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 ノーベル物理学賞を受賞した江崎博士が新聞社の要請で書いたエッセイが基になって編集された書籍。アメリカで研究生活20年の経験から、比較文化の視点で書かれているエッセイが特に興味深かった。30年前の古書。


【日本人の悲観主義】
 東洋の宗教はなんでも自己の中にたたみ込むので、人間の苦悩、人は苦しむ宿命にあるのだという悲観論から出発する・・・・(中略)・・・。これに比べてキリスト教はそれを信ずることによって、はるかかなたの純粋な別の世界をもつことになるので、初めから苦悩を取去る方向に進む。そして、強大な天父をいただいているので、あつかましいほど、現世的なことにも積極的になりうるのである。   (p.17-18)
 日本人の悲観主義は、専ら仏教思想によってもたらされたものである。「業(ごう)が深い」 といって自己を責め、かつ他者をも責めるに至っては、謙虚さを通り越して懲罰的・破壊的でさえある。
 日本古来の神道はそうではない。むしろ、「悲観」という心のマイナス傾向(=穢れ=気枯れ=元気のなさ)を払拭する(=禊ぎ払いの)態度で生きること良しとするのである。


【日米比較】
 このような表現の食い違いは、様々な書籍で見かけることが多い。江崎博士はこう書いている。
[うまくいっている度合い]  [アメリカの表現]       [日本の表現]
     80%       EXCELLENT(最良)     「まあまあおかげさまで」
     60%       VERY GOOD(大変良い)  「何とかやっていますが、問題も沢山あって」
     40%       GOOD(よい)          「もう母屋に火がついたようで、どうにもなりません」
     20%       FINE(まずまず)       「首でもくくらねば」        (p.18-19)
 日本人が謙虚なのか悲観的過ぎるのか、欧米人が傲慢なのか楽観的過ぎるのか。
 耳にする機会があったら、相互に割り引いて理解する必要がある。

 

 

【オーガナイズ】
 「オーガナイズ」に相当な日本語は私はすぐに見当たらない。「組織する」などと訳せば・・・(中略)・・・かもしれないが、私が言うのは組織ではなく思想とか主義を問題にしているのである。
 オーガナイズするプロセスでは、ある主体性のもとにプライオリティ(優先)が設定されて取捨選択が行われ、破壊を伴うであろう。ところで日本は、西洋文明をなんとはなしに次々と持ち込み、しかも日本に昔からあったものを、もったいないと思う執着心からであろうか、よほどのことがない限り温存し続けているわけであるから日本には「がらくた」が沢山たまる一方ということになる。   (p.36)
 欧米に比べ不統一で乱雑な街並みを見ると、なるほど日本は「がらくた」的な国に見える。主体性なき同質化社会の日本といわれるけれど、街並みの不統一はそれに該当しない。多様な価値を信じる日本人のバイタリティの現れであると考えることもでき、また、「オーガナイズ」という思想的な態度の欠如にあるとも考えられる。
 次の段階への発展を目指すにもオーガナイズするということは大切なのである。すなわちオーガナイズすることによって初めて将来の計画が立てられるということが言えるのかもしれない。  (p.37)
 おそらく、日本人は 「オーガナイズ」 という言葉の替わりに、「整理整頓」 という言葉を用いてきたのではないだろうか。日本人の視野は、身体意識の及ぶ身の回りに限られていたからであろうし、遊牧的な移住生活ではなく農耕的な定住生活だったから捨てることはもったいなくてできなかったのだろう。
 “あれかこれか” ではなく、 “あれもこれも” の日本人である。
 日本人はハムレットのようには悩まない。

 

 

【年齢にこだわらないという習慣】
 アメリカでは(企業の採用に関して)性や年齢であからさまに差別することは法律で禁じられている。やがて、日本も人口分布が高年齢層に傾く社会になることは周知のとおりである。それに備えて、まず年齢にこだわらないという習慣をつける必要があるであろう。(p.40)
 日本は法律が整備されても、差別されたと訴えるような人はそれほどいないだろうから、多分、求人する側が必要に迫られなければ、そうはならないだろう。

 

 

【ミューティション(突然変異)】
 これをもっと広い意味で用いれば、科学技術の分野で行われる偉大な発明、発見、それに続く大規模な技術開発(例えばトランジスターやレーザーの発明)、アメリカ人が好む言葉を用いれば、いわゆる QUANTAUM-JUMP (大きな飛躍とでもいうのだろうか)が行われ、社会を大きく変えるほどの影響力をもたらすことをいうのである。
 私はこの予想しえないミューティションこそ社会の前進(時に後退することもあろうが)に決定的な役割を演ずるものであろうと信じるし、そしてミューティションを生み、それを育てる素地を持つ社会こそ、進歩的社会であると思えるのである。ところで、日本社会がそうであるかどうか ― それは読者の判断にまかせよう。(p.89)
 理詰めにオーガナイズされた社会にミューティションが発生するのか? カオスともとれる束縛なき社会の中にミューティションがみいだされるのか? それとも、緩急自在に両方が混ざり合った社会の中にミューティションが発生するのだろうか? 
 因みに、江崎博士がノーベル賞受賞対象となったトンネル・ダイオードの発見をしたのは、ソニー(当時の東京通信工業)で研究していた時である。 
 
<了>