山中教授「まさに日本という国が受賞した賞」 | 再生医療が描く未来 -iPS細胞とES細胞-

山中教授「まさに日本という国が受賞した賞」

◆ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった京都大の山中伸弥教授の会見要旨◆
何時間か前にスウェーデンから電話で受賞の知らせをもらった。私とガードン先生の2人の受賞だが、私が受賞できたのは、国の支援のお陰だ。これは日本という国が受賞した賞と思う。iPS細胞の基礎となった研究を始めた30歳代半ば、私は無名の研究者だったが、国からの支援で研究が発展した。奈良先端科学技術大学院大から京都大に移り、さらに国の研究費をもらった。それで出来たのがiPS細胞だ。マウス、人間で成功した後も、国からの支援を5、6年間もらった。その支援がなければ、今日のストックホルムからの電話はかかってこなかった。
感想を一言で表現すると、感謝という言葉しかない。国、京都大のほか、iPS細胞を一緒に作ってくれた高橋和利氏、若い研究者らが助けてくれた。
家族にも心から感謝したい。80歳を超えた私の母に報告できたのが、本当に良かった。義理の父は医師で、私を留学中から支えてくれたが、今年亡くなり、報告できなかったのが残念だ。きっと天国で、25年以上前に亡くなった父と一緒に喜んでくれていると思う。
喜びも大きいが、同時に非常に大きな責任感を感じている。iPS細胞技術はまだ新しい技術で、医学や創薬で大きな可能性があるが、まだ医学や新しい薬の開発に役立っていない。
今後、何日間かで、受賞の意味を国民の皆さんにできるだけ私の言葉で話したい。来週からは、研究の現場に戻り、論文も早く出さないといけない。それが、このノーベル賞の意味でもある。過去の業績というよりは、これからの発展に対する期待の意味も大きい。それに報いるよう、これからも現役の研究者として研究開発に取り組んでいきたい。
ガードン先生との同時受賞が、一番うれしいと言っても過言ではない。ガードン先生はカエルの研究で、大人の細胞が受精卵の状態に戻るということを核移植技術で証明した。まさに、私のしている研究を開拓してもらった。ガードン先生が実験したのは1962年。私はその年の9月に生まれた。同時に受賞できたのは、研究者の人生として大きい。ガードン先生もまだ現役で活躍している。iPS細胞が本当の意味で、医学、創薬の応用に実現できる日まで頑張っていきたい。
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20121008-OYT1T00647.htm

山中教授「洗濯機直そうと座り込んだ時に電話」
◆山中教授との一問一答◆
Q 受賞の一報を聞いたときに何をしていたか。
A 正直な話、受賞すると思っていなかった。家にいて洗濯機がガタガタと音がするので、直そうと、洗濯機の前で座り込んだ時に私の携帯電話がなった。英語で話しかけられたので(受賞を)知った。ノーベル賞に匹敵する人はたくさんいるし、私よりふさわしい人もたくさんいる。その中で私に電話がきたことは、本当かどうか信じられないというのが正直な気持ち。
研究者は、何枚ものベールに包まれている真理を1枚1枚はがすのが仕事。1枚めくると別の1枚が出てくる。だが、どの1枚も等しく大切だ。私たちがやったことも、ガードン先生がめくったのと同じように、ベールをめくったらiPS細胞がいきなり見えてきた。
Q 電話で首相は何と言ったか。
A 首相と直接話すのは生まれて初めて。緊張したので正確に覚えていないが、野田総理から「おめでとうございます。日本国の皆さんを元気にするような受賞で、国を代表してお祝いの言葉を申し上げる」と身に余る言葉を頂いた。私たちは国からの税金を毎年20億円もらって研究している。一つの成果としてこの受賞があったが、私たちの本当の仕事はiPS細胞を使った医療を実現すること。これからもしっかり仕事を進めていきたい。
Q 一報が来たときに家族の反応は。
A 家族の何人かは家にいたが、このような知らせを伝えてもなかなかピンと来ない。私自身もそうだが、みんなぼうぜんとしていたというのが、そのときの状況だった。
Q 実用化を待つ患者さんに一言を。
A iPS細胞は万能細胞と言われることもあるので、今日明日にも病気が治るという誤解を与える部分があるかもしれない。しかし、実際は、時間がかかる。5年、10年、病気によって違うが、まだまだ研究が必要だ。私たちのような健康な人間が簡単には言えないが、今難病で苦しんでいる方には、希望を捨てずに研究の発展をみていただきたい。
Q 若い人にメッセージを。
A 研究は、アイデア一つ、努力で、どんどんいろんなことを生み出せる。日本は、天然資源は限られている。しかし、知的財産は無限に生み出せる。それが国の力になる。病気で苦しむ人の役にも立つ。様々な支援を受けて研究してきた私たちだからこそ、志のある人が安心して研究できる環境を日本につくりたい。
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20121008-OYT1T00962.htm?from=main2

首相「日本人として誇り」…山中教授ノーベル賞
野田首相は8日夜、山中伸弥・京都大学教授のノーベル生理学・医学賞受賞が決まったことについて、「我が国の学術水準の高さを世界に堂々と示すものだ。被災地で復興を目指す方々をはじめ、全国で数限りない方々が受賞に目を輝かせ、勇気づけられると思う。心から敬意を表し、日本人の1人として誇りに思う」とするコメントを発表した。
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121008-OYT1T00709.htm?from=ylist

「我が事のよう」山中教授と知人の前原氏
前原科学技術相は8日夜、報道陣の取材に対し、「同い年の知人なので、我が事のようにうれしい」と祝福した。
そのうえで、「5、6年前に初めて京大病院に併設された研究室は、病棟と行き来でき、ここで世紀の発明をされたのかと驚いた」と振り返った。
「山中教授は、常々、日本と海外、特に米国との研究費の差を憂えていた。そして『竹やりで勝負を挑んでいるようなものだ』と漏らしていた」と語った。その上で、「早くiPS細胞(を使った治療)が実用化されるように、政治もしっかりバックアップしていきたい」と、予算の重点配分を継続する考えを示した。
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121008-OYT1T00731.htm?from=ylist

「うれしい」田中文科相、山中教授に祝福の電話
田中文部科学相は8日夜、ノーベル生理学・医学賞受賞が決まった山中伸弥・京都大学教授に電話し、「わがことのようにうれしい。役所(文科省)を挙げて、内閣を挙げて、今後も一生懸命支援させていただく」と祝意を伝えた。
この後、田中氏は文科省で記者団に対し、「人類の幸せに日本の研究者が貢献していることはすばらしい。国の予算に強弱を付けて、ここに特化するという国家の意思をしっかり反映したほうがいい」と述べ、iPS細胞研究の分野に予算を重点配分すべきだとの考えを示した。
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121008-OYT1T00737.htm?from=ylist

「ありがとう、皆さんのおかげです」 山中教授が喜びの声
ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった京都大学の山中伸弥教授は8日午後7時半に京都大学の本部棟にタクシーで到着、職員に声をかけられると「ありがとうございます」と応じた。その後、「皆さんのおかげです」と述べた。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG0801D_Y2A001C1000000/


「受賞は国の支援のたまもの」 山中教授が会見
ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった京都大学の山中伸弥教授は8日夜、京都市の京大キャンパスで記者会見し、「iPS細胞はまだ新しい技術。本当の意味で医学や新薬の開発に役立ったと言えるところまで来ていない」と述べた。そのうえで「さらに研究を続けて、早く本当の意味の社会貢献と医学応用を実現させないといけない」と抱負を語った。
共同受賞する英ケンブリッジ大のジョン・ガードン名誉教授について山中教授は「ガードン先生の仕事がなければ我々の仕事もあり得なかった」と感謝した。
また「研究者の仕事は真理を明らかにすることだが、何枚ものベールに包まれてなかなか真理が見えない」と持論を展開。そのうえで「最初の1枚をガードン先生がめくった」と述べた。
iPS細胞研究に対する政府支援への感謝の気持ちも述べた。「私が受賞できたのは国の支援のたまものだと思っている」と何度も述べた。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG08023_Y2A001C1000000/

「日本という国が受賞した」 山中教授の一問一答
ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった京都大学の山中伸弥教授は8日、京都大学で記者会見した。主な発言は次のとおり。
――受賞の感想は。
「心の底から思ったのは名目上は山中伸弥ともう一人の受賞になっているが、受賞できたのは、日本という国に支えられたから。まさにこれは日本という国が受賞した賞だと感じている。感想を一言でいうと感謝しかない」
「iPS細胞の研究はまだ新しい。医学や創薬において大きな可能性あるが、まだ本当の意味で医学や薬の開発に役立ったと言えるところまで来ていない。これからも研究を続けて一日も早く社会貢献、医学応用を実現しないといけない気持ちでいっぱいだ」
「ジョン・ガードン博士と同時受賞になったのが一番うれしい。カエルの実験で大人の細胞が受精卵に戻ることを証明された。細胞の初期化という分野を開かれた先生と同じ賞をもらえるのは感慨深い」
――報告を聞いたとき、どこで何をしていたのか。
「受賞すると思っていなかったので家にいた。洗濯機がガタガタ音がするので直そうとしていたところ、携帯電話が鳴ってそれが英語だった。それで知った。米国をはじめノーベル賞に匹敵する人が多くいる。日本にも私よりもふさわしい方がいる。その中で自分の受賞が決まったので、電話が鳴ったとき、本当なのか信じられないというのが正直な気持ちだった」
――ジョン・ガードン博士との共同受賞になった。
「最初にあったのはiPS細胞の開発に成功する何年も前。2002年ころで学会で日本に来たころだ。第一印象はとても美しい髪の毛をしていてうらやましい。いまだに現役で自分で実験をしていることにも驚いた。常に論文を読んでいて、科学者はこうでないといけないのだなと教えられる。先生は細胞の初期化を切り開かれた。間違いなく先生がいなければ私たちの受賞もなかった」
――再生医療の実現を期待する患者へのメッセージを。
「今日、明日に病気が治ると誤解を与えている部分もあるかもしれないが、実際は5~10年と時間がかかる。ただ、たくさんの研究者がいろんな技術をつかって研究しているのも事実だ。時間との戦いと強く感じる。私たちの一日と患者さんの一日の違いは心している」
――若手の研究者、これから研究者を志す学生に対しては。
「私はまだ若いつもりだが、研究はアイデア1つ、また、努力でどんどんいろんなものを生み出せる力がある。そういう仕事だ。一人でも多くの人が参加してほしい。志を持つ人が安心して研究できる環境をつくるためにも、これまでいろんな支援を受けて研究してきた私たちも協力したい」
――倫理面の問題についても言及している。
「ヒトの胚性幹細胞(ES細胞)を研究する際すごく喜んだが、すぐに倫理面の課題に直面した。すばらしい細胞をどうしたらいいのかと研究したのが、iPS細胞の基礎の研究。ESのいいところを伸ばしたいと思ったのがiPS細胞だ」
「それでもすぐにiPS細胞から精子と卵子という生殖細胞ができるという問題が出ている。4~5年前はちゃんとした精子、卵子はできないと思っていたが研究は進む。倫理的な議論を少しでも早く社会全体として準備しておかないと、科学技術の方が速く進んでしまう可能性がある。研究開発も大事だが、それと同じスピードで倫理、許認可の問題も同時進行で進まないといけない。知的財産の問題も進めないといけない」
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG0802F_Y2A001C1000000/

山中教授、手術苦手で「ジャマナカ」のあだ名
外科医志望から転向、基礎研究の道

山中教授は親しみやすい人柄で、ファンも多い。学生時代はスポーツやバンド活動に没頭。もともとは整形外科医を志しながら挫折して転向するなど、基礎研究者としては多彩な経歴をたどってきた。
大阪教育大付属高校時代、勉強や柔道とともに音楽にも熱中。かぐや姫をカバーしたバンド「枯山水」でギターを担当し毎年学園祭で演奏した。「勉強だけできてもだめ。スーパーマンになれ」という当時の指導が研究者になって生きたという。山中教授は「人の3倍研究するにはどうしたらいいか、常に考えるようになった」と振り返る。
町工場の経営者だった父親は「おまえは経営に向いていない」と一人息子に医者の道を勧めた。
神戸大医学部に進学し、当初は整形外科医を志望。ラグビーでフォワードを務め、骨折などの治療を受けた経験からあこがれた。卒業して研修医になったが、同僚が数十分で終える手術でも何時間もかかり、「ジャマナカ」のあだ名を付けられた。「手術はうまくない」と悟り、基礎研究の道に転じる決心をした。
大学院を終えると米国に渡り生物の発生などを学んだ。帰国して1996年に大阪市立大の助手になったが、本人が「ポスト・アメリカ・ディプレッション」と呼ぶ鬱状態に。研究費がなく、セミナーやディスカッションもない、米国とは正反対の窮屈な研究環境がこたえた。一人で行う実験用のネズミの世話がまた大変で、今度は「ヤマチュウ」と呼ばれるようになった。
転機は99年、奈良先端科学技術大学院大の助教授に採用されたこと。政府の助成機関から研究費も獲得できた。審査の責任者は免疫学の権威、岸本忠三・元大阪大学長(現阪大特任教授)。山中教授は緊張しながらも「やろうとしている研究内容を一生懸命説明した」。岸本元学長は「ほんまにできるんやろうか」と疑ったが、熱意に押され「千に三つでも当たれば成功」と助成を決めた。これがiPS細胞開発の端緒となった。
2006年に初めてマウスでiPS細胞を開発し、07年に人の皮膚細胞からiPS細胞を作ることに成功した。受精卵を使わずに再生医療に道を開く画期的な成果とされ、環境は一変した。
スポーツ好きの山中教授は、研究をマラソンに例える。論文発表で先を越されても決してあきらめず、最後まで走り抜くことが重要だという。iPS細胞を患者の治療に応用することが最大の目標と強調する。
座右の銘は2つ。1つは米留学時に研究所長から教わった「ビジョン・アンド・ハードワーク」。目的をはっきり持ち、一生懸命働くこと。もう1つは「人間万事塞翁が馬」。整形外科医を志したが基礎研究者に転向、またうまくいかずに臨床医に戻ろうとしたことなど自身の体験に基づく。
家族は妻と娘2人。妻も医師で娘も医学の道を志す。
多忙を極めるなか、大学近くの鴨川沿いのランニングをほぼ毎日欠かさない。研究所内では2段飛ばしで階段をかけ上がる。世界中のライバルと戦う体を鍛えている。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG08014_Y2A001C1CR8000/?bu=BFBD9496EABAB5E6B39EBA9E86B3BBE3BEF9E2B8F981B4E0FDA6B38A82B3A0E1A7BDB583A3E2EABF8484EB9495E4E181BDA5E18BF9B983A4F9819BA186A69A84B885B0A39F82B9A785E2B3E3809091E29DFDA187E09FA298A29EB6868588E3E5A1A39598F9EBA091E080998BBEEAAAEAE3A4808A9798938390E2BDA8BF9FA18697BEA59698E399939CE78BE69F939AB693E2BEBC97818A90EBA7E7808593E2949A97A6B4B88BBCB6BAA0828A9D84A58BA4B0E282E6BFA6E6A7A49FA498E7869FBBE59CE2B591E081BDB897E6A2AB978AE4B99AB3889781BEBEB0ABBABDBD9993A1A0E1B99AE183FDBFB791B6A19E96B4B48B96B593E4BA83B18393998487919BE4858A88E28A99BEA1B0A891808496A19684B385AA8081E5E2E1B9B494E18BE39A9AEB9988918585BCA3E5BF8184F9E7E7F995ABBEBFBFA19E9A9EA2959DEBE798BBA284B5A4BCB8A2A7A6A0F9B1E6A0B5E6A4E595909BB380AB82A6BA9DB196919A9886FDB7A4ABB59697EF&cg=31

「科学界の宝」「多くの方の力で…」 友人・家族ら喜び
母校の神戸大医学部では、同級生や当時所属した同学部ラグビー部の先輩・後輩らが集まり喜びに沸いた。ラグビー部で山中教授はフォワード。同部で後輩の長野徹・神戸市立医療センター中央市民病院皮膚科部長(47)は「縁の下の力持ちで派手なプレーはなかったが、確実に前に進む。そんな姿勢が現在の研究に通じたのかもしれない」と喜んだ。
同級生の江本憲昭・神戸薬科大教授(51)は「ラグビーばかり励んでいた印象だが、試験の結果はよかった。非常にスマートな学生だった」と懐かしんだ。
山中教授が京大に移る前に在籍し、iPS細胞の研究を始めて飛躍の足がかりを得た、奈良先端科学技術大学院大(奈良県生駒市)では、磯貝彰学長(70)らが午後6時半すぎから記者会見。同学長は「まさに日本の科学界の宝になった」と祝福。「教え子を京大に一緒に連れて行き、チームを維持してきたのも先生の人柄」とたたえた。
同大学院大で山中教授を採用する際に選考に当たったバイオサイエンス研究科の河野憲二教授も会見に同席。「(ノーベル賞を)もらうのは時間の問題と思っていたが……」と感無量の様子。「自分のことのようにうれしい」とほほえんだ。
河野教授は「初めは夢みたいな話だなあと思っていたが、すごいスピードで研究が進んでいると実感した」と振り返り、「間近に見られたのは研究者冥利に尽きる」と語った。
山中教授の出身校、大阪教育大学付属高校天王寺校舎(大阪市天王寺区)の岡博昭副校長(58)は「ここ数年待ち焦がれていた。高校で理数教育に重点的に取り組むなか、生徒にとって希望になる。山中先生のような研究者を目指す生徒が出てきてほしい」と喜んだ。
岡副校長によると、同校は文部科学省が指定する「スーパーサイエンスハイスクール」で、山中教授も運営指導委員として助言しているという。
2004年から山中教授の助手を務め、現在はiPS細胞研究所で共に働く、中川誠人講師(37)は「いろんな賞を取っても、人間が変わらないところがすごい」と人柄を絶賛。周りの研究員や学生とも垣根なく接し、大学付近などへ頻繁に飲みにも行くという。「かなり飲まれます。アルコールが入っていれば種類は何でもいいのでは」と意外な一面も明かした。
山中教授の家族も京都大を通じてコメントを発表。母の美奈子さんは「名誉ある賞を受賞したと聞き、大変驚いております。ひとえに大勢の皆様のお力添えのたまものと思っております。息子を支えてくださった方々に心より感謝申し上げます」と述べた。妻、知佳さんも「iPS細胞の発見は、1人の力ではなしえなかったことです。これまで研究を支えてくださった多くの方々に心から感謝を申し上げます」とコメントした。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0801N_Y2A001C1CC1000/?bu=BFBD9496EABAB5E6B39EBA9E86B3BBE3BEF9E2B8F981B4E0FDA6B38A82B3A0E1E185B3BB90B5998AE0E3AA9495E4E181BDA5E18BF9A6E0B499E293B9968BE6888595E49087B7F997BABB8380A49F82BD9AB4A2F9F9A1879BE4A19386B99CBCE3AB97BCE3E5A4999893B7E2EB9683E2A1BCA2A4FD88B784B487E5E29BEA94A380968386A6AA8BB3E0A4A0B69C83B3EAB693B4B69891A6BE808798E580F9E3BB95EA81B1B685E18AB89EB5BD9880E691A2B086A290A4B8E2E7B0EB9DE5A3A6A2EB9AAB8AB1E6E68B94E09D83B7B48BBC9DBAAA88BEA8A79BE495BA8490B8B388BC9CFDA5B4B4B68181B3F9E29382E49CBBB8A7E0E5BBEAB0F9E288B887908A838AAB84B786949AE0A3A5EAE49EA3858190BCE0A89C95FDBA97E6A8BFA7A3E1BA88B7E5E7A2A19BE49091A5FDA48AE1869CA79CA0AAA19BE1B383E3E2A5A881E6ABA7A28A87E0BCB193E3B8A885BD9BA5989EE781B395A783938AB1BC918B9480A3919A9886FDB7A4ABB59697EF

iPS細胞、再生医療の切り札 難病への効果期待
2012年のノーベル生理学・医学賞が決まった山中伸弥京都大学教授のiPS細胞は、医療の姿を抜本的に変える再生医療の切り札とされる。これまでの医学で治すのが難しい重い心臓病や神経系難病を克服するため、研究者が治療法の開発を競う。産業界にとっても期待は大きい。再生医療関連装置で15~20年の市場規模予測は数千億円。製薬各社やベンチャーも新薬開発を狙って創薬への活用を探る。
病気や事故で体の機能を失ったとしても、iPS細胞を作製し、それを神経や筋肉、心臓などの細胞に成長させて移植をすれば健康な状態に戻ることも可能になる。再生医療に使う同じ万能細胞の胚性幹細胞(ES細胞)と違い、患者自身の細胞からできており、拒絶反応のリスクが小さい。
難病の新たな治療法開発を目指した研究が盛ん。京都大学はパーキンソン病の治療を目指し、iPS細胞から神経伝達物質を出す神経細胞を作製し、サルに移植して細胞が働くことを確かめた。
慶応大学は脊髄損傷のサルにiPS細胞から作った神経細胞を移植、治療効果を確認した。大阪大学はiPS細胞から作った心臓の細胞をシート状にして心筋梗塞のマウスに移植し、機能を回復させた。
こうしたなか、理化学研究所の高橋政代プロジェクトリーダーらはiPS細胞から目の細胞を作製して患者に移植、加齢黄斑変性を治療する研究を進めている。早ければ13年度にも世界初の臨床研究を始める考え。
ただ、iPS細胞を使った再生医療を現段階で患者に応用するとなると、1人当たり1000万円近くの費用がかかる。誰もが治療を受けられるようにするには、iPS細胞の作製を効率化する医療装置が欠かせない。
ニコンは研究や治療に使える良質なiPS細胞を自動で選別する技術を開発、既存装置の改良で1~2年以内に製品化する。島津製作所はiPS細胞から作った治療用細胞を培養する装置の実用化にメドをつけた。
製薬各社もiPS細胞で新たな医薬品を生み出すプロセスを抜本的に見直そうとしている。薬効や副作用を調べる際、一部が動物実験の代わりになるため、創薬のスピードアップにつながる。
武田薬品工業は慶応大学の研究者と共同でiPS細胞から神経細胞を作製した。単独の研究では、血糖値を下げる物質のインスリンを生み出す細胞を作ることができた。
山中教授と共同で患者から提供を受けた細胞でiPS細胞を作り、病気の状態にある特定の細胞を生み出す技術の研究にも取り組む。将来はこの細胞と医薬品になる可能性がある化合物(新薬候補)を反応させ、創薬の効率化につなげる。
大日本住友製薬も京都大学iPS細胞研究所と「希少疾患」の治療法を探る共同研究を進めている。iPS細胞を使い病気が進行する仕組みを解明、産学連携で治療薬を開発することが目標。11年からスタート、16年3月まで実施する計画だ。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG0302C_Y2A001C1EA2000/?dg=1

「後進の自信にもつながる快挙」 岸本忠三・大阪大学特任教授
山中教授の研究に早くから着目した岸本忠三・大阪大特任教授(73) 彼の研究は発想が画期的で、遅かれ早かれ受賞すると思っていた。医学の場合は、病気が治るなどの実績があって初めて受賞するケースがほとんどだが、大原則を発見して、その原理原則についての功績が認められたことは大変な偉業だ。生理学・医学賞の受賞決定も日本人としては久しぶりで、後進の自信にもつながる快挙だ。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0801G_Y2A001C1CR8000/

「先進的な研究が評価」 岡野栄之・慶応義塾大教授
山中教授らとiPS細胞を使った脊髄損傷治療の研究を進める岡野栄之・慶応義塾大教授(53) ここ数年、候補にずっと挙がっていただけに良かった。ヒトのiPS細胞は米国チームと同時期の発表だったが、マウスiPS細胞での先進的な研究が評価されたのだろう。iPS細胞を使った脊髄損傷治療は動物では効果が確認できており、5年後を目標にヒトでも治療を計画しているが、もっと加速していきたい。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0801W_Y2A001C1CC1000/

「サイエンスの可能性は無限」 鈴木章・北海道大名誉教授
2010年にノーベル化学賞を受賞した鈴木章・北海道大名誉教授(82) 専門外なので細かなことはコメントできませんが、山中教授はそのうちに必ずノーベル賞を受賞される人だと思っていた。サイエンスの可能性は無限。若い人々が続くことを期待します。このたびの受賞は大変おめでたく、心よりお祝い申し上げる。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0801J_Y2A001C1000000/

「日本のために本当によかった」 利根川進氏
1987年に日本人初の生理学・医学賞を受賞した利根川進・理化学研究所脳科学総合研究センター長(73) しばらく医学生理学分野では受賞者が出なかっただけに、日本のために本当によかった。山中教授の傑出した独創的な発見から始まり、基礎研究がいかに大切かを証明した点で大変うれしい。(山中教授の功績が)先生と若い学生2人の小チームの大発見に基づいていることを知り、自分のケースによく似ていたため、感慨深いものがあった。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0801I_Y2A001C1CR8000/

「リスクいつかは制御」根岸英一パデュー大特別教授
2010年ノーベル化学賞を受賞した根岸英一・米パデュー大学特別教授(77) 2010年に文化勲章を頂いたとき、山中教授も文化功労者に選ばれ、皇居でお目にかかりあいさつをした。若いがすばらしい方だと感じた。iPS細胞にはまだがん化するリスクがあると指摘されているが、発見の本質を損なうことではなく、いつかは制御できるようになると思う。世界をリードする成果を上げたパイオニアで、ノーベル賞を受賞すると信じていた。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG08022_Y2A001C1CC1000/

「内閣挙げて研究支援」 田中文科相
山中伸弥京都大学教授のノーベル賞受賞で、政府の再生医療の推進政策にも弾みがつきそうだ。
田中真紀子文部科学相は8日夜、山中教授に電話で「内閣をあげて(研究を)支援する」と伝えた。厚生労働省からも「韓国も力を入れており、日本発の技術で海外に負けるわけにいかない」といった声が出ていた。
政府は再生医療の実用化に向けた医療イノベーション5カ年戦略を6月に決めた。研究開発の支援、再生医療技術の速やかな承認、治療を受けた患者のフォローの3つを中心に後押しする。
再生医療は目の網膜の細胞を育て難病患者の目に貼る治療や、筋肉の細胞を使った重い心臓病の治療が実用化段階に近づいている。厚労省幹部は「山中氏の研究が治療に応用できるように支援する」と語った。
課題となるのが予算だ。厚労省は2013年度の概算要求で再生医療関連で37億円を要求した。医療イノベーション5カ年戦略を実行するための全体予算は411億円で、再生医療以外にも総花的に予算配分している。
他省庁との連携にも課題を残す。再生医療は厚労省のほかにも山中教授が在籍する京都大学を所管する文部科学省、内閣府、経済産業省が別々に予算要求している。有望な再生医療分野にメリハリをつけた予算配分ができるかが問われる。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0801V_Y2A001C1NN1000/

野田首相「科学技術の進歩、復興の力に」
野田佳彦首相は8日夜、山中伸弥京大教授のノーベル生理学・医学賞受賞について「被災地で復興を目指す方々をはじめ、全国で数限りない方々が受賞に目を輝かせ、勇気づけられる」とのコメントを発表した。「心から敬意を表する。日本人の一人として誇りに思っている」と喜んだ。
首相は「科学技術の進歩は、わが国が東日本大震災からの復興や成長力の強化といった課題に取り組んでいくうえで不可欠」と強調。「先生に続くような、世界に雄飛する人材をしっかりと育んでいくとともに、今後とも科学技術の振興に努める」と祝意を示した。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0801M_Y2A001C1000000/

「日本が取った賞だ」 山中教授にノーベル賞
現代医療に革新をもたらす可能性を秘めたiPS(人工多能性幹)細胞を生み出した京都大の山中伸弥教授(50)が8日、ノーベル医学生理学賞に決まった。マウスiPS細胞の作製の論文を発表してからわずか6年。京大の関係者や市民、患者団体からは「社会の大きな期待の表れ。実用化への弾みになってほしい」と喜びの声が上がった。午後8時から京都市左京区の京大で会見した山中教授は「みなさんのおかげ」と感謝の言葉を繰り返し、「研究を続け、社会貢献、医学応用の実現を」と力強く語った。
山中教授はこの日は休日で、大阪市内の自宅で受賞の一報を受けた。会見で、「洗濯機がガタガタいっているのを直そうとしていた」ときだった、と明かし、約100人の報道陣を笑わせた。「既に実用化されている仕事もたくさんある。まさか自分が受賞するとは思っていなかった」と驚きを隠さず、「研究メンバーに恵まれた。支えてくれたみんなのおかげ」と続けた。
山中教授は午後7時半ごろに、タクシーで京大に到着し、取り囲む報道陣に「ありがとうございます」と答えながら、足早に会見場に向かった。直前に野田佳彦首相の祝いの電話を受け、会見の冒頭では「受賞できたのは日本という国に研究を支えてもらったからだと心の底から思った。日本という国が受賞した賞だ」とまず感謝の意を表した。
一緒にいた家族の反応について聞かれると、「伝えてもなかなかぴんとこない。ぼうぜんとしていた」と語り、母親について「電話で『よかったなあ』と言ってくれた」と表情を崩した。
ジョン・ガードン博士との共同受賞については「一番うれしいことと言っても過言ではない。私たちの研究分野を切り開いてくれた。ガードン先生の仕事がないと受賞できなかった」と語った。
iPS細胞の医療応用を待つ患者に対しては「今日あしたに病気を治せるというのではなく、実用化には時間がかかる。しかし、世界での研究は一歩ずつ前に進んでおり、希望を捨てずに見守ってほしい」と呼びかけた。
(京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/environment/article/20121008000094

山中教授「日本という国が受賞した賞」
2012年のノーベル医学生理学賞が8日、京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)とジョン・ガードン英ケンブリッジ大名誉教授(79)に贈られることが決まった。同賞を選考するスウェーデンのカロリンスカ研究所が発表した。日本人の受賞者は19人目。医学生理学賞は1987年の利根川進・米マサチューセッツ工科大教授以来、25年ぶり2人目となる。
2人への授賞業績は「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」。山中さんは2006年、マウスの皮膚の細胞に4つの遺伝子を入れることで細胞を分化前の状態に戻し、体のどんな細胞にも変化させられる人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作製。07年にはヒトの皮膚細胞からiPS細胞を作り出した。再生医療や創薬への利用が期待され、作製から6年のスピード受賞となった。08年には中日文化賞を受賞している。
山中さんは8日夜、野田佳彦首相から祝福の電話を受けた後、京大で記者会見を開き、「2人が受賞したことになっているが、日本全体で支えてもらったおかげ。日の丸がなければ受賞できなかった。まさに日本という国が受賞した賞だ」と述べた。終始、引き締まった表情。家族にも感謝の言葉を述べ、「80歳を超えた母に報告できたことが本当によかった」とかみしめるように話した。
iPS細胞は患者本人の細胞を使って病気になった組織や臓器を作り直す「再生医療」に道を開いた。従来は、幹細胞の素材に受精卵や中絶胎児を利用した胚性幹細胞(ES細胞)しかなく、倫理的な問題があった。iPS細胞を使った網膜の再生医療は国内で近く実施される見込み。
新薬の開発や難病の原因解明にも役立つと期待されている。患者のiPS細胞を作ることで薬の効き目や副作用をあらかじめ調べたり、心臓や脳など採取が難しい患者の細胞を大量に増やしたりすることが可能になる。
ガードンさんは細胞を初期の状態に戻す研究のパイオニア。50年前、核を取り除いたカエルの卵にオタマジャクシの細胞核を移植しクローンを誕生させ、多能性幹細胞の実現可能性を初めて実験で示した。
授賞式は、12月10日にストックホルムで開かれる。賞金は800万クローナ(約9500万円)を等分する。
(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012100890184444.html

山中さん「本当にすごい」 明石の難病少年も喜び
山中さんのノーベル賞受賞は難病と闘う少年にも希望を与えた。筋肉の細胞が骨に変わる病気の患者で、京都大の人工多能性幹細胞(iPS細胞)研究に体細胞を提供した明石市立魚住中学校3年生の山本育海(いくみ)君(14)。待機していた明石市役所で受賞の報を聞き「良かった。本当にすごい」と手をたたいて喜んだ。
育海君は8歳の時に200万人に1人の発症とされる希少難病「進行性骨化性線維異形成症(FOP)」と診断された。激痛を伴い骨化が進む。
育海君と母智子さん(39)は2010年に山中さんの研究に望みをかけ、京大に皮膚を提供。山中さんは「いっくん(育海君の愛称)も一生懸命頑張る研究者がいることを忘れないで」と励まし、「研究者で力を合わせ、今できる最大限の努力をする」と育海君に約束した。
会うたびに体を気遣ってくれる山中さんは、育海君にとって「優しく、大きな存在」になった。この日、受賞を伝えるニュースを食い入るように見つめた育海君は、智子さんと何度も「すごいね」とうなずきあった。
「受賞を機にさらにiPSの研究が進み、一日でも早く薬ができれば」と智子さん。病気を「神さまからの宿題」ととらえて運動などを我慢してきた育海君も「これで宿題も早く解けると思う。思いっきり友達と遊びにいきたい」と声を弾ませた。
(神戸新聞)
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005437122.shtml

ノーベル賞の山中氏会見 「研究続け貢献したい」
ノーベル医学生理学賞が決まり、8日、京都市内で記者会見した山中伸弥京都大教授(50)は、家族や同僚への感謝の言葉を重ねた。人工多能性幹細胞(iPS細胞)は難病患者たちの希望を開く。喜びとともに語ったのは責任の大きさ。「受賞は光栄だが、研究を続けて本当の意味の社会貢献をしたい」と決意を述べた。
午後8時前、100人を超える報道陣で埋まった京都大本部棟の大会議室。山中伸弥さんはグレーのスーツでにこやかに現れたが、席に座ると一転、表情を引き締めた。
野田佳彦首相から祝福の電話を受けた後、記者会見を始めた。「iPS細胞研究所所長の山中でございます」と切り出し「感想を一言で表すなら、感謝」と語った。
研究の過程から受賞まで、丁寧に言葉を選びながら振り返り、研究を支えてきた大学や同僚への謝意を続けた。
「80歳を超えた母に報告できたことが本当に良かった。亡くなった実父も義父も喜んでくれていると思う」と家族への思いを口にした。
受賞については光栄としつつも、「真理を覆うベールを一枚めくっただけ」と表現。iPS細胞の研究が途上であることを強調し、「本当の意味の医学応用を実現させなければならない。来週からは研究に専念したい」と語った。
研究のために体細胞を提供した明石市の山本育(いく)海(み)君(14)ら、難病治療を待ちわびる患者への思いを問われると、ひときわ厳しい顔つきに。
「私たちと難病に苦しむ人の1日、1カ月は違う」とし、「名前は『万能細胞』だが、実際は病気を治すのに5年、10年とかかる。私たちも日々挑戦している。希望を持っていてほしい」と強い口調で述べた。
この日は、自宅で洗濯機を直そうと座り込んでいたときに携帯電話が鳴り、受賞を知ったという。ユーモアを交えて語った山中さんは、大阪で育った経歴に触れつつ「米国での生活で、考えを伝えるために笑いを盛り込む大切さを学んだ」とほほ笑んだ。
(神戸新聞)
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005437026.shtml

山中伸弥氏にノーベル賞 神戸大同級生らも称賛
「ネバーギブアップのラガーマン精神とひたむきさが結実した」。山中伸弥京都大教授(50)が卒業した神戸大医学部でも8日夜、受賞決定の朗報を心待ちにしていた同級生やラグビー部の後輩らが喜びの会見を開いた。大学時代から変わらぬ誠実な人柄を振り返り、研究者として最高の“トライ”を決めた仲間に惜しみない称賛を送った。
同級生だった神戸薬科大臨床薬学研究室の江本憲昭教授(51)は卒業から約10年後、京都で開かれた学会で再会した。整形外科医から基礎研究への転身を告げた山中さんは「一緒に基礎医学で頑張ろう」と力強く握手を求めたという。「当時、研究環境などで悩みがあったと後から聞いたが、持ち前の頑張りで克服したのだろう」と推し量る。
今回は受賞有力候補に名を連ね、同級生同士で「今度こそ」とメールが飛び交ったが「本人はまったく意に介していなかった」という。
同級生の神戸大大学院保健学研究科の伊藤光宏教授(49)は「裏表のない誠実さ」に脱帽する。「科学者は普通、自分のやろうとしていることを隠すが、彼はシンポジウムで全部しゃべっていた」。iPS細胞の研究もその一つだが、山中さんは「僕ら凡人はたくさん矢を放ち、その一つを的に当てられるかだ」と話していたという。
山中さんは神大在学中、ラグビー部に4年間所属し、かつてのチームメートとのつながりは今も深い。会見場に駆け付けた同部の後輩たちは「ワン・フォー・オール(1人は全員のために)のラガーマン精神を地でいく人だった」と口をそろえた。
ジャージー姿の山中さんの写真を持ち込んだ神戸大大学院医学研究科の黒田良祐准教授(47)は、練習中に大けがした際、山中さんに看病してもらった。「味方をも欺く独創的なプレーが魅力だった。今も僕のスターです」と振り返る。神戸市立医療センター中央市民病院の長野徹皮膚科部長(47)も「息を切らして走る新入生に『ここまで来い』と声を掛け、励ましてくれた」と熱血漢ぶりを披露した。ラグビー部の先輩で同大医学部付属病院の杉村和朗病院長(59)は「決して研究エリートでなかった彼の快挙は、学生たちの希望だ」と満面の笑みで語った。
(神戸新聞)
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005436852.shtml

「やっぱりすごい先生」=皮膚片提供の難病の少年が会見-兵庫
「やっぱりすごい先生。難病の研究が進むと思うとうれしい」。難病を患い、京都大教授の山中伸弥さん(50)と交流を続けてきた兵庫県明石市の市立中学3年山本育海君(14)は、山中さんがノーベル医学・生理学賞に決まったことを受け同市役所で記者会見し、興奮気味に話した。
育海君は2006年、小学3年のときに全身の筋肉などが徐々に硬くなって骨に変化する難病、進行性骨化性線維異形成症(FOP)と診断された。原因となる遺伝子は解明されたが、200万人に1人と患者が少ないこともあり、治療法は確立されないまま。
iPS細胞が難病治療に効果的であることを知った育海君と母智子さん(39)は、09年に初めて山中さんと面会。翌年、FOP治療のため育海君の皮膚片を提供した。
山中さんは育海君と会うたびに「いっくん、きょうは来てくれたん」と優しい言葉を掛けてくれるといい、智子さんは「私たちにとって身近でありながら、すごく大きな存在」と話した。
(時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012100800416




iPS細胞研究の山中氏らにノーベル賞 医学生理学賞
実用化待つ人へ「希望を持って」 山中教授が受賞会見
【山中教授にノーベル賞】 バチカンも好感か」の追加情報です。