歴史を見直しているうちに見えてきたもの。
それはどの民族にとっても大事なものは同じ。
その民族の言葉と歴史と神話。
それはその民族の経験と知恵の賜物。
日本であれば言葉は
大和言葉と漢字、ひらがな、かたかな、和歌。
その民族独特の哲学は、その民族の言葉でしか語れない。
歴史は神社と寺他様々な文化や伝統の引き継ぎも含まれる。
神話は古事記、日本書紀、風土記、その他地元の言い伝え。
特に神話と歴史が重なる日本の神話は特に大切。
古事記、日本書紀はその代表、基本である。
歴史や神話を教え伝えるためには言葉が必要。
言葉と歴史と神話は密接に繋がりあうもの。

だから、このうちのどれ一つでもないがしろにはできない。

そして密接に繋がりあうものの代表的なものが、
日本においては神社文化であり、
それを大事にお守りしてきた天皇の文化である。

日本は天皇文明の国なのだ。

これは歴史が語っていること。
  • 26 Apr
    • 私達は「おおみたから」宝物です(^O^)/

      本日は旧暦では四月一日ですが、仁徳天皇七年四月一日に仁徳天皇が出された詔があります。   民のかまどで有名な仁徳天皇ですが、仁徳天皇が聖の帝として御歴代の天皇の見本とされたのは、この詔の存在も大きいと思います。     「天の君を立つるは、是れ百姓(おおみたから)の為なり。然らば、即ち君は百姓(おおみたから)を以て本となす」     天皇は「おおみたから」のためにある」と詔されているのです。百姓と書いて「おおみたから」と読みます。百姓が差別用語なんてとんでもありません。百姓は「おおみたから」とも読む言葉ですし、日本語には基本差別用語はないと思います。むしろ差別ということが差別ではないかと思います。その他にも「おおみたから」と読まれている民を表す言葉は、「元元」「民」「人民」「百姓」「黎元」「兆民」「公民」があります。私がほんのちょっと日本書記をめくって見つけただけですから、他にも沢山あるかと思います。ここからわかることは、つまり「国民」も「おおみたから」ということです。   民を「おおみたから」=「大御宝」と呼ぶような天皇のような御存在が当時はもちろん現代においても他にあるでしょうか?   その大御宝を想う心を「大御心(おおみごころ)」と言います。   現在も私達日本人は、そんな大御心で想われている大御宝です。「あなたは宝物」と言われて嫌な人いますか?ただ日本人として生まれただけで私達は宝物になってしまうのです。嬉しくまた有難いことだと思います。     仁徳天皇がこの詔を出された三年前に、民のかまどで有名な年貢の徴収を三年間禁止させる詔が出されています。この詔も「百姓(おおみたから)の窮乏を察し群臣に下し給える詔」となっており、民のかまどといわれるままの、「おおみたから」のための詔となっています。 困難な時代に繰り返し語り継がれる話     そしてこの詔を出されてから三年後に、民のかまどの煙が増えたことを喜んで詔されたのがこの「天皇はおおみたからのためにある」という詔なのです。しかもここからさらに三年仁徳天皇は税の徴収の禁止を続けたのです。そのため宮の屋根の葺き替えもされず宮殿はボロボロになり天皇も窮乏しました。だからこそ、民のかまどから六年の後に税の徴収の禁止が解かれ宮が造られた時、民は昼夜を分かたず進んで材を運んで宮を完成させたのです。 民の竈(かまど)のその後     そしてその翌年には「治水の詔」を出され土木工事が始まりました。仁徳天皇は民が豊かになるのを待ってから、今度はさらに豊かにし、水の氾濫を抑え稲作をより良くするための大土木工事を始め、それが現在の大阪の基礎を造ったといいます。そしてそのような大土木工事も民(おおみたから)を豊かにするためのものだったのです。 世界一大きなお墓ができたわけ 公共事業の先駆け     大御心とはなんて有難いのでしょう。     大御心の表れとして有名なものには、十七条憲法がありますが十七条憲法には「おおみたから」の言葉が13回登場します。     そもそも日本の始まりである神武天皇が、神武東征として日向(現宮崎)から橿原(現奈良)まで向かわれたのは、稲作の普及のため、人々が豊かになるため、つまり人々とは「おおみたから」なのです。だからこそ、各地でその稲作を教える期間とどまりながら移動したので東征の時期も長くかかっているのです。     つまり、日本は建国の時から「おおみたから」のための「おおみこころ」で建国されたおおみこころにあふれる国なのです。おおみこころにあふれるからといって、甘やかされた国であるという意味ではありません。自立自営のため、仁徳天皇も困難な土木事業のため人々を借り出しました。しかしその困難だ仕事の後には、多くの収穫がもたらされ、少しでも生活が楽になっていったのです。そして、そうしたことをその後の歴史においても行われてきたのが日本といえます。     こんな素敵な話を知らないなんてもったいないことです。何度でもこうした話は機会がある度に伝えていきたいものだと思うのです。そして私達おおみたからは、おおみたからに恥じないように生きていきたいと。 すめらぎのお話・・・仁が表すもの     神武天皇の稲の伝搬から仁徳天皇の大土木工事まで詳しくわかりやすいお薦めの本↓         愚かでかわいそうな日本人・・・我国の本当の危機 三百年先、千年先を見据える目・・・神武天皇2600年祭の日に 世界一のお墓にお参り  

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  • 25 Apr
    • 因果応報・悪因悪果・自因自果・自業自得

      因果応報・・・善い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあること 悪因悪果・・・悪い行為には、必ず悪い結果や報いがあること (善因善果・・・善い行いには必ず良い結果や報いがあること) 自因自果・・・自分の行いは自分に反ってくる 自業自得・・・自分の行いの報いを自分が受けること     ことわざとは、本当にわかりやすい生きる知恵だと思いますが、法務省・外務省・文部省等多くの官僚の方々はこの諺を知らないようです。     官僚達はその家族と日本の恩恵を受けて日々暮らしていると思います。しかし自分達が行った政策で日本の治安の悪化や国そのものがなくなってしまったら自分自身だけでなくその家族も被害を被ることを考えたことはあるのでしょうか?それともそうなったら海外へ行けば良いと考えているのでしょうか?しかし、現在の日本ほど安心安全な国が他にありますか?そしてもし海外で自分が推進してきた政策が日本をだめにしたとばれたとき、その国で安心して暮らせると思いますか?自分の国を売ってしまうような行為をする人は、何処の国へいっても尊敬されません。     それともこの官僚達は日本人ではないのでしょうか?     中国人のビザ発給要件、5月8日から緩和 外務省     日本経済新聞2017/4/21 10:48   外務省は21日、5月8日から中国人のビザ(査証)の発給要件を緩和すると発表した。中所得程度の中国人とその家族に対し、3年間なら何度でも日本を訪問できる「数次ビザ」を発給する。最初は観光目的に限る。中国国外に住んでいる中国人にもビザの発給要件を緩める。外務省は「日中間の交流を拡大し、観光立国と地方創生に取り組む」と説明している。     🎌ジャパンファースト🎌【公式】@JPN_1st  法務省(外国人の永住権取得について)「一定レベルの日本語能力」「会社経営者」など在留5年→”最短1年”に条件見直しへ https://t.co/KkjtlvITSZ2017年04月24日 23:41   「ネット保守連合」事務局 たかすぎ@nihonjintamasii  【売国省庁・売国官僚の暴走】➀ 外務省➡韓国人にビザなし入国許可    ➡支那人に、3年間有効「数次ビザ」を発給 法務省➡韓国人犯罪者を強制送還せず    ➡支那人犯罪者の強制送還は中止    ➡不法滞在者は、拘留後に仮放免… https://t.co/Do4fFCtvmf2017年04月23日 14:52   「ネット保守連合」事務局 たかすぎ@nihonjintamasii  外務省は【外患誘致】 支那人を日本に自由に出入りさせるのが狙いの、ビザ緩和推進 特に東北三県数次ビザの六県への拡大は 過疎化が進む東北地方に、支那人を「入植」させていく狙い 3年間、何度も日本入国出来る「数字ビザ」発給は 支… https://t.co/M5yjnRxdXU2017年04月24日 23:00   春うらら@hanaharu888  外務省が「害務省」と揶揄される所以です。既にマナーを知らない観光客によって日本の観光名所が荒らされているのに。 やっとこの間、中共人の偽僧侶が捕まりました。彼らは富裕層?一般以下の中共人が日本国内で犯罪を犯しているのに、正式にビザ… https://t.co/iHLx3IZ45U2017年04月23日 06:57   最近また目立ってきている寺社文化財への放火・破壊・盗難テロで捕まった犯人には多くの外国人がいます。 七生報國@fuckoffkorean  外務省、法務省、入管はこれを把握しながら、バンバン入国させてビザを与えてるのはなぜですかね。 https://t.co/vhoX4FRCyn2017年04月18日 11:57 寺社関連・文化財への放火・盗難・破壊行為等は日本へのテロ行為① 寺社関連・文化財への放火・盗難・破壊行為等は日本へのテロ行為②   また日本を震撼させた多くの事件(未解決事件も含め)の犯人にも多くの外国人・在日・帰化人がいることが知られています。そして歴史を遡れば、戦前多くの支那人留学生を受け入れたことが日本をスパイの温床にして、現在に至るまでのおかしな日本を造ってしまったことがわかってきています。さらに歴史を振り返れば、我が国では古来から多くの大陸・半島の人々に酷い目に合わされてきています。そうした歴史を教えられなくなってしまったため、現代の日本人はそういう危機意識が少なくなってしまいましたが、戦前はそういうことが教えられていました。また最近ではネットによりこうした事件が白日の下にさらされるようになり気が付く人が増えていますが、既存のメディアに依存している人達はまだまだわかっていません。多くの人達がこうしたことに気が付くようになることを願っています。     坂東さんのHPは必見です。日本には既に多くの密航者・(自称?)難民がいて多くの事件を引き起こし、また多大な税の負担となっていますが、それを大きく発信しない外務省です。また、半島有事の際には現地の邦人救出の他、現地にいる外国人の一時避難所が日本になるであろうこと。そしてその後自主的に今まで密航してきたよりも堂々と日本にやってくるであろう難民についても書かれています。そもそも半島有事の際には日本も危ないのではないかという現在の状況です。 坂東 忠信@japangard  難民受け入れで明かされる「世界」の意味。 https://t.co/0pT9vuW1Nq #jugem_blog2017年04月22日 19:01   私は本当の難民は受け入れても良いとは思いますが、やはり区別は必要です。そして現在だけでも勝手に移民している人達に迷惑している日本に移民はいりません。移民政策は不要です。   人口は増減するものです。人口が減るというのであれば、それに見合った政策を考えればいいのです。我が国は自立自営を良しとしてきた国です。わざわざ他から安易に移民を受け入れる必要はありません。しかも人口増の兆しも見えています。 日本人の出生率は減少していない!・・・出生数も増加(^O^)/ 未来への想像力 老衰ご褒美 三流の維新 一流の江戸  本末転倒には騙されるな     移民政策を進めたヨーロッパの現状をみて下さい。しかしさんざん移民で土地を乗っ取ってきたヨーロッパ人達は長い時間をかけての因果応報にあっているのだともいえます。移民で成功した国は世界中のどこにもありません。あるのは移民が乗っ取った国だけです。新大陸と言われる南北アメリカ大陸、オーストラリアは新大陸じゃありません。移民が勝手に新大陸と言っただけで、長い歴史が既にそこにはあったことが遺跡から判明しています。そしてそこには今も現地の人達がいますが、現在どんな暮らしをしていますか?   そもそもなぜ世界は今に至るまで混沌としているのでしょう?日本が安全安寧だとはいっても日本も世界に繋がっています。。 植民地にされたアジアの国々の現状はどうですか?搾取されたアフリカの国々は?紛争の火種となっている中東は?   有色人種、500年の悲劇② アメリカ合衆国 有色人種、500年の悲劇⑨ アボリジニの悲劇 有色人種、500年の悲劇④ アジア侵略史 有色人種、500年の悲劇⑧ 今に続くアフリカの悲劇     有事があれば全て現在の世界は繋がっていて大なり小なり影響があります。ここに無関心ではいられないのです。無関心でいることも自分の行いであり、それも自分に反ってくるのです。   因果応報・・・善い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあること 悪因悪果・・・悪い行為には、必ず悪い結果や報いがあること (善因善果・・・善い行いには必ず良い結果や報いがあること) 自因自果・・・自分の行いは自分に反ってくる 自業自得・・・自分の行いの報いを自分が受けること  

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  • 24 Apr
    • 昭和の日には昭和天皇をお偲びしましょう

      4月29日は昭和の日です。「昭和の日」とは、昭和天皇のお誕生日を由来とします。昭和時代、4月29日は天皇誕生日でした。   それが平成になり「みどりの日」となったのですが、2007年から「昭和の日」となっています。   現在宮中祭祀では、天皇の祭日は先帝祭とその前の三代、また初代神武天皇が崩御日にお祭りをされています。戦前は、この先帝祭が休日となっていました。つまり大正天皇が崩御された12月25日は先帝祭の日でした。しかしこの先帝祭の休日が戦後廃止されていたため、昭和天皇の崩御日も休日とならなくなりました。そこで、その誕生日を生かして休日になったといいます。   しかし、日本がこれからもずっと続いていくことを考えれば、戦前の先帝祭の休日をこの機会に戻すべきだったのではないかと思います。   とはいえ私達国民が先帝を偲んで、御陵をお参りしたいと思ったら1月7日は無理でも4月29日でしたら休日となっていますから、お参りしやすくなったのです。関東の方であれば、都心から1時間ちょっとで武蔵野御陵に行くことができます。すぐ側には大正天皇の多摩陵もありますので、一緒にお参りできます。   私はここ数年毎年、4月29日は武蔵野御陵をお参りしています。 天皇晴れの武蔵野御陵参拝 1月7日にもお参りしたいと思っていたのですが、今年はせっかく土曜日でしたのに逃してしまいました。   4月29日はせっかくの昭和の日ですから、やはり昭和天皇を偲びたいと思います。しかも、この時期に御陵にお参りすると花が咲いていてとても気持ちがいい時期でもあります。   また自然をこよなく愛された昭和天皇らしい昭和記念公園の昭和天皇記念館では企画展示「思い出の昭和天皇」が開催されています。また靖国神社では昭和祭が行われます。     4月29日の昭和の日には、ぜひ昭和天皇を偲びまた顕彰のための予定をたてていただきたいと思うのです。    

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  • 23 Apr
    • 天皇・皇室の伝統について今こそ知るべき時!

      「歴史に新たな1ページ書く重み」有識者会議最終報告書 憲法、国会、宮内庁に配慮の「腐心の産物」 産経ニュース2017.4.21 22:36更新   有識者会議の最終報告は、国会見解の合意を待つため一時中断を余儀なくされるなど曲折を経た結果、憲法や国会、宮内庁側にも配慮した「腐心の産物」となった。 「歴史に新たな一ページを書く重みを十分に感じながら、われわれとしては精いっぱいの到達点までやったつもり」。座長代理の御厨貴東大名誉教授は会議終了後の会見で、そう総括した。 会議は事実上、昨年8月の天皇陛下の譲位の意向がにじむビデオメッセージのお言葉を受けて立ち上がったものだが、最終報告ではお言葉に関する言及はなかった。「『天皇は国政に関する権能を有しない』とする憲法4条と整合性が取れなくなる」(会議出席者)ため、譲位の憲法上の疑義を回避した形をとった。 会議で昨年までに意見表明した専門家16人のうち、譲位への慎重意見は約半数を占めていた。ただ、1月の論点整理の公表以降、特例法で一代限りの譲位を認めるとした国会見解の結論が出るまで、会議は中断。再開後は「残された課題」である天皇、皇后両陛下や秋篠宮さまのお立場や称号の議論に大半を費やした。 その称号に関しても、最終報告で示されたのは専門家ではなく、主に会議メンバー間の議論から浮上したものだ。   皇后さまの称号として「上皇后」との言葉が初めて俎上(そじょう)にのぼったのは議論終盤の今月6日。秋篠宮さまについても専門家は「皇太子」や「皇太弟」などを示してきたが、最終報告では「秋篠宮」を維持した。議事録では、同じ6日の会議で「『秋篠宮皇嗣殿下』などと呼ぶことはあり得るのか」との質問に、宮内庁側が「可能」と回答した形となっている。 宮内庁の西村泰彦次長は、報告案が固まりつつあった10日の会見で、会議への注文を問われ「ありません」と即答した。 宮内庁幹部は「宮内庁としての提案は両陛下の提案と受け取られる」とし、表だった意見表明は控えたとする一方、「会議の事務局である内閣官房とは連携してやってきた。最終報告は、両陛下のご意向とかけ離れたものではない」と言い切った。     赤字のところ、おかしいと思いませんか?敬称や称号は既に皇室典範に記載されているものや、過去にあったものをそのまま使用すればいいはずなのに、わざわざ専門家でもない人達が新しい言葉を考えた内容となっています。そして最終報告は両陛下の御意向とかけ離れたものではないといい切っている宮内庁が信用できません。宮内庁は、過去に何度も反天皇・反皇室の前科があります。両陛下や皇太子殿下妃殿下、また皇室の方々が反論しないのを良いことに好き放題言っているようにしか見えないのです。しかし御陵についての時には、流石に皇后陛下がすぐに反論されました。昨年のNHKのスクープや、上記の可能発言もおかしいものです。私は昨年勤労奉仕に通った時に、違和感を感じたこともいくつもありました。やはり、竹田恒泰氏がおっしゃる通り宮内庁は宮外庁でしかないのでしょう。     有識者会議の最終報告はおかしなものですが、多くの人々があまり深く考えていないようだと感じています。ただし産経ニュースの主張や、竹田恒泰氏の発言がありますが、多くの人達が無関心であることに変わりはないようです。   譲位の最終報告 伝統を大切に法案整えよ 産経ニュース 主張 2017.4.22 05:03更新   天皇陛下の譲位について政府の有識者会議が、「最終報告」を安倍晋三首相に提出した。今上陛下一代に限り実現する特例法の制定を支持し、称号を「上皇」とするなど譲位後の制度が示されている。 与党や民進党はすでに3月の国会見解を受けて政府がまとめた特例法骨子案について非公式協議を始めている。今回の最終報告と与野党協議を踏まえ、政府は特例法案をまとめる。5月19日に閣議決定して国会へ提出する運びだ。 83歳のご高齢である陛下は、ベトナム・タイご訪問など今年も公務に精励されている。陛下を敬愛する国民の願いは、譲位の実現によって、多年のご心労を少しでも解いて差し上げることだろう。 滞りなく法案準備を進め、今国会で成立させることが最も大切である。 最終報告は譲位後の称号を「上皇」に、皇后陛下は「上皇后」が適当とした。皇位継承第1位となる秋篠宮殿下は、「秋篠宮皇嗣殿下」や「皇嗣秋篠宮殿下」などとお呼びする案を示した。 伝統に基づく皇室の制度は、新しい称号よりも、歴史のつながりを踏まえるのが望ましい。政府はその感覚を大切にしてほしい。 有識者会議のヒアリングで意見が出たように「太上天皇」を正式とし、いつもは略称の「上皇」とするのが自然ではなかったか。同様に「皇太后」「皇太弟」の称号のほうが分かりやすい。「皇太弟」は、皇室典範第8条に書き込めばよいはずだ。 上皇のご活動をめぐり、象徴としてのお務めは全て新天皇に譲られるとしたことはもっともだ。 そのうえで強調したいのは、上皇は新天皇に対する最良の助言者であるという点だ。歴史を振り返れば、上皇が時の天皇や皇太子に対して、徳を積み、学問に励むよう諭されるなどよき導き手の役割を果たされることがあった。 このような助言は院政とは異なるし、全くの私事でもあり得ない。もちろん象徴たる立憲君主は天皇お一方であり、二重権威の懸念は当たらない。 皇族減少への対策を急ぐよう提言したのは評価できる。「女性宮家」は、一つの例外もない皇室の伝統を踏まえ、女系継承はあり得ないことが前提だ。旧宮家の皇籍復帰が、皇位継承の安定化を含め本筋の課題となるべきである。           この状況を見ていると現在、日本は建国以来の危機の中にあるのではないかと本当に怖いのです。   我国の歴史をたどれば、色んなことの積み重ねで現在の日本となっています。建国の時には天皇を頂点とした政治体制がありましたが、長い歴史の流れの中でいつしか権力と権威は分かれ我が国独自の政治体制が整えられていきました。それが現在まで続いている稀有な国が我が国です。時代によっては朝廷がないがしろにされるようなこともありましたが、それでも天皇・皇室への尊敬と敬意を表すことは変わりませんでした。むしろそのような時ほど、天皇・皇室への権威が高まりました。ただ一部例外はありましたが、その場合はそれを正す権力者が必ず登場しました。   しかし、今はどうでしょうか?封建時代とは違い、今は国民全体が守ろうとしなければ我が国の国体を護ることはできません。ところが大方の方々は無関心で、我が国について知ろうともしないというのが実情です。そしてメディアが流すことをそのまま受け売りで受け入れているのが現状です。   天皇・皇室についておかしな状況になっていることに多くの人々が気づかないのは、天皇・皇室について知らないからそれはしょうがありません。しかし、だからこそ多くの人々には天皇・皇室について知ってほしいのです。天皇・皇室について今こそ知り、そして現在の異変に気づくべきだと思うのです。   日本が歴史と伝統が生きている国として世界中から尊敬され、外交官何百人分にも匹敵すると言われる皇室外交ができるのは、天皇陛下と皇室の方々がいらっしゃるからです。もし、天皇と皇室がなくなってしまったら、日本は日本ではなくなります。なぜなら日本=天皇、天皇=日本だからです。しかし、だからこそ天皇と皇室を解体しようとする人達がいるのです。そして、そのためにジワジワと天皇と皇室の伝統を変えようとしています。しかし伝統とは長い間の歴史の蓄積でできた知恵の結晶です。その伝統を、一時的な考えで変えるようなことがあっていいのでしょうか?私達はそこまで賢くありません。そもそも知りもしないことを判断することなどできないのです。     「知る」ためには御自身で探究することが重要です。その時特に気を付けて欲しいことは、昨年以降あいついで出版された天皇・皇室についての本はほぼ誘導書ばかりであるということです。   私が一探究者として、今一番お薦めできる基礎的な本は以下です。他にもありますが、誰にでもお薦めできるのは、この本となります。   そんな中、昨年出版のこの薄い冊子は皇室の敬語が分かりやすく書かれています。 天皇と皇室への敬称をきちんと覚えよう(^O^)/     中沢伸弘さんの宮中祭祀もお薦めです。私の宮中祭祀の知識の基礎はこの冊子からです。   御歴代の天皇については、竹田恒泰氏も推薦されている「歴代天皇で読む日本の正史」が、多数ある御歴代の天皇についての本の中で一番良い本だと思います。ただし厚い本だけに校閲漏れが多いように思います。しかし、御歴代の天皇について近年ここまで詳しく書かれている本はないと思います。読み物というよりは、辞典的に確認するのがいいです。例えば女帝のところを拾って読めば女帝が即位された時代がわかりますし、系図も確認できますから、女帝が中継ぎで即位されたこと、男系の女帝しかいなかったことなどがすぐに確認できます。 譲位された天皇について拾って読めば、なぜ譲位することになったのか当時の状況を知ることができます。   そしてやはり記紀も欠かせません。古事記の現代語版ではやはり竹田恒泰氏のものが一番だと思います。神話から続く天皇の歴史がある我が国です。そのような国で現存している国は、世界中で日本しかない凄い国であるということを意識して読むと、我が国に生まれたことを誇りに思える本です。日本人としてのアイデンティティが確立できるのは日本の神話を知ることですが、それを知るには「古事記」と「日本書紀」が一番ですし、特に大和言葉での「古事記」がいいのです。     それから古代史については沢山の本がありますが、多くの本が反日史観で書かれています。そんな中、「よみがえる神武天皇」は、日本建国の時代について、最新の考古学のデータにもとづきわかりやすく書かれとても面白い本です。神武天皇がどのように東征し、またその後の天皇がどのように国をまとめていったのか、このようにわかりやすい本はなかったと思いますので、多くの人に知ってほしいと思います。   また神社検定のテキストは日本を知る一番のテキストです。神社検定を受ける受けないに関わらず、神社検定のテキストはお薦めです。     本なんか読めないという方でも、ツイッターをされている方にお薦めなのが、「皇室の悠久」さんのつぶやきです。私は現在の日本の危機をこのツィートほど的確に語っているものはないと考えています。現在の状況に必要な情報をツィートしていますから、これをきっかけに探究してほしいと思います。     皇室の悠久@dankeidanshi  我が国の「法」である「皇室典範」について、「国会の意思」で改変できることはあってはならない。憲法原理の筆頭であるべき「法の支配」を日本国憲法が否定してしまっているとはいえ、運用において、国会が自主的に典範改変を禁止すべきである。そして皇室典範を皇室に早急に奉還すべきである。2017年04月23日 09:17   皇室の悠久@dankeidanshi  125代継承され続けた我が国の皇統護持の為に、平成の御世の国民が為すべき事は、旧宮家復帰以外の選択肢には一切妥協しない事、現皇室典範を旧皇室典範に復元する形の改正のみ歓迎し、それ以外の皇室典範の改正を絶対に許さない事。2017年04月22日 20:17   皇室の悠久@dankeidanshi  明治天皇が皇統の危機に備えて伏見宮系統の旧宮家を「永世皇族」とされ、昭和天皇が最後まで「痛恨の極み」とされた旧宮家の皇籍離脱。旧宮家の皇籍復帰に異議を唱え、旧宮家の方々を罵倒し貶めている女性天皇容認論者達は、明治・昭和の両帝のご意向よりも、俺達が正しいと主張する不敬な連中である。2017年04月22日 21:17   皇室の悠久@dankeidanshi  宮家というのは、男系皇位継承者を維持するために存在している。「女性宮家」というのは、「女系子孫」しか生む事が出来ないから、そもそも「宮家」にはなりえない。つまり、「女性宮家」創設の目的は、男系継承を破壊し、改悪された現典範よりも、更に典範を改悪する事なのである。2017年04月22日 16:17   皇室の悠久@dankeidanshi  女系、雑系、双系とか 女性宮家とか養子縁組だとか、我が国の皇統譜に全く存在しない制度を「新しく」創設しようとする動きは、我が国の皇統譜に対する冒涜であり、歴代天皇に対して不敬極まりない。占領下に「法」から逸脱したものを元に復す(典範奉還=旧宮家復帰)事こそが「皇統護持」の最善策!2017年04月22日 19:17   皇室の悠久@dankeidanshi  「蓋、皇室ノ家法ハ祖宗ニ承ケ子孫ニ伝フ、既ニ君主ノ任意ニ制作スル所ニ非ス」 (皇室典範義解)⇒【(現代語訳)明治皇室典範に定めている皇室の家法は、皇祖皇宗から受け継ぎ未来の天皇・皇族に伝えるものである、既に君主が任意に改変するものではない】 畏れながらも陛下ですら改変できない。2017年04月22日 15:17   皇室の悠久@dankeidanshi  女系、雑系、双系とか 女性宮家とか養子縁組だとか、我が国の皇統譜に全く存在しない制度を「新しく」創設しようとする動きは、我が国の皇統譜に対する冒涜であり、歴代天皇に対して不敬極まりない。占領下に「法」から逸脱したものを元に復す(典範奉還=旧宮家復帰)事こそが「皇統護持」の最善策!2017年04月22日 19:17   皇室の悠久@dankeidanshi  万世一系というのは、どの天皇陛下も、どの男子皇族も、男系(父系)をたどるだけで、初代天皇神武天皇に辿りつけるということを言うものである。ここに女性宮家をもうけ、「女系皇族」を登場させれば、万世一系はただちに崩壊し、皇室制度は霧散する。共産革命の勝利となるのである。2017年04月22日 18:17   動画番組が沢山ある中で、皇室について語られている竹田恒泰さんの番組竹田恒泰チャンネルもお薦めです。ニコニコ動画にもあり、そちらでは有料会員になると過去の動画を全て見ることが出来ます。         こちらは有料版です       愚かでかわいそうな日本人・・・我国の本当の危機 三百年先、千年先を見据える目・・・神武天皇2600年祭の日に 天皇と憲法・・・天皇について知ることは日本を知るという事 皇室存続に対する本当の危機感とは なぜ皇室典範をお返ししようという声があがらないのか? 今こそ天皇陛下について知るとき(^O^)/ 天皇を取り戻そう! 天皇陛下のニュースを機に知る 和銅五年正月廿八日編纂の古事記・・・1305年前

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  • 22 Apr
    • 信じることで伸びる力

      昨日ネットで話題の漫画を見て、友人の子供のことを思い出しました。 【毎日更新】なんJ民のお絵かき@yakiunooniityan  【ブログを更新したンゴ!】 (4000RT)同級生と先生 →https://t.co/nwUxMgEHHb https://t.co/4x7QEmQ7xR2017年04月11日 17:08   友人には2年近く開きがある年子の姉妹の子供達がいるのですが、下の子は幼児の時から私が知っている幼児とは違っていて、ハイハイができるようになってもなかなか動かないし、歩けるようになってもやはりなかなか動かない子でした。歩けるようになると子供は目が離せないものですが、この妹は歩いてもすぐに寝転んでゴロゴロしており、私はそんなゴロゴロしている幼児を見たのは初めてでした。歩くようになった幼児は絶え間なく動いているか、眠っている子しか私は見たことがなかったのです。早く歩きはじめる子は成長が早いといいますが、この妹は動かないだけあって成長がとても遅く、姉の方は赤ちゃんの時からなにをやっても天才じゃない?と皆ではしゃぎながらその成長を見ていたのとは大きな違いがありました。それは目に見えてめだってきて幼稚園に行く年齢になった時にも、まだ言葉がちゃんと喋ることが出来ずちょっとした意思の疎通も難しい状態だったので、友人は幼稚園に入れるだろうか?と心配していました。そしてやはり姉の通っている幼稚園では入園を断られてしまいました。   確かトイレを教えられないとだめだったかと記憶しています。しかも妹は大きくなってもなかなかおむつもとれませんでした。   友人はなにか問題があるのかと病院で見てもらい、知能検査もしてもらい、そして言葉教室や体操教室に通わせるようになり、そして姉妹ともどもスイミングスクールにも通わせました。妹はどこへ行っても動くのを嫌がっていたそうですが、友人は身体を動かせなくてはと通い続け、そして地域の子供イベントを調べては片っ端から通うようになりました。   幼稚園も探しに探して受け入れてくれる幼稚園を見つけましたが、そこでは問題がある子もちゃんと対応してくれるというところでした。   妹は何度か見てもらっているうちに、知能が遅れているとの結果が出ました。しかもただ遅れているのではなく、他の子達も成長しているからいつになっても追いつけない、普通の小学校にも入れないというのです。友人は悩んだ末、とりあえずできるだけ普通の学校に通わせるだけ通わせたいと考えました。   そこで友人が始めたことは幼児教育です。小学校を控えた姉に公文を始めた時に、妹も一緒に始めたのです。私はそれまで知らなかったのですが、公文は先取り教育、予習教育で1~2年分ぐらい先の勉強をします。子供にもよって進み具合が変わるのでしょうけれども、友人はその公文を毎日子供にさせたのです。幼児の時にはそれこそ付きっきりで始め、小学校に行くようになってからも毎日させていました。そう、小学校も普通のクラスに入れたのです。妹は小学校では問題はあるので先生に注意してみてもらう児童でしたが、勉強だけはなんとかなっていたのです。しかも学年が上がるにつれ、勉強が出来る方にいられるようになりました。姉の方は2年先をいつも勉強していましたし、妹も1年先を勉強していたのが大きかったのです。少しでも知っていることを学ぶのと、全く知らないことを学ぶのでは小さい子供の勉強の出来具合は目立って違います。これはとても重要だと思うのですが、子供は毎日そばにいないとなにかを毎日続けさせることは無理があります。ただやれ!と言ってもやらないでしょう。しかし友人は子供達が小学校の高学年になるまではほぼ主婦でしたから、こうしたことが可能でした。子供達が高学年になった時、片親になり友人は働くようになりましたが、子供達には徹底して勉強を続けさせたのです。   小学校を卒業する頃だったか、友人が嬉しいニュースを伝えてきました。妹の知能の遅れはもう問題ないと言われたと。まあ大人になっても賢くはなれないかもしれないけれども、これでほっとしたと言っていました。私はこのニュースを聞いた時、友人が初めからあきらめなかったおかげだ、と思ったのです。   その妹はこの春高校に進学しました。実は中学の2年の半ばまで、妹は成績の良い方でした。だから、友人は姉妹ともに同じ高校へ行かせたいと思っていましたが、中学の半ばともなれば受験のため本気で勉強する子供達が増える時期で、あっという間に妹は追い越されてしまったんだそうです。だから姉はなんなく入れた高校も、妹には難しいかもしれないと予想していたら、やはりそこはだめでした。でも、別の高校になりましたが無事入学できたのです。   生まれた時から知っている子が、そこまで成長したことには感動を覚えました。しかも、どうみても母の力で大きく成長したのです。それは子供の可能性を信じる母の心が子供を成長を伸ばしたということです。   アメリカでクラスの子供の何人かを呼んで「君は才能があるから期待している(というようなこと)」と伝えたところ、そう言われた子達は凄く勉強ができるようになったそうです。しかし呼ばれた子達は実は任意で選ばれただけの子だったのです。つまり、人は成長を期待されるとそれに応えようとするのです。   それと反対のこともあります。「あんたはバカだから」「そんな凄い人になれっこない」「世界一を目指すなんて夢みたいなことを言って」などなど、否定的な事を言われたらそこまでは行けません。別に世界一を目指したから世界一になれるというわけではありません。しかし、世界一を目指せば、出来うる限り伸びることができますが、否定されたらそこより上に行くのは難しいという事です。人は上限を決めたらそこより上には行けないのです。   「2番じゃダメなんですか?」なんて言葉がありましたが、2番を目指したら2番どころか3番も4番も5番も難しいということになりかねないのは、他の人達が1番を目指していて2番や3番となるからです。   友人のところも、小学校が難しいかもしれないと言われた時に、最初から養護学校を目指してしまったら、普通の学校どころか養護学校の中での成長止まりだったと思います。特に幼児の時は子供によっての成長の早さの違いもありますから、可能性があるのであればここではお母さんには頑張ってほしいと思います。というのも、ここまで友人の妹が頑張り成長できたのは、母の子供に対する信頼の強さと幼い時に身近での見守りがあったからだと思うからです。     さらに妹は幼稚園でも学校でも周りに恵まれていました。友人はいじめられたりしないか随分心配していましたが、どこでも妹は可愛がられ、面倒をよく見てくれる先生やお友達がいたのです。   教育現場には問題が多くありますが、素晴らしい先生もたくさんいらっしゃるし、素晴らしいお友達もできるのです。   最初にあげたツイッター漫画では、A君の同級生達は最後にやっと先生が素晴らしい先生だという事がわかりましたが、父系の方達はきっと理解していたんじゃないでしょうか。     N先生や友人のようにちゃんと教えて勉強させることはとても重要なことだと思います。     そして、これは子供だけじゃなく大人も同様だと思います。     人間死ぬまで可能性があります。世の中には知らないことがたくさんあります。知れば知るほど無知を知るとも言います。もしかしたら、それを知ったら色んなことが変わるかもしれません。     昔NHKで「100歳バンザイ!」という番組がありました。100歳以上の方々が登場し日常生活が流れというだけの短い番組でしたが、ほとんどの方が日々何かしらに励まれまた身体を動かしていました。やはりこういう生活が重要なんだと思ったものです。     人は楽な方に流れがちです。しかし、大人になった人達には自分が母にも教師にもなって信じていくしかありません。頑張っていきましょう(^O^)/   人は楽な方に流れがち 安全ボケ        

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  • 21 Apr
    • すめらぎのお話・・・天災が続き出家された天皇

      嘉祥三年(850年)三月二十五日、文徳天皇の第四王子惟仁(これひと)親王が誕生しました。   本日は旧暦では三月二十五日ですから今ぐらいの時期でしょうか。(改暦は何度もあったため、単純に旧暦で考えています。)   惟仁親王の御母は、藤原良房の娘の女御明子(後の皇太后)であったため、三人の異母兄を超えて生後八か月で立太子されました。そして、天安二年(858年)十一月七日父帝の崩御により満年齢八歳で即位されました(清和天皇)。外祖父である藤原良房は摂政宣下を受け、皇族以外で初めて摂政の座に就き、以後藤原北家全盛時代を築いています。   そしてその翌年四月十五日、元号が貞観に改元されましたが、この貞観年間には様々なことが起きています。   貞観二年には勅命により都の西南の裏鬼門にある男山に石清水八幡宮が創建されています。これは南都大安寺(開基は聖徳太子)の僧、行教が宇佐八幡宮に参詣したおりに「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託を受け、これを帰京して上奏したところ、すぐに創建の勅命が下りたのです。   貞観三年のある夜、直方隕石(のおがたいんせき)が福岡県の武徳神社(現須賀神社)の境内に落下しました。これは確認できる世界最古の隕石といわれています。この翌日深くえぐられて土中から掘り起こした黒く焦げた石を桐箱に納め保存されたといわれ、その箱の蓋の裏には「貞観三年四月七日納ム」という墨書きがあります。これが、後に科学的鑑定もされて世界最古とされました。   貞観六年五月二十五日、富士山の大噴火(貞観大噴火)が起きました。この時から貞観八年まで噴火活動が続きますが、この時が活動記録に残る一番大きな噴火で、この時富士山北麓にあった湖が埋没し、その時残ったのが現在の富士五湖のうちの西湖と精進湖で、湧きだした溶岩流の上に1100年の時を経て再生した森林地帯が現在の樹海の森青木が原です。   貞観八年閏三月十日、応天門(朝廷内での政務・儀式を行う場、朝堂院の正門)が放火される事件があり、嫌疑をかけられた伴善男父子が有罪となり流刑に処せられた事件がありました。これは藤原氏による他氏排斥事件の一つとされています。   貞観十年は毎月のように地震が発生し、特に七月から八月にかけては連日発生していました。七月に発生した播磨国の地震では、官舎諸寺堂塔ことごとく倒壊したといいます。   貞観十一年五月二十六日、陸奥国で貞観地震が発生、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者が約1000人ほど出て(「日本三代実録」多賀城が損壊しました。これは東日本大震災とも酷似していると話題になった地震のことで、マグニチュード8.3以上であったとされています。   この時清和天皇は陸奥国と常陸國との国境が最大の被災地とする詔を発せられました。   六月十五日には、貞観の新羅の韓寇が発生し、新羅の海賊が博多津に停泊していた豊前国貢調船を襲撃し略奪しました。以後承平五年(935年)まで約100年に亘って新羅の賊徒が日本各地を侵略することが続きました。国内の新羅人が内応していたという事ですから、現在の構図と変わらないことがわかります。   十二月十四日、清和天皇は伊勢神宮に勅使を遣わして奉幣され、新羅の海賊や陸奥国の地震や津波で大被害が発生したことを報告し、御自身の不徳を詫びられて国家の平安を祈願されました。   貞観十三年四月八日、鳥海山(山形県と秋田県に連なる山)が大噴火を起し、土石流・泥流が日本海に達しました。   貞観十六年七月二日、薩摩国の開聞岳が噴火しました。   貞観十八年、清和天皇は在位十八年、満年齢二十五歳で、もうすぐ満年齢八歳になる第一皇子の貞明親王に譲位されました(陽成天皇)。この年は前年以来の旱魃により飢饉が発生していました。この時既に死去していた藤原良房の養子基経が史上初の関白に就任しています。   貞観十九年四月十六日、元号を貞観から元慶に改元。   元慶10月28日、相模武蔵地震発生、マグニチュード7.4と推定される。   元慶三年五月、上皇は出家され素真と号し、本気で修行僧になり、山野を跋渉したと伝わります。   古来より天変地異は徳のない君主への天の戒めという考え方があります。こうした考え方があるため、譲位を迫られた天皇も江戸時代にはいらっしゃいました。しかし、日々日本の為祈りを捧げている祭祀王でもあられる天皇になんの咎もないと現代の私達は考えることができます。     そして一方で政治を預かる方はどうか?とも考えるのです。   これは東日本大震災の時にも随分言われました。悪い政治が行われると良くないことが起きると。   清和天皇の時代は、有名な応天門の変が起きているのが象徴的であるかと思います。そして幼帝の摂政となった藤原良房から基経を経て藤原北家全盛時代となっていきます。     そのような中でも時の天皇は自らを戒め悔い改められてきました。そして、そのように心を痛める天皇が代々いらっしゃったのが日本であり、それは今上陛下までお変わりがないのということは有難いことだと考えるのです。そのようなご心痛が少しでも少なくあればいいと願うのが私たちの務めではないかと最近考えています。          

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  • 20 Apr
    • 歴史を見る視点・・・稽古照今

      昨日、職場の若い子が世界史が好きだというので、その視点はどこにあるの?と聞いたらキョトンとされてしまいました。   ここ数年世界史本が沢山出版されていますが、西洋人はもとより日本人が出された本でもその視点が西洋人のものが多いと考えています。しかし、私達日本人がまず知るべき世界史は日本人視点でなければおかしいのです。それを知った上で、西洋人視点の世界史を学ぶのは良いと思います。あるいは、西洋人視点で学んだあと日本人視点の世界史を学ぶのもいいかもしれません。しかし、研究者でもない限り両方を知ろうという人は多くはないでしょう。だったら、日本人は最初から日本人視点の世界史を学ぶべきなのです。     これは外国人視点の日本史ではなく、日本人が国史を学ぶべきであることと対になっています。私達日本人は、日本人視点である国史と世界史を学ぶべきであるという事です。     とはいえ、日本では教育の場では日本史と西洋史観での世界史が教えられています。私は子供の時から歴史が好きだったのですが、授業の歴史は面白いと思ったことはありませんでした。しかし、本来の歴史は面白いものなのです。なぜなら自分に関係のある事には皆興味を抱くものだからです。ところが日本史、世界史、は年表と単語羅列の教科書になっているのですから、面白いはずがありません。しかも視線は外国人目線です。   本来の歴史を見る目は、古事記の序文に簡潔に説明されています。 稽古照今です。 稽古照今とは、古を振り返り今を考えるという事です。だからこそ、古事記には御歴代の天皇の良くない面も書かれています。例えば第25代武烈天皇は、歴代天皇の中で最も残虐な天皇の描写となっています。よくある説明では、この後仁徳天皇の系列が途絶え、応神天皇の別の皇子の系列に変わりましたので、その最後の天皇として悪く書かれたというもの。しかし、これは描写に盛り込みはされてもそのような天皇であったことに間違いないであろうという説もあります。武烈天皇は10歳で父帝が崩御され即位し、18歳で崩御されています。そこに十代の有り余る力の悪い放出を見ているのです。まだ古代の政治制度が確立していない時期の天皇であったため、そのようなわがままが許されてしまったということです。だからこそ、その後平安時代の朝廷の制度がしっかりされるまでは年若い天皇は出てきません。つまり、この武烈天皇の例から年若い天皇を避けたのです。つまりこれが稽古照今です。   武烈天皇を、なんの後ろ盾もないまだ危うい時代の幼い天皇とみると、また随分歴史の見方が変わってくるのです。   中途半端ですが、時間がなくなってしまったので今回はここまでで。   年間102日ある稽古照今の第一歩  

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  • 19 Apr
    • 天皇と皇室への敬称をきちんと覚えよう(^O^)/

      言葉は使わなければ消えてしまいますが、使ってさえいれば生きた言葉となります。   現在メディアは、天皇、皇室への敬称をちゃんと使用しませんし、それをちゃんと教えてくれるところがありません。たまにしか使う機会のない言葉などは、わかりようがありません。しかし日本語を守るのは日本人以外にいません。私達が守らなければ、言葉は消えていってしまいます。   敬語は古の時代からの積み重ねによる、人間関係の知恵です。そして、その始まりは尊敬し敬った神、そして天皇がいました。現在でも神社で聞く祝詞は古来からの敬語がそのまま使用されています。そして、天皇、皇室にも沢山の敬語や敬称が残っています。神話から続く国として世界で唯一の国であるからこそ、そのような言葉が今も生きているのです。   敬語は身分の上下を表すものではなく、自分の教養や常識・心得を表すものです。敬語を使いこなせるということは、それだけ教養があり、常識も対人関係の心得もあるということになります。わかりやすくいえば、敬語が使いこなせたらかっこいいではありませんか。しかも、その言葉は古と今とを繋ぐ言葉でもあるのです。せっかくですから覚えたいものです。   もしかしたらいつか宮中に参内できるかもしれません。 -宮中に参上すること あるいは拝謁できるかもしれません。 -天皇皇族にこちらから謁すること 謁を賜るかもしれません。 -天皇皇族から謁見を賜ふこと 奏上する機会があるかもしれません。 -天皇に言葉で申し上げること 内奏する機会があるかもしれません。 -内々に申し上げること 供奉するかもしれません。 -行幸啓の御供を正式に命じられてお供をすること   こう書くと普通の人にはなかなか起きない事のように思えますが行幸啓でいらした天皇、皇族の方々を案内するという事は普通の人に起きうることだと思います。   もしそういうことになったら、とても緊張すると思いますが、こうした言葉を知っていれば多少なりとも安心できるのではないでしょうか。     そうはいっても普段天皇や皇室の方々と話す機会などやはりなかなかありません。しかし敬称でしたら誰でもすぐに使えます。もしお名前を口にするのでしたら、敬称をきちんと使ってみて下さい。それだけでも自分がとても教養があり、上品に思えてくるから言葉というのはとても不思議な力があると思います。       ①実名敬避 まず最初に実名敬避という敬語について、しっかり覚えて下さい。天皇陛下のお名前、皇族方のお名前は敬い出来うる限り避けてお呼びしません。私が子供の頃、昭和天皇は陛下としか呼ばれていませんでしたので、私が初めて昭和天皇の名前を知ったのは21歳の時イギリス人の英語教師に言われた時で、英語なものですから呼び捨てでたいそうショックを受けたのを今でも覚えています。皇太子殿下も秋篠宮殿下も宮名で呼ばれていました。子供の頃は他にも呼び名があるようだしおかしいなあと思っていたのですが、これは実名を呼ぶことを避けるためにつけられていた称号でした。ところが誰もそうしたことを教えてくれませんでしたので混乱してしまったのです。   ②尊称 陛下 天皇と皇后、太皇太后、皇太后の敬称(現行皇室典範二十三条) 天皇皇后両陛下 天皇皇后お二方を同時にお呼びする場合 殿下 皇太子・皇太子妃・皇太孫・皇太孫妃・親王・内親王・王・王妃・女王の敬称(現行皇室典範二十三条) 皇太子同妃両殿下 お二方を同時にお呼びする場合。皇太子夫妻とはお呼びしません。   天皇 天皇は一般名称として使う時はそのまま使用します。   御在位中の天皇 今上陛下 今上天皇 天皇陛下 陛下   御在位中の天皇には(天皇の)名前がありません。時代により帝(みかど)、大君(おおきみ)など、色んな呼び方がありましたが古来から名前がなかったことに変わりはありませんから、他に申し上げる敬称はないと覚えて下さい。なお「今上天皇陛下」とは申しませんのでご注意ください。   歴史上の天皇 〇〇天皇 〇〇院 〇〇上皇 〇〇法皇   名前だけで呼ぶことはありませんので、省略しないでください。また歴史上の天皇の名前には陛下はつけません。   京都など、長く都があった場所や縁の深い場所では親しみをこめて「〇〇さん(この場合様の意味)」と呼ばれるところがありますが、そうしたところは限られており、基本は上記の呼び方で申し上げます。   皇后 皇后陛下 陛下   親愛の情で「皇后様」とお呼びする場合もありますが、天皇陛下と同様御名前はお呼びしません。   皇太后(先帝の皇后) 太皇太后(先々帝の皇后) 皇太后陛下 太皇太后陛下 または、皇太后宮、太皇太后宮とお呼びする場合もありますがこの場合は陛下をつけません。明治以降、太皇太后はいらっしゃいません。   二千年の歴史軽視を明言!譲位後、皇后の称号を創作する有識者会議って・・・     皇太子 皇太子殿下 皇位継承第一位で天皇の皇男子の場合を皇太子(孫の場合は皇太孫)。親愛の情をもって皇太子様とお呼びする場合があります。また、東宮(とうぐう)、春宮(はるのみや)と呼ぶ場合がありますが、この場合は殿下をつけません。立太子礼をお挙げにならなくても明らかに次代の皇位の御践見になられる場合は皇太子殿下とお呼びしても差し支えありません。御名前ではお呼び致しません。   皇太子妃 皇太子妃殿下 親愛の情をもって皇太子妃様とお呼びする場合があります。東宮妃殿下とも申し上げます。御名前でお呼びいたしません。   皇太子同妃両殿下 皇太子殿下と妃殿下を一緒にお呼びする場合。皇太子ご夫妻、またご家族を皇太子ご一家などとは申しません。 皇太弟 皇太弟殿下 皇子ではなく皇弟が皇位継承順位の一位であったことが歴史上何度かありますが、皇室典範には皇太弟の規定がなく称号がありません。しかし歴史上からも、現在の皇太子殿下が即位されてましたら、秋篠宮殿下が皇太弟となりますから皇太弟殿下となりますので、これを規定としおかしな敬称をわざわざ作る必要はありません。御名前ではお呼びいたしません。   皇族に関する敬称 〇〇宮〇〇親王(内親王・王・女王)殿下   宮号は皇族が独立して宮家を御創設した場合に賜ります。 秋篠宮文仁親王殿下 秋篠宮殿下   秋篠宮文仁親王妃 秋篠宮紀子妃殿下 秋篠宮妃殿下   親愛の情をもって秋篠宮様とお呼びする場合がありますがお名前だけではお呼びいたしません。 〇〇宮同妃両殿下 皇族と同妃を御一緒に御呼び申し上げる場合。〇〇宮ご夫妻とは申しません。     御称号 敬宮愛子内親王殿下 敬宮内親王殿下 敬宮殿下 敬宮様   天皇の直系である皇族は宮号がないため、親王・内親王がご誕生の場合、御命名と共に御称号を賜ります。この御称号は成人までのもので、それ以後は用いない例です。この場合殿下の敬称をつけます。お名前ではお呼びしません。現在御称号があるのは、皇太子殿下の内親王であられる敬宮愛子内親王殿下です。     皇室・皇族 皇室には姓がないため、「天皇家」、「天皇ご一家」とは申し上げません。また、一族という意味では、「皇室」、「皇族」を使用します。なお「皇」の字は既に敬意がありますので、「御皇室」「御皇族」申し上げません。       皇室に対する親愛の情を育て、美しく麗しい国語を守るために 昨年「一般敬語と皇室敬語が分かる本」が出版されていたのを最近見つけました。私が「宮中祭祀」で参考にしているのも著者の中澤伸弘さんが書かれたものです。   一般敬語についてもわかりやすく、皇室敬語についてもこれ一冊でわかるかと思いますので、一家に一冊いかがでしょうか。私はこれを読んで間違えていた用語をいくつもみつけて焦っているところです。   二千年以上の間に培ってきた皇室と国民との親愛の情の表れである「皇室敬語」。今、改めて敬語や皇室敬語・皇室用語を学び、その折々に適宜な敬語を使いましょう。   恒例の目次紹介です。 目次 まへがき 一 敬語を知る  敬語とはなにか  敬語は美しいことば  言霊と敬語  実名敬避といふ敬語  平明・簡素な敬語とは  接頭語「お」「ご」は敬語  口語表現と文語表現  欠画、擡頭、平出、欠字 書き方による敬語表記  敬語は生きてゐる 二 尊敬語編  尊敬語とはなにか  「れる」「られる」は汚いことば  お前 貴様 殿  特別な尊敬語がある語  「たま(給)ふ」は便利な尊敬語  尊敬語における和語表現と漢語表現 三 謙譲語編  謙譲語とはなにか  他の語の謙譲語があるもの  人間には「あげる」 動物には「やる」  「をられます」は大誤用  「まつ(奉)る」「まゐ(参)る」は便利な謙譲語  謙譲語における文語表現と漢語表現 四 丁寧語編  丁寧語とはなにか  はべり(侍り)とさぶらふ(候ふ)  候文 五 皇室敬語編  皇室敬語を学ぶ前に  皇室敬語の現状  天皇、皇族方に関する特別な敬語  「昭憲皇太后」は誤りの表記  「大婚」の語の行方  皇太子に関する敬称  皇太子妃に関する敬称  皇族に関する敬称  御歴代に関する敬称 六 皇室関係の用語と敬称  皇室全般に関する主な用語、敬称  国民から申し上げる主な敬語  使用範囲が限られる主な敬語 あとがき         愚かでかわいそうな日本人・・・我国の本当の危機 皇室の悠久 皇室存続に対する本当の危機感とは なぜ皇室典範をお返ししようという声があがらないのか? 万世一系は簡単に続いてきたわけじゃない 二千年の孤独 漢字の「様」を使うのは神様、仏様、王様だけ? 言葉を考えよう(^O^)/ 敬語は社会の知恵 天皇を取り戻そう!

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  • 18 Apr
    • 四月十八日は推古天皇の祭日・・・「天皇」の外交の始まり

      第三十三代推古天皇は、飛鳥時代の天皇です。日本初のみならず東アジア初の女帝です。 御名は額田部(ぬかたべ)、豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)。 五五四年生。 御父は欽明天皇、御母は蘇我堅塩媛、蘇我馬子の姉妹なので、豊御食炊屋姫は姪となります。 また、同母の兄に第三十一代用明天皇、異母兄では夫であった第二十八代宣化天皇系の第三十代敏達天皇、また蘇我系の異母弟である第三十二代崇峻天皇がいました。周りに沢山の天皇候補者がいた時代であることがここから伺えるかと思います。なお、当時は異母兄弟との結婚は当たり前に行われていましたが、同母兄弟のとの結婚は禁じられていました。 在位五九二年から六二八年。 豊御食炊屋姫は、第三十代敏達天皇の皇后となり、竹田皇子をもうけていました。敏達天皇の崩御の後即位された用明天皇は病の為二年で崩御、またその後の崇峻天皇も暗殺されてしまいます。当時皇子は何人もいましたが、そんな騒然としていた時だったため、群臣が押したのが豊御食炊屋姫だったのです。 しかし豊御食炊屋姫は皇位につくよう依頼されても辞退し、三度目の要請でようやく聞き入れて即位されました。 即位すると用明天皇の皇子である厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子に立て政治を任せました。聖徳太子が摂政となり、蘇我馬子と協力して政を行ったのです。ここ10年ぐらい聖徳太子不在説というのが出てきていますが、それは古代に偉大な実績を残した聖徳太子を疎んじる人達が、現代においてもいることの表れではないかと思います。 周到な「聖徳太子抹殺計画」現在進行中・・・拡散希望 聖徳太子虚構説批判・・・第44回日本国史学会① 聖徳太子不在説というまやかし! 【CGS 日本の歴史 3-1】   なお上の動画で聖徳太子にハーフ・クオーター説があると聞いたと出てきますが、ハーフはまずありえません。なぜなら聖徳太子は御両親ともに天皇の血筋だからです。この時代は父方も母方も天皇の血筋でなければ皇太子にはなれませんでした。聖徳太子の父は用明天皇、母は欽明天皇の皇女である穴穂部間人皇女です。父と母は当時あった異母兄妹婚ですから、祖父は欽明天皇です。そして、祖母は父方は蘇我堅塩媛、母方は蘇我小姉君と祖母同士が姉妹でその父は蘇我稲目ということがわかっていますから、クオーターでもないのです。そして蘇我氏は元をたどると孝元天皇にまでいきつく天皇の血筋なのです。   江戸時代の徳川吉宗の時代に即位された桜町天皇がご誕生されたのは元旦でした。この時、元旦に生まれた天皇は神武天皇、垂仁天皇、そして聖徳太子も元旦生まれだったという事で、宮中は大喜びだったそうです。ここで聖徳太子が神武天皇と垂仁天皇と並び登場するという事は、代々その偉業が伝えられてきたことを物語っています。 国を固めて気概を示した聖徳太子【CGS 日本人の気概 第2回】   推古朝の時代に有名なものに「冠位十二階」と「十七条憲法」の制定があります。明治時代の「五箇条の御誓文」をみると、その内容は「十七条憲法」を参考にされているのがわかります。竹田恒泰氏によれば、十七条憲法は現在も生きている憲法だそうですから、日本人としてはこの内容をよく読み守りたいものだと思います。   十七条憲法は大和言葉で読むことでより意味が明瞭になります。例えば、第一条は「和を以て貴し」とありますが、この「和」を『わ』ではなく『やはらぎ』と読むと語感だけでも印象が全く変わります。そもそも、「十七条憲法」は、『じゅうななじょうけんぽう』ではなく、『いつくしきのりとをあまりななをち』と読むのです。 【聖徳太子】から学ぶ日本の心 十七条憲法 冠位十二階   改めて読む!十七条憲法の素晴らしさ【CGS 日本の歴史 3-2】     また遣隋使の派遣も行い「日出処天子、書を日没処天子に致す、つつがなきや」は有名です。これは雄略天皇が始めた冊封体制からの脱却から、文化や情報を得るための遣隋使という新しい形を作り上げた知恵でした。そこには当時の国際情勢を読み取った聖徳太子の考えがありました。雄略天皇の時代からの歴史の積み上げを研究したうえでの行動だったのではないかと思います。   この国書を見て、隋の煬帝は怒ったといいますが、怒りつつもなぜ東方の小国がこのように誇り高いのか思いを馳せたとも伝わり、この疑問を解くために煬帝は斐世清(はいせいせい)を使者として日本に送り込みました。聖徳太子はこの使者を歓迎し、国内を余すところなく視察させ、帰国する時は遣隋使の小野妹子を再び使者として派遣しました。この時の国書に書かれたのが「天皇」という字で、古来から周辺外交が盛んな日本が「天皇」という言葉を対外的に使用した最初になります。そしてこれにより、独立国家としての誇りを貫かれたのです。    やまとのすめらみこと つつしみて  「東天皇敬みて もろこしのきみに       もおす 西皇帝に曰す」   ここからわかることは、外交でははっきりものを言うことが重要であるという事で、その後の日本は聖徳太子を見倣い一部の例外を除き、戦前まではそういう外交を行ってきました。     遣隋使と天皇号のはじまり【CGS 日本の歴史 3-3】   この推古天皇時代は長く善政で飛鳥時代の最盛期を迎えました。それは十七条憲法を代表とする考え方を基盤とした統治の成果だったのかもしれません。 しかし、六二一年聖徳太子が薨去、六二六年には蘇我馬子が亡くなり、六二八年に推古天皇も崩御され、当時としては長い三十七年の治世が終わりました。 御陵は礒長山田陵、大阪府南河内郡太子町大字山田にあります。 参照:「宮中祭祀」 「天皇のすべて」 「歴代天皇事典」 他 和をもって貴しと為し 世界最古の民主憲法 いつくしきのり 記紀の薦め 1400年前にできた世界最古の民主憲法 何度も繰り返す歴史 推古天皇といえば聖徳太子、聖徳太子といえば推古天皇です。聖徳太子については、動画も沢山あります。以下の二つは丁寧に聖徳太子の偉業が語られた動画です。     聖徳太子がGHQでは例外として認められた経緯が語られていますので是非ご覧ください。   また先日の竹田恒泰チャンネルでは聖徳太子について語られました。動画チャンネルは放送後も視聴できるのが魅力です。ぜひ、ご覧いただきたいと思います。 うさんぽ@hidamari_kojiki  竹田恒泰の皇太子論 ~歴代皇太子の苦悩と真実 ・ 日本を救った天才 聖徳太子 ~ https://t.co/otU5mpdm2G2017年04月17日 22:53 うさんぽさんがまとめられてますのですぐ動画を見れない方はこちらをどうぞ。 竹田恒泰の皇太子論 ~ 歴代皇太子の苦悩と真実 ・ 日本を救った天才 聖徳太子 ~                 聖徳太子の逸話はもちろん、聖徳太子縁のものが日本には沢山あります。もしただの厩戸皇子であれば、このようにたくさんのものが残されたでしょうか?   世界で現存する最古の企業金剛組が宮大工の集団として発足したのは、敏達天皇七年(五七八年)のことでした。聖徳太子の命を受けて、百済から三人の工匠が日本に招かれ四天王寺の建立に携わりました。江戸時代まで四天王寺のお抱え宮大工を務め、現在も高松建設の子会社として続いており、その四天王寺のすぐ側に金剛組の会社があるのです。   なお四天王寺では、4月17日から30日まで聖徳太子絵伝特別御開扉中です。   大阪や奈良など近畿地方にはいうまでもなく沢山ある聖徳太子縁の地ですが、なんと栃木県には聖徳太子の子孫が移り住んだと伝わる場所があります。温泉があり太子館となっていますから、もし機会がありましたらこちらも是非訪問してみて下さい。ここには聖徳太子神社もあります。 柏倉温泉太子館  

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  • 17 Apr
    • 愚かでかわいそうな日本人・・・我国の本当の危機

      今、日本が大きく変えられようとしていますが、私達愚かな日本人はそのことに気づいていません。日本=天皇、そして皇室です。   明治維新後、明治政府は憲法を整えるのに当たってヨーロッパ各国の憲法などを学んだほか、日本の歴史・神話等も合わせて見直しをしました。それはその国の国柄に合わせなければ生きた憲法を作ることが出来ないというアドバイスをヨーロッパで学んでいた伊藤博文が受けたからです。   そして昨年の 天皇陛下のおことばでも 「このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ」 とありましたが、私達は我国の長い天皇の歴史を振り返っているでしょうか?   振り返っていたら、現在有識者会議で決めていることにおかしいと異議を挟む人がもっといてもおかしくはないはずなのです。   そもそも有識者とは、有職故実に通じている者のはずですが、このメンバーはそうなんでしょうか?   有識者会議の最終報告を読むと恐ろしい内容ではないですか?   有識者会議最終報告構成(案) 2017.4.13 22:36更新 【天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議最終報告構成(案)】  はじめに  一、最終報告の取りまとめに至る経緯  二、譲位後のお立場等  1 譲位した天皇およびその后の称号  2 譲位した天皇およびその后の敬称  3 譲位した天皇の皇位継承資格の有無  4 譲位した天皇およびその后の摂政・臨時代行就任資格の有無  5 譲位した天皇およびその后の皇室会議議員就任資格の有無  6 譲位した天皇およびその后の皇籍離脱の可否  7 譲位した天皇が崩御した場合における大喪の礼の実施の有無  8 譲位した天皇およびその后の陵墓  三、譲位した天皇およびその后の事務をつかさどる組織  四、譲位した天皇およびその后に係る費用等  1 譲位した天皇およびその后に係る費用  2 天皇が譲位した場合における由緒物への課税の有無  五、譲位した天皇の御活動のあり方  六、皇子ではない皇位継承順位第1位の皇族の称号および処遇  1 称号  2 事務をつかさどる組織  3 皇室経済法上の経費区分  おわりに     このような内容を天皇も皇室の方々もいらっしゃらない中、決めてしまうなど畏れ多すぎます。我が国は古代を春秋歴としても2000年以上の歴史と伝統の積み重ねで成っている国です。それをほんの一時の流れの中で、簡単に決められることでしょうか?     最終報告書案 「お気持ちに共感した国民に寄り添う」 国民の総意模索し慎重にとりまとめ 産経ニュース2017.4.15 05:00更新 天皇陛下の譲位への対応などを検討する安倍晋三首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」がまとめた最終報告案は、皇室典範が認めていない譲位を望む陛下のご意思そのものではなく、「国民の総意」を反映した形を整えることが最重要課題だった。会議は「天皇は国政に関する権能を有しない」と定める憲法4条に抵触しないように、世論と国会の動向を見つつ、細心の注意を払いながら議論を進めてきた。 「陛下のお気持ちに寄り添ってはいけない。お気持ちに共感した国民に寄り添うことが重要だ」 有識者会議メンバーの一人は、報告案のとりまとめについてこう指摘する。これは首相官邸を含む共通認識だといえる。 昨年8月8日、天皇陛下が譲位の意向がにじむ「お気持ち」をビデオメッセージで表明された後、政府高官はこう指摘した。 「天皇としての発言ではなく個人としての発言だ。陛下は『個人としてこれまでに考えてきたことを話したい』とおっしゃり、政府や国会に対してではなく、国民に向かって言葉を発された。人間としての心情を国民に向かって語りかけている言葉だ」   また、翌9日には安倍首相も記者団に「天皇陛下が国民に向けてご発言されたということを、重く受け止めている」と述べた。陛下のご意向に政府がそのまま従う形となれば、国家権力の恣意(しい)的行使を制約する立憲主義に反する。考えに考え抜いた表現だった。 ただ、最終報告案をまとめるに至る道程は平坦(へいたん)ではなかった。政府は当初から特例法制定を想定していたが、民進党は天皇陛下のお言葉を引用した上で「十分忖度(そんたく)」(野田佳彦幹事長)、「しっかり忖度」(細野豪志元代表代行)などと強調し、政府や有識者会議はもっと陛下のお心を推し量るべきだと主張した。 最終的には、衆参両院議長の調整で民進党も妥協して与野党は歩み寄った。とはいえ一時は、「民進党は本当に譲位問題を政局に利用しようとしている」(別の政府高官)などと不信感が高まり、国論が二分しかねない危うさもあった。官邸と宮内庁の関係もぎくしゃくする場面があった。 21日の最終報告提出後、5月から国会で特例法案が審議されるが、皇位の安定的継承の問題は宿題として残る。政府には、「男系継承が維持されてきた重み」(安倍首相)を踏まえた上での継続的な取り組みが求められる。(阿比留瑠比、田北真樹子)   国民の総意を反映したという言葉はおかしいです。私はNHKが悪意を持ってスクープしたその時から、日本国民は意図的なニュースによってその考えを操作されていると感じていたからです。マスメディアが今のような雰囲気を作り上げました。   本来は、国民の総意など関係なく、皇室会議を皇族会議に戻し、天皇と皇族にお返しして、このような有識者会議ではなく皇族会議で話し合っていただけば済むという単純なことのはずです。そうすることによって、今後国民の総意ということを悪例にすることは避けられます。国民の総意などというものは危険性しかありません。一時の感情の流れで(強い声の人達が)国民の総意を作って崩壊した国々がありますが、そのような流れを造ろうとしているのではないですか?今すぐはそうはならないかもしれないけれども、時間をかけてそうした流れを造ろうとしている人達がいるとしか思えない内容です。   2000年以上に及ぶ日本の歴史の中では、熾烈な皇位争いがありました。その中には藤原家の意志が強く表れているものもありました。そうしたことを踏まえて、明治時代に整えられたのが皇室典範で、その中には、「皇族会議」では天皇が出席でき皇族がメインの会議となっていました。そこに時の政権メンバーが参加するという形だったのです。   なぜ皇室典範をお返ししようという声があがらないのか? 現在の状況では、何が決まっても後々天皇が意思を通したという(政治的)問題になりかねません。しかし、皇室典範が国が関わるものではあるけれども一家法でもあるという戦前の形に戻れば、譲位の問題についても政治的意思の問題が解決されます。また国が天皇の進退を決めたという近代以降初の前例を作るという形を残すことも防げるのです。前例を作るという事は、次に何かが起きた時に必ず、前例があったからという免罪符に使われる危険がありますから絶対避けなければなりません。一度前例を作ってしまえば、例えば今回一代限りといっても、もう一度一代限りということが起こらないとはいえなくなります。   天皇を譲るという事は、日本が譲られるという事です。私達は日本=天皇であるということが当たり前すぎて見えなくなっているのです。天皇に関わることをはっきりいえばその辺の人達(良い方が悪いですが)にお任せしていいんですか? 皇室の悠久@dankeidanshi  皇室へ典範を奉還し、旧宮家の皇籍復帰、堂上公家を復活させ、「皇室会議」を「皇族会議」に戻し、「宮内庁」を内閣府に上位する「宮内府」に昇格させ、長官・次長・書陵部長、侍従長・東宮大夫は公家の専菅とする。皇室を元の姿に復元する事のみが、唯一許される現皇室典範を改正できる内容である。2017年04月13日 12:17   皇室の悠久@dankeidanshi  現在、皇室典範は「国民が簒奪」した状態にある。皇族は皇室会議にただオブザーバーのように座しているだけの状態である。そして政府・宮内庁は、皇族の平民化、皇室の破壊を嬉々として押し付けて命令している。こんな常軌を逸した状況を改める為にも、皇室典範を皇室に奉還する事は我が国の重要課題。2017年04月13日 10:17   有識者会議の最終報告案全容が判明 皇族減対策速やかに 産経ニュース2017.4.15 05:00更新 天皇陛下の譲位への対応などを検討する安倍晋三首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」(座長・今井敬経団連名誉会長)がまとめた最終報告案の全容が14日、分かった。天皇の国政関与を禁じた憲法に留意しつつ、歴史的経緯も踏まえて国民に広く支持を得られるよう検討した。皇族数の減少対策については「速やかに検討を行うことが必要」と指摘し、政府をはじめ国全体で議論を深めることに期待を示した。 最終報告案は13日に開かれた第13回有識者会議でとりまとめた最終報告の骨子案と同じ、6章で構成される。A4判で19ページある。それぞれの項目で、専門家から意見聴取した一部の内容などを反映した「歴史および現行制度の概要」を明記した上で、有識者会議が取りまとめた見解を説明した。 譲位後の天皇の称号をめぐっては、歴史上譲位した天皇の称号として定着してきた点を踏まえ、「現行憲法の下において象徴天皇であった方を表す新たな称号として『上皇』とすることが適当」と結論付けた。「前天皇」や「先の天皇」などの称号では「天皇」という文言が含まれるため、象徴や権威の二重性を回避する観点から好ましくないと判断した。   譲位後の天皇の后については、歴史上使用されたことのない称号である「上皇后」が適当だとした。上皇と上皇后が皇籍を離脱することは「ないものとすることが適当」と位置づけた。 歴代天皇が引き継いできた三種の神器や宮中三殿などの「由緒物」への贈与税を非課税とするほか、新天皇との「二重権威」を回避するため、象徴としてのお務めは全て譲ることが望ましいとの見方を示した。 秋篠宮さまの処遇に関しては「あえて『皇太子』などの特別の称号を定めることとはせず、秋篠宮家の当主としてのお立場を維持していただくことが適当」と指摘した。称号は「皇嗣(こうし)秋篠宮殿下」と「秋篠宮皇嗣殿下」の2つの選択肢を示した。 また、秋篠宮さまが皇位継承順位1位となった場合は「事務をつかさどる組織や費用の面で皇嗣にふさわしい処遇とすることが必要」と主張し、「皇嗣職」を新たに設け、東宮大夫に相当する「皇嗣職大夫」の設置が適当だと明記した。 報告書は21日、安倍首相に提出される。     この記事もおかしいですよね。御譲位された天皇の尊称は「上皇」「太上天皇」「太上皇」です。その中の「上皇」の尊称を使用するとなぜ素直にいえないのでしょうか?   また先帝の皇后は「皇太后」です。なぜ新しい言葉を造るのでしょう?   同様に、皇太子で弟である場合は「皇太弟」です。なぜ「皇太弟」を避けられるのか?おかしい話ではありませんか?   そして、マスメディアももっともらしく書いていますが、産経も含め敬称をちゃんと使用していません。敬称をちゃんとしようしていないのですから、こうした内容についても異議を挟めませんよね?天皇陛下とは表現しても、皇后陛下も皇太子殿下も、秋篠宮殿下も「さま」で通しています。上の記事でも「さま」ですよね。   皇室の歴史は長く、そのため様々な固有の用語があります。特に敬語については国民は知っておく必要があります。知識として身に付けばやがて形として外に表れますからまず知ることが大切です。ところがその知識を与えないようにし、混乱させようとしているとしか思えません。   皇室と国民の関係は、ここ70年ほどの「象徴天皇」という短いスパンのものではなく、2千年以上に亘り築き上げてきた天皇と国民、皇室と国民の関係があります。日本古来の大和言葉にも敬語があり、漢語が移入された後もその表記を倣うなどして皇室に対し、親愛の情より敬意を払ってきたのが皇室敬語であり、恣意的な操作のために国民の耳目に触れる機会、教えられる機会がないために、忘れ去らせようという現在の状況は日本の歴史の中で異常な時代なんだと思います。   そもそも敬語は主従の関係ではなく、人間関係を豊かに円滑にする役目としてあるのです。   我国の天皇、皇室に対して非礼をしても、海外の王室に対してはちゃんと敬語を使ったり、あるいは皇太子がいるのは日本だけなのに、王子を皇太子と表現するようなことを平気で行っているマスメディア。そしてそれに気づかない私達日本人は愚かでかわいそうであるとしかいえません。     今月3日は神武天皇2600年祭でしたが、そのニュースは全国紙で以下のような小さな扱いでした。我が国の始祖の神武天皇のお祭りがこんな扱いです。国としておかしいと言わざるを得ませんし、これも私達日本人が愚かでかわいそうである表れだと思います。本来であれば、国をあげてお祭りするはずのものです。そうしたことができなくなっている国というのは寂しい国ではありませんか?   両陛下ご動静(3日・月) 産経新聞ニュース2017.4.4 10:15更新   (宮内庁発表分)  【午前】  陛下 神武天皇祭皇霊殿の儀(皇居・皇霊殿)  皇后さま 神武天皇祭皇霊殿の儀に当たりご遙拝・お慎み(御所)  【午後】  両陛下 人事異動者《宮内庁異動部課長ら》が拝謁(御所)  両陛下 同《侍従職関係異動者》が拝謁(同)  両陛下 同《委嘱掌典》が拝謁 (同)  陛下 皇霊殿御神楽の儀(皇霊殿)  皇后さま 皇霊殿御神楽の儀に当たりご遙拝(御所)         天皇は人の敬によりて威を増し 人は天皇の徳によりて運を添ふ 我が国はこういう国なのです。もっともっと私達が賢く天皇について皇室について知っていくべきではありませんか? 神は人の敬によりて威を増し人は神の徳によりて運を添ふ   皇室存続に対する本当の危機感とは    

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  • 16 Apr
    • 国民保護とはどういうものか?この機会に考えたい

      昨日は、北朝鮮の核実験やミサイルの危険が高い日と言われましたが回避できました。しかし暫くは5のつく日などの危険性が高いと言われています。   そんな中、政府のサイトのアクセス数がアップしているとのニュース↓ 北朝鮮情勢の緊迫化で国民保護サイトが過去最高アクセス 有事の避難・救援は訓練なし 産経新聞ニュース 2017.4.16 06:20更新 内閣官房がインターネット上で開設している「国民保護ポータルサイト」へのアクセス数が、3月に過去最高の約45万件に上ったことが15日、分かった。北朝鮮をめぐる情勢が緊迫する中、有事における国民の避難・救援の在り方を定めた「国民保護」への関心の高まりを示した形だ。  同サイトでは国民保護の仕組みや、弾道ミサイルが飛来した際の速報態勢、身の守り方といった情報を掲載している。これまでの最多アクセス数は約37万件だった。担当者は「朝鮮半島情勢をきっかけに関心が高まっている」と話す。  国民保護をめぐっては、有事での連携の在り方や具体的な対処方針を定めた「国民保護計画」が全省庁と都道府県、99・8%の市区町村で策定済み。政府は平成17年度以降、実動・図上をあわせて計158回の国民保護共同訓練を都道府県や関係機関とともに行い、連携の習熟を図ってきた。  しかし、それらの訓練はいずれもテロを想定した内容で、弾道ミサイルが陸上に着弾するなど、有事を想定した訓練は皆無。政府は3月に秋田県男鹿市で、領海内に弾道ミサイルが着弾した想定で初の避難訓練を行ったが、死傷者の発生や救援まではシナリオに含めなかった。政府関係者は「被害想定をすると『国民を必要以上に不安にさせる』との反対論が出ることが避けられない」と話す。   また、各自治体が策定した国民保護計画も、国が例示したモデル計画の焼き直しが目立ち、有事では外敵対応を最優先とする自衛隊の力を当てにしすぎだとも指摘される。「自治体職員でも国民保護という言葉すら知らないことがある」(政府関係者)といい、高まる国民の関心に国・地方の取り組みが追いついていない状況だ。(千葉倫之)         KAZUYA君も言っていますが一度は「国民保護ポータルサイト」を見ておくといいと思います。特にKAZUYA君の動画にも出てくる非常サイレンの音は必ず聞いておくべきです。   このサイトを見てわかることは非常時、まず頼りにできるのは自分自身という事だと思います。非常時は普段と違い頼れるものが減ってしまいます。だからこそ、その時に的確な判断が出来るようにしておくべきなのです。本当は上記ニュースで否定している被害想定をした国民保護訓練を日本中で一度は行っておくべきだと思います。なにしろ我国の近隣は危ない国ばかりなのです。半島は実は休戦中なのであって、今回のような緊張が今後いつ起こるかしれず、しかも緊張だけに終わらないという事が起こり得ることでもあるからです。     小坪慎也@kotsubo48  【怖いと思ったらシェア】北朝鮮のミサイルが着弾した位置が怖すぎる。地図で見て頂きたい。 https://t.co/0GqT6QJA2G 昨年の8月、北朝鮮のミサイルが日本海の排他的経済水域に着弾した。その際の飛距離を同心円状に示した地図がある。 言いたいことは、わかるだろう。2017年04月15日 18:05   小坪さんのサイトの下の方には、実際にミサイルが着弾した際の被害想定動画がありますが、恐ろしいものです。     昨年8月のミサイルの着弾地点から秋田県では4月6日に弾道ミサイルを想定した避難訓練を実施したと思われます。しかし思い出してください、既に日本列島を通り過ぎたミサイルがあったことを。   たらりらん@barikatai  8年前に日本列島超えたミサイルを知らないガキと忘れてしまってるお花畑がいっぱいいて不安。 https://t.co/ERil3LxHzv2017年04月15日 04:24   もし、日本の領土にミサイルが着弾したらその地点の人達はなすすべもありません。ですからそうならないようにしないといけないのです。     小坪慎也さんは、携帯小説風にミサイルが着弾した場合のシュミレーション小説を書いています。   あらみたま 〇譲位×退位&生前不要@aramitama9  朝鮮有事と日本国内の被害(携帯小説風)【腹を括ったらシェア】 https://t.co/PFszWZrCim こわいけど、電気がなくなったらをシュミレートした映画「サバイバルファミリー」だってあっという間に食料なくなった。それにテロも加わればこうなってしまうかもしれない。2017年04月15日 18:40       先日公開された映画「サバイバルファミリー」では電気がなくなったらどうなるかをシュミレートして描かれた映画でした。電気に頼って生活している現代生活では、電気がなくなるだけで食料がなくなり普通の生活が出来なくなってしまうのです。しかし映画はそれ以外の危険性は排除されて創られていました。しかし、ミサイルのような攻撃を受けた場合、テロ等の危険性が生じます。サバイバルするためにやらなくてはならないことが沢山生じる可能性が高いのです。この小坪さんの小説、是非読んで欲しいと思います。     もし何か起きたら、その時一般の人達ができることはほとんどありません。私も昨日からどうしようかと思いつつも、でもなにもできないんだなあと考えていました。だからこそ、普段からこのような事にならないようにしなくてはならないのだと改めて考えさせられました。国会を空転させてはならないし、そのような議員を選んではならないのです。     有事にその標的にされたらなにもできることはありませんが、その周辺の無事な人達はその混乱の中でサバイバルする必要があります。そんな時一番参考になるのは何度もここで取り上げていますが、「民間防衛」です。       この本は災害はもとよりテロ・戦争全てを踏まえて作られた本で、情報戦についても書かれています。東京都でこれを真似して本が作られましたが、災害については参考になりますが、全体のできとしてはやはりこの民間防衛の方が優秀でした。 スイス政府が全家庭に配った本 スイス政府が全家庭に配った本 その2 スイス政府が全家庭に配った本 その3   この本にはスポーツを利用した戦争についても書かれており、これを読むといかに浅田真央選手が酷い目に合ったかが、今まで分からなかった人でも理解できるのではないかと思います。二度と浅田真央選手のような闘いをさせてはいけないのです。 真のスポーツ精神を守ろう   ぜひ、こうした本を参考にしてほしいと思いますし、東日本大震災の前に釜石市で行われていた防災教育を参考にしてほしいと思います。あの防災教育は生きた教育だったことが素晴らしく、今後のこのような教育の参考になるのではないかと思います。あのような大きな災害があると色んな人が入り込むこともわかっていますから、災害時も危険な時です。そしてもし戦火のようなことになれば、災害以上の被害が起きることが考えられます。 小中学生生存率99.8%は奇跡じゃなく教育の賜物 人間教育まで広がる防災教育 自分の命は自分で守る教育が必要 自立自営           メディアが信用できない為、ここ数年動画チャンネルが増えています。私はいくつも登録していますが、最近のお薦めは上記番組を放送している文化人TVです。動画チャンネルでしたら海外から見ることも出来るでしょう。   先ほど知ったのですが、NHKは完全に中国テレビに堕ちています。前々から言われていましたが、15日に「今日は何の日」というラジオのコーナーで天安門事件関連について語ろうとしたら音声が切れてしまったそうです。このようなことが実際にあったのであれば、このような放送局は完全に信用できません。 あらみたま 〇譲位×退位&生前不要@aramitama9  『”奇怪なりNHK”』 ⇒ https://t.co/Q00lKniYQY NHKが日本の放送局ではない証拠ですね、これ。日本でこんな中国でよく起こるような放送事故が起こるなんて本当に不気味です。これ聴いた人他にいませんか?2017年04月16日 07:11 とはいえ、小坪慎也さんのシュミレーション小説にあるように、きっと非常時には心ある日本人が活躍してくれるのではないかと期待しています。しかし、期待するだけではなくやはりそのような世界になっている日本を変えていかなくてはいけないのです。     そのためには多くの人が現実を知ることです。     江崎道朗さんは、メディアは敵ではなく味方にして行かなければならないと語っています。敵視するのではなく、味方にしていくのだと。そのためには深く中に入り込まなければならない。つまり、今入り込んでいる人達と同じ事をするのです。そして内部から変えて行くのです。これはとても難しいことだと思います。が、既にやっている人達がいるのですから、その反対も出来るかと思います。 ↓江崎道朗さんの動画番組       私は心ある日本人なら、今の状態をおかしいと考えているはずだと思います。上の文化人TVに出てくる山口敬之さんはTBSテレビにいましたがその酷さに退職されたそうです。これは適材適所があると思いますので、山口さんがフリーになってこうして発信してくれることは有難いと思います。そしてこうした志を持つ人が増えていけば、中には内部から変革出来る人もいずれは出てくるのではないかとも考えるのです。     現在日本人が動静をみるべきは、この半島や大陸の緊張と、天皇と皇室の行方でしょう。そこから目を逸らそうとする事、逸らそうとする者達は敵なんだと意識していくべきです。          

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  • 13 Apr
    • 四月十三日は桓武天皇の祭日・・・京都の始まり

      第五十代桓武(かんむ)天皇は、平安遷都を行った天皇です。平安京は現在の京都府京都市、京都市街は当時の街路をほぼそのままに現存している都市です。 七三七年生。 御名は山部(やまべ)、日本根子皇統弥照尊(やまとねこあまつひつぎいやてらすのみこと)。 御父は光仁天皇、御母は高野新笠。 在位七八一年から八百六年。 第四十九代光仁天皇の皇太子は、他戸(おさべ)親王でしたが、井上(いのえ)皇后が、他戸親王を皇位につけるため天皇を呪詛したとして皇后を廃され、他戸親王も皇太子を廃されました。その翌年、井上皇后と他戸親王は大和国宇智郡に幽閉され、同じ日に亡くなっています。 井上皇后は、聖武天皇の皇女で伊勢の斎宮を務めてから皇后になられた方で、当時としては高齢で親王を出産していますが、光仁天皇も高齢で皇位についたため、親王が皇太子になっているのに呪詛する理由がなく、冤罪だったと言われています。というのも、大々的な怨霊の鎮魂の始まりが井上皇后と他戸親王親子の死の後に始まっているからです。 その同じ年に皇太子になったのが、山部親王です。 山部親王は光仁天皇の第一皇子でしたが、母が身分の低い帰化系氏族の出だったため、皇位につくことはないと思われていました。しかし、三十七歳で立太子し、四十五歳で即位することとなりました。その影には藤川百川による擁立があったといいます。 桓武天皇は即位すると、まず弟の早良(さわら)親王を皇太子に立てました。そして奈良の仏教寺院の政権への影響力を嫌い、長岡京への遷都を断行したのです。 ところが遷都に反対する勢力による、長岡京建設責任者の藤原種継暗殺事件が起きました。(七八五年)桓武天皇は事件に関わった者たちを厳しく処罰しましたが、その中に早良親王もいました。早良親王は、身分を剥奪の上淡路配流にされましたが、無実を訴え移送中絶食し、絶命したといいます。この事件には当時の朝廷内の熾烈な政治闘争があったとも言われています。 七八七年、長岡京に移り住んでからの桓武天皇の周りでは、母の高野新笠や皇后の藤原乙牟漏が相次いで薨去し、皇太子に立てた長男の安殿(あて)親王(平城天皇)は病気を患い、疫病や災害も相次ぎました。 これは早良親王の怨霊によると考えられ、人心や政治の一新を図って完成間近の長岡京を捨て、新たに遷都したのが平安京です。(七九四年) 怨霊をも味方にしてしまう神様の力 愛国と遷都の日   平安遷都の責任者は和気清麻呂     天智天皇の崩御の後、壬申の乱で皇統は天武系に遷りました。しかし、天智系の光仁天皇が即位された後、二度と皇統が天武系に戻ることはありませんでした。   光仁天皇の皇子であった桓武天皇の時代に平安京に遷都されましたが、なぜこの地が選ばれたのかといえば、そこに天智天皇の御陵があったからだといいます。京都が都として発展してきたその大元には天智天皇の影響を受けた桓武天皇という構図があるともいいます。   平安京は途中平清盛の福原遷都を除き、明治の東京奠都まで帝都として続き、これが平安時代の始まりとなりました 桓武天皇は蝦夷対策にも力を入れ、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し征討軍を何度も派遣し平定に当たらせました。 桓武天皇はその他にも地方政治の再建を図り、官僚組織の行政改革や、国家財政の健全化に務めています。 八百五年、桓武天皇は莫大な財政負担となった造都と征夷を人々の安寧のため中止することを決断。『日本後紀』は「当時としては巨大な負担だったが後世への恩恵は計り知れない」と評価しています。 平安京遷都後も富士山の大噴火等の凶事が続き、桓武天皇は早良親王を「崇道天皇」と追号し、井上皇后の位も回復させました。また崇道天皇の為に春と秋の2回読経することを遺言としたのが、現在のお彼岸の起源となっています。 お彼岸の起源 お彼岸にはお墓参りに行こう(^O^)/   八百六年崩御。 御陵は柏原陵、京都市伏見区桃山町永井久太郎にあります。     明治天皇は、平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都の親神様として桓武天皇を御祭神に平安神宮を創建されました。これは幕末の戦乱と首都機能が東京へ遷ったことによる京都の衰退を憂えた明治天皇のおおみこころだったのでしょう。これを機に、京都復興への市民と全国民の思い入れが新しい京都誕生及び古き良き京都の維持継承への力と結実していきました。再び桓武天皇が京都を造ったのです。                   なお、京都には御所がそのまま残され維持されていますので、いまも帝の都として京都、そして東の都、東京都と二つの都となっているのが日本です。 参照:「宮中祭祀」 「天皇のすべて」 「歴代天皇事典」 「一個人No.141」 他  

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  • 12 Apr
    • 浅田真央選手ありがとう

      皆さんご存知のようにフィギュアスケートの浅田真央選手が引退されました。   2017年4月10日(月) ご報告いたします。   突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。 今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。 ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。 復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。 そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。 これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。 皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。 浅田真央       浅田真央選手ほど、日本人のみならず世界中を感動させた選手はいません。しかも、浅田真央選手は、世界のトップ選手として自分自身と闘うだけでなくスケート協会や国際政治という魔物とも戦っていました。そしてその素晴らしいスケーティングといつも変わらない笑顔で、最初はそれに気づかなかった人達も、その異質さに気づかされるようになっていきました。   浅田真央選手によって、多くの事に気づかされた人が世界中にいます。そんな中でも、スケートの真剣に取り組み素晴らしいスケーティングをされてきたからこそ、浅田選手は世界中のフィギュアスケーターから憧れる存在になりました。   そしてソチ五輪ではメダルこそなかったものの、誰も見たこともないこれからも見ることがないであろう素晴らしい演技を見せました。あんな素晴らしいスケーティングがかってあったでしょうか?   これからずっと語り継がれるであろうスケーティングです。   私はどのような環境でも挫けずにスケート道ともいえる競技生活を送られた浅田真央選手を尊敬し同時代にいたことに感謝します。   そして現代がインターネットや動画が沢山ある時代で、浅田選手がどのような目にあってきたかを多くの人が知ることが出来たのは良かったと思うと同時に、浅田選手に思い切り選手生活を送らせてあげることが出来なかった世の中であることを申し訳なく思います。   そして日本の宝である素晴らしい選手を応援せずに、日本のメディアやスケート協会がどんな目に合わせてきたかを絶対に忘れません。     引退といってもまだ若い浅田選手です。 これからまた素晴らしい人生を歩んでほしいと思います。   真央ちゃん、ありがとう。   うさんぽさんが、動画をまとめてます↓ 浅田選手の引退発表に寄せて~  引退報道特集と海外の反応とマイ・メモリアル   本日の記者会見もうまとめられてます、私はこれから観ますがここにも貼りますね。 21:11 真央ちゃんの引退記者会見~真央ちゃんの答えと決意は、そのスーツのように真っ白だった。  

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  • 11 Apr
    • 本日は満月参りしよう(^O^)/

      本日旧暦では3月15日、つまり本日満月、時間は15:09です。     満月と新月の日は、古来から神社参りが行われてきた日です。神社では1日と15日参りしましょう、とありますが、本来は旧暦1日(朔日)の新月参りと、15日の満月参りのことなのです。暦が旧暦から新暦に変わった時、新暦での1日参りと15日参りになってしまいましたが、本来は旧暦だからこその1日参りと15日参りでした。     旧暦では日付から月の形がすぐにわかりました。それを知って日本の歴史を見返すと、歴史を見る目も変わってきます。   赤穂浪士の討ち入りも、関ケ原の戦いも、そして高杉晋作の功山寺決起も満月の時なのです。 功山寺決起・・・1対3千?破天荒伝説は満月のおかげ? 初午には稲荷神社に行こう(^O^)/ かぐや姫が月へ帰る日、神社へ行こう(^O^)/ かぐちゃんの物語の凄さ 夏至の満月参りでヒラメキ? 神嘗祭賢所の儀・・・満月   今日は満月の晦日参りしよう!! 今日、満月の1日参りに行こう!!     そして、和歌の世界では、月に関する歌が沢山あります。満月といえばやはり藤原道長の歌でしょうか。   この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば 望月とは満月のことをいい、その権勢と満月を掛けた歌だと言われています。 六月十一日は三条天皇の祭日・・・道長と月     今日は東京の天気は良くないですが、満月であることに変わりはありません。 本日は満月参りをいたしましょう(^O^)/ 15:09が満月ですから、 明日の朝の早朝参り(^O^)/ でもいいかもしれません。

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  • 10 Apr
    • さくらさくらと百人一首・・・nozomimatuki

      東京の桜は先週が見頃でした。         そんな桜の時期に、ボーカロイド作曲家(?)のnozomimatukiさんが「さくらさくら」の動画をアップされてました。       のぞみまつきさんの曲が好きで、何年も前から聴いています。色んな曲がありますがその中に、祝詞や和歌等の古典に曲をつけたものがあり、素晴らしいのです。現代ならではの作曲家だと思います。 現代の流行歌?           歌には言霊がありますが、こうした曲が付くことによって音霊がより強化されるのでないかと考えています。むしろなぜ今までなかったのかと思うほどですが、多分一定年齢以上の方であれば、昔CMで使われた五輪真弓さんの歌を思い出すかもしれません。この歌のインパクトは凄かったです。現在nozomimatukiさん以外にも和歌に曲を付けている方がいますが、この歌の影響があるのかもしれません、       そんな古典の曲の中に、初音ミク同様ボーカロイドの結月ゆかりが歌う百人一首の曲もあります。やまとことばが美しい調べで流れていきます、自動再生で全曲聴いていると気分は万葉から古今和歌集の時代です。   土曜日に加瀬英明さんの講演を聴く機会がありました。加瀬さんは歌謡曲が大好きなんだそうですが、それは歌は大和言葉ばかりだからだそうです。漢語では歌は作れないんだとおっしゃってました。千年前の歌も、もっと前の歌もだいたいの意味合いを感じ取れるのも大和言葉が今も私達の中で生きている言葉だからこそ。そんなことが、この動画を見てるとわかりやすく伝わってきます。     歌番号1番から10番     歌番号21番から30番     歌番号21番から30番     歌番号31番から40番     歌番号41番から50番     歌番号51番から60番     歌番号61から70番     歌番号71から80番     歌番号81番から90番     歌番号91番から100番     「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」を読むときにバックで聞くのもいいかもしれません。百人一首には深い意味があるのです。       ここ何年もまんが「ちはやぶる」を始め、百人一首が注目されているのは意味があるのかも?  

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  • 09 Apr
    • 「渡良瀬橋」の八雲神社再建中です(^O^)/

      足利の人が大好きな歌「渡良瀬橋」、この歌を作られた森高千里さんも大好きです。私の母も凄く好きで、多分足利の人で森高さんを嫌いな人はいないんじゃないかと思います。   実はデビュー当時の森高さんは、いかにも男性が好きそうな売り方をしていてあまり好きではありませんでした。しかし、仕事関係で関わりのある友人からコンサートのチケットが手に入るので行こうと誘われ一緒に横浜アリーナに行った時、その一生懸命な歌い方を知って一転ファンになりました。生で体感するって、そんな感覚が分かるのが凄いです。森高さんの代名詞であるミニも「自分は歌がうまくないからこれぐらいサービスしないと」というような発言をされているというを知ったのも森高さんを見る目が変わるきっかけでした。しかも面白い歌詞の歌を次々にヒットさせ続けていました。   そんな面白い歌ばかり歌っているというイメージがついていた森高さんの転機となったのが「渡良瀬橋」のヒットです。   この歌が出来た頃は既に東京に住んでいましたが、「渡良瀬橋」という歌を知った時「えっなんで渡良瀬橋?」というのが私の最初の感想でした。渡良瀬橋は何の変哲もないただの鉄橋がかかる橋だからです。でもその歌を聞いた時、とても郷愁にかられました。聞けば聞くほど好きになっていく、そんな歌でした。しかも歌われているのは地元の橋です。好きにならずにはいられませんでした。上記のコンサートへ行った時の友人は隣の太田市出身でしたし足利の高校に通い私と仲良くなったぐらいですから、「渡良瀬橋」を喜んで歌ったものです。     その後(確か)ポッキーのCMでこの歌が使われたことがあります。そのCMではポッキーを食べながら土手を歩くシーンがあったのですが、すぐに渡良瀬川の土手だとわかり、地元の友人に確認したところ「撮影してたよ~」と返事をもらったことがあります。あの時何の変哲もない土手でも地元かどうか一瞬でわかるんだなあ、と感激した覚えがあります。CMには確か渡良瀬橋は出て来なかったのですがこの曲を使ったから渡良瀬の土手を使ったのでしょう。もしかしたら撮影の時は渡良瀬橋も撮ったのかもしれませんが、CM本編ではそのシーンが没になったのかもしれません。どこにでもあるような土手の風景となっていました。     森高さんは、この歌詞を作る時に足利まで来て周辺を歩いて歌詞を作られたのですが、5年前、20年ぶりにその跡を辿った動画をアップされました。デビュー25周年で作られた動画でした。5月25日がデビューだったそうで、その直前の頃に動画はアップされています。この時森高さん自身が動画を始めるという事で、その動画開始宣言ともいえる動画でもありました。それで話題になっていたので私も見たんだと思います。私はこの動画を見ながら、八雲神社行かなくちゃなあと思ってましたが結局行きませんでした。   以下、動画下のコメントは動画についていたもの。   2012/05/23 に公開(1:40) 森高千里が2012年5月25日でデビュー25周年を迎えました。25周年目の活動についてのコメントです。2012年は森高から目が離せません!!! 背景に見えるのは渡良瀬橋です。     2012/05/23 に公開(1:27) 1993年1月25日に発売されたと17枚目のシングル「渡良瀬橋」について、彼女の思いを語っています。背景に架かる橋は渡良瀬橋です。     2012/05/25 に公開(1:16) 2007年に渡良瀬橋そばに建立された歌碑を初めて見に行きました。     2012/05/26 に公開(1:13) 渡良瀬橋の歌詞を書くために足利市を訪れた時に移動中の車の中からこの公衆電話と床屋さんを見ました。その時の印象が歌詞になるキッカケになりました。当時は場所の特定もしなかったのでファンの方から写真を送ってもらった時に「ああ、この公衆電話と床屋さんだったな」と思っていました。今回初めて訪れて受話器を手に取った時は思わず感動しました。まだちゃんと残っていることに感謝しました。森高千里     2012/05/26 に公開(3:28) 渡良瀬橋の歌詞に「八雲神社」という神社が出てきますが、足利市にはいくつかの「八雲神社」があります。先日、足利市を訪問した際にそのうちの3社にお参りしてきました。     2012/05/28 に公開(1:06) 歌詞の中に書かれた河原にも降りてみました。       森高さんが足利を巡った動画は、その後『「渡良瀬橋」と私』という編集版もアップされています 2012/06/05 に公開(10:37) 森高千里が♪「渡良瀬橋」誕生から20年を経てその想いを語りました。       森高さんが足利を巡ったことをまとめたこの動画を見ると、森高さんが身近にある神社の代表としてその語感にあう「八雲神社」の名前を使われたことがわかります。この歌詞が普遍的な優しさで足利はもちろん日本中でヒットしたのは、どこにでもある神社が歌詞として登場したことにもあるのだと思います。そして、そうした日本人としての感性を生かした歌詞が書けるからこそ、森高さんの歌はヒットに恵まれてきたんだなあと、あらためて感じました。森高さんはその作詞力により様々なヒット曲を出し続けていましたが、この「渡良瀬橋」はその森高さんのターニングポイントとなる曲となりました。そうした歌になったのは、森高さんの日本人ならではの感性が生かされた歌詞だったからだと思うのです。     森高さんの動画を楽しむようになったその年の12月「八雲神社」の動画で三つ目にお参りされた八雲神社が放火で焼失しました。編集版では二つ目に登場する八雲神社です。 宝物も焼失していました 地域の神社による教育を   これには地元はもとより、森高さんもショックを受けられ、その後チャリティーティシャツを作られ、足利から開始されたコンサートツアーでも売られました。この時の「渡良瀬橋」は会場全員で合唱して感涙ものだったと聞きました。     その後、八雲神社の再建には伊勢神宮の解体古材が使用されることが決まりました。   「渡良瀬橋」の八雲神社、伊勢神宮の解体古材で焼失社殿再建へ 産経ニュース2015.2.21 09:41更新 歌手・森高千里さんのヒット曲「渡良瀬橋」に歌われ、平成24年12月に焼失した八雲神社(栃木県足利市)が、伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮に伴って解体された社を移築して再建することが20日、わかった。1、2年以内に着工される見通し。 八雲神社をめぐっては、森高さんが公式サイトで「思い出の神社がまさか火事になって」とつづると、全国のファンから「一日も早い再建を」と神社に見舞金が相次ぎ、計200万円集まった。 大改築して間もない社殿の焼失で、氏子らの復興再建委員会が寄付金集めに四苦八苦していたところ、25年に行われた伊勢神宮の式年遷宮の古材を譲り受ける案が浮上。昨年5月、桜木宏紀宮司(74)が申請した。江戸時代、八雲神社が伊勢神宮に神鏡を奉納した事実が確認され、伊勢神宮125社のうちの「月読荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)」の譲渡、移築が決まった。 この社(やしろ)は、かやぶきの総ヒノキ材。既に解体されており、材木は月内にも足利市に運ばれる。桜木宮司は「お伊勢さまから貴重な社を頂き、大変ありがたい。今後、何百年も後世に伝えたい」と話している。     この時地元の友人に聞いてみたところ、古材は決まったけど再建にお金がかかるからいつ始めるかまだ決まってない、という話でした。     神社TVさんが最近動画をアップされていたのですが、そこには再建中の八雲神社が写されていました。再建が開始されていたのです。嬉しい限りです。       八雲神社は足利のどちらかといえば西寄りにありますがその西隣の大田市では松陰に影響を与えた偉人高山彦九郎神社やその後方にある新田義貞の新田神社の社務所などがやはり放火にあっています。高山彦九郎神社は再建の話が決まったと聞いたのですがなかなか難しいようです。神社仏閣の再建はそうやすやすと簡単にできるものではありません。八雲神社は大改築後の焼失とありますが、どこの神社仏閣も改築の時にはその費用を全て寄付等で賄います。それを集めるのがどんなに大変なことか。     ここのところ寺社仏閣への事件がまた相次いでいます。寺社関連・文化財への放火・盗難・破壊行為等は、誰が行おうと日本と日本人へ攻撃しているのと同じ事でテロ行為だと考えています。神社といえば地域の憩いの場であり、祭事が盛んであれば沢山の思い出も出来る場所ですから、その地域やその地域へ住んでいる人々への攻撃になります。寺社は千年以上経つものも日本各地に多いわけですから、その地域の何代もに渡る世代間で共有してきたものがそれにより失われることにもなります。上記、八雲神社のニュース記事で伊勢神宮へ奉納した神鏡は同じものが八雲神社にもありましたが、この火事の時に失われました。失ったものは二度と戻りません。時には人命が失われることもあります。このような痛みが二度と起きないようにと願うばかりです。 寺社関連・文化財への放火・盗難・破壊行為等は日本へのテロ行為① 寺社関連・文化財への放火・盗難・破壊行為等は日本へのテロ行為②         さて、森高さんの動画を見ていたらこんな動画がありました。名曲「この街」をくまモンと・・・ 「でもこの街が大好きよ、生まれた街だから~」 こんな歌詞を書く方を嫌いになれるはずがありません。日本中のどの町の人もそう感じているはず。ちなみに森高さんは熊本ご出身です。   歌詞つき版 この歌のコメント欄を読むと、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本と、震災の度に人々を励ます歌になっているようです。       私はここ数年元旦の日には、森高千里さんの「一月一日」をアップしています。森高さんが毎年新年にアップされているからです。今年は酉年なので鳥小屋をバックに歌われていました。この歌は、明治時代に出雲神社の宮司さんである千家尊福(せんげたかとみ)さんが書かれ作られた歌で、大和言葉がとても美しいお正月の歌です。あらためて読むととても素晴らしい歌詞の歌を、森高さんがかつて歌い、そしてここ数年は御自身の動画で毎年歌い続けているということに、森高さん自身が表れていると私は感じています。そして、多くの日本人が森高さんに親近感を抱くのは、そうした普通の日本人的感性なんだとも思います。若い頃アイドルとして出てきて、ずっとその魅力を失わずに活躍されている方にはこうした感性があると最近私は考えるようになりました。これからも応援し続けたい方です。         おまけ・・・この歌の歌詞はくまモンプロデューサーの小山薫堂作詞、KAN作曲で森高さんが歌ってます。熊本繋がりですね。   おまけその2・・・みんな大好きぺこちゃんの歌。これも歌のみ森高さんです。  

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  • 08 Apr
    • 戦艦大和の慰霊祭

      昭和20年(1945年)4月7日、世界最大の空母であり戦艦だった戦艦大和は、沖縄方面出撃途上、坊ノ岬沖でアメリカ軍の猛攻撃により撃沈されました。       昨日4月7日戦艦大和の慰霊祭が、艦内神社を分祀勧請された大和(おおやまと)神社で行われました。他にも縁の地で慰霊祭が行われています。           HPにはこうあります。 平成17年に戦後60年を迎え「戦艦大和みたま祭」を執り行いました。それ以降毎年8月7日に「戦艦大和みたま祭」を斎行しています。その時お供え頂いた初穂料で石碑を建立し、今回完成いたしました。本当に有難うございました。感謝いたします。碑の完成写真です。 昭和20年に撃沈した時点で戦艦大和の乗組員数2736名おられましたが、その数にちなみ2736mm×1300mmの大きさの御影石に「戦艦大和ゆかりの神社」と刻み、安置しました。また同石碑の裏面には石碑建立の経過・目的・願いを表しています。       1、戦艦大和(せんかんやまと)には、大和神社(おおやまとじんじゃ)の御分霊(ごぶんれい)>が祭(まつ)られています。 1、 奈良時代、遣唐使(とうけんし)らは出発に際して必ず大和神社へ航海(こうかい)の安全祈願(あんぜんきがん)に参詣(さんけい)されました。そうしたご縁(えん)があって戦艦大和の艦上(かんじょう)に大和神社の御分霊(ごぶんれい)が祀(まつ)られていました。 昭和16年大和神社を描(えが)いた 堂本 印象(どうもと いんしょう)画伯作「戦艦大和守護神(しゅごしん)」は戦艦大和の艦長室(かんちょうしつ)に掲(かか)げられていました。 (広島県江田島(えたじま)市 海上自衛隊 第一術科学校 教育参考館所蔵) 1、 となりの祖霊社(それいしゃ)には、戦艦大和が撃沈(げきちん)した時の殉死者(じゅんししゃ)2736名の御霊(みたま)が祀(まつ)られています。 1、 戦艦大和の長さは、大和神社の参道(さんどう)とほぼ同じ(270M)で幅はば)は、参道の約5倍(80M)です。   写真は昨年末に奈良を回った時に、こちらにお参りし祖霊社にもお参りした時のものですが、祖霊社の写真を撮り忘れていました。     昨日、その慰霊祭に参列された久野潤さんのFBにはこう書かれてありました。 【奈良】 戦艦大和の命日である本日は、奈良県天理市の大和(おおやまと)神社で第二艦隊戦没者慰霊祭。私も帝国海軍軍艦慰霊顕彰会の会長として、戦争経験者および協力者と一緒に参列。 昨年より海軍経理学校35期(兵学校74期コレス)の藤崎勇さんが実行委員長となり、参列者には航空自衛隊幹部候補生学校の荒木学校長、そして「大和」1/450模型を奉納した伊藤多度大社権禰宜や鉛筆画奉納の菅野画伯も。私個人は純米大吟醸「大和」と「酔心 超弩級戦艦」を奉納し、直会で皆さんに飲んでいただいた。     そして昨夜の久野潤チャンネルでは、慰霊祭と戦艦大和をテーマに語られています。久野潤さんは、艦内神社について研究されてらっしゃる第一人者です。   著書「帝国海軍と艦内神社 神々にまもられた日本の海」     昨夜の久野潤チャンネル   当時最先端の技術が集められた戦艦大和。以前竹田恒泰さんが竹田研究会で2時間その技術と現在どう生かされているかを語られたことがありますが圧巻でした。下は数カ月前、久野潤チャンネルで戦艦大和について語ったもの。           宇宙戦艦ヤマトが出てきた時、子供ながらに荒唐無稽に思えたものですが、こうした背景があるからこその設定だったわけで、この設定には作者松本零士さんの想いがこめられています。       多くの先人達と多くの英霊の方々のおかげで今の私達があります。感謝しかありません。 いつか私も大和神社の慰霊祭に参列したいと考えています。        

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  • 06 Apr
    • 本日は五箇条の御誓文が示された日

      明治元年三月十四日(四月六日)、五箇条の御誓文が渙発されました。これは明治天皇が天地神明に誓約する形で公卿や諸侯に示した政府の基本方針です。これは昭和天皇が終戦後に「新日本建設に関する詔勅」で引用されており、内容からしても政治家はもとより日本中で意識したい内容です。   五箇条の御誓文   一 広く会議を興し、万機公論に決すべし。 一 上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。 一 官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。 一 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。 一 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。   勅語 我が国未曾有の変革を為んとし、朕、躬を以て衆に先んじ天地神明に誓い、大にこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの旨趣に基き協心努力せよ。年号月日 御諱     現代語表記でも難しそうですが、内容は至ってシンプルで普遍的であり、誰もが参考にできる、参考にしたいものとなっています。そして最後には勅語があり、教育勅語と同様、国民と共に努力したいという天皇の決意が入っているのです。   一、広く人材を求めて会議を開き議論を行い、大切な事はすべて公正な意見によって決めましょう。 一、身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう。 一、文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々の希望を失わせないことが肝要です。 一、これまでの悪い習慣を捨てて、何事も普遍的な道理に基づいて行いましょう。 一、知識を世界に求めて天皇を中心とする麗しい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。   これにより、我が国は未だかつてない大変革を行おうとするにあたり、私は自ら天地の神々や祖先に誓い、重大な決意の元に国政に関するこの基本方針を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしているところです。皆さんもこの趣旨に基づいて心を合わせて努力して下さい。     これは例えば社訓や、普段の生活にも応用することもできます。せっかくですから、日々活用したいものだと思います。     以下、明治神宮のHPより   五箇條の御誓文 日本の民主主義の基本と、普遍的な理念   慶応3年(1867)10月、将軍徳川慶喜は大政を奉還し、12月9日には王政復古の大号令が発せられ、幕藩体制に代わる新政府が成立しました。しかしながら開国まもない当時の日本の世情は依然混沌としており、国際的にも多くの問題を抱えておりました。 慶応4年(明治元年)3月14日、明治天皇は京都御所紫宸殿に公卿・諸侯以下百官を集め、維新の基本方針を天地の神々にお誓いになりました。絵には副総裁三條實美が五箇條の御誓文を御神前に奉読する光景が描かれています。明治天皇は白の御引直衣をお召しになり玉座に南面し、御神前に御身体をお向けになっておられます。この日、天皇みずからが国難の先頭に立って伝統あるこの国を護り、世界各国との親交を深めつつ国を隆昌に導こうとするにあたり、国民への協力を求める告諭(宸翰)が、御誓文とあわせて布告されました。   御誓文は以後明治維新の指導精神として、近代国家建設のさまざまな施策に受け継がれましたが、とくに昭和天皇は昭和21年元日の「新日本建設ニ関スル詔書」において、五箇條の御誓文を引用され「叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス」「国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ」と、御誓文の精神に立ち返り国づくりに努めるご決意をなされました。 ここには日本の民主主義の基本と、普遍的な理念が示されております。私たちは明治維新の尊い精神を継承し、その心を現代に生かすことが肝要です。   以上       明治神宮には五箇条の御誓文と教育勅語がプリントされた栞が置かれており誰でもいただけます。原文と現代文両方で書かれていますので、是非お手元に置いてほしいと思います。               五箇条の御誓文と明治神宮の御製を参考に親しみやすい歌にされた山口采希さんの「五つ星きらめく」      

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    • 四月六日は後村上天皇の祭日・・・明治時代に正統が認められました

      第九十七代後村上天皇は室町時代、南北朝対立時代の南朝二代目の天皇です。明治四十四年、南朝が正統とされたため、歴代天皇として認定されました。 一三二八年生。 御名は義良(のりよし)、初名は憲良。 御父は後醍醐天皇、御母は阿野廉子。 在位一三三九年から一三六八年。 後醍醐天皇の第九皇子(第七ともいう)の憲法良親王が十二歳のとき、後醍醐天皇の譲位に吉野で即位されました。後醍醐天皇はその翌日崩御されています。 後醍醐天皇と足利尊氏との対立の中育ち五歳の時から各地を転戦、即位された後も不安定な生涯を送られました。     在位三十年の間、北朝では、光明天皇、崇光天皇、後光厳天皇の三代が皇位についています。そんななか一三六六年には、両朝合体の話が実現しそうになります。後村上天皇は勅使を京都に派遣し足利尊氏の子、足利義詮に面会させました。しかし勅使の示した文面に「降参」の文字が入っていたため義詮が怒り、合体は流れたのです。 その後も義詮が吉野に使者を派遣し和談をはかりましたが、義詮は合体を求め、後村上天皇は降参を求めたので和談がまとまることはありませんでした。 後村上天皇ご自身度々戦闘にも参加し、「男山の合戦」では義詮と戦い、敵の重囲を辛うじて脱出するなど粘り強く抵抗しました。       一方で学を好み、和歌や書道に優れ、琵琶や筝の音曲にも深く通じていたといいます。 一三六八年、住吉大社宮司津守氏の住之江殿にて崩御。 父の後醍醐天皇が醍醐・村上天皇の延喜・天歴の治を理想とし、醍醐天皇にあやかって生前自ら後醍醐の号を定めていたことを受け、後村上院と追号されました。 御陵は檜尾陵、大阪府河内長野市寺元、観心寺内にあります。 南朝の御所の跡、吉水神社の宝物には後村上天皇御宸筆の書などがあります。           吉水神社からの桜の景色は「一目千本」という桜の名勝として有名な場所です。各地を移動された天皇ですが春にはここからの桜を愛でたこともあったでしょう。吉野山は本当に奥地にありますので都との違いを感じいることも多かったかと思います。     2016.4.4撮影 思わず歓声の出てしまうような美しさでした。ここは奥深い山ですから、下の方が咲きだすとだんだん桜の開花が上のほうまで登ってくるのがこの地だけで楽しめます。そして朝もやや霞に浮かぶ山々の美しいことは、実際に目にした人にしかわかりません。幼い時から各地を転戦された後村上天皇はどれほどこの桜を愛でることができたのでしょうか。昨年初めての吉野は感慨深いものがありました。 参照:「宮中祭祀」 「天皇のすべて」 「歴代天皇事典」  

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  • 05 Apr
    • 帝王自ら耕作し后妃自ら養蚕する詔

      大阪府枚方市の樟葉に交野天神社があります。その神社の奥には貴船神社があるのですが、その貴船神社の辺りはその昔継体天皇の樟葉の宮があったと伝わる場所です。             継体天皇元年二月四日、天皇はこの地で即位され仁賢天皇の皇女、手白香皇女を皇后にお迎えしました。そしてその直後の三月九日、天皇が詔を出されました。   「男が耕作しなければ民は飢える、女が紡がないと天下は凍える、だから帝王は自ら耕作して農を勧め、后妃は自ら養蚕をして桑を与える時間を過つなかれ、まして百官(諸役人)から万人に至るまで、農桑を怠っては富栄えることは出来ぬ、天下に朕が意を伝えよ」     この詔では、継体天皇は自ら耕し、皇后は養蚕をすると語られており、役人を含め万人が働かなければ富栄えることは出来ないと語っています。古代の暦は今とはずいぶん違うとはいえ、本日は旧暦では三月九日ですし、農耕が開始される春のこの時期に合わせての詔だったのでしょう。     この自ら耕し、万人まで働くという語り口は、明治天皇の教育勅語が、天皇と一緒に実践しようというのとそっくりです。こうしたことを見習って教育勅語はできたのかもしれません。 逆に考えるとなんでもわかりやすい→逆教育勅語って怖い     神は人の敬によりて威を増し人は神の徳によりて運を添ふ という言葉がありますが、これは 「天皇は人(民)の敬によりて威を増し人(民)は天皇の徳によりて運を添ふ」ということだと私は考えています。そしてこのような日本になったのは、歴代の天皇が範となってきたからだと思うのです。どんなところも上を下は見習います。そのトップの姿が、下にいる人達の姿であり、つまりは下にいる人達の姿がトップの姿ともなりうるのです。     我国は働くことを尊ぶ国ですが、働くことを尊ぶということは日本では当たり前でも実は世界では珍しいことです。     そもそも「働く」という漢字はもともと存在しませんでした。そこで日本で「人」が「動く」ことを組み合わせて出来上がった漢字でなく国字なのです。つまりこれが意味することは「働く」という概念がなかったということになります。だからこそ、日本人が字を組み合わせて作り上げなければならなかった字なのです。   日本では神様自らが働いています。神話の中では、天照大神が機を織り、稲を育てるのです。一方で西洋では労働は神からの罰であり、神様は働きません。だからこそ支配者階級も働かなかったのです。それは大陸でも同様で、そこに連なる朝鮮半島も同様です。だからこそ、古来から日本に渡ってきた職人達が祖国では蔑まされるのに日本では尊敬されるので帰国するのを嫌がり日本に骨をうずめたという話が沢山残っているわけです。     そして、神様が働く我が国では天皇も働きます。そもそも、神武天皇の東征がなぜ成功しその後の歴代の天皇がヤマトをまとめあげていくことができたのかといえば、稲作の仕方を教えていったからだといいます。稲作には厳しい労働がつきものです。まず水田を作るのが大変ですし、春から秋まで実るまでの時間がかかります。また、その間に悪天候や災害が起きれば、それまでの労働が無に帰してしまうのです。しかし、それでも収穫に辿りついた時に生まれる安定が大きかったからこそ普及させていくことが出来たわけです。 歴史的にも勤勉だった稲作農民   そうしたことを普及させることでまとめられた国が労働を尊ばないはずがないのです。     百人一首の一番歌は天智天皇の歌に始まりますが、この歌は天皇自らが稲刈りをすることを歌っています。   私達は、今もそのお姿を今上天皇の御姿から伺うことができます。           同じく百人一首の二番歌は、持統天皇の歌ですが、こちらは自ら洗濯をした衣についての歌となっています。   皇室では天照大御神に始まる機織りの伝統に連なる養蚕が、皇后陛下自ら行われています。蚕には小石丸という育てるのが大変な種がありましたが、皇室で養蚕を続けて行くことでその種が残りました。そしてその事が後に正倉院の復元プロジェクトの時に大きな成果となりました。品種改良が進んだ現在では難しかった復元が、皇后陛下の育てられていた小石丸の繭によって可能となったのです。そして新しいプロジェクトも生まれました。これは伝統を繋げていたから出来たことで、もし途絶えていたらそこで終わってしまっていました。 皇后陛下の御養蚕         小石丸についての詳細はこちらの動画をご覧ください↓     こうした考え方が基本にあるからこそ、我国は現在の繁栄を享受し、大災害の後の復興も他国に比べれば迅速に進めることができているのです。バブル経済の崩壊後ももがきながらも世界の多くの国々に比べれば豊かな生活を営んで来られました。それは、人々が日々働くのが当たり前であるからこそです。今の私達があるというその根本の考え方ができたのは、神話に連なる我国の伝統であるということを私達はもっと意識すべきなのではない、と継体天皇の詔を知ってから考えるのです。               ほんの三十五年ほどで消えるもののために失われた数百年

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あらみたま

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女性
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世界を知るための国学、和学、自習&愛好&探究者 それによって考えたり、思ったり、気付いたことな...

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