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 「人生はお芝居である」という諺は、脳科学的に正しいことを語っている。2009年7月初版。

 

【「無意識の抵抗」を生む洗脳】
 「思い通りの自分」「なりたい自分」に変わろうとすると、同時に“現状を維持しよう”とする力が必ず生まれてきます。これが「無意識の抵抗」です。あなたの人生にブレーキをかけている原因のひとつです。
 自分の意思で変わろうとしているのに、そう思う気持ちと同じとところから抵抗が生まれるのです。無意識の抵抗は、変わろうとする思いが強ければ強いほど、比例して強くなります。
 やりたいことがあるのに、なかなか行動に移せない。タバコやお酒をやめたいのに、やめられない。それは、失敗を恐れる気持ち、恥ずかしさ、自責の念など、さまざまな心理的抵抗が先に立ってしまうからです。(p.3)
 “失敗を恐れる気持ち、恥ずかしさ、自責の念など”として現われる「無意識の抵抗」は、生まれてこの方、洗脳されてきたことの結果として生じている、と言っている。
 「洗脳」というものは、実はみなさんが考えているほど特殊なことではありません。私たちは生まれて以降、親や教師、メディア、政府、宗教など権威ある外部の力によって、「これが正しい」という一定のルールや常識を押しつけられています。・・・(中略)・・・。
 たとえば、「人から嫌われたくない」という気持ちが必要以上に働くのは、子どものころに一番身近な権威である親から、「人に好かれるようなことをしなさい」とすり込まれたことが原因です。(p.4-5)
 これらは、まえがきに書かれていることだけれど、苫米地さんの「脳」に関する著作に書かれている最終的な目標は、常に、この「脱洗脳」である。
 先に書いたように、「無意識の抵抗」を生む核は、幼少期から刷り込まれてきた「洗脳」の結果として作られているのだけれど、「洗脳」によって脳に構築された常識やルールなどの束縛から脱出しないと、本当の自由、本当の人生は得られないのである。
 下記リンクから辿れば、「社会意識(コントロール・グリッド)という檻からでる」と表現されている記述に行くけれど、「脱洗脳」と同じことである。
   《参照》   『苫米地式「幸せ脳」のつくり方』 苫米地英人 (イースト・プレス)
             【世の中が幻想というなら幻想を用いよう】

 

 

【「今のままでいい」という「無意識の抵抗」】
 たとえば、心理的な問題をかかえてカウンセリングに通っている人が、「あと1,2回来院すれば治りそうですね」とカウンセラーにいわれた途端、通院しなくなることがよくあります。理由は頭痛がする、体調がよくない、ときには交通事故にあった・・・など、さまざま。・・・(中略)・・・。
 このような人は、自分が病人である状態から何らかの「メリット」を感じています。(p.19-20)
 たとえば、“父親には人並み以上の経済力があるのだから、苛烈な社会で働くより病人のままでいた方がいい。ましてや結婚なんてしたところで、今より劣った生活レベルになるだけだから、絶対にこのままいい。”という「無意識の抵抗」によって、病人であり続けるのである。
 表面意識的には、年老いてゆく両親のことを心配もするけれど、無意識の本音は現状維持である。

 

 

【「無意識の抵抗」を克服するひとつの方法】
 「無意識の抵抗」を克服し、乗り越えるためにはどうするか。
 さまざまな方法がありますが、一番有効なのが「演技」をすること。(p.22)
 「演技」を繰り返すことで、「無意識の抵抗」を脱出することが可能。
 脳は、現実か仮想かを区別・認識していない。だから「演技」が有効なのである。
脳は、過去に何度も繰り返されたパターンに則して現実を認識しているというだけである。だから、変わりたいと思ったら、今までの自分とは違う「演技」を、その時から何度も繰り返して新しいパターンを脳に認識させるのである。そのために「演技」が有効。
    《参照》   『英語の発想法 日本語の発想法』  秋澤公二  ごま書房
              【PLAY】

 

 

【「演技」:今の自分と違えば違うほど効果的】
 ちょっと違う自分になる演技より、全然違う自分になる演技の方がやりやすいものである。
 好きな色もあえて180度変えたほうがいい。視覚的変化はけっこう強力である。
 また、環境が変わったのを契機に、今までの自分とは違った自分を演ずるのもやりやすい。
 環境が同じだとしても、毎朝、朝起きて鏡の前に座った時、パチンと指でも鳴らして「私は、××」と、なりたい自分を演ずる女優役を開始し、夜メイクを落とす時、再びパチンと指でも鳴らして「女優終わり。本物のお化けに戻ります」とケジメをつければいいのである。自覚的にきちんとお芝居をするのである。
 最初のうちは「はったり」で構いません。(p.35)
 そう、「はったり」「剥げたり」「貼ったり」を繰り返しているうちに、目指している「イメージが定着」してくればしめたもの。
 仮想人物になりきるには、自分の好き嫌いを一切排除するのがポイントです。
 まったく違う人物になろうというのですから、自分の好き嫌いはすべてゴミ箱に捨ててしまってください。(p.42)
 もともと「正常」な人は「アホ」になるフリをすればいい。もともと「アホ」な人は「正常」なフリをすればいい。中途半端は、ほとんど効果的ではない。

 

 

【地位が人を作る=人生はお芝居である】
 「地位が人を作る」という諺があるけれど、地位が先行することで周りが地位なりに対応するので、本人も地位(配役)に相応しい行動(お芝居)がしやすい。それを続けていれば、本当に地位に相応しい人になれる、ということである。
 地位が先行しない場合、当初、周りは自分のお芝居に無関心だろうけれど、周りが自分のお芝居に巻き込まれるほどになれば、効果は覿面に顕れてくるだろう。

 

 

【一般の自己啓発書に書かれていないこと】
 満足状態を強くイメージすると、かえって行動は促されないのです。「脳が満足してしまう」からです。当然、夢は実現しづらくなります。
 また、未来での成功を強くイメージすると、未来は現在の延長線上と無意識がとらえ、現状を肯定してしまいます。この重要な点が、一般の自己啓発書には書かれていません。やり方を間違えると、成功イメージ法はかえって自分を現状に縛ります。
 ではどうすればいいのか。成功、つまり「ゴール」を設定するときに「現状では絶対に達成できないものである」という制約をつける必要があります。(p.75)
 下記リンクの「聖なる二分法」とは相いれない記述だけれど、時間の捉え方によるのだろう。人間的な時間意識から超脱していないなら、苫米地方式が相応しく、時間という概念なき神的意識に至っているなら、「聖なる二分法」が相応しいのだろう。
   《参照》   『神との対話 ③』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《後編》
              【聖なる二分法】
 茂木健一郎さんは、「根拠なき楽観と、それに相応しい努力」と言っているけれど、「根拠なき楽観」で目的をイメージし、「それに相応しい努力」によって未来を収斂させることを言っているのだろう。苫米地さんのこの記述を補完する最適な表現だろう。