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 こういった書籍は手っ取り早く両国の文化を知るのに適している。

 

 

【GOD】
 God と大文字で書いたときは、一神教の神、つまりキリスト教における神をさす。
 いっぽう、小文字で god と書いたときは、多神教の神々のことを言う。(p.21)
 もともと謙虚な日本人は、こんな知識など無くとも、日本の八百万の神々を記述する時には、自発的に小文字で書くことだろう。


【LAW】
 日本人のように “法律” はお上が決めたす違うべきものというイメージは law にはまったくない。極論すれば、アメリカ人にとって law は、多くのアメリカ人が持っている gun (銃) と同様に、日常的な自己防衛手段といっていい。(p.25-26)
 訴訟社会はさながら決闘社会のようなものか? 呆れた訴訟事例を耳にすると、自己防衛用というよりボッタクリ用の銃と言うに近いのではないかと思えてしまう。

 

 

【TRADE】
 アメリカ人には、根強い輸入信仰がある。それは import (輸入) という単語が 「重要」 という意味にも使われているのを見てもよくわかる。
 アメリカがそうなったのは、かつてアメリカが植民地だったころ、アメリカ人にとってヨーロッパは、あこがれの国だった。そのうえ、遠いヨーロッパの品物は、なかなか手に入らない。品質の良さに加えて、希少価値が重なって、すべてが高級品だった。だからアメリカ人にとってヨーロッパ製品を持つこと自体ステータスだった。(p.25)
 建国当時からヨーロッパからの輸入品を重要とし、日本をはじめとするアジア諸国を自国の工場と位置づけるような脱工業化社会をつくっておきながら、貿易不均衡が生じれば、フェアーでないと騒ぐアメリカ人の解せないこと。
 TRADE はそもそも物々交換のことだから、貿易額に赤黒の差が出るのはフェアーではないと考えるのがアメリカ人である。幼稚園の子供みたい。

 

 

【REMEMBER】
 ”Remember Alamo!” “Remember The Maine!” ”Remember Pearl Harbor!”(p.38)
 Remember!(忘れるな)と叫び、不正な相手を力で倒すアメリカの正義。
 さて、その不正、いかにして作られしか。
   《参照》   『昭和史からの警告』  船井幸雄・副島隆彦  ビジネス社
            【アラモ砦・メイン号爆発・真珠湾攻撃】

 

 

【OPINION】
 Opinion と “意見” は同義だが、この英語は、日本語のイメージ、ニュアンス、価値とは天と地ほどの差があるというのが私の印象である。(p.45)
 “I have no opinion of that idea.” という言葉は、「とくに意見がない」 のではなく、「(バカバカしくて)その計画には意見を言う気になれない」 という非難のニュアンスを含んだ言葉だったのである。(p.46)

 

 

【UNDERSTAND】

 アメリカ人はなかなか、 “I understand.” とは言わない。というのは understand のニュアンスには、単に “わかる” “理解する” だけではなく “得心する” “十分に納得する” という強い意味が含まれ、ときには “(相手の言うことに)従う” というニュアンスに使われることもあるからだ。(p.67)
 understand = under(下に)+ stand(立つ) だから、服従の意味がある。
 日本人が、「分かりますよ」 のつもりで言うなら “I’ve got your point.” 

 

 

【PLAY】
 シェークスピアにも、こんな言葉がある。
 “All the world is a stage, all the men and women merely players.” (この世はすべて舞台。そこでは誰もがみんな俳優なのさ)
 こう言われれば、日本人もなるほどそんなものか、と思うけれど、はたして、自分が本気で play(演技)しているという実感が湧くかどうかは、疑わしい。そこへいくと、アメリカ人は本気で play する。 play の上手下手が人生の成功を左右する、とすら考えているフシもあるのだ。(p.81)
   《参照》   『54日間のアメリカ人』  八神純子 YAMAHA
             【ピーターパンを演じていたサンディ・ダンカン】

 

 

【HIT】
 “I hit the books.” というのは、 ・・・(中略)・・・ あえて言えば「本を打つ」→「本をやっつける(戦う)」→「本を猛烈に読む」 というわけで、「私は(本と格闘するように)猛烈に勉強した」 ということになる。(p.90)
 日本人には、絶対にありえない発想。

 

 

【chick】
 アメリカ人は gal(ギャル)とはあまり言わないが、同じようなニュアンスで chick(ひな、ひよこ)をよく使う。男をハンターにたとえているわけで、男女の位置関係を表している。(p.96)
 「嘴が青い」 とか 「青二才」 という場合、英語では green になる。

 

 

【UNCLE】
 “He is my best uncle.” (p.99)
 アメリカ人は身内より頼りになる他人求めて社会をわたって行く。
 “uncle” は血縁のあるオジさんとは限らない。

 

 

【BROTHER】
 日本人にとっては、「長幼、自ずから序あり」 と言われるように、兄弟の上下は大問題だが、アメリカ人にとって、brother が elder か younger かは、大した問題ではない。(p.139)
 この考え方は、おそらくキリスト教で言うところの、
 “All men are equal brother before God.” という教えからきているのだろう。(p.141)
 お兄ちゃん、お姉ちゃん、とか言わない。直接名前で呼ぶだけである。

 

 

【GOOD】
 “My boss is a good person.” (p.154)
 「まあまあの・・」 くらいの意味である。成績評価の “good” は 「可」 なのだから。
   《参照》   『新・日本イソップ物語』  江崎玲於奈  日刊工業
              【日米比較】
 

【SMART】
 アメリカの有能なビジネスマンは、 “吊し” の背広など絶対に着ない。安物の服装を身につけるのは、タブーになっているといってもいいだろう。このへんが、服装より中身が大切という正論を信じている日本人とは違うところだ。(p.195)
 ハーバード・ビジネススクールの学生たちが、社会で成功するためにはかくふるまえとひそかに使っているという、おもしろい言葉がある。これぞ smart の考え方の極めつきと言えそうだ。
 “Look British, think Yiddish.”(外見は英国紳士、頭の中はユダヤ人) (p.196-197)
 
   《参照》   『あと3年で、世界は江戸になる!』  日下公人  ビジネス社
             【ベンツ・立派な学長室・美人秘書】

 

 

【変わってしまった性格】
 大学時代、この手の言語を元とする比較文化の書籍を何冊か読んだものであるけれど、異質な英語・米語文化に 「なるほど」 と思いつつ、場合によっては、自分自身が日本人的でない事にも思い至って、“もしかして蝙蝠?” と、やや当惑気味な思いを抱いていたのを思い出す。
 子供の頃からチャンちゃんが生まれた日は23日と聞いていたので、高校時代まで23日と信じていた。ところが大学へ進学したら、「戸籍は22日となっているからこちらに合わせてください」 と言われ、その時から22日を使うようになった。(届け出たお祖父ちゃんが、自分と同じ日にしておいたらしい)
 カバラの数霊について基本的なことを知っている人なら、頷けるであろうけれど、22と23の連続する数の間には、とんでもない断層がある、というか、対極的な意味合いになるのである。22は我が道を行く的な数霊であり、23はたいそうな気配り的な数霊なのである。22はアメリカ的、23は日本的と言えなくもない。(天皇陛下、皇太子殿下いずれも23日生まれである) 大学生になって22日を意識的に自分の誕生日として用いるようになり、22の数霊の影響が強く及んでいたのだろう。大学生時代のチャンちゃんは、幼少の頃のチャンちゃんとは明らかに性格が違っていた。(22+23)÷2。これが “蝙蝠?” と思えた性の原因なのだと勝手に解釈している。
 

<了>