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 タイトルは、「バイリンガルは、言語によって脳の階層を使い分けることで別の人格になっている」というほどの意味だろう。しかし、著者がこの本の中で書きたかった主旨は、おそらくそんなことではない。2010年12月初版。

 

 

【人格に関わる海馬】
 いくつもの人格が現われるように見える原因は、脳の海馬に関係しています。
 じつは、二重人格や多重人格は、海馬の細胞が壊れることによって生じる記憶障害のひとつだということがはっきりしたのです。
 どういうことか、まず説明しておきましょう。
 脳機能的に、海馬が記憶や学習機能と深く関係していることは早くからわかっていました。
 海馬は、短期記憶に関してはそれをプールする場所であり、長期記憶に関してはそれを出し入れするゲートの役割を果たしています。
 そもそも長期記憶は、側頭葉に蓄えられています。側頭葉に記憶が長期記憶として投げ込まれるときも、そこから長期記憶をひっぱりだすときも、すべて海馬というゲートを通じて行われます。
 長期記憶に関してきわめて重要な役割を果たしている海馬ですが、人が強いストレスを受けると、海馬の細胞が破壊されてしまいます。強いストレスによって、副腎皮質からコルチゾルというホルモンが産生され、このホルモンが海馬の細胞を破壊する作用をもたらすのです。

 実際PTSD(心的外傷後ストレス障害)のヒトの脳を調べてみると、ほぼ100%、海馬が委縮しています。
 海馬が委縮すると、ほんらいの長期記憶のゲートの機能が果たせなくなります。その結果、長期記憶の出し入れがうまくできず、側頭葉に蓄積された記憶が消えるかどうかは別にして、「思い出せない」「憶えていない」という状態が生み出されるわけです。(p.28-29)
 認知症も海馬の委縮によって生じていることが説明されている。
 さて、海馬が委縮することによって記憶の出し入れに齟齬が生じると、あるひとつの人格のときの記憶と、別の人格のときに記憶が完全に分離してしまいます。 ・・・(中略)・・・ 。
 このように、二重人格や多重人格は記憶障害であり、それは強いストレスを受けた結果としてもたらされます。(p.33)
 海馬の機能がコンパクトに書かれていたから書き出しておいたけれど、これらの記述は、本書のタイトル用語をひっかけにしているだけの前振りみたいなものである。

 

 

【バイリンガルの二重人格】
 バイリンガルの二重人格は、海馬の委縮によるものではなく、少し抽象度の高い情報処理にもとづいて生み出される、日本語人格と英語人格という二重人格です。(p.34)
 つまりバイリンガルになりたければ、使用する言語に応じて、あたかも別の人格であるかのようになり切ることで、脳の階層構造(レイヤー)を使い分ける必要がある、と言っている。
 脳には言語を運用する高い抽象度のレイヤーでのネットワーク集団があり、バイリンガルは、そのネットワーク集団が日本語用と英語用に分かれているということです。(p.37)
 英語学習において、「頭の中で英語を日本語に置き換えてはいけない」といわれるのは、「英語人格と日本語人格の混用によって人格の切り分けに失敗してしまうから」と説明することができるだろう。

 

 

【臨場感と自己イメージ】
 自分の自己イメージが、英語がしゃべれるという臨場感世界で成り立つと英語がしゃべれるようになり、それが成り立たないと英語がしゃべれなくなるということです。
 どういうことかといえば、臨場感世界と自己イメージは、双方向性を持っています。要するに、自己イメージというのは、自分が感じている臨場感世界で見るわけです。
 ですから、自分が英語をしゃべっている世界の臨場感が高ければ、英語を話すことのできる自己イメージが生まれます。逆に、その臨場感が否定されたときは英語をしゃべれない自己イメージが生まれます。(p.40-41)
 多くの自己啓発書などでは、臨場感は切り離されてしまって、自己イメージだけが語られているから、力強い効果が得られなくなってしまっているんじゃないだろうか。双方向性であるにせよ、臨場感と自己イメージは紐づけて理解されねばならない。
 臨場感を伴う自己イメージを英語人格の中に投入してしまえば、急速に英語が上達する。
 おそらくモノマネ芸人のコロッケさんたちも、モノマネする相手の人格の中に、臨場感を持った自己イメージを投入することによって「なりきっている」からこそ高い成果が出せているはずである。

 

 

【英語人格をつくる具体的な方法】
 著者はアメリカの連続ドラマを見ることを勧めている。
 blu-rayでは日本とアメリカが同じリージョンコードなので、そのままアメリカ市場向けのものが日本のblu-rayプレーヤーで見ることができます。(p.98)
 英語人格をつくるには、英語環境の中に身をおいて臨場感を高めるのが手っ取り早いということだろう。
 通常のDVDは、日米でリージョンコードが違うから、せっかく買ってきても日本では再生できない。このことを知らずにたくさん買い込んできてブツブツ言っていた人に、過去二人で会っている。これに関連したことなので下記をリンクしておきます。
   《参照》   『ネット帝国主義と日本の敗北』 岸博幸 (幻冬舎新書)
             【ネット上に国境は存在する】

 

 

【人格を選択できれば自由になれる!】
 ふつうの日本人は自由に生きているつもりで、日本社会の中の自由しかないわけです。突然ぜんぜん違う文化がリアルに感じられるようになると、別の視点が入ることになります。
 選択肢が増えてもう一段自由になるのです。抽象化するということは自由度を上がっていくということです。
 だから、知識を多量に得るか、抽象度を上げるかしかありません。
 たとえば、バイリンガルの場合、自動的にもう一つの視点が生まれるため、バイリンガルじゃない人よりも自由度が上がるのです。(p.134)
 比較文化や国際関係に興味を持っている人は、例え語学音痴であったとしても、日本以外の文化的な視点に晒されるから、知識も増えるついでに自ずと抽象度も上がってしまうだろう。そんな経験的積み重ねがあれば、中身や教養がまったく感じられない流暢な英語を話すだけの人々より、多くの視点を経過している分、自由度は高くなっているはずである。
 著者の本の中には、いずれであれ「抽象度」と「自由」という二つの連繋する言葉が、キーワードのようによく出てくるけれど、この付近には、アメリカで長年生活してきた著者ならではの抽象度の高い視点によって明確にされた日米の「自由」の定義の違いが記述されている。

 

 

【文字を読む】
 抽象世界に対する臨場感を持てない人は物理空間に留まってしまいます。
 ・・・(中略)・・・ 。
 抽象化されたイメージに臨場感を持つ方法が必要になります。その方法のひとつが文字を読むということです。
 知識を得ることは会話でも可能なのですが、所詮会話できる人はかぎられています。文字情報であれば、自分よりもはるかに高い抽象化された知識を得ることができます。 (p.138)
 書籍は文字情報によってできているがゆえに抽象世界を形成している。抽象化の度合いは内容に依るけれど、文字を読み抽象世界に慣れていれば、物理空間に囚われて即物的な人生に陥没しちゃうようなことはないだろう。

 

 

【世界に踏み出すためのパスポート】
 文化というものは物理空間にあって見えるものだけではありません。目に見えず、手に触れられない文化というものもあります。
 じっさいは、見えない文化のほうが、はるかに豊かな世界を構築しています。価値観や考え方というものは、この豊饒な見えない文化によって編まれた壮大な織物のようなものです。そして、こうした見えない文化がどこにちりばめられているかといえば、書物の中なのです。だからこそ、英語圏の価値観や考え方を理解し、身につける最強の勉強方法が読書だといったわけです。
 その手始めは、古典です。(p.184)
 著者おすすめの古典が113頁にリストアップされている。
 そして、この古典を手掛かりに読書の幅を広げて欲しいと書かれている。
 読書は必ず、あなたの頼れる武器になります。それによって、英語の理解力、英語圏の文化に対する理解力が各段に進歩します。それだけでなく、前頭葉の質も向上させてくれます。(p.185)
 読者のみなさんは流暢な発音といったものに惑わされず、話すだけでなく、聞く、読むへ、英語の勉強法をぜひ大きく切り替えてください。そして、しっかりとした骨太の英語人格をつくりあげるようにしてください。
 私たちが21世紀の世界に大きな一歩を踏み出すためのパスポートは、英語ではなく英語人格なのですから。(p.186)
 最後のフレースに関して、中国語を学んでいるひとは、「中国語ではなく中国語人格なのですから」と、フランス語を学んでいるひとは、「フランス語ではなくフランス語人格なのですから」とそれぞれに読みかえることができるのは言うまでもない。
 上記書き出しは本書のクロージングセンテンスであるけれど、このような記述をするのは、著者が真摯な愛国者だからだろう。誰であれ、異文化に触れた人々は自国文化に誇りを持ちたくなるものであるけれど、異文化の深層(真相)を深く正確に知った人々ほど、自国を愛する気持ちは強くなることだろう。特に深く秘めやかな日本文化の中で生まれ育った者たちの場合は、必ずやそうなるはずである。

 

 

                                  <了>