岩井俊二監督、アイナ・ジ・エンド、松村北斗、矢山花、広瀬すず、黒木華、北村有起哉、松浦祐也、笠原秀幸、村上虹郎、七尾旅人、吉瀬美智子、奥菜恵、安藤裕子、樋口真嗣、サヘル・ローズ、ロバート・キャンベル、石井竜也、浅田美代子、大塚愛、江口洋介ほか出演の『キリエのうた』。

 

石巻、大阪、帯広、東京を舞台に、歌うことでしか“声”を出せない住所不定の路上ミュージシャン・キリエ(アイナ・ジ・エンド)、行方のわからなくなった婚約者を捜す青年・夏彦(松村北斗)、傷ついた人々に寄り添う小学校教師・フミ(黒木華)、過去と名前を捨ててキリエのマネージャーとなる謎めいた女性・イッコら(広瀬すず)、降りかかる苦難に翻弄されながら出逢いと別れを繰り返す男女4人の13年間にわたる愛の物語を、切なくもドラマティックに描き出す。(映画.comより転載)

 

前置きを省いて感想を述べます。

 

心を動かされる場面もあった一方で、心が離れそうになった場面も。

 

予告篇が配信された時に「『リリイ・シュシュのすべて』を思わせる」とコメントしているかたがたがいらっしゃいましたが、そしてあの映画でも女性シンガーがフィーチャーされていたので重なる部分はあるし、シリアスタッチなところなど似ているといえなくもなかったけれど、僕はむしろ女性シンガーについては『スワロウテイル』のCHARAを、また「妹と亡くなった姉」の物語としては『ラストレター』を思い浮かべました。

 

岩井俊二監督の作品にはわりと似通ったモティーフというのがあって、『Love Letter』では同姓同名の男女や互いに顔がそっくりな二人のヒロインが登場するし(ヒロインの一人が付き合っていた男性はすでに亡くなっている設定)、先ほどの『ラストレター』の亡くなった姉と間違われて姉のふりをして憧れだった男性と文通するヒロイン、あるいは『花とアリス』では「恋人」や「元カノ」と偽って記憶喪失の男子と付き合ったり、『リップヴァンウィンクルの花嫁』では赤の他人同士が「家族」を演じたりなど、それは監督にとって何かこだわりがあるのか、お気に入りの設定なのか知りませんが、「前にこのシチュエーション見たな」というのがしばしばあるんですね。

 

小津安二郎だって、あだち充だって似たような登場人物や設定、ほとんど同じような内容の作品をいくつも発表しているし、だからそのことをとやかく言うつもりもありませんが、岩井俊二監督の映画に「今」を切り取ったようなリアリティを感じることがある反面、ある種のパターンを使い回しているみたいな、システマティックなものも嗅ぎ取ってしまう。

 

まるで僕が苦手な日本製のアニメを観ているような。それは個人的にはあまり愉快なものではないんです。

 

やたらと多い登場人物(ほぼモブみたいな役も少なくないが、岩井作品にゆかりのある有名な俳優が顔出ししてたりする)、2011年、2018年、2023年の3つの年が描かれ、また舞台となるのは石巻、大阪、帯広、東京の4ヵ所。

 

今回の最新作にも主要登場人物全員と各人物の関係性すべてに作りモノめいたものを感じて、実在感が希薄でこちらにはなんの思い入れもない、よーするに知ったこっちゃない「架空のキャラクターたち」の妙に入り組んでて煩雑な人物関係を延々見せつけられている気がして、少々イラつきもした。

 

それから、これも僕の個人的な感想、意見でしかありませんからきっと異論のあるかたもいらっしゃるだろうし、読んでいてムカムカされるかたもいるかと思いますが、3.11の大震災の犠牲者やご遺族のかたがたをフィクションの中の悲劇のために利用しているような作劇に対する嫌悪感がどうしても拭えなかった。

 

岩井監督は宮城のご出身だし、親しいかたを震災で亡くされているかもしれませんし、これまで3.11についてのドキュメンタリーも撮られていて(あいにく僕は未鑑賞ですが)、だから部外者である僕などよりもよっぽどあの震災に近いところにいらっしゃると思いますが、それでも本作品での東日本大震災の扱いに僕は抵抗がある。

 

主演のアイナ・ジ・エンドさんが希(きりえ)と路花(ろか)の姉妹を一人二役で演じているんだけど、僕は最初、映画の前半、2023年の時点ですでに亡くなっている(のちに、母とともに震災の津波で行方不明だと言及される)ことがわかっているので、てっきり希は登場人物たちの台詞の中だけに出てきて、劇中では姿は見せないんだとばかり思っていたんですよね。

 

そしたら思いっきり出てきて、しかも震災当日の描写もあった。

 

別に劇映画の中であの震災を描いちゃダメなどというルールはないし、この映画で描かれた若い男女の愛と別れに共感された人たちもいらっしゃるのでしょうが、肝腎の希の描かれ方に僕はどうも入り込めなくて。

 

守ってあげられなかった、失われた大切な存在の象徴として彼女が描かれているのはわかるんだけど、常に受け身で、特に恋人の夏彦のすべてを受け入れ彼の考えに従おうとするその女性像は『ラストレター』でDVを受け続けて自殺した姉と同様の「男にとって都合のいいカノジョ」にしか見えず、その姉に憧れて彼女の名“キリエ”を名乗って、まるでなき姉の人生をなぞるように生きる路花もまた、アイナ・ジ・エンドさんの熱演にもかかわらず、僕には「守ってやりたい、かよわさを抱えた女性」として描かれているようで魅力を感じられなかった。

 

「歌しか唄えない」「喋ろうとすると泣いてしまう」と言ってるけど、劇中で路花が喋ろうとして泣いてしまう場面はないし、音楽プロデューサー(北村有起哉)相手に結構流暢に喋ってもいる。

 

設定のための設定のようで、物語的な足枷にもなっていない。

 

夏彦を愛していて母と妹を大切に思っているらしいこと以外、何を考え感じているのか全然わからない希、マネージャーを申し出るイッコやぞくぞくと寄ってくる音楽業界の者たちにあれよあれよという間に認められて、歌姫になっていく路花。

 

彼女たちの心の内が見えない。

 

僕には、これは3時間(上映時間178分)のアイナ・ジ・エンドのプロモーション映像に見えた。

 

 

 

アイナ・ジ・エンドの“歌”を聴くための映像。

 

 

 

劇場パンフは1500円でちょっと手が出ず。

 

その代わり、入り口で小冊子もらいました

 

アイナ・ジ・エンドさんの、心に傷を負っていたり、それゆえにハンディキャップを抱えているようなキリエ/路花の演技はとてもよかったからこそ、もっとその人物を深く掘り下げてほしかった。

 

僕は音楽方面にからきしなので、この映画の予告篇を観るまでアイナ・ジ・エンドというミュージシャンも、彼女が所属していた女性グループ「BiSH」のことも知りませんでした。

 

この映画で初めて彼女の存在を知って、その歌声を聴いた。

 

だから知ったようなことは言えないのだけれど、でもあの時々かすれる歌声から感じたのは、しっかりと自己主張する女性の姿だった。

 

彼女はこの映画の中で架空の女性を演じてみせるが、見どころ聴きどころはあくまでミュージシャン、アイナ・ジ・エンドの“歌”であって、物語は添え物。僕はそう感じました。

 

実は、おとなになってからの路花にはドラマらしいドラマがないし。トントン拍子に駆け上がっていくだけで。

 

僕は、最後に路花がまた一人で唄うことを選ぶと思っていたんですが。

 

3時間あるプロモヴィデオだって構わないと思いますし、それに共感したり感動して涙するのもそれは人の自由だ。僕はそうではなかったというだけで。

 

路花の歌を聴いてる人々の顔が誰もが無表情で不気味だった。いい歌を聴いているという喜びが伝わってくるような表情を映し出せばいいのに、なんであんなヘンな宗教団体の信者みたいな顔つきで演出したんだろう。

 

新宿でフェスをやってて警察と揉めるくだりは、子どもの頃の路花が路上ミュージシャン(七尾旅人)と一緒に唄ったあとで警察官に職質される場面と対になっていて、きっと、唄うこと、表現すること──その自由を阻害する者、規制してくる者たちへの反発を描いていたのだろうけれど、あんな大掛かりなステージを設置しておいて許可を得てないなんてことがあるのか?と思うし、こういう場面を入れたいから強引にぶっこんだようにしか思えなかった。

 

「アニメみたい」「すべてが作りモノめいている」と感じたのは、そういうところです。

 

ただ、路花の子ども時代を演じる矢山花さんはとても印象的でした。どこか精霊めいた風情があって。

 

 

 

彼女が発していた、どこかへ行ってしまいそうな危うさ、教会の天井のステンドグラスを見つめながら涙ぐんでいくあの表情、「異邦人」を熱唱する“その辺に普通にいそう”な、路花という少女を本当に存在する子のように見せる演技力が素晴らしかった。

 

顔がアイナ・ジ・エンドさんと似ていることもあって、この子が成長したらあの子になるんだな、と自然に思わせてくれた(だからこそ、余計に彼女たちの人物像が微妙に繋がっていないように感じたんですが)。

 

それにしても、なんで「異邦人」?まぁ、ちょうど路花の親の世代がカラオケで唄いそうではあるよな。

 

カールスモーキーが「北の国から」や「夜明けのスキャット」を「あ~あ~あああああ~あ~♪」とか「るーるーるるるー♪」と唄っててちょっと笑っちゃったけどw

 

※樋口真嗣監督は、『ラストレター』の庵野秀明監督よりも前に『リリイ・シュシュ』に出演してますが。

 

似てる、といえば、夏彦の叔父を江口洋介が演じてたけど、夏彦役の松村北斗さんは江口さんと顔が似ている、ということを今回初めて気づかされました。江口洋介やロバート・キャンベルはなんのために出てきたのかさっぱりわかんなかったけど。

 

松村北斗さんは朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で絵に描いたような好青年を演じてましたが、彼の誠実そうな雰囲気は、一見真面目そうだがよくよく考えればずいぶんとダメンズでもある夏彦をあまり不快な人物に思わせない効果はあって、ぴったりのキャスティングだったと思います。

 

バービー』で笑われてた、女子の前でいきなりギター弾きながら唄いだす男、というのを夏彦がそのまんまやってたのが可笑しかったが。

 

 

 

イッコに結婚詐欺で騙される“ナミダメ”役の松浦祐也さんは『福田村事件』でとんでもないことをしでかす村人を演じていて、今回は優しくてイイおじさんの役だと思ってたら、またしてもやってくれてましたな。クズが似合う俳優さん(^o^) ナミダメの暴走のしかたのあまりのわざとらしさには、ほんとまいった。

 

広瀬すず演じるイッコは『リップヴァンウィンクル』で綾野剛が演じていたのと同じような一種のトリックスターで、唐突に路花の前に姿を現わしたと思ったら急に消えて、しばらくするとまた現われる。

 

彼女の高校時代も描かれはするんだけど、路花との出会いもとってつけたようだったし、上京してわずか数年であそこまで“人脈”を広げた謎、その最期など、まさに「アニメキャラ」みたいな登場人物で、僕がこの映画から「心が離れそう」になった原因の一つでもあるのだけれど、でも『ラストレター』のヒロイン役よりも広瀬さんご本人のCMから抜け出してきたようなこの役はよく似合ってもいた。

 

 

 

広瀬すずさんは映画の中ではアイナ・ジ・エンドさん演じる路花の高校の先輩役だったけど、実際にはアイナさんの方が3つ年上なんですよね。

 

広瀬すずさん自身は実生活では妹なのに『ラストレター』では姉を演じていたし、岩井俊二監督の彼女の使い方は独特ですよね。

 

僕は『ラストレター』のことはぶっ叩いてしまったし、監督のことを「キモい」と腐したりもしましたが、それは岩井俊二監督だけではなくてオタク第一世代ぐらいのあの世代に対して感じている「気持ち悪さ」でもある。「アニメみたい」と評したのもそういうことで。相変わらず自己愛強めだし。

 

「守れなかった」と泣く夏彦も、才能を見出されて“人脈”を築き上げて成功していく路花も、それから彼女のマネージャーを自称する飄々としたイッコも監督の分身なんでしょう。監督が自作の登場キャラクターたち一人ひとりを愛してやまない姿に、僕は嫌悪感を抱くと同時になんとなくその心理がわかってしまうところもある。

 

だから、今回の『キリエのうた』にも入り込めない部分や「気持ち悪い」と感じるところは大いにあったんだけど、それでも前作よりは楽しめたし、現実の世の中がこんなにデタラメだから、この作りモノめいた映画の中の世界こそが「今」のリアルなのかもしれないなぁ、とも思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

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