドル(女の子)に対する欲望を唄った「自分たち」の歌を聴いて、それを唄ってる女の子たちを応援している。どこまでも自己愛に満ちている。

 

率直に言って異様だし気持ち悪いと思う。

 

『花とアリス』では女の子ふたりが“ボンヤリ男子”を獲り合うような話だったけど、蒼井優と鈴木杏演じる女子同士のやりとりや友情が微笑ましかったし、主役は彼女たちだった。演じている10代の少女たちのアイドル映画でもあったから楽しめたんですよね。

 

『Love Letter』ではナルシスティックな男子生徒が「不在の恋人」だったけど、タイトルも意識的に似せたのだろう今度の『ラストレター』では学校中のマドンナだったひとりの女子生徒が亡くなったことになっている。

 

主人公の「喪失感」を象徴する存在としての「今はもういないあの人」。

 

そこにノスタルジーを感じて「この映画が好き」だという人もいるのだろうけれど、『Love Letter』にも多分に漂っていた作り手=監督のナルシシズムが今回はさらに輪をかけてダダ漏れ状態なので、さすがに鼻白んでしまうんですよね。なんで自分をそんなに女の子たちにモテさせる必要があるのか。

 

高校時代の鏡史郎をちょっと冴えない男子役が得意な神木君が演じてるから一見すると嫌味がないようにも感じられるけど、『桐島、部活やめるってよ』ではクラスの女の子たちから気にも留められず笑われてさえいた少年と違って、『ラストレター』での彼は美人姉妹から想われ、将来は福山雅治になる。ヲタクの願望をそのまま具現化したような主人公なんだよね。

 

女性の観客の「相手が福山雅治なら許せる」という感想を見かけるけど、この映画で彼に自分を投影させて客席で泣いてるおっさんのほとんどはポール・ウォルター・ハウザーみたいなご面相と体型をしてるんでね。僕も見た目は彼に似たおっさんですが、この映画に泣けるおっさんたちの気持ちがほんとにわからない。厚かまし過ぎませんか。

 

お前は絶対に福山雅治でも神木隆之介でもないからな!

 

今、某イケメン俳優が不倫報道でバッシングされてますけど、顔がいいからって人間として誠実だとも限らないですし。まぁ、福山さんや神木君が目の前にいたら目が眩んでしまうのもわからなくはないですが。

 

この物語が、最後に男前の福山雅治がブヨブヨの脂ぎった中年男の正体を現わして、すべてが彼の妄想だった──ここで描かれていたのは出版されることもない自作の小説の内容でした、ってオチだったらとても好きな映画になったでしょうけどね。

 

印象に残ったのは僕は初めて見た森七菜さんで、彼女は台詞廻しもナチュラルでエンドクレジットの歌は広瀬さんが唄ってるのかと思ったら森さんでした。だからこの映画は彼女のアイドル映画としては成立しているかもしれませんね。かつての岩井作品の少女たちのような瑞々しさがあった。

 

広瀬さんはというと、通常運転というか、学校中のマドンナ的存在というのは『ちはやふる』っぽかったり、浴衣で花火は是枝裕和監督の『海街diary』とか、これまで彼女が演じてきた役の断片を切り貼りしたような役柄で、ぶっちゃけそんなに新鮮味はなかったかな。

 

申し訳ないんだけど、優等生の役はあまり向いてない気がした。あと、絶対自殺なんかしなさそう。

 

いや、広瀬さんはやはり是枝監督の『三度目の殺人』では苛酷な境遇の少女を見事に演じていたから、これは脚本と演出の問題だと思う。

 

ここでは少女たちはただひたすら鏡史郎を愛するためだけに存在しているようだ。彼女たちの美しさは「男たち」に眺められるためにある。そこが物足りない。彼女たちの物語が観たい。おっさんの妄想なんてどうでもいいから。

 

『Love Letter』でのプルーストの「失われた時を求めて」も『ラストレター』の夏目漱石も、女の子と仲良くなるための小道具でしかない。岩井監督は小説の中身には興味がないんだろう。

 

森七菜が唄う主題歌の中でも「恋の歌ばかり唄ってた」(作詞は岩井監督)というフレーズがあるように、なんでも「恋」。「恋」のことばかり考えてる。こんな恋がしたかった、と。

 

それが10代や20代ぐらいなら別に構わないでしょうが、岩井監督は還暦間近な人だし、この映画を褒めちぎってる40~50代ぐらいの男性たちは自分の嗜好に疑問を抱くことはないのだろうか。

 

中年男性には中年男性に相応しい「恋愛」があるんじゃないですかね。想い出の中の女子高生に萌えてるとかじゃなくてさ。

 

おっさんたちはそろそろいい加減にしておいた方がいいですよ。自分の顔と心を鏡に映してしっかり現実を見つめるべきじゃないかな。少女たちはあんたらを愛してくれなどしない。目を覚ませ。

 

僕はこの映画を観ていて、かつての(最近はご無沙汰なので)大林宣彦監督の一連の作品を連想したんですよね。失礼ながら彼の映画もいろいろ気持ち悪かったので。

※大林宣彦監督のご冥福をお祈りいたします。20.4.10

 

大林監督の『青春デンデケデケデケ』は大好きな映画なんですが、一部にコアなファンの存在する『時をかける少女』や『さびしんぼう』はその過度なセンチメンタリズムやナルシシズムが苦手で。大林監督の少女たちへの思い入れみたいなものと岩井監督のそれとの間には類似したものを感じる。ご本人も意識されてるだろうと思いますが。

 

高校時代を懐かしく思い出すのは別にいいと思うんですよ。

 

ただ、そこに都合よく捏造した恋愛話をシレッと紛れ込ませないでほしい。初恋なんてもっと苦かったり情けなかったりしたじゃないですか(俺だけ?)。なんでそれをすっかり忘れて妄想に浸っていられるのだろう。

 

好きだった女の子のことが忘れられずにその子と顔がそっくりな別の子と付き合ってて勝手に死んだ男のことをまるで美しい想い出のように描いたり(『Love Letter』)、母娘(それから妹も)が自分のことを想ってくれてたり(『ラストレター』)、よくそんな安っぽくて気持ち悪い妄想を恥ずかしげもなく公けの場で垂れ流せるもんだと思う。

 

皮肉ではなく、これまで観たどんなホラー映画よりもゾッとさせられて気持ちが悪い「最高のサイコ映画」でした。

 

これ、友だちとか知り合い同士で一緒に観て、「どこが気持ち悪かったか」みんなで挙げ合ったら盛り上がって面白いんじゃないでしょうか。

 

…僕は楽しみにしていたんですよ。なんだったら、ノスタルジーに浸りまくって思いっきり泣いてやろうと思ってたぐらいで。

 

でも、映画が始まってまもなく、裕里(松たか子)が姉の未咲の高校の同窓会へ行って人違いされるところからもうノれなくなって。だって20年ぶりぐらいだからって、さすがに本人と妹を間違えないでしょ。

 

僕はそれで裕里と未咲は双子なのかと思ったんだけど違ってたし、少女時代の彼女たちも別に顔は似ていないし。

 

そもそも、なんで姉の同窓会にのこのこ出掛けていくの?メールか電話かなんかで事情を話せばいいでしょ。

 

で、姉と間違えられたまま高校時代に交流のあった鏡史郎と再会するんだけど、裕里は当時、鏡史郎とは同じ生物部で親しく会話したり彼にラヴレターを渡しているような仲なんだし、だいたい、鏡史郎は大学で未咲と付き合ってた、っていうんだから、鏡史郎が元カノと妹の見分けがつかないはずがないじゃないですか。裕里がなんで自分に未咲のフリができると考えたのか、まったく理解できない。

 

 

 

 

また鏡史郎の方も、最初から未咲ではなくて裕里だと気づいていた、とあとで告げるんだけど、だったらなんで彼は再会したばかりの裕里に「君にまだずっと恋してる」なんていうキショいメールを送ったの?

 

おかしいですよね?

 

重箱の隅じゃなくて、前提が成り立たないお話なんですよ。

 

鏡史郎は高校時代にも裕里に未咲へのラヴレターを言付けてたけど、これだってありえなくないですか?どういう神経してるんだか。なんで好きな子の妹に彼女へのラヴレターを託すのか。そこになんのためらいも恥じらいも感じないのが僕には信じられないんですよね。そんな図々しいことができるんなら、直接自分で渡せばいいだろ、と。

 

ラノベかよ、と(読んだことないけど)。

 

もう、彼にとっては好きだった女の子も、その妹も、彼女の娘さえも「俺の女」なんだろう。

 

リアルな体験でもなければ、憧れのシチュエーションにしてはあまりに幼稚な恋物語。

 

繰り返すけど、これに感動できる大人の気持ちが僕にはわからない。

 

イタ過ぎませんかね。

 

なんか美しい風景が映って切なげな音楽が流れて、広瀬すずの髪が風に揺れてればそれでいいんだろうか。女の子たちが浴衣姿やワンピース姿を見せて、寝床でワチャワチャ楽しげにしてるのを眺めていられればいいわけか。自分は「透明な存在」になってね。

 

寒気がしてきますが。

 

 

 

全方向に銃を乱射しながらおっさんおっさんと繰り返してますが、僕がこの映画を観た上映会場には女性のお客さんも結構来ていたし、そこで皆さんがどのようにお感じになったのかはわからないけれど、岩井俊二監督の映画には女性のファンだっているのだろうから僕がいくらここでぶっ叩こうが岩井作品の需要は今後もあり続けるのでしょう。

 

だけど、僕は中年男の身勝手な性的妄想をただ垂れ流すだけの映画はもう観たくはないなぁ。女の子たちを自由にしてあげてほしい。

 

 

拝啓、岩井俊二様。

 

気持ち悪いです。

 

自分への手紙はこれで最後にした方がいいと思います。

 

 

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