第二十代安康天皇は古代の天皇です。


御父允恭天皇の第三皇子、御母は忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめ)。
祖父は仁徳天皇です。


御名は穴穂尊(あなほのみこ)。


在位、四五三年から四五六年。


允恭天皇の皇太子である木梨軽皇子は同母妹と密通してしまいましたので、允恭天皇崩御ののち群臣は離反し穴穂尊についてしまいました。そのため穴穂尊を襲おうとしていた木梨軽皇子は自殺し、穴穂尊が即位することになりました。


安康天皇は、弟の大泊瀬皇子(後の雄略天皇)の為に、大草香皇子(おおくさかのみこ)の妹と一緒にさせようと群臣の一人を使わしますが、喜んで家宝を差し出して受諾の返答されたのをその群臣に家宝を横取りされます。また返答も断りに変えられてしまい、激怒した安康天皇は、大草香皇子を攻め殺してしまいました。


そして大草香皇子の妻の中蒂姫(なかしのひめ)とその子の眉輪王は宮中に入れ、のちに中蒂姫は皇后となり寵愛されました。これには大草香皇子を誅殺した罪の償いの意味もあったといいます。


しかしある宴のあと、眉輪王がいるのを知らずに安康天皇が中蒂姫とかわした会話から、亡き父が安康天皇よって殺されたことを知った眉輪王によって父の恨みを晴らそうと刺され安康天皇は崩御しました。


安康天皇は暗殺された最初の天皇です。

安康天皇の即位の過程や御在位中、また暗殺後の雄略天皇の行動は、この時代が政情が不安定であり、天皇の地位が安定していなかった時期であることを物語っています。

 

しかしそんな中でも、横取りされた宝物が戻り大草香皇子は安康天皇の家来が嘘をついたため誅殺されたことがわかり、家来は罰せられるという、悪いことをすればいつかそれはばれるという教訓のような逸話があったりします。記紀はいつの時代も変わらない人間の本質を天皇の物語で知ることができる、一度は読むべき物語だと思います。

 

 

 御陵は菅原伏見西陵、奈良県奈良市宝来四丁目にあります。

 



第百七代後陽成天皇は安土桃山時代(戦国時代)末期の天皇です。




御父、正親町天皇の皇子誠仁親王の第一皇子、御母は勧修寺晴子。


諱は周(かたひと)。


一五七一年生。


在位、一五八六年から一六一一年。関白豊臣秀吉から二代将軍徳川秀忠の時代です。


織田信長は正親町天皇に何度も譲位を求めていましたが、天皇は拒否し続けました。しかし、信長が本能寺の変で倒れ豊臣秀吉の時代になると、秀吉を関白に任じた翌年に、皇子が早く没した為孫である周仁親王に譲位しました。


豊臣の姓を賜った秀吉は後陽成天皇を大いに尊重し、天皇や朝廷にとって安定した時期となりました。


しかし秀吉が没し江戸幕府を開いた徳川家康は、朝廷とは一線を画し干渉の度合いを深めます。一方で将軍への就任は天皇の任命によるもので、元号も天皇が制定する形式が保持されました。


が、後陽成天皇は弟への譲位を望んでいましたが、家康の反対で第三皇子に譲位することになりました(後水尾天皇)。

そうしたことが原因か、後水尾天皇とは不和であり続けたと伝えられ、そのため後水尾天皇は、わざと後陽成という追号されたといいます。陽成天皇は色々と行動に問題があった暴君のため、譲位させられたと伝わる天皇だからです。しかし、その当時の陽成天皇はまだ15歳であったことや太政大臣藤原基経との関係悪化等からその暴君説は疑問視されています。しかも、陽成天皇の百人一首13番歌を詠むと暴君どころか相手の立場を重んじる立派な方なのが歌に表れているお方なのです。そう考えてみると、徳川時代になり干渉を深める家康に苦労されていたのを身近で見ていたので、後水尾天皇は後陽成の名を追号されたのではないかとも思うのです。

 

在位中は激動の時代で、秀吉の伴天連追放令、刀狩令、海上賊戦禁止令、明征伐の為の朝鮮出兵である文禄の役、アイヌの保護、太閤検地、慶長豊後地震、サン・フェリペ号事件、禁教令を無視し神社・仏閣を焼き払い日本の子女を売り払うキリスト教徒の処刑、再度明後略の為の朝鮮出兵である慶長の役、秀吉死去後の関ケ原の戦い、家康の征夷大将軍就任及び二代将軍秀忠の征夷大将軍就任、また琉球王国の日本服属があります。

 

譲位される前には、複数の朝廷高官が絡んだ醜聞事件が起き、後陽成天皇を激怒させませす。全員処刑を言い渡しましたが、幕府と公卿衆になだめられ穏便な処理となりますが、これを機に幕府は後に公家衆法度や禁中並公家諸法度を制定することになります。そして、この事件が後陽成天皇が譲位するきっかけともなりました。


一六一七年崩御。


御陵は深草北陵、京都市伏見区深草坊町にあります。

 

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葬儀は火葬で行われましたが、以後は土葬となりましたので、火葬された最後の天皇となります。


 

参照:「宮中祭祀」
「天皇のすべて」
「古事記」
「全現代語訳日本書紀」
「歴代天皇事典」

「旧皇族が語る天皇の歴史」

「歴代天皇で読む日本の正史」




天皇を知る上で避けて通れない字


☆宮中祭祀については、以下をご参照くださいませ

神代在今の国
年間102日あります

宮中祭祀 新嘗祭①
宮中祭祀 新嘗祭②
宮中祭祀 新嘗祭③
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