iPS研究に支援を 神戸で講演会、山中教授もメッセージ | 再生医療が描く未来 -iPS細胞とES細胞-

iPS研究に支援を 神戸で講演会、山中教授もメッセージ

ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授が17日、神戸市で開かれた医療関係者向けの講演会にビデオメッセージを寄せた。山中教授が講演予定だったが、ピンチヒッターで同研究所の青井貴之教授が講演、山中教授のジョークを再現しながら、iPS(人工多能性幹)細胞研究への支援を求めた。
全国大学保健管理研究集会での特別講演で、受賞後の多忙さから山中教授は欠席、ビデオで「講演を楽しみにしていましたが、今回のノーベル賞決定に伴うさまざまな業務で、私自身が伺うことができなくなり、心からおわび申し上げます」と陳謝した。
続いて青井教授が登壇して共同受賞のジョン・ガードン博士と山中教授の両氏の写真をスライドで示し、「豊かで美しい髪のガードン博士と、…山中です」と山中教授が8日の受賞会見で使ったジョークで会場を沸かせた。続いて、iPS細胞研究の成果と課題を詳細に解説。冒頭と最後に山中教授に代わって研究所への寄付を呼び掛けた。
(京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20121017000166

幸せの学び:<その28> 挫折とノーベル賞
ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)の横顔が報じられていて興味深い。臨床医時代に挫折し、決してエリート街道まっしぐらではなかった、というのだ。「器用に物事をこなせず、要領よく立ち回れない人でも大丈夫さ」というメッセージのようで、それを知ってホッとした人が多いに違いない。
実は昨年7月、立教大学が生涯学習の場として開設している立教セカンドステージ大学でジャーナリストの立花隆さんの授業を聴講し、山中さんの分析に触れる機会があった。立花さんはスクリーンに自身も取材にかかわったNHKスペシャル取材班編著「生命の未来を変えた男 山中伸弥・iPS細胞革命」(文芸春秋)のゲラを映して言った。「山中さんは手術が下手だったので、先輩医師から『邪魔(ジャマ)ナカ』と呼ばれていたそうです」。教室にいた中高年受講者たちから「ほーっ」という声が漏れた。私も「へえ、順風満帆ではなかったんだ」と思った。
あれから1年余り。ついにノーベル賞に決定するや案の定、各メディアはこの逸話をこぞって紹介した。山中さんは「人間万事塞翁(さいおう)が馬」(人間の幸・不幸は予測できない)という言葉を支えに研究を続けたのだが、人生は何が奏功するか分からない。もし、修業時代に手術を器用にこなしていたら、今ごろは脂の乗り切った整形外科医になっていただろう(ただしノーベル賞とは無縁の)。
優等生ではなかった人と言えば、山中教授とともにノーベル医学生理学賞の受賞が決まった英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士(79)もそうで、15歳の時の成績が話題になった。英国の名門校の1949年夏学期の通知表を英メディアが写真で掲載している。タイプ打ちされた文字は「悲惨な学期だった」で始まり、「聞く耳を持たず、自己流を貫く。科学者を目指すようだが、ばかげている。本人にも教える側にも時間の無駄」などとバッサリ。担当教師の怒り心頭ぶりが黄ばんだ紙片からうかがえる。博士は今、その“成績証明書”を額に入れて研究室に飾り、余裕の笑顔を見せる。
「皆さんに感謝したい」という受賞決定を受けた山中さんのコメントは失意の日々を知る人が口にするからこそ味わい深く感じる。挫折は時に豊かな彩りと実りの秋を人生にもたらすことをノーベル賞は教えてくれた。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121016org00m010014000c.html

記者の目:ノーベル賞の山中伸弥教授
科学者という言葉から感じるお堅い印象からは、ほど遠い親しみやすい人柄。人工多能性幹細胞(iPS細胞)の作製で今年のノーベル医学生理学賞受賞が決まった京都大の山中伸弥教授(50)の、僕の印象だ。理由を考えてみたら、大勢の聴衆を前にした講演でも記者とのやり取りでも、相手を諭すように語る柔らかい大阪弁が大きな要素の一つだと気付いた。「大阪」といえば、早口で関西弁をまくしたてるお笑い芸人、熱狂的な阪神ファンなど、どことなくどぎついイメージがついて回る。たこ焼き、串カツなどのB級グルメや「食い倒れの街」を連想する人も多いだろう。だが、大阪で生まれ、長く暮らした僕にとっては、こういう人当たりの柔らかさこそが、本当の大阪人らしさだと思う。それを図らずも示してくれた山中さんは大阪が生んだニューヒーローなのだ。
山中さんの人生の大半は大阪、中でも下町と深いかかわりがある。青春時代を過ごした大阪教育大付属天王寺中学・高校、基礎研究に転じた後助手として働いた大阪市立大医学部は、いずれも天王寺駅を中心としたかいわいにある。
路面電車が行き交い、通天閣がそびえる新世界もこの一帯にある。キタやミナミの繁華街とは違って、昼間でもどことなくのんびりした空気が流れる街だ。この街の穏やかさが、山中さんを育むのに一役買ったように思える。
◇下町と関係深いiPS細胞誕生
大阪科学環境部で働いていた4年ほど前、山中さんが母校の大阪市立大で学生たちに講演をするというので取材した。講演が終わり、「古巣」の先輩たちと連れ立って山中さんが足を運んだのは、大学近くの小さなお好み焼き屋さんだった。当時すでに「ノーベル賞候補」とうわさされていたが、そのイメージとお好み焼きのギャップがほほ笑ましかった。院生時代の山中さんを指導した薬理学教室の岩尾洋教授によると、毎年6月に開かれる研究室の同窓会にもしばしば顔を出すという。
山中少年が育った東大阪市は「歯ブラシからロケットまで」と言われるものづくりの街だ。ここの町工場の人々が力を合わせて打ち上げた人工衛星「まいど1号」はニュースにもなった。山中さんの実家も、ミシン工場を営んでいたという。そういう環境は、後のiPS細胞研究とも関わりがある。iPS細胞作製に使った4種類の遺伝子は24種類の中から選ばれたが、もともとはコンピューターを使って2万数千種類から絞り込んだものだ。山中さんがそのコンピューターに詳しくなったのは大学生のころ「部品のデータベースを作りたい」という父の願いをかなえるためだった。
「プログラムを自分で組んでやったのがコンピューターとの出会いで、その時からすごく好きだった」と、山中さんは著書で振り返っている。いったん志した臨床医から基礎科学に転じたのも「技術者だった父親が、いろんな部品を工夫して作っていた。自分で工夫してやるというのにすごく憧れていたのが元々あった」という。
iPS細胞という、教科書を書き換えるような業績は言うまでもなくすばらしい。だが、山中さんのこうした経歴や背景も、多くの人の共感を呼ぶポイントになっている。
山中さんが在籍する京都大は、湯川秀樹に始まるノーベル賞の「殿堂」だ。もはや京大からノーベル賞が出てもさほど珍しくない。だが、京大教授になっても大阪に住み続け、妻を「大阪のおばちゃん」にたとえて記者たちを笑わせるのは、山中さんならではのスタイルだ。科学記者として多くの研究者に会ってきたが、これだけ人の心をつかむのが上手な研究者はそう多くないと思っている。
◇研究力底上げへ好影響を期待
山中さんという新しいヒーローの登場は、これからの科学にいい影響をもたらすだろう。子どもの理科離れ、論文の不振など、科学研究における日本の将来が心配されている。それを打開するさまざまな政策と同じぐらいに「山中さんみたいな研究者になりたい」という憧れが科学の担い手を増やし研究力を底上げする力になるかもしれない。もう有名になったが、手術の手際の悪さから医師として挫折を味わい、それを乗り越えて栄誉を手にした人間らしいエピソードも困難に立ち向かう希望を与えてくれるだろう。
「賞をいただき、研究のかじ取り、けん引役を任命されたと思っている」と話す山中さんの視線の先には、再生医療や創薬への応用がある。これからもずっと、大好きという大阪から日本の科学を引っ張っていってほしい。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/opinion/news/20121018k0000m070133000c.html




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