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 著者は、終戦後まもなく生まれた団塊の世代の方。学生時代の旅の様子と、JAICAでの仕事を通じて体験してきたことが書かれている。2011年12月初版。

 

 

【団塊世代の学生時代の海外体験】
 私が北海道の大学に入った1966年頃は、小田実著『何でも見てやろう』や、北杜夫著『どくとるマンボウ航海記』が流行り、日本の若者の多くが海外雄飛にあこがれた時代で、多くの学生が夏休みを中心に、シベリア鉄道経由でユーロッパに渡り、皿洗い等をしながら旅行をした時代でした。(p.13)
 この記述に次いで、アルバイトをして資金を貯め、大学を1年間休学し、航路日本を出て、タイからヒッチハイクでインド~中東~ヨーロッパ~アフリカ~パキスタン~インド~タイ~日本と巡った体験記が序盤に書かれている。
 『何でも見てやろう』は、団塊世代のおじさんたちの若い頃のバイブルみたいなものだったんだろう。下記リンクの中で取材されている「ひも屋」のおじさんも、同じ本に触発されたと書かれていた。
   《参照》   『国づくり人づくりのコンシエルジュ』 (土木学会)
             【「ひも屋」】

 

 

【ヒッチハイク旅行で感じたこと】
 汚い格好の私がほとんどヒッチハイクでヨーロッパを回れたのですから、「黒白はハッキリつけるけれど、積極的に何かに挑戦する若者を温かく育てようとする社会のおおらかさ」を、十分に感じることが出来ました。(p.21-22)
 最近の若者のバックパッカーは、あまりヒッチハイクはしてないんじゃないだろうか。大抵は電車かバスだろう。だから、著者が書いているようなことを実感しているかどうか、ちょっと疑問。
 ついでに、1年以上かけて世界を巡っている最近の若者達に聞いたことを書いておけば、旅の費用は平均して1ヶ月で13万円くらいかかるらしい。宿代は2000円以下の安宿やテントや夜行バス泊で極力抑えるけれど、結局のところ移動費がどうしてもかかるから、ひと月13万円くらいになってしまうという。
 さらについでに、世界1周クルーズという豪華な旅をした人の話では、船が港に停泊中は、都市のホテルに宿泊しなければならないから、結局、船旅代金と同じくらいの自腹費用が別途必要になるという。
 いずれにせよ、若者がまともな個室のホテルなんかに泊ってしまうのは費用面でも経験面でも絶大なるムダである。ドミトリー形式の安宿であれば、いろんな連中と当たり前に会話ができていろんな情報が手に入る。若者は、団塊世代のおじさん達が若い頃やっていたような、費用をかけない旅に挑戦した方がいい。

 

 

【芸能や芸術ではないビジネスに必要な文化】
 人間は集団の動物だと言われます。
 従って、日本文化とは茶の湯や歌舞伎、絵画や芸術といった側面ではなく、「集団の動かし方を知ることこそが日本を理解する鍵だ」と思い始め、エチオピアの社会の動かし方や組織での仕事との比較の中で、日本文化を見直しはじめました。(p.34)
 文化といえば、芸術や芸能の世界を最初に思い浮かべるけれど、それらは基本的に過去の貴族階級や有閑階級の嗜好として発展してきたものである。それ以前に、生きてゆく上での必要上から、人々が集まって何事かをなしてきた場合の行動様式があり、それがその国々の政治性や経済性の基盤となっている。ビジネスや社会貢献のために海外に赴任している人々にとって鍵となる文化は、こっちである。
   《参照》   『バスラ風土記』 山田重夫 (朱鳥社)
             【現地人の使い方】

 日本で組織を率いて素晴らしい成果を上げていた人でも、海外で同様な成果を上げることができるとは限らない。不言実行タイプの方は、高い確率で失敗するだろう。
 日本から新しく来られた方を表敬訪問にお連れしても、自己紹介などの挨拶が上手くできず、会話も成り立たないため、自分の技術力が的確に伝わらないのです。(p.55)
 学生時代の同級生の大庭が、スペイン語圏の中米へ協力隊に行って帰って来た時、「言葉をちゃんと習得していなかったから、全然仕事にならなかった。だから、ただ毎日食って寝てそれだけで帰ってきた」と本人自らアッケラカンと言っていた。 タコ! 国費の無駄というに留まらず、文化交流として最悪である。
 ビジネスの視点で記述された文化論としては、下記の著作が参考になる。
   《参照》   『伝統の逆襲』  奥山清行  祥伝社  《後編》
             【日本人がつくる組織】~

 

 

【異質な人たちとの協働作業】
 世界の多様な文化に触れ、その旅に活き活きとする自分と家族を見つめ誇りに思うと共に、異質な人たちとの協働作業は、苦労は多いが負の苦労ではなく、達成感と生きがいを伴った前向きの苦労であることを、自分の体験としても実感できました。(p.136)
 この本の副題に「文化は異文化で磨かれる」とあるけれど、このように協働作業を前向きに捉える意志を持った人でないと、日本の文化も対象国の文化も全然「磨かれない」のである。
 
 
【「〇〇国際交流協会」】
 ところで、日本国内の国際交流を旨とするボランティア団体の中にはSGI(創価学会インターナショナル)の人々が匿名で運営している「〇〇国際交流協会」というサークルが全国にたくさんある。彼らは外国人に対する布教が目的だから、そうとは知らず国際交流が心から大切であると思って参加している一般のボランティアが積極的に行動し出すと、隠然たる組織力で排除しだすのである。国内においてすら、このように思想的(宗教的)異質な人たちと協働作業する意志が最初からないのだから、こういう宗教団体のあり方は迷惑千万なことこの上ない。運営主体を匿名にせずSGIであると明確にして活動すべきだろう。そうでないなら社会悪である。
 創価学会がどういう組織か知らないのなら、下記リンクを辿っておいてください。
   《参照》  "創価学会"に関する引用一覧
 

 

【途上国への援助】
 途上国では仕事が右から左に流れては来てくれません。そもそもどういう仕事を右から左へ流せばいいかが分からないから要請したのです。だから途上国なのです。
 実は先方も「新しい人は具体的に何が出来るのか、何をしてくれるのか、そして何かしてほしいことはないのか」と不安を持っています。
 双方が、「相手は何を求めているのだろう」との不安を感じており、こういう場合は援助を実施する日本側が積極的に気を配るしかないのです。(p.57)
 普通の職場でも同じだけれど、待ちの姿勢では何も成果を出せない。ホウレンソウ(報告・連絡・相談)を旨として、定められた目標に向かって臨機応変に微修正し続けるという態度が基本。

 

 

【座りション】
 日本の男性はオシッコを立ってしますし、ヨーロッパでも同じ光景を目にします。しかしなんと中東では野外で用を足す時座ってするのです。
 どうも見られるのを嫌うためのようですが、その理由は定かではありません。(p.63)
 チャンちゃんはいつだって座りションである。だって我が家には男用の便器がないもんね。
 ところで最近、チャンちゃんも中東人みたいに野外で座りションをしている。庭に勝手に生えてきたカボチャの根元に、給水を兼ねてオシッコをかけたらエラク元気が良くなったから、内外で無駄な水を使わない2重のエコでもあるし、悪い点がないのである。庭がある人は、外でオシッコをしよう。

 

 

【中東の神霊界】
 事務所で何気なくお茶を飲みながら無駄話をしていたとき、あるエジプト人職員の言葉にビックリしました。
「イスラム教もユダヤ教もキリスト教も、神は同じだ」
 イスラムとユダヤなんて戦争までしているのに同じ神を頂くなんて、と最初はまるでピンと来なかったものでした。
 しかし、同じ神を頂く経典の民として、ユダヤ教やキリスト教の預言者もイスラム教で尊敬されており、たとえばイエスはイーサ、モーゼはムーサ、アブラハムはイブラヒームと呼ばれ、アラブ人の名前にもなっているのです。
 中東は本当に奥が深い! (p.81)
   《参照》   『神なき国ニッポン』 上田篤 (新潮社) 《前編》
            【アブラハムの系譜】 

 国際金融を支配する「闇の支配者」達が、中東に貯まってしまうオイルダラーを世界経済に還流させるために数年間隔で意図的に戦争を起こしてきたのである。キリスト教、イスラム教を問わず原理主義者達の育ての親は「闇の支配者(軍産複合体)」である。
   《参照》   『ブッシュのあとの世界』  日高義樹  PHP
             【オイルマネーと日本の貯蓄力】

 

 

【バルカンの日本人】
 ブルガリアの人々は「バルカンの日本人」と呼ばれるそうです。
「感受性が強く、自分の殻に閉じこもるところや、決められたことを几帳面に守るところが日本人と似ている」からでしょうか、日本の文化や日本人に大変な好意を寄せてくれます。(p.98)
 へぇ~、知らんかった。
 日本人にとっては「ヨーグルトの国」程度の印象だろう。日本人はブルガリアのことをほとんど知らないのに、ブルガリアの人たちは日本のことをよく知っているらしい。
 ブルガリの人達は日本の昔話が大好きです。『鶴の恩返し』『猿蟹合戦』『桃太郎』等々、よく知っています。
 ・・・(中略)・・・ 。日本の昔話は「日本人が守りたい、伝えたいと考えた人間の生き方を話にしたものなんだ。それが分かるからブルガリアでは人気なんだ」
 正直に生きる、弱いものを守り正義を貫く、親孝行をする・・・・。『舌切り雀』『一寸法師』『養老の滝』エトセトラ、エトセトラ。
 日本の昔話は社会を守る、人の絆の活性剤だったんでしょう。(p.110)

 

 

【ブルガリアの大臣からのメッセージ】
 日本が支援していた技術協力・ボランティア事業が目的を達して終了する式典で、担当大臣から以下のようなメッセージがあったという。
「政変後の一番苦しいときに、日本政府はJICAを通じ最も効果的かつ心のこもった支援をしてくれました。ブルガリア人民は決してこれを忘れないでしょう」
 これはお世辞ではなく、ブルガリアの人々は本当に日本の文化を敬愛してくれます。(p.101)
 ありがとう。両方に。

 

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