天長節の一般参賀では、天皇陛下から前日が冬至であったとの御言葉を頂きました。


冬至は冬の日が短くなることをやめ、日が長くなる→春に向かう日ですから、世界中でお祝いされて来た日です。今日のクリスマスも元々は冬至のお祭りとキリスト教が合体したものといいます。



そして今年の冬至は『朔旦冬至』19年7ヶ月に一度の日といわれてますが、次回は旧暦問題から34年後となるそうですから、実に特別な日だったのです。



朔旦冬至とは、冬至と新月(朔旦)が重なる、つまり「太陽の復活」と「月の復活」が重なる蘇りの日。しかも19年に一度(正確には19年7ヶ月に一度)しか訪れない、暦の上で大変重要な節目となります。古代から江戸時代まで暦は国家機密になるほど重要なことで、その運行が予定通り行われるかどうかは政治にも関わることでした。ですから19年に一度、きちんと朔旦冬至がくるということは季節の行事の上だけでなく、とてもめでたいことで、宮中ではそのお祭りもされていました。


そのお祭りを始めたのは、持統天皇という節があります。そしてその朔旦冬至の19年が、持統天皇の時代に始まる神宮の遷宮の周期となったというのです。今では20年周期の遷宮も当初は19年だったのです。


また、或いは京に遷都した桓武天皇がお祭りを始めたともいいます。


いずれにしても、この目出度い日に託して国の弥栄を天皇が御祝いしたことに違いはありません。


しかし、宮中のお祭りも幕末の光格天皇の時代が最後となりました。次の朔旦冬至のあった明治時代は、政府が必要なしとして行わなかったのです。



19年に一度の“蘇りの象徴”とされる「朔旦冬至」に、国家の弥栄を願い盛大な祝宴を催したと言われていたものを、なぜ富めよ栄よと頑張っていた明治政府は止めてしまったのでしょう。


宮中祭祀の復活の為に行動した室町以来の歴代天皇の中、時代の流れでどんどん復活させた光格天皇の時代にあったこの行事は、もしかしたら復活させたお祭りの一つだったのかもしれません。もし、そうだとしたら、とても惜しいことです。


しかし今上陛下の「昨日は冬至でした。」の御言葉がありました。


私は、たとえ宮中行事として行っていなくても、天皇はきっとお祈りを続けていらっしゃるのではないかと思うのです。そして今上陛下も日本の再生と復活…復興のために祈られたのではと。


陛下からは最後に「皆さんの健康と幸せを祈ります」との御言葉を頂きましたが、その御言葉の芯の強さは、陛下の大御心の現れではないでしょうか。


伊勢と出雲の遷宮が終わり、今年は伊勢と出雲の繋がりも強化され、日本の巡り合わせは再生、或いは常若へと向かっていると思います。そしてそれを、今上陛下がさらに後押しされたように考えられるのです。


だとしたら、私達はそれを活かさなければもったいないと思います。


天長節 天皇誕生日一般参賀皇紀2674年12月23日(火)1回目


天長節 天皇誕生日一般参賀皇紀2674年12月23日(火)2回目


天長節 天皇誕生日一般参賀皇紀2674年12月23日(火)3回目


※写真は23日の靖国神社のお米光線ですと書いていましたが訂正です。23日の皇居のお米光線です。