《前編》 より
 

 

【「宗教の正義」の裏にある権力】
 間違ってはいけないのは、キリスト教の正義は、イエス・キリストが考えだしたものではないということ。カトリックであれば、キリスト教の教義は、バチカンの会議で決められるものだということです。(p.77)
 受験の世界史で、ニケーア公会議とかコンスタンチノポリス公会議って習うけれど、公会議を主催したローマ帝国は、キリストを殺した連中である。「正義」以前に「愛」だってコレッポッチもあるわけないのである。あるのは「まっ黒け~~~~の欲心」だけ。
世界史で語られている、その後の、王権と教皇権の争いは、つまるところ莫大なカネに関する利権争いである。
   《参照》   『秘密結社テンプル騎士団』 ニコラス・ベスト (主婦と生活社)
             【金銭問題】

 

 

【キリスト教は複合宗教】
 12月25日と言うのは、ミトラ教の最大の祭日です。イエス・キリストが生まれた日は誰も知りません。また、イシュタル、キュベレイ、イシスといった女神信仰も取り入れています。それが聖母マリアの教義に変わりました。
 つまり、当時流行っていた宗教をうまく取り入れ、より多くの信者を獲得しようとしたわけです。キリスト教には、少なくともユダヤ教、ミトラ教、女神信仰の3つの宗教が入っています。ユダヤ教的な教義が中心であるけれど、当時流行の宗教を合体させて成功した宗教なのです。
 さらにいえば、イエス・キリストが唱えた本来のキリスト教は、おそらく仏教的な東洋思想の影響を強く受けていると推測できます。イエスの論理は大乗仏教の論理にすごく近いのです。(p.80)
 キリストはブッダより5世紀ほど遅れて生まれているから、キリスト教が仏教の影響を受けていることは充分ありうることである。ブッタと同時代の、中東にいた古代のユダヤ人たちが日本に辿りつく過程で、大乗仏教の法華経や、後期大乗仏教である密教と融合した可能性もあるだろう。東南アジアに伝わった上座部仏教(小乗仏教)は、それほど融合せずに残ったかもしれないけれど、それ故にこそ、日本に伝来した仏教とはだいぶ異なっている。
   《参照》   『失われたアイデンティティ』 ケン・ジョセフ  光文社  《後編》
            【 「法華経」 と 「ヨハネの福音書」 】~【日本の仏教】

 霊学的には、ゾロアスターも関与している。
   《参照》   『仏陀からキリストへ』  ルドルフ・シュタイナー  風の薔薇

 

 

【日本国内の「墓利権」争い】
 「墓利権」というのは、強大です。
 たとえひとりでも信者を取られたら、500万円から1000万円くらいを失ってしまいます。永代供養のお金もあれば、お花屋さんの値段もあります。葬式ひとつとっても、戒名などで数百万円というお金がかかります。 (p.83)
 50歳で警察官を退職し、創価学会に入信と同時に墓石屋を始めたというオッサンを知っている。保身のためならどのような嘘でも平気で言う凄まじい人間であるけれど、生きている間に墓石以上に悪徳をも積み上げつつ「墓利権」ビジネスに明け暮れるのだろう。御苦労様なことです。
 利権(カネ)に絡むとなるとオッサンたちの集団は大抵こんなものである。
   《参照》   『日米「振り込め詐欺」大恐慌』 副島隆彦 (徳間書店) 《前編》
             【年金テロ】
 近年の話ですが、葬儀事業に参入したイオンがお布施の目安額を明示するサービスを開始したところ、これを全日本仏教界が「越権行為」として強く批判しました。これは「墓利権」の氷山の一角です。(p.83-84)
 イオンという大手であってもこうなのだから、個人でサンクチュアリという葬儀会社を始めた下記リンクの著者は、その後、経営は順調なのだろうか。おそらく潰されてしまっただろう。ピュアな若者たちは、墓利権・葬式利権にタッチしないほうがいいだろう。
   《参照》   『無駄に生きるな熱く死ね』 直江文忠 (サンクチュアリ出版)
 「墓利権」に関わっている糞坊主や宗教団体なんて、接してみても聞いてみても、ただただ呆れるばかりの世界である。
 下記リンクのような著作を読んで死後の世界を学んでおけば、「墓利権」目当てで勧誘してくる愚かな宗教団体なんかは、嘲笑しながら一蹴できるはずである。
   《参照》   『人は、はるか銀河を越えて』 坂本政道 (講談社)

 

 

【正義の沙汰もカネ次第】
 アメリカでは、お金をもっている人がより正義を主張できます。実際に、お金持ちと貧乏人が同じ泥棒をして捕まっても、だいたいお金持ちのほうは無罪になります。残念ながら、貧乏人は刑務所行きです。(p.109)
 弁護士を雇えるか否かの差。「正義の沙汰もカネ次第」というのがアメリカの現実。
 アメリカでは「寿命の沙汰もカネ次第」である。おカネのない人は高額な保険になんか入れない。病院は受けつけてくれないのである。
 まあ、こんな感じで、
 利権(カネ)をめぐるウンザリするような話がいくつも書かれている。
 「正義」を装いながら、実際のところはみな利権(カネ)の争奪戦という話なのである。
 自分勝手なルールを定めて、自分のところに利益をもたらそうとする、薄汚い話のオンパレード。
 書き出していて、もう、「嫌~~~~~~ぁ」になってきた。

 

 

【お相撲はポルノ】
 イスラム的な目で見てアウトなのは、公共放送のプライムタイムに男性の裸の映像を流すことでしょう。イスラムでは、男性でも乳首を出したらポルノなのです。実際に、イスラム圏では、大相撲のビデオはポルノショップで販売されています。しかも、乳首だけ黒塗りになっているのです。(p.132)
 なんか、笑ってしまうけど、文化ってこの様に違っているものだから、どうしようもないよね。
 イスラム圏では、男性も座ってオシッコするそうだけど、これも風紀紊乱罪みたいな扱いにされちゃうからなのだろうか。
   《参照》   『途上国から見た日本』 小森毅 (文芸社) 《前編》
             【座りション】

 

 

【学力低下の原因は「活字離れ」。 でも・・・】
 今、日本人の学力は低下しています。 ・・・(中略)・・・ 学力の低下は、日本だけでなく、世界的な問題かもしれません。
 その原因は、活字離れです。また、ツイッターの登場で、140文字以下の時代が来たようです。しかも、ツイッターを利用している年齢層は、30代、40代が中心です。
 若者は、活字自体が嫌なので、ツイッターにさえも参加していないのです。世の中でブログが流行しているように見えるかもしれませんが、文字だけのブログは誰も見ません。写真やイラスト、動画がないと、若者は見ないのです。(p.177)
 チャンちゃんなんかは「140文字以下なんかじゃ、何も表現できないじゃん」と思うから、ツイッターって使いたいと思わないし、雑誌記事を寄せ集めて編集したような本なんて、ぜんぜん読む気になれない。そこに体系的な知の枠組みなど見出せないからである。チャンちゃんはオールドタイプだからこうなってしまう。
 ニュータイプは、活字になんか依存しないのである。地球が超高度文明に移行してゆく過程で、活字は必然的に淘汰されるはずである。活字自体は情報量が小さな媒体なので、以心伝心が当たり前になれば、あまり役に立たないのである。そのうち、知的な情報など、それらが集約されたICチップから脳に直接インストールされるようになることだろう。
   《参照》   『人はなぜ、本を読まなくなったのか』 (トランスアート)
             【活字リテラシーは時代遅れ?】
   《参照》   『プレアデス星訪問記』 上平剛史 (たま出版) 《後編》
             【知識はレコーディングマシンで脳に記憶】

 そうは言っても、アセンションの一つの区切りと言われる今年度末から急にそうなるわけではない。地球は遷移期間に入ってゆくのだから、現在肉体をもって地球上に生きている人々にとって、活字情報はまだまだ重要な役割をもつはずである。
 ところでチャンちゃんの活字だらけのブログを覗いている人はそれほど少なくない。人気度は二つ星になっているけれど、チャンちゃんのブログのアクセス数の7割程度のサイトが4つ星になっていたりするから、ヤフーの人気度の判定基準も何だかよく分からない。
 活字だらけのこんなブログだからこそ、読んでいる人もいるんだろう。かえって希少価値があるかも。

 

 

<了>
 

  苫米地英人・著の読書記録

     『日本の盲点』

     『脳と心の洗い方』

     『脳を味方につける生き方』

     『正義という名の洗脳』

     『経済大国なのになぜ貧しいのか?』

     『苫米地式「幸せ脳」のつくり方』

     『一瞬で相手をオトす洗脳術』

     『バイリンガルは二重人格』

     『なぜ、脳は神を創ったのか?』

     『頭の回転が50倍速くなる脳の作り方』

     『夢が勝手にかなう脳』