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 論理的に考える傾向のある人にとっては、納得しやすい本だろう。それが苦手であっても、著者の思考に則して「幸せ」を考えてみるのもいい。ベースは仏教の認識論である。2010年5月初版。
 オーソドックスな仏教的認識論なら、
   《参照》   『ブとタのあいだ』  小泉吉宏  メディアファクトリー

 

 

【「幸せ」とはそもそも幻想でしかない】
 帰納的な方法、演繹的な方法、脳科学的な方法、それぞれに則して「幸せ」を考察しているけれど、結局のところ「幸せ」って定まらないのである。だから、これらの方法を用いて得られた結論は、
 「幸せ」というものは、そもそも幻想でしかないということです。
 誰もが幻想でしかない「幸せ」を追い求めているのです。(p.28)
 「幸せが幻想? んな馬鹿な」と思う人は、自分で本を買って、著者の論理に則して読んでみるしかない。

 

 

【世の中が幻想というなら幻想を用いよう】
 「幸せ」とは、追い求めるものではありません。まず、「いまを幸せと思う」ことが「幸せ」になるための方法だったのです。
 そう思うと自分にもできそうな気がしてきませんか?  ・・・(中略)・・・ 。
 いまの自分で、十分に「幸せ」なのです。
 何度もいっていますが、世の中の全てが幻想ですから、あとは「幸せ」な幻想をすればいいのです。
 「幸せ」だと思った瞬間から、「幸せ」になれるのです。(p.37)
 「あなたが食べるものはアイスクリームです」と言って催眠をかけておけば、被験者はワサビを食べさせられてもアイスクリームだと確信している。多くの人間がもつ幸福感も、結局生きてきた過程で受け取った催眠みたいなもの(つまり洗脳)によって思いこまされている(枠組みを与えられている)のである。
 資本主義社会は、お金とか名誉とかの幻想で人類を洗脳している。この詐術を見破って枠の外に出てしまえばいいのである。大勢の人々が、この詐術を見破ることができれば、人類は一挙にマネーフリー社会へと移行できるけれど、洗脳されっぱなしで悶々とした状態で手を拱いたまま気づこうとしない人々が多いから、世界はなかなか変わらない。
   《参照》   『アセンションの超しくみ』 サアラ (ヒカルランド)  《前編》
             【社会意識(コントロール・グリッド)という檻から出る】

 

 

【社会やルールという枷】
 国や自治体の法律、会社のルールに縛られる必要はありません。
 正確にいえば、自分がつくるのに参加していない法律やルールには従わなくてもいいということです。
 ただし、罰を受ける可能性もあるので、自己責任で従うか従わないかを決めればいいと思います。(p.141)
 思考が常に社会の枠内で、しかも社会のルールが常に正しいと思い込んでいる人には、このような表現が理解できないのだろう。強烈に頭が固いのである。
 例えば、無車検の車に乗っているのが発覚すれば、アホみたいに多額の罰金を科せられるけれど、それに従わなければ有無を言わさず留置場に入れられるのである。誰ひとり他人に迷惑をかけていなくても社会のルールというものは、経済的に困窮させてまで個人を支配下に置こうとするものなのである。このような制度下にある社会やルールが、維持されるべきものだと思い込んでいる人々は、永遠に個人的な現状すら克服できないだろう。社会的な洗脳が効きすぎていて思考の自由さが完全に失われているのである。まずは、そこに気づくべき。
   《参照》   『風の谷のあの人と結婚する方法』 須藤元気 (ベースボール・マガジン社)
             【マストの本質】

 

 

【何のために生きているのか】
 私たちは、幸せを追い求めていきているような気がしていますが、そうではありません。

 生きるためにいきている ――― のです。 (p.70)
 苫米地さんは、グレゴリー・チャイティンやゲーテルやパトリック・グリムの定理に基づき、世界は論理的な整合性が証明できないということを前提に、神なるものは存在しないという視点で語っているから、このような結論になってしまう。
 輪廻転生を受け入れている人々にとっては、あり得ない解釈表現であるけれど、だからと言って間違っているとも言えない。苫米地式の考え方が有効である人々は居るはずであるし、最終的に目指すところが、輪廻転生を前提としている人々と違っているのでもないから、それなりにアリだろう。
   《参照》   『なぜ、脳は神を創ったのか?』 苫米地英人 (フォレスト出版) 《前編》
             【神は存在しない?】

 

 

【「幸せ脳」のトレーニングが行く着く処】
 「幸せ脳」のトレーニングをしていると、より多くの人が幸せになったほうが自分も幸せだということに気づきます。
 それは当たり前のことです。「幸せ脳」のトレーニングは抽象度を上げるトレーニングでもあるからです。抽象度の高い「幸せ」とは、行き着けば「戦争と差別のない世界」になるからです。
 世界平和のためにも、本書で「幸せとは幻想でしかない」ということを学んでください。そして、日々「幸せ脳」になるためのトレーニングを行ってください。(p.187)
 「幸せ脳」のトレーニングの基点は、自己啓発書にあるような「もうコップに半分しかない」を「まだコップに半分ある」と表現することから始まるようなものだろうけれど、その忠実な積み重ねが、抽象度の高いレベルに届くなら大きな効果を生むことだろう。
 「抽象度」という言葉と「自由」という言葉は、苫米地さんの著作の中で常に重要な役割を持っている。
   《参照》   『夢が勝手にかなう脳』 苫米地英人 (講談社)
             【コンフォートゾーンを上げるというのは・・・】
             【A次元】

 

<了>
 

  苫米地英人・著の読書記録

     『日本の盲点』

     『脳と心の洗い方』

     『脳を味方につける生き方』

     『正義という名の洗脳』

     『経済大国なのになぜ貧しいのか?』

     『苫米地式「幸せ脳」のつくり方』

     『一瞬で相手をオトす洗脳術』

     『バイリンガルは二重人格』

     『なぜ、脳は神を創ったのか?』

     『頭の回転が50倍速くなる脳の作り方』

     『夢が勝手にかなう脳』