十一月二十三日、本日は新嘗祭の日です。


新嘗祭は、宮中祭祀の中でも最も古く重要な祭典です。


天皇の御本質は祭祀王であることですから、天皇陛下はこの新嘗祭を御自身で行われ祈られるのです。


最も重要な祭典ですから、実は前日から準備が始まっています。それは①に載せました。新嘗祭についての準備や簡単な歴史については②を御覧ください。儀式について、以下「宮中祭祀 連綿と続く天皇の祈り」よりご紹介します。


新嘗祭 十一月二十三日


天皇陛下のお出ましに合はせて、神様に捧げる神饌を、この日の為の特別な役割である采女と掌典以下が御膳舎から行列して、神饌を捧持して運ぶ「神饌行立」が行はれます。なほ、警蹕(けいひつ)の「をーしー」の声が一声高くなつた時に、和琴に合はせて神楽歌が始まります。この時の神饌は古代の食事そのもので盛りつける容器も柏の葉を何枚も重ねて作られた平皿「平手(ひらで)」、小鉢型の「窪手(くぼて)」、またお酒を供へる「平居瓶(ひらいかめ)」などがあります。


お供への神饌は調理されたもので、その一例をあげますと、まづ蒸した米と粟のご飯、同じもので水炊きしたお粥、甘塩に漬けて三枚におろした鯛、烏賊、鮑、鮭の生もの、干ものには干鯛、堅魚、蒸し鮑、干し鰺がありこれらは箱形の窪手に納めます。菓物には干柿、搗栗、生栗、干棗があり、更に鮑汁漬、海藻汁漬、鮑羹、海松羹、それに白酒(しろき)、黒酒(くろき)があります。これらのものを陛下はお箸で一つ一つお取りになつてお供へになります。このとき、これは何でありますとの説明を神様に申し上げなさると聞きます。


この行立が始まる頃に、天皇陛下と皇太子殿下が御参進なさいます。その御列は掌典長の御先導で、神剣(侍従捧持)、天皇陛下、神爾(侍従捧持)、侍従長、東宮大夫、皇太子殿下、壺切御剣(東宮侍従捧持)、東宮侍従長、東宮侍従です。御烈は天皇陛下、皇太子殿下の御足下を侍従が脂燭で照らす中を進み、天皇陛下は神嘉殿に入御、皇太子殿下は神嘉殿の隔殿に御着席になります。神嘉殿の前庭には庭燎(にはび)が焚かれ、その中を楽師が奏する神楽歌が流れていく神秘さは尊いものであります。


陛下は入御なさるとお手水をなさり、そののち行立した神饌をお手から親しくお供へになります。これには一時間半ほどかかる由です。このやうに御自身でお供へになることは宮中祭祀中新嘗祭のみのことです。これからもこのお祭りが重い儀式であることが伺へませう。ついで御告踏み(おつげぶみ)が奏せられます。今年一年の穀物の奉謝と国家、国民の幸福を御自からお告げになつて、祈られるのです。


そののちのお供へものを天皇陛下が頂く御直会があります。古記録にはこのとき天皇陛下は拍手三度、称唯(ゐしょう)、低頭されたとあります。 称唯とは「をー」と返事をすることで、古来目上の方への返事のことをいひます。天皇陛下はこのとき大御神様に対し、お返事をされ、頭を下げられるのです。ついでお供へやお酒を頂かれて陛下は御退出なさいます。これで夕の儀が終はります。そののち暁の儀が深夜の午後十一時から翌日の一時すぎにかけて行はれます。祭儀の内容は夕の儀と同じです。参列されない皇后陛下ほか皇族や妃殿下方は神座を掌典が撤去し昇神が行はれて、この御祭儀が終了したとの連絡があるまではお休みにならずに、御所でお慎みなさいます。


古来神祭りは夜中に行はれるものであり、昼間が人間の世界であるなら、夜は神々の世界でありました。人と神との交感はこのやうにして為されるわけで、天皇陛下は天照大御神と御一体になられるのです。ここに天皇の御本質があります。また古くはこの御儀は秘儀であり神嘉殿の御殿の中にはお供へを手伝ふ采女二人の他は天皇陛下しか入れませんでした。天皇がご幼少の時などは太政大臣などがお手伝ひをしましたが、他の人が入ることはできませんでした。そのやうに厳格さが守られてきた祭儀なのです。


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以上が新嘗祭の儀式ですが、天皇陛下が御高齢であることから、昨年は儀式が短縮化され、また2011年は天皇陛下御自らの祭祀とはなりませんでした。


今年は何も聞いていませんので、昨年同様簡略化された新嘗祭をしていただけるのだと思います。


このような大変な儀式をしていただける日本に生まれ育ったことに心から感謝します。


新米はこの儀式が済んだあと、新嘗祭の翌日から食すのが日本人の作法です。しかし飲食店では、関係なく出しているようですが。


勤労感謝の日ではなく、新嘗祭という祭日に戻し、新嘗祭の翌日には日本中が新米を感謝しながら味わう、そんな日本になると良いです。