皆さま、おばんです!
昨年の5月に石北本線・遠軽(えんがる)駅を訪れました。
ここで下車したのは人生で2度目。
前回は5年前に仕事で訪れまして、時刻が夕方過ぎだったものですから
ノンビリと過ごすことが出来なかったのです。
だから今回の訪問はめっちゃ楽しみにしていたのですよね。
遠軽駅と言えば、これですよこれ、イラスト付きの階段です。
遠軽町の町花は「コスモス」だそうで、
2本ある階段のうち、こちら側にはコスモスが描かれてました。
階段は昨年9月に描き直しされたらしく、
現在は違ったコスモスが描かれているんですって。
駅舎を駅舎から眺める。
5年前に訪れた時にも古い木造駅舎を見て興奮しましたけど、
再訪問で大きな改装が施されてないことを確認し、ホッとしてた自分。
遠軽駅は大正4年に開設された駅で、
現在の駅舎は昭和9年に建て替えされたモノだそうです。
密閉式の駅舎はいかにも北海道の駅といった感じ。
改札口の奥に待合室がありました。
待合室に貼られていた地元のお祭りのポスターです。
旅中に駅を周ると、こんなポスターがついつい気になっちゃうのよね。
貫禄ある(良い意味で)演歌歌手さんだなぁと思いネット検索したら、
さくらまやさん、現在19歳なんですって!
駅が改築されたないこと以上に驚きましたわ。
帯広出身の歌手さんだそうです。
その他の出演者は美川憲一さんと…ん?違ってたかな?
続いてはホームをチェックします。
遠軽駅は相対式&島式ホームによる複合2面3線構造でした。
遠軽駅は新旭川駅~網走駅を結ぶ石北本線の中間駅ですけど、
ここで列車の進行方向が変わるスイッチバック駅であることは
ファンの間では有名な話ですよね。
これには理由があり、かつてここから 紋別を経由して
宗谷本線・名寄駅に接続する名寄本線があったからなのでした。
遠軽駅が開設された当初は
旭川-遠軽-紋別という流れが遠軽駅の物流のメインで、
旭川駅方向からの石北本線と名寄本線が直進できるよう
線路配置されてたのです。
ところが名寄本線は平成元年に廃止、
残された石北本線はスイッチバック構造になっちゃったわけですよ。
そんなことで、国鉄時代の遠軽駅は鉄道の要所で
構内には機関区や客貨区があり、
最盛期には700人近くの鉄道員さんが勤めていたとか。
構内が広い理由はそのためだそうです。
現在も残る転車台の奥には巨大な扇状庫もあったみたいですね。
国鉄末期までは存在していたようですけど、見てみたかった~。
なお、廃止された名寄本線に伸びてる線路ですが、
構内入替用として今も大部分が残されているみたいです。
そしてホームも。
1番線ホームの隣には頭端式の0番線ホームが存在していて、
ここから名寄本線の列車が発着していたそうです。
矢印の先が、かつて0番線ホームが位置していた場所でしたよ。
実はここにはファンが大歓喜しそうな、あるモノが残されてまして…
国鉄時代から使われている電照式の「のりば案内」に注目です。
表記にある文字が残されているのがわかりますかね?
見づらくてわからない方のために、コントラストを挙げて再アップ!
(こちらは上のモノとは別物です)
なんと!30年近くも前に廃止された名寄本線、
そして今は無き0番線ホームの案内が今でも残ってましたの。
もちろん現在は点灯はしませんけど何気にすごくありません?
電照式の案内看板自体も相当にレアなモノだと思いますよ。
他にも、島式ホームの上屋支柱が
米国鉄鋼メーカーのテネシー社、大正8年製のレールだったり…
構内を探せば、もっともっと楽しいモノが発掘できるかもしれません。
最後に、構内にあるお蕎麦屋さんで駅そばを戴きました。
「北一そば」さんは昭和16年創業という老舗の駅そば屋さんですぜ。
お蕎麦のくせに麺が歯ごたえがあって美味いの。
遠軽駅に来たら、これは絶対に外せませんよね。
無心になってお蕎麦を食べてたら、この看板が気になりました。
駅そむ?そむって一体何だろう?
そこでお店のおばちゃんに聞いてみたら、これで「駅そば」と読むらしい。
お蕎麦屋さんの看板を作り直す際に、
看板屋さんから「レトロっぽく作ります?」と聞かれて
素直に「はい」と答えたら、
お客さんが読めないくらい古いデザインで出来上がってきたんですって。
ちなみに「む」らしき文字は「は」の変体かなだそうです。
よく見たら、たしかに点らしきものが2つ付いてましたわ。
おばちゃんのお陰でひとつ賢くなりました。
駅舎の正面にある駅名標のピンク色に少々の違和感を感じましたけど、
今思うとこれ、コスモス色ってことですよね?
…以上、美しい木造駅舎が残る見ごたえバッチリの遠軽駅でした。
↑(新旭川駅方面)
遠軽駅(平成29年5月23日)
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