天長節とは天皇誕生日のこと。


明治天皇は旧暦の9月22日が誕生日ですので、その日が天長節と定められました。しかし明治6年新暦に変わったとき、11月3日に改められたので、明治時代の人々は天皇誕生日を11月3日にお祝いしていたのです。



ちょうど100年前明治天皇が崩御されたので、11月3日の天長節はなくなりましたが大正時代に民間有志の誓願により昭和2年に誕生したのが「明治節」。



「天皇の遺徳を仰ぎ明治の時代を追憶する日」として定められたのが、本日の祝日です。戦後明治天皇と関係のない名称に変えられましたが、戦前の名称に戻すべきものの一つです。



文化の日とは、「自由と平和を愛し文化をすすめる日」とありますが、そのような日を設定しないでも古来よりそのように生きてこられた幸せな民が日本人ですから、文化の日なんていりません。それよりも、優れた先人の存在を伝えることが大事なのです。



国史を学び忘れないためには繰り返し振り返ることが必要です。そのために重要なことの一つが、 縁のある日を振り返るきっかけにすることです。繰り返し繰り返し語り継ぐことが重要です。



本日早朝からテレビをつけていますが、文化的な話題はもちろん明治天皇について触れてもいません。今年は明治天皇崩御100年にあたるのにもかかわらず。



明治というのは、近代日本にとってとても重要な時代です。そしてその中心には明治天皇がいらっしゃったのです。今日のこの日ほど明治を振り返るのにふさわしい日はないのではないでしょうか?



明治天皇御製


あしはらの国とまさむと思ふにも
青人草ぞたからなりける
(大日本帝国を富まさんと日々思うにつけても、第一に正しく貴い宝はこの国のわが民草なのである)


いさをある人を教へのおやにして
おほしたてなむやまとなでし子
(国家に訓功のある人をその美質をもって正しく学校の教師とし、我が国の青年子弟を教育せしめたきものである)


弓矢もて神のをさめし国人は
事なき世にもこころゆるすな
(国家泰平の時に当たりても、その太平に馴れて武の事を忘れてはならぬ)


つもりては払ふがかたくなりぬべし
ちりばかりなることとおもへど
(わずかなる塵ほどの小事と思っても打ち捨てておくならば時のたつにつれ積もりに積もって終いには払うこともできなくなるであろう。よくよく注意して悪しきことの塵が積もりて山のようにならぬよう心がけなければならない)


時はかるうつはの針のともすれば
くるひやすきは人の世の中
(説明不要ですね)