《前編》 より

 

【私たちは知っているものしか認識できない。だから・・・】
 私たちは知っているものしか認識しないし、認識できないのです。別のいい方をすれば、私たちの知っている世界は全部、自分の知識だけで成り立っているということです。体験的な知識や、読書などで得た情報を抽象化することで認識される世界以外の世界は、存在していないわけです。
 見方を変えれば、私たちがそれぞれ認識している世界は、実は他人から与えられた情報でつくり上げられた世界とも言えるでしょう。(p.102)

 ですから、「夢」や「ゴール」といっても、結局は他人から与えられた情報で、本当に自分の「夢」や「ゴール」であるかはあやしいものだということに気づいてください。(p.103)
 “私たちの知っている世界は全部、自分の知識だけで成り立っている”とあるけれど、知識の少ない人は容易に信じるか、即座に否定するかのどちらかだろう。世界の狭さ・知識のなさは大抵それで見分けがつく。
 ただ問題なのは、世界が狭い人・知識が少ない人は、他者によって刷り込まれた社会的意識という「洗脳」が全く解けていないということである。そのような人々にとっての一般的な生き方は、単なる「世間体基準」であったり「経済的な成功」であったりするのだろう。そこで生きているだけなら抽象度は全く高まらない。

 

 

【抽象度を上げる(視点を高くする)】
 たとえば、親が何のために働くのかといえば、やはり自分の子供に食べさせるために一生懸命働くわけです。もともと人間は、そういう遺伝子を持っています。
 ただし、これは抽象度ゼロの思考レベルでの認識です。
 抽象度を50%程度に上げれば、ジョージ・ブッシュにしても、イラクの子どもを自分の子どもと同じように思えたでしょう。見ず知らずの他人の子どもを、自分の子どもと同じぐらいかわいく感じたら、抽象度100%に近い状態です。(p.131)
 「思考のレベル」は「抽象度の高低」に比例する。脳から心へという推移も、抽象度(思考レベル)が高まった結果である。
   《参照》   『苫米地式「幸せ脳」のつくり方』 苫米地英人 (イースト・プレス)
             【「幸せ脳」のトレーニングが行く着く処】

 

 

【アイデアをどんどん出すには】
 アイデアをどんどん出すには、「抽象度の高い生き方」をしなければいけません。
 どういう生き方かというと、ものすごく単純な話ですが。衣・食・住が満たされた生活のことです。日々の生活に満足していないと、いいアイデアは出てこないものなのです。(p176-.177)
 衣食住に満たされているのが条件としても、これらに関して「全ての人に共通する満たされる基準」があるわけではない。お金がなくて衣食住が満たされていなければ意識はそこにとらわれてしまうけれど、お金がある分だけ欲望のままに衣食住に執着しているなら、それも愚かなとらわれである。

 

 

【美食にとらわれると、抽象度は下がる】
 美食は脳に悪いのです。
 彼(堀江貴文)がブログを書いていた頃、レストランについての記事をやたらと載せていました。「ここは何がうまい」「あそこは何がうまい」といった情報ばかり目についたものです。・・・(中略)・・・。
 美味しい物を食べると、「おいしい」ことにとらわれます。すると、食に対する煩悩が強くなります。そうなると、抽象度は上がりません。煩悩は、抽象度の高い思考を邪魔するのです。これは食欲、睡眠欲、性欲の全てに言えます。
 煩悩の強い人は、簡単にいうと「おバカさん」です。これは抽象度の高い思考ができない、という意味です。(p.188)
 食欲、睡眠欲、性欲は、根源的な欲である故に、脳の中では古皮質と言われる部位が司っている。高度な抽象的概念を駆使して考える作業は、最も進化した生物である人間において脳内に急激に領域を増やした新皮質脳と言われる部位が司っている。つまり、三大欲にかまけているようでは、人間としての意味がないのである。
   《参照》   『いい女は、セックスしない』 石崎正浩  なあぷる
              【人間を人間たらしめるもの】
 近年のテレビを見ていると、「食」に関する番組が非常に多い。日本人が総じて「愚民化(おバカ化)」しているのである。
 チャンちゃんは昔から美食に興味がない。社会人になってから会社持ちで月に一回、気のきいた小料理屋で、いわゆる“美食”というものを数年間経験していたけれど、会社持ちだからといっても「それがどうした」っていう感じだった。美食に凝る人々の気持ちが、正直なところ今でも全然分からない。
 脳にいい食事とは、それとは対極にあるものです。つまり、一切こだわらない食事です。必要最小限の量で、味付けや見た目に凝らず、好き嫌いをいわずに出されたものをありがたくいただく。自分の命をつなぐことだけを目的とする、質素な食事です。(p.191)
 衣食住にこだわり始めると、その瞬間から物理空間の因果に束縛されてしまいます。思考の抽象度が上げられないところへ、脳にいいからと酸素や糖分を補給しても、大した意味はありません。
 抽象度の高い領域で脳が動くことで、はじめて自分を変えられるのです。そうならないうちに栄養を補給しても、抽象度の低いところで消費され、それでおしまいです。(p.196-197)
   《参照》   『一瞬で相手をオトす洗脳術』 苫米地英人 (マキノ出版)
             【少食を心がけ、有酸素運動を遠ざける】

 

 

<了>

 

 

  苫米地英人・著の読書記録

     『日本の盲点』

     『脳と心の洗い方』

     『脳を味方につける生き方』

     『正義という名の洗脳』

     『経済大国なのになぜ貧しいのか?』

     『苫米地式「幸せ脳」のつくり方』

     『一瞬で相手をオトす洗脳術』

     『バイリンガルは二重人格』

     『なぜ、脳は神を創ったのか?』

     『頭の回転が50倍速くなる脳の作り方』

     『夢が勝手にかなう脳』