皆さま、こんにちは!
今日は先月訪れたばかりの
石北本線・東旭川(ひがしあさひかわ)駅の訪問記です。
東旭川駅は大正11年に開業した駅で、
駅名の由来は旭川市の東方に位置するから…ではなくて、
東旭川駅が開設された当時は
ここは東旭川村で、旭川市とは別の市町村。
東旭川村の玄関口ということで付けられた駅名だそうですよ。
ちなみに東旭川村は町の昇格を経て、
昭和38年に旭川市に編入されたそうです。
実はここに来て、大きく悔やんでたことがありまして…
その昔、旭川市内を
国内最北の電車(旭川電気軌道)が走っていたことは知っていたのですが、
東旭川駅の近くを走っていたとは思いませんでした。
まさか、ここに来るまでレンタカーで走った道路が廃線跡だったなんて…。
なお、当時の電車が
東旭川駅から1,5キロ離れた東旭川公民館の敷地内に
保存されているとのこと。
グーグルのストリートビューより転載。
9月にもう一度、旭川市内を訪れるチャンスがあるかもしれないので、
その時は絶対に立ち寄ってみますよ。
さてさて、そんな東旭川駅には広大な駅前広場がありますの。
駅舎側から見ると、こんな感じでした。
広い、広すぎますって!
この広さには、なにか理由があるに違いない。
そんな風に思うのって、駅ファンだけでしょうかね?
そこで、国鉄時代の様子が分かる、
昭和51年に撮影された東旭川駅の航空写真をチェックしてみたところ…
わぉ!駅の周りに貨物側線がいっぱいある!
現在は住宅地に囲まれてしまった東旭川駅ですけど、
当時は辺りには工場や倉庫が沢山あり、
貨物列車の専用線も数多く延びていたようです。
この線路の用途が気になり、
国鉄時代の専用線一覧と照らし合わせてみたところ…
駅前側が農協、駅裏側が旭油脂の貨物専用線だったみたいです。
留置されてる数多くの有蓋車(貨車)の姿、見えますかね?
東旭川駅の貨物専用線はこれだけではありません。
東側(北日ノ出駅寄り)には北海酸素の専用線もあったようですよ。
同社は、タンク長が長い
液化プロパン系のタンク車を多く保有していた会社さんですので、
写真に写るのは、タキ5400もしくはタキ5700辺りのタンク車かと思いますが。
なお、現在これらの専用線はすべて撤去された模様。
農協倉庫は残るものの、線路は跡形なく姿を消してました。
こちらは専用線ではなく、国鉄時代からあった側線のようですね。
北海酸素は、線路だけではなく工場も姿を消したようで。
なお、会社さんはその後に企業合併して、
国内3大産業ガスメーカーであるエア・ウォーターに変わったらしい。
企業の成長ぶりがハンパないっす!
こちらは旭油脂専用線が延びていた場所です。
専用線跡は住宅道路に変わってましたね。
以上、貨物列車が行き交っていた当時の様子を
ちょこっとでも伺えたらと期待してたのですけど、
残念ながらそれらしい遺構を見つけることは出来ませんでした。
こちらは東旭川駅の駅舎内です。
東旭川駅は昭和59年に無人駅化され、
その直後に簡易駅舎に建て替えられたみたいですね。
ホームは列車の行き違いが可能な相対式ホーム2面2線構造。
外側のホームは国鉄時代は島式でした。
こんな感じで、旭川電気軌道の保存車両を見ることなく終わった
先月の東旭川駅探訪でした。
9月に再びここを訪れることが出来るかは、
今日から始まる楽天トラベルのスーパーSALEの結果次第。
無事に宿が予約出来たら、次回は旭山動物園に行きたいのですけど…
目的はペンギンではなく、
旭川電気軌道東旭川線の廃線跡巡り(終点が旭山動物園でした)ですので、
念のために言っておきます。
☆追 記☆
旭川電気鉄道モハ1001を見てきました!(平成30年4月25日)
その日の様子もぜひチェックくださいね。→ここをクリック
↑(新旭川駅方面)
東旭川駅(平成29年5月25日)
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